京都大原「額縁庭園」で有名な宝泉院の五葉松
<5日目>
本日は 京都定期観光バスで「大原三千院と世界遺産比叡山延暦寺」
のコースを予約しました(一人9,930円昼食付)
朝食は ホテル内和食「紙屋川」で 目いっぱいお盆に乗せました
<比叡山延暦寺>
平安遷都の2か月前 桓武天皇が最澄に対し 「平安京を鬼や悪霊から
守るため 平安京の鬼門に当る比叡山を 鎮護国家の寺院とすること」
と命じた それが比叡山延暦寺である
参考:桓武天皇(737~806)最澄(767~822)
今年は最澄没後1,200年の年に当たるようです
最澄の教え「照千一隅此則国宝」(一隅を照らす 此れ則ち国宝なり)
自分の役割をしっかりと全うする人こそが国宝である・・・ということ
国宝となれる人材に育てあげようと修行はあまりにも厳しいことで有名
十二籠山行や千日回峰行(戦後の満行者は14名という)がそれである
天台宗の総本山 仏教の総合大学的存在と言える
各宗派の開祖 浄土宗の法然 臨済宗の栄西 曹洞宗の道元 浄土真宗
の親鸞 日蓮宗の日蓮 名僧を輩出している 大講堂には各僧の木像が
並んでいる
平安京の鬼門に位置し 京都の寺社から 必ず比叡山が見えるように
なっています 1994年京都文化遺産の構成の一つとして世界遺産に
延暦寺というと 比叡山全体のことを指して 延暦寺というお堂が
あるわけではない 約500万坪は甲子園球場500個分の広さである
標高は848m 麓より5~6度低く 秋の紅葉は約一ヵ月早く 10月
下旬から11月に見頃となる 敷地の9割が滋賀県 1割が京都府である
今回の見学は 東塔 西塔 横川の三地区の内で 東塔エリアのみである
そうそう近くに見えるのが 大晦日の「行く年くる年」で中継されている
延暦寺の開運の鐘です 一突き50円 「それなら並べば良かった」と妻
(先月の仙台の旅 毛越寺の鐘は一突き500円だったのでの感想)
妻の後ろの急な階段を登ると「文殊楼」 文殊菩薩を祀る学問の神様です
実は文殊楼が延暦寺の山門に当り 比叡山の総門の役目をしているのです
徒歩で本坂を登ってくると 先ずこの門を潜るところからスタートします
上り詰めると 正面真下に琵琶湖が広がっているのです
初日は京都府からの比叡山 本日は滋賀県からの比叡山を仰いだ
ことで 御利益も二倍?
「根本中堂」の中の本と堂を取って本堂と呼ぶようになったのだとか
根本中堂の本尊である薬師如来像の前に灯る三基の「不滅の法灯」 開創
以来1,200年以上消えることなく 灯り続けています 菜種油の油が
切れると火が消えてしまうことから「油断大敵」の語源となっていると
(実は信長による焼き討ちで消えた だが幸い山形県の立石寺に分灯され
ていたため継続ができたとのこと)
「自他 心を同じくす」 令和3年比叡山から発する言葉です
伝教大師最澄「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と仰いました
己を忘れるとは 他人を自分のことのように思うこと 他人の苦しみも
悲しみも喜びも自分のことのように感じること 他人と私は同じ心を持
っているのです 同じ心を持っているから分かり合えます・・・
説明してくださるお坊さんの右に積まれているのは 奉納された菜種油
国宝の根本中堂並びに重要文化財の廻廊では 平成28年から約10年
かけての大改修が行われています 修学ステージからは 大変貴重な改修
の様子を見ることができます(撮影もOKなのです)
改修工事前の姿
信長の焼き討ち 家光の再建 そして60年に一度ずつの改修工事を経て
今があるのです では信長はどうして焼き討ちを決行したのでしょうか?
延暦寺の拡大と平行して武力も年々強まった 強大な権力で院政を敷いた
白河法皇でさえ「賀茂河の水 双六の賽 山法師 是れぞ我が心にかなわ
ぬもの」と言った・・・当時から山といえば比叡山延暦寺を指しています
延暦寺は 自らの意に沿わぬことが起きると 僧兵たちが強訴という手段
で 時の権力者に対し 自らの主張を通していた
信長と浅井・朝倉が対立 その際延暦寺は浅井・朝倉側についた 信長が
「自らの味方になるか それがイヤなら中立の立場を取れ!」と再三再四
通達を実施 延暦寺は断固拒否したことで 結果焼き討ちとなってしまう
今年焼き討ち450年の年に当たると言います
定期観光バスのお勧めルートです
昼食は「芹生」のお弁当 3,135円也
三千院に行くまでの参道
御殿門入ってすぐの受付に「和敬」の扁額が飾ってあった筈がありません
妻が質問すると 以前は確かにありました 今ははずしていますと・・・
苔が綺麗なのでうっとりします
赤・黄・緑の三色のバランスがいい
往生極楽院の中で ろうそくを奉納し 妹の病気平癒を祈ります
お堂に比べて大きい阿弥陀三尊像を納める工夫として 天井を舟底型に
折り上げています その天井には 極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が
極彩色で描かれています 「円融蔵」内で天井画の復元模写を見ました
三尊の中尊 阿弥陀如来像は来迎印を結び 左右の菩薩は少し前かがみ
にひざまづく「大和座り」で慈悲に満ちたお姿(往生者を迎える)です
わらべ地蔵は「有清園」の南端にある
井上靖が「東洋の宝石箱」と称したほどの庭園です 苔が美しい
わらべ地蔵にも引けを取らない可愛らしさ
<次は宝泉院>
このような光景に巡り合いたいものです・・・
宝泉院の五葉松は 近江富士をかたどった名木で樹齢約700年
客殿の中からは氷山の一角で 外の庭園に出て仰ぎ見ると別物に
(ここのパンフレットに書いてある松がそうなのです)
「額縁庭園」庭の名前は盤桓園(立ち去りがたいの意味)とのことで
額縁の正面に座る女性陣ビクともしません ほかの人に席を譲ると
いう配慮は全くありませんでした
御茶も一番端っこでいただきました 料金に含まれています
普通は800円ですが 定期観光バスの乗客は100円引きです
客殿を出るとき ハタと思い出しました 確か女優の檀れいさんが
おいどを突き出し水琴窟の竹筒に夢中になっていたことを・・・
部屋にいる人誰も知らないようでした 一番で確認に縁側に出ました
もうひとつ血天井が有名ですが これに気付く人もいないようでした
勝林院の塔頭寺院(次の実光院も)として絶えず声明(お経に節をつけた
もの)が流れ まるで血天井の犠牲者たちを弔っているように聞こえます
今回見逃してしまったのが「石盤」(サヌカイト)当院住職で声明の大家
であった人が 声明の音律を調べるために愛用したとか
オーケストラの演奏前 第一バイオリンの人のAの音に皆が合わせるよう
に 声明を唱える際 このサヌカイトの音にキーを合わせるのだそうです
TV「京都ぶらり歴史探訪」で紹介されていたのが 新幹線の中で流れる
チャイム「ポン ポン ポン ポ ポン(ドードードーミド?)・・・」
外に出て庭園を巡ります
五葉松の全体の姿を見るべきでした 写真で我慢しておきます
宝泉院から実光院に行く途中の道で
実光院の客殿からの庭園風景 心が癒され洗われるいい感じ
実は ここでもお抹茶付だったらしいのですが 気づきませんでした
この赤い敷物に誰か一人でも接待を受けていれば 分かったのかも?
庭園中央に植えられた「不断桜」は初秋から翌年春にかけて花を咲かせる
珍しい品種である 錦秋の季節には桜の花と紅葉が同時に楽しめます
花言葉「乙女の真心」これを見て 一枚パチリ
また今日もJR京都伊勢丹のお弁当が夕食です