2023年 初めての台湾4泊5日 後半

台湾総統府内にて

新幹線で台北駅(英語表記Taipei Main Station)に戻って来ました

昼食は「阿美飯店」 隣接する同系列店「好記担仔麺」は1867年
創業 担々麺では台北一との評判店 二店ともガイドさん一押しです

トイレにかかっていた暖簾と 男子トイレのドアの文字が???
「金玉(きんぎょく)満堂」とは 黄金や珠玉などの宝物が家の
中に満ち溢れていること 転じて学識や知識が非常に豊富なこと
例文「彼は 歩く辞書と言われる位の博識で まさに金玉満堂だ」
出典は老子九章「金玉 堂に満つれば 之を能く守る莫(な)し」


バスの車窓から 台北101を 手前に松山空港

免税店で 妻がシャネルの香水を購入 自らのお誕生日プレゼント
右:57歳のガイドさんと 日本の商社にも勤務していた経験あり
  ここは中華民国ではなく「台湾」ですと! 絶対独立をと主張
  まだまだ日本語はタドタドシイ 塩を「しょ」と発音愛嬌です

「十分」到着 願い事を書いて空に放つスカイランタン(天燈上げ)
赤色のランタンは健康を示す 他に黄色は金運 青は事業運 紫は
学業運等とあります 1色200元(4色までランタンにできる)

ランタンを上げる前と瞬間からは 店のスタッフが 
妻のスマホで撮影してくれます(別途動画で保管されています)

町の真ん中を観光列車が通る 日本統治時代は石炭を運ぶために
敷かれた路線 現在も1日16本 恵まれた景観の中を走ります
九份からでも バスと列車利用で十分駅に来れる人気コースです

参考:九份とか十分とかいう地名の意味?
   九份という地名には「開墾した土地を9人で分けたもの」と
   いう意味があり 清朝初期9世帯しか住民がいなかったこと
   に由来しているという説あり(十分も同主旨のようです)

平渓線の十分駅が見える所で ちょっと横に入って吊り橋へ

ガイドブックにも紹介されていなかった吊り橋で 得意の仁王立ち!

九份」です ツアーバスを町の駐車場で下り 町の乗合バスに乗換え
バスは3台目にようやく乗れました 本日3連休最終日曜日 大混雑

やはり人 人 人の満員状態 この階段を180段 必死に上ります

ここは金鉱で栄えた町 名残があります
と言うか 台湾九份の金山には 明治の日本統治時代1896年以降
石見銀山の技術者(藤田伝三郎創業の藤田組より)が派遣され開発を
続けたという歴史があったのです 現在 台湾の世界遺産登録認定に
向け 日台でムーブメントが起きています 注目して行きましょう!

   閉山後は閑散としていたが 映画「悲情城市」のロケ地で
   有名になり 今では台湾屈指の観光名所になりました 

観光地図には ただ神社との記載あり ガイドブックにも説明無し

茶芸館「九戸茶語」は 撮影スポットとして有名な階段のすぐ前です
夕日が隠れる前に入店 眼下に基隆(キールン)の海や山が広がります

生きた海老を14匹 上の箱に入れ熱湯を注ぎ入れる 暴れています

茶芸館とは思えないほどの 様々な料理に驚きました
当店は 高山茶が有名なのに お茶を楽しんでいる記憶がありません

ツアー同行の 親子連れの息子さんに撮ってもらえました
どうもNHKの番組作りに携わっているようでカメラの構え方が
サマになっている 普通ではないしゃがみ方での撮影でした・・

私が撮るといつものポーズ

<四日目 10月2日(月)晴れ>中正祈念堂と午後から自由時間
明日午前までの24時間自由時間で「MRT24時間パス」を購入

MRT(地下鉄)乗り放題 値段は 180元 安いですね

「中正祈念堂」の中正は蒋介石の字(あざな)で介石は通り名と
国民党を象徴する青瑠璃色の屋根が美しい

堂内にあった掲示写真を写しました 自由広場 何の集会かは不明 

衛兵交代式(妻のスマホに動画を保管) 
行進の際 特注の軍靴を床にたたきつける音カシャーンがイイ!
(衛兵の服 深緑が陸軍 紺色が海軍 青色が空軍 交代制)
参考:台湾の徴兵制 1949年以降2018年までは2年間で
   対中国との関係が落ち着いて 4ヶ月間の軍事訓練義務を
   残した志願制に移行した 但し最近の中国の軍事的圧力を
   勘案 来年2024年から1年間に延長方針となっている
   国民の声(18歳)としては 女性は有意義 男性は就職
   活動に不利で意義無しという風に分かれている

衛兵交代は毎正時に行われます 交代するまでの50分間 衛兵は
微動だにせず 瞬きさえも厳禁!守らないと翌日罰が与えられる?
(妻は 初め蝋人形かと思っていたようです)
衛兵になるには 三代の身元調査は勿論 身長178~180㎝と
規定あり イケメン度は?とガイドさんに質問 無いようですと

参考:真夏など汗が顔に という時は そばに汗をふく世話係
   のような人がいて その人が汗をぬぐってくれると


またも民芸店立ち寄りです
台湾茶は 1810年に中国福建省 厦門(アモイ)の商人が茶の苗木を
伝えたことでスタート または1860年代英国商人が 中国茶の最高峰
福建省 武夷山の葉樹を持ち込んだことからスタートと諸説あるようです

日本の茶道のように型や作法にはこだわらない「茶芸」があり おおらか
「どう お茶をおいしく飲むか」これがモットー 伝統と格式の老舗茶屋
「王徳傳」のモットーは 「徳をもって人に伝え 茶を持って友に介す」

お茶の種類も複数説明されていますが 次の4種類を記しておきます
凍頂烏龍茶と高山烏龍茶(千m以上の高地で栽培)は ほぼ同じ
②文山包種茶 茶葉が広がっているので20~30秒の湯煎でOK
③木柵鉄観音 茶葉が丸まっているので1分の湯煎
④東方美人茶 これは20~30秒 熱湯ではなく90度くらいの湯で

製法(発酵と焙煎)の度合 茶木の品種 産地の山頭気の別で微妙に違い
東方美人茶は 雲霞(うんか)にどれくらい噛まれたかでも違うそうです 


二つで 日本円で9千円と 「20%引きのおまけ」と店員さん
1元=4・875円と換算して そして20%引き 消費税5%

参考:台湾ドル対日本円の5年間推移(大きく変動した時期を記載)
    2018・10・09・・・1TWD=JPY 3・652
    2019・08・26・・・1TWD= JPY 3・336
            2022・07・16・・・1TWD=JPY 4・628
    2023・01・16・・・1TWD=JPY 4・226
    2023・09・30・・・1TWD=JPY 4・632


それにしても民芸品店では 北投石のセールスにスゴく熱心です
「我々買って持っているんです」と言い 何とか切り抜けました

ここでの小籠包各種は どれをとっても美味しかった
鼎泰豊(ディンタイフォン)で修業した人が数名いますと


ツアーの皆さんと一緒に食事するのは当店が最後
共通の感想は「とても美味しい でも塩分が足りない」でした

12:30ここから自由時間(バスでホテルに戻らず ここでの解散に)
私は駅からの道筋しか把握していないので 先ずは最寄り駅の中山駅


三越横「誠品生活」4Fの「神農生活✖食習」で 上のラベルの
マンゴージャムか カラスミをほぐしたペーストを探しましたが
売切れ!残念 ガイドブックに載ると日本人すぐ飛びつくのです

中山北路に建つ 旧米国領事館を改装したカフェ1階「珈琲時光
ここは台湾映画「悲情城市」の監督 侯孝賢氏のプロデュース建物
圧倒的に若い女性だけで少々気まずい コーヒー2杯で264元

実はこの地域 台北でも屈指のハイソな地域 蔡英文総統の地元で
彼女の父親が 周辺の不動産を所有していた もしかしたら・・・

  「珈琲を味わうときのように 気持ちを落ち着け 心をリセットし
これからの人生を見つめるためのひととき」というテーマを小津安二郎
生誕100年を記念し「東京物語」のオマージュという形で製作された
2004年日本映画 侯孝賢ホウ・シャオシェン)監督 一青窈主演

台北のMRTがスゴイ 列車が到着するまでの時間が秒単位で掲示される
さすがIT先進国ですね 日本より進歩していることにビックリしました
ホームも広いのです 車内は満席でも 杖付き妻を見て サッと席を譲る
そのスマートさ これは何回も経験しましたが 完全に身についています 
(日本に帰国し 羽田から品川までの京急で 優先席前に立つ妻を見ても
若い乗客が完全に無視なのです 妻のご機嫌が超悪化 コワイこわい!)


今日は月曜日 3連休明けの道路には バイクの車列がすごい
これが一斉にスタートするときの爆音とスリル とても怖い!
途中に自転車も入り 皆さん必死です 車が追いかけて来ます

日本では見ない漢字なので「ディ ホアジェ」と一生懸命覚えました
台北では「永康街」と並んで人気のある散策路 問屋街の街並みです

ここには TV「孤独のグルメ」台湾編で 五郎役の松重豊さんが
立寄った店が二軒あるので ちょいと見物です 宣伝用にでしょう
写真が堂々と張られている 茶芸店という予定があるので入店せず
参考までに メニューには「五郎特餐」というものがあるそうです


永楽市場 これの南北に五郎立ち寄りの店があるのです

二軒目は「原味ルーローハン」五郎先生二次来訪とあります
なにしろ安い! ルーローハン35元(約170円)だそう
五郎先生は このあと寧夏夜市に出かけ スイーツを食べた

信仰心が厚く 寺廟への参拝や占い師への相談が生活に密着している
台湾のここ「霞海城皇廟」では恋愛運の月下老人がデンと構えており
赤い糸で男女の縁を取り持つ 参拝は若い女性ばかりで熱気ムンムン
目をつぶり かなりの時間 必死にお願いしているようで 我々退散

目的の茶芸館「南街得意」 当地マイバス推薦の茶芸館の一つなのです

若者に人気のある店のようで男性のグループも 奥に一席空いていました
12個の茶瓶から 蓋を開け香りを楽しみ お気に入りの茶瓶を選びます
私は東方美人 妻は凍頂烏龍茶を選択 お茶請け(茶菓子)が運ばれます

空席時の写真を拝借

多分 ナッツペースト ドライオリーブ スモーク梅等9種類

どのお茶を選んでも 茶菓子付きで280元(1,400円)
お湯のお代りもできることは知っていましたが 次の予定があります

当店は全て用意ができて運ばれますが 念のため「台湾茶の淹れ方」を
①温める  茶壺(急須)に湯を入れて温める 湯を茶海と茶杯に
      移して温める  別途 湯はポットに入れておきます
②茶葉入れ 茶壺に適切な量の茶葉を入れ 適量の湯を少々あふれる
      程度に勢いよく茶壺いっぱいに注入し 蓋をする
③蒸らす  蓋をした上から湯をかけて蒸らし 茶葉の開きを促す
      茶海を温めていた湯を捨てる
④注ぎ入れ 茶葉ごとの適切な時間を経過したら 茶壺のお湯を
      茶海に注ぎいれる 茶杯を温めていた湯を捨てる
⑤出来上り 茶海から(聞香杯を経由して)茶杯へ移す
      香りを楽しんだ後 お茶を飲みます

この店では 気に入ったら茶葉も15グラムから購入できます
東方美人も凍頂烏龍茶も 30グラムで280元(1,400円)
ガイドさんに案内してもらえた専門店でなく こちらで良かった?

指差す場所に「南街得意」があります


休憩ができたので元気回復 ここは龍山寺1738年創建です
神様には専門分野があると言われていますが 総合運アップを
祈願するなら どんな願いもきっと叶う 台北屈指のパワスポ
それが龍山寺です 仏教・道教民間信仰の神様たちを集めて
祀られているので 一度の参拝で沢山の願い事ができ人気です

なにしろ ものすごく多くの人が参拝していて 唱和する声が響きます

本日の夕食は 夜市ではちょっと心配なので 昼間寄った誠品生活の
隣接レストラン「食習」に  704元支払い 残金が6元(30円)

これから夜市に行くのですが 何も買えません 明日も文無しかも?

海外旅行でツアーに参加するに際しての「油断」の一つが現金でした
今まで 訪問国はヨーロッパ中心で各国クレジットカード優先でした
アジアは初めて そして台湾はクレジット利用が浸透していなかった

今回の旅行中も 現地ガイドさんが バスの車内で両替をしてくれて
不自由はなかったのです ところが台北に戻り そのガイドさんから
開放されて 両替可能だと思っていたホテルがダメ 銀行がどこに?
最終クレジットカード頼り 人気店なら使えるだろうと少々心配に

寧夏の夜市」です ものすごい人の波 お腹もすいていないので
ただの見物です さっさと帰ろうと中山駅に向かいますが 道が?
妻が もうこの辺と曲がりましたが 変?と思い 若い女性二人に
聞くと「フォローミー」 矢張り間違っていて戻り 最後駅までを
同行してくれました(妻のスマホでマップが出せなかったのです)
「私 これから日本語を勉強します」何と健気な台湾女性 感激!

<五日目(火)10月3日 少々雨>最終日は15:30まで自由
現地ガイドさんは自宅に帰っていて 彼女からの両替はできずです
参考:帰国後の学習です ここでは空港以外の両替可能場所を列記
   ①第一銀行 台湾銀行等台湾の銀行 郵便局
    あと国際キャッシュカードがあればATMで引き出し可能
    または クレジットカードでのキャッシング引き出し可能
    外貨自動両替機(手数料無料)・・・どこにあるのやら
   ②お茶屋さん(両替が政府公認の店では手数料無料)
   ③免税店
   ④百貨店(新光三越やそごう)
   ⑤台北101のショッピングモール
   ⑥一部の宿泊したホテル       
    ④⑤⑥では両替レートが良くないので注意

参考:台湾に複数回行かれる方は「悠遊カード」がお勧めです
   日本のスイカの様な交通系ICカード マイナス利用が
   できる(次回利用時補充要)のが特徴 有効期限が無い
   チャージできる場所(コンビニもOK)が多岐にわたる

朝のバイク競争で我々もスタート
MRTの座席シートの色が違うので 優先席かどうか分かります


西門駅から台湾総統府へ そうそう駅員に「総統府」と言っても?
「ゾントンフー」と言うそうで 「地球の歩き方」を持っていれば
該当写真を見せることができたのにと 今日はできるだけ身軽にと
いうことで旅行バッグにおいてきたことを後悔しました
もう一つ 総統府に隣接して 台湾銀行本店があったようなのです

9時前に到着 一番乗りです 地元小学生の団体もやって来ました


入る時にパスポートを見せ リュックの中身を検分する際にも
またオーディオガイドを借りる際にも パスポートをと面倒!
幸い日本語を話せる係員がいたので オーディオ操作を理解?

一室目で 台湾総統府の歴史を学習

二室目は 康子総統の執務室


中庭には入れませんでした

蒋介石の本名が蒋中正を示す戸籍謄本 右は総統府内の郵便局

さすがIT先進国 我々が席に座り 椅子のボタンを押してから
手を振ると 蔡英文さんが現われ ニッコリと会釈され記念撮影
(この動画は妻のスマホに収録済 ツアーの皆さんに自慢です)

これもパネルの前に妻を立たせての撮影です


表正面に回って撮影 それにしても「慶祝中華民国22年国慶」とは? 
「二二」ではなく「一一二」でした 10月10日が112年国慶

念願の「二二八和平公園」に来ました 総統府からすぐです
残念ながら 紀念館は2025年まで工事中で 外観だけです
悔しいのでグルッと回り 正面入り口の表札だけ撮影しました

二・二八事件」について(ブログ最後の「台湾の歴史」も参照)
1947年2月27日 国民党専売局員により ヤミ煙草売りの寡婦
殴られ 抗議に集まった台湾人に向かって発砲され 一人が亡くなった
翌28日 抗議のデモ隊に機関銃が一斉掃射され 多数の死亡者が出る

戦後台湾に移住してきた外省人の店舗焼き討ちと 台北市放送局(現在
の二二八紀念館)を占拠し 全島民に決起せよ!と呼びかけ・・・
この反乱は 蒋介石によって武力鎮圧され 台湾人エリート層数万人が
闇へ葬られた 本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)対立が始まる

このあと東門駅に行き「永康街」散策 小雨が降っていて少々寒い
まさかとは思っていましたが 予定していた以下各店が次々・・・
①鼎泰豊がテイクアウト専門店に 少し離れた場所に本店は移転済
②アイスモンスター永康創始店が閉店と
③マンゴーかき氷の人気店「思慕昔」は現金のみ カード不可
④茶芸店の有名店「王徳傳永康店」は オープン前か休日か
⑤本日昼食を計画していた「栄康刀削麺」は現金のみ カード不可
予定の店全部アウト 寒いので街の一番外れのカフェでコーヒーを
(そう この店だけがクレジットカード利用可なのでした)

ここ以外計画していなかった 近くに銀行も見つからず それなら
台北駅に行けば何とかなると 台北駅に向かうも 迷うばかりです


  お腹もすいてきて 駅構内でパンでもと 付近を見渡しハッ!
  もし今回ツアーの人数が多くて 大きなホテルとなった場合に
  予定されていたホテルが「天成大飯店」それが目の前なのです


    ホテルフロントに宿泊者以外でも食事できるかを尋ね
    OKをもらう クレジットカードは当然の事利用可と
    (でもアメックスは利用できませんでした)

海老入りチャーハンと麺を注文しました 二人で取り分けて十分
烏龍茶を何回もポットに入れていただき そちらも美味しかった


さあ あとは 24時間パスの 最終有効時間が13:49なのです
その時間までに 南京復興駅の改札を通過できるか 1分を争います
(万一経過してしまうと 手持ち現金が無く 切符代を払えません)
最終的に13:45に駅改札を通過 現金を使わず24時間終了です

 最後に 我々の宿泊ホテルは普通だが 両隣のビルはスゴイのです
チャイナエアライン本社入居ビルと 日本のJRが建てたホテルです
台湾新幹線で儲けたお金で建て ホテルでまた儲けてると陳さん私語
参考:ホテル メトロポリタン プレミア台北(和名)
   JR東日本大飯店 台北(中名) 2021年8月23日開業
   たとえFXホテルフロントで 宿泊していませんからねえ~と
   両替はムツカシイと言われても 日本人だしお願いしてみても
   よかったなあ JR海外進出第一号ホテルの内部も見たかった   

帰国前 松山空港の上級会員専用VIPラウンジで満腹!
そのため 機内での食事は ほとんど食べられなかった

「台湾の歴史」(地球の歩き方より抜粋)
1,オランダによる統治
  1624年オランダが台南に上陸し築城 1626年イスパニア
  基隆・淡水に築城 1642年オランダがイスパニアを駆逐した後
  台湾原住民(多くは東南アジアからの移住者)を懐柔し 支配した

2,鄭氏 清朝による統治

   
  鄭成功長崎県平戸出身 日本名 田川福松1624年生まれ)

  17世紀初頭は明と清交代期で 福建・広東省から台南へ移住者増
  清朝発足時に 反清朝活動の海賊の子孫 鄭成功(母は日本人)は
  1661年 オランダ人を台湾から追い払った ただし1683年
  清朝により鄭の子孫一族が滅ぼされ 台湾が領有され ここからは
  大陸からの渡航が制限され 残された漢民族の子孫が土着・台湾化
  これが現本省人のマジョリティーである

3,日本による統治

  児玉源太郎後藤新平

  日清戦争で台湾が割譲され 日本統治がスタート
  李鴻章清朝政府は 住民の意向を無視 台湾切り捨て政策を取った
  反日・反抗継続のなか 児玉源太郎台湾総督と後藤新平のコンビで
  インフラ整備 蔓延していたコレラマラリア制圧 アヘン中毒を
  激減させ 学校設立で(主に巡査により)日本語を共通語にさせた

  日本統治後を知る台湾のご老人の言葉
  1949年後 国民党が台湾に逃れてきた ボロボロの身なりで
  ダラシナイ その連中が腰を抜かしてビックリしたのが 水道が
  あり 栓をひねると水が出る その驚く姿を見て これはマズい
  自分らより未開の人に占領されると・・・それだけ日本人による
  インフラ整備が素晴らしかったということを思い知ったと同時に
  心情的には「犬(番犬)去りて豚(食べるだけ)来たる」でした
 
  日本統治時代「工業は日本 農業は台湾」というスローガンのもと
  台湾特産の烏龍茶などの生産能力は急拡大した 世界一の親日国も
  そうだが 抗日運動で台湾人としてのアイデンティティーも強まる

4,中華民国の時代
  1945年8月15日 台湾が中国(中国国民党政府)に「返還」
  (不法占拠説もある)され 台湾は「祖国」復帰=「光復」したが
  国府軍の士気の低さと驕りで人々に嫌われるなか二・二八事件発生

  1949年 国民党は毛沢東に敗れて 2百万人と共に台湾に遷都
  同年10月1日の中華人民共和国建国で 人民解放軍が台湾も解放
  してくれるかと思いきや 翌年朝鮮戦争が勃発 共産化を恐れてか
  アメリカ第七艦隊が台湾防衛に派遣され 台湾海峡の中立化を宣言
  現在を考えると 寸前のところで 解放=共産化を回避できました

5,目覚ましい経済発展

   
  朝鮮戦争後 蒋介石アメリカ化政策で アメリカから1965年
  まで15年間 年平均1億ドルの軍事・経済援助が行われた
  1971年10月 中国に国連代表権を奪われ 国際的孤立のなか
  経済活動に専念 蒋介石の子息 蒋経國は半導体製造技術にも特化
  それが後年実を結び 2022年 国民一人当たりGDPで日本を
  抜きアジアトップに躍り出るまでに成長するのです

6,李登輝総統時代    
    

  李登輝国民党総裁(本省人)が台湾民主化時代を大いに前進させた
  1987年に計38年間の戒厳令を解除させ 1999年7月には
  「李登輝の二国論」「中台は特殊な国と国の関係」と規定させた
  (実はこれ 行政官時代の蔡英文さんの発案であったと言われる)

7,台湾総選挙
  1996年3月に総統民選(直接選挙)が行われた際に 李登輝
  圧倒的支持で民選初の総統に選ばれたが 2000年3月の選挙を
  辞退したため 国民党は候補が分裂して 野党の民進党が勝利した

  2004年 民進党勝利 この年 蔡英文氏 民進党に入党
  2008年 国民党の馬英九勝利(大変な親中派) 
  2012年 馬英九蔡英文の一騎打ち カネの力で蔡英文敗北
  2016年 蔡英文民進党大勝利

8,(背景にあるのが)ひまわり学生運動

    
  親中派馬英九政権は 徹底した中国一辺倒政策で 台湾海峡
  両岸を「中台統一」で目指した 2013年中国共産党と「両岸
  サービス貿易協定」を締結 翌年3月に立法院で批准実行という
  そのとき 学生らが突然立法院になだれこみ 批准阻止を計った
  大学院生らが立法院を占拠 ただ行動は 整然としたものであり
  週末には 彼らを応援する大規模デモは50万人になった

  中国からモノやヒトやサービスが台湾へ流れ込めば 台湾経済は
  中国に隷属するとの危機感も持った結果の阻止行動が理解された
  結果 行政院長が話し合いに応じ 最初から審議し直すと約束し
  翌4月 学生らは立法院を自ら去った・・・
  この「ひまわり学生運動」は同年9月から12月の香港雨傘革命
  の先駆けとなっている

9,新しいリーダー 蔡英文総統
  2016年1月 蔡英文大勝利 民進党の時代が来る
  ただし台湾と断交する国が増加するなか 2018年にトランプ
  米国大統領が「台湾旅行法」を成立させて 両国トップが自由に
  行き来できるようになった 

  二・二八事件追悼式典での蔡英文総統

  2020年 蔡英文再選 次回2024年1月どうなる?
  
  日台の「善の循環」 東日本大震災の際の莫大な金額の支援から
  コロナ危機事態最中での 日本からのコロナワクチン無償配布と
  「まさかの時の友こそ 真の友」ですとは蔡英文さんの言葉です

  台湾人の心に「二・二八事件の心の痛み」が常にあり民主主義を
  大事にする同胞への寄付・支援が即時に実現したのだと思います

  「台湾の独立とは?」
  1949年以来 中国共産党は台湾を一度も統治していない
  今なお台湾は 台湾住民が自ら選挙で選んだ人たちが合法的
  政府を形成し 彼らが台湾住民を支配している
  中国共産党から実効支配されていない以上 台湾が中国から
  「独立」することはありえない 元来は「台湾独立」という
  タームは 国民党以外の野党の人々が 「中華民国体制から
  の独立」と使用していたのを中国共産党が勝手に 中国から
  の「台湾独立」と言い出したのである
  現在も「台湾独立を許さない」と叫んでいるが 実際に独立
  している台湾は どこから「独立」する必要があるのだろう