2023年3月 大阪・京都桜紀行8日間④

隋心院「花の間」本日3月30日の9時オープン だるま商店画で有名
絵画のテーマは 左から 誕生 宮仕え 隋心院での余生と夢幻の各図
肉筆の自由な筆使いとCGによる極彩色のグラデーションを組み合わせ
晩年の小町に「ええ人生でしたね」との思いを込めて描いたそうです

おまけ:だるま商店の出世作二品 都踊りと熊野詣です

<7日目 3月30日(木)>山科桜紀行を満喫

本日から 当寺院の能の間を花で飾る「花の間」がオープンするので
混みあうかもとの懸念から 朝一番を目指し15分前に到着しました

駅名も小野 ここは飛鳥時代から平安時代にかけて活躍した小野一族
が拠点としていた場所で 歴史上の人物では 先ず遣隋使の小野妹子 
次に平安時代の官僚で この世とあの世を往来した小野篁(たかむら)
最後が小野小町です 当寺院には 小町晩年の老醜の木像があります
花の色は移りにけりないたずらに 我が身世にふるながめせしまに

さて「花の間」ですが 絵の前に広がる花々は何と造花なのでした 
ビックリです だまし討ちです 残念至極 昨年好評で今年は更に

花のシャンデリアを追加したと 我々を何と思っているのでしょう
何よりも これで果たして 小野小町が喜んでくれるでしょうか?

襖の奥では 小町文張地蔵尊卒塔婆小町像が見ているのですよ!
(女性の間では 写真に写し映える映えると人気は高いようです)

在りし日の小町イメージと老後の小町の姿です

隋心院のイメージ(室内のモニター画像より)

隋心院からは徒歩で勧修寺(かじゅうじ)に向かいます
注:現在の呼称・道案内図では(かんしゅうじ)となっています

春陽に照る白壁を艶やかな桜色に染めて 参道の築地塀に沿うように
ソメイヨシノやぼたん桜が咲きます これこそが勧修寺のシンボル

醍醐天皇が 生母の冥福を記念して 自身の等身大の観音像を祀った

応仁の乱で焼失 200年後 かつての古地図を元に復元した寺院で
代々皇室の法親王が住職になっている 青蓮院門跡とここだけが正真
正銘の門跡寺院と(受付の住職風の方が)説明してくださいました

地を這うような 樹齢750年のハイビャクシンが有名です
その奥に見える「水戸黄門の燈籠」も有名だそうです

観光バスの一団がやって来ました 皆さんがしているバッジ どこか
分かりません 妻が聞きます 札幌から来たとかで 聞いたご婦人は
春と秋 年二回京都に来ていますと・・・

そうだ 京都、行こう。2008年夏をおまけ


   「きれいなものを目にする」には、ちょっとした努力がいる。
   家でニュースを見ていると、そう思います。

スイレンが咲くのは「氷室池」 平安時代 ここに張る氷を宮中に献上
していたことからついた名前です 夏になると今度は泥の中から見事な
ハスの花が姿を見せます

外へ出て 再度築地塀の桜を

妻が手袋を片方紛失して 百均に入り購入 私は ほうれん草の種を
何と2袋で100円 帰京したらベランダに家庭菜園チャレンジです

遠くの山に ヤマザクラ 今年の桜は滅茶苦茶早い でも我々は一番
いい時期に京都に来れたなあと感謝感謝です
明治になってソメイヨシノが普及するまでは 桜といえばヤマザクラ
万葉もっと古い時代から 日本を代表する桜だった 現在山に大木が
少ないのは 戦前・戦後に薪炭用・樺細工用に伐り出されたためです

ヤマザクラの栽培品種は 葉裏が白味を帯びている 
15代佐野藤右衛門(現16代の父親)が広沢の池で採取したものを
広めた「佐野桜:植物学者の牧野富太郎命名」他に数種類あります

牧野富太郎「雑草という草は無い」と16代佐野藤右衛門

突然牧野富太郎が出てきました 実は 水上勉の「櫻守」に登場する
のが15代佐野藤右衛門氏で 「大恩人牧野富太郎」と手記に残して
あり そこから牧野富太郎と現16代の親交が始まるのです 
植物学の知識を与えられた16代は「花を学ぶとき 牧野富太郎氏は 
永遠の先生」とおっしゃる この二人の出会いが無かったら 現在の
桜・花たちが美しく咲き誇る日本は 違っていたかも知れません
左野桜(サノザクラ)/ Prunus jamasakura cv Sanozakura

私自身小学生のとき 牧野富太郎の伝記を読み とても感銘を受けた
ことを思い出し 水上勉の「櫻守」と 朝井まかての「ボタニカ」は
京都の桜を愛する者である以上 是非とも読んでみたい

昼食は 醍醐寺行きのバス停に近い「一休寿司」12時の予約でした
1時間早く来てしまいましたが OKとのことで入店 1,500円
の盛り合わせを注文 バス時間に合わせ さっさと食べて退出です
月亭八方らの色紙が沢山ありましたが 妻は美味しくなかったと不満
これまた食事の不満で 半ブータレ 醍醐寺まで引っ張ります

バス停で時刻表通りのバスが来ません バス停のQRコードで見ると
18分遅れ あああです もう少しゆっくり 食事をすれば良かった

それでも醍醐寺行きのバスに乗ると このバスは寺院門前までは行き
ませんと 駅前で降車し シャトルバスに乗り換えですと運転手さん
まあいいやと乗り込み 何とか醍醐寺駅に到着 観光客らしき人々に
付いて行くと 何とか醍醐寺に到着です(妻ははるか後方に)

三宝院境内案内

秀吉は 700本の桜樹を山城・近江・摂津から運び三宝院や上醍醐
植えさせた 

秀吉自ら設計の庭園です

表書院(国宝)庭園に面した⑤⑥
奥の方から上段・中段・下段とあり手前の下段の畳を揚げると 何と
能舞台になっているんですと それを上段・中段から鑑賞するのです

その上段の襖絵と 勅使の間③の襖絵は 長谷川等伯一派によるもの
重文指定 さすが秀吉に気に入られていた等伯・・・事前勉強無しで
臨んだ自分が情けない ほとんど素通りでした

純浄観⑬(重文)に描かれた桜・紅葉は 浜田泰介画伯の平成の作品

入口近くでの切符購入 1,500円と 高い! さらに三宝院では
庭園と襖絵拝観に500円追加 高すぎると案内人に文句をぶつける
庭園は 外からでも見ることができて 半数の人は外からの撮影です
でも 後になって考えると 価値が分かる人には相応の料金なのです

三宝院の唐門(国宝)境内案内の④
あまりにも金ピカ! 2022年7月約一年半かけ往時の姿に修復された

下醍醐の奥の奥 弁天堂の橋の近くの「阿闍梨寮の寿庵」で休憩です
わらび餅と抹茶で一息つき 霊宝館でラストスパートです

そうだ 京都、行こう。2001年秋のおまけ


 「醍醐寺と醍醐味」は、きっとカンケイがあると、思っていました

そもそも開祖の理源大師が この地に湧き出た泉の水のあまりにも
美味なことから 「醍醐味」の醍醐の二文字を付けたといいます

醍醐寺で一番ビックリしたのは 寺院拝観でも 桜見物の人混みでも
なく ご朱印を頂くために並ぶ列 現在ご朱印収集がブームらしくて
皆さん 文句も言わず 静かに少しずつ少しずつ進んでいく不気味さ
私も 京都では頂くようにしていますが ここではあきらめました!
(おまけ:本日出向いた三つの寺院は真言宗のお寺でした 随心院
 善通寺派 勧修寺は山階派 醍醐寺は醍醐派の各総本山でした)

山科駅までの直通バス時間が迫って あわててバス停まで走りました
最後は山科駅前から毘沙門堂へのチャレンジです タクシー利用です

駅前に丁度タクシーが1台 タクシー会社に電話せずに捕まえました
徒歩25分しかも行きは上り道なのです 助かりました620円です
タクシーは山上まで行ってくれるので 上の階段は上っていません

毘沙門堂の般若桜 境内には50本の桜です

我々を待ち構える巨大な枝垂れ桜 妻をモデルに写真を撮ろうとした
瞬間に 横から「ハイ!15年前の綺麗だった頃を思い出して~」と
絶妙のタイミングでの声掛け「ハイ!もう少しカメラを上にして~」
「今のままでは全体が写りませんよ~」と境内にいた観光タクシーの
運転手さんはさすがのプロでした

境内では 何組ものプレ婚礼写真撮影が 皆さんお幸せそうでした
そう言えば 今回の旅行中では 下鴨神社でのモデルさん顔負けの
美人さんが印象的でした・・・

そうだ 京都、行こう。2011年秋のおまけ


   いい秋ですね、と言葉をかわしあえる。それだけで、うれしい。

山科は 東海道沿いの要所 街道を往来する諸国大名たちは 
山一つ隔てた京都に入る前に ここに立ち寄ったといいます

室内左の襖絵 逆遠近法とか 狩野探幽の養子 狩野益信の作品です
(逆遠近法とは 後ろの物を前の物より大きく描くことで 襖の絵が
動く 左から右に動いていくと描いてある机が向きや大きさを変える)

室内右の襖絵 「梅に鴬」が「梅に山鳥」そして「竹に雀」が「竹に
シマヒヨドリ」鳥が合わない 転じて取り合わない 部屋に通されて
も主人は会いませんよという隠し言葉 ダジャレですね

帰りはタクシーを捕まえるのも呼ぶのも止め 歩くことにしました
そのお陰で 安朱橋からの琵琶湖疎水の桜・菜の花を楽しめました
菜の花は 近隣の皆さんが植えて育てた「菜の花ロード」なのです

ブラタモリ山科編で紹介されたのが 旧東海道線と現在の東海道線
山科駅が大きく移動したことがわかります

山科駅から京都駅までのバス便無し JRであれば1駅で 我々は
地下鉄東西線烏丸線を乗り継いで京都駅に 地下鉄・バス一日券
を利用したためです それだけ効率よく日程を消化して時間に余裕
ができた今日一日でした

夕食時間になったので JR京都伊勢丹10階へ
今回の旅行中に行ってみたかった駅周辺人気第1位の「モクモク」です
ビュッフェスタイルでの2時間食べ放題2,800円 子供連れ家族が
多い 外人さんも目立ちますが 一体どこで情報仕入れたのでしょう?
ランチタイム(11時~16時)は2,200円なのでコスパ最高です
直営農場からの野菜がいっぱい 元気になるレストランが謳い文句です

551横でお土産(いつもの阿闍梨餅)を購入し ホテルに戻りました

<8日目 3月31日(金)>最後に城南宮

ホテルの通路に展示されていました
京の手描き友禅(貴船神社三千院と当ホテル外観)

5泊6日過ごしたホテルともお別れです

城南宮に行くことが出来れば 京都は完全攻略と言えるところでした
ところが 金閣寺を断念したため 忘れ物をしたような気分なのです
金閣寺のためだけに京都に来れるのはいつになる?

城南宮に行くに当たり ネックだったのが行き方 京都駅からバスで
行くにも 随分手前で下車 15分ぐらい徒歩というのが従前からの
行くにためらう観光地だったのですが 近年Kルックバスなるものが
現れ バス一本 城南宮前まで直通の市内ループバスが誕生しました

城南宮は枝垂れ梅と散り椿で有名 今は次順位の桜 空いていました

曲水の宴の舞台です

城南宮は 平安遷都に際し 都の安泰と国の守護を願い創建された
安城の南に鎮まるお宮の意味を表わす
平安後期の院政の拠点 TV「鎌倉殿の13人」では後鳥羽上皇
「城南の流鏑馬の武者揃え」を名目に武士たちを集め 承久の変が
勃発した 日本初の朝廷と武家政権の間で起きた武力による争い!
実はこの時に 上皇から10人の武将に与えられたのが錦の御旗の
始まりなのです

更に 明治維新を決定づけた「鳥羽伏見の戦い」は 城南宮の参道に
置かれた薩摩軍の大砲が轟いて始まったのであり 錦の御旗が翻って
旧幕府軍に勝利すると 薩摩の軍勢は 城南宮の御加護によって勝利
を得られたとお礼参りに訪れました

帰りは 竹田駅西口まで京阪バス そして地下鉄烏丸線で京都駅
これが通常のルートなのですが 時間・料金とも行きの倍かかる

京都駅八条口から空港バスで伊丹空港へ55分です

空港内の「かつくら」でとんかつ食べて 妻は大阪 私は東京へ
ブータレ康子との楽しい8日間でした

今回の旅行を振り返って「どの桜が一番か?」
殊勲賞:山科の桜 本願寺山科別院 琵琶湖疎水観光船 蹴上
         勧修寺 醍醐寺 毘沙門堂
技能賞:洛西の桜 善峯寺 勝持寺 大原野神社
敢闘賞:府立の桜 京都府庁旧本館 京都府立植物園

この3年間ぐらいで 京都の桜の名所は ほとんど制覇しました
東京の桜との違い ブルーシートを広げての飲めや歌えの大騒ぎ
これが全く無い 静かに見るべき これこそ昔からの京美学!

サクラに関する諺・名言
目細鼻高桜色(美しい顔立ちの条件 桜色は色白で血色の良いこと)
谷間の桜(優れて美しく価値あるものに誰も気付いてくれないことの例え)
散りも初めず咲きも残らず(このうえなく満開のさまを言う)
明日ありと思ふ心の仇(あだ)桜(夜半に嵐の吹かぬものかわー親鸞

サクラを取り入れたうたを二つ
久方の光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ古今集紀友則
散るをいとふ世にも人にも先がけて 散るこそ花と吹く小夜嵐
(昭和45/11/25 三島由紀夫辞世の句 戦前から続く日本的美意識に
よる「散華の時代」が終わり バブルまっしぐらとなる世を見据えて)

最後に 第16代桜守の佐野藤右衛門さんの心配ごと
「毎年 春の桜の表情が違う 冬が無くなったから 昔の営みが一つ
抜けとる それで今の櫻は 間抜けばかりや 日本は四季やったけど
今三季しかない 異様気象やね・・・」

恒例の「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンギャラリーより
2007年初春 下鴨神社


  一年の「旅初め」をどこにするか、だ。
 
糺の森を縦断する参道は、まるで町中にある山道。
漂う清浄な空気が 一年の納めや始めにふさわしく感じます。

1999年春 善峯寺


  ここの桜のように一年にたった一回でもいい。人をこんなにも
  喜ばせる仕事をできればなんて思いました。春の桜が必ず咲く
  国に生まれて、ラッキーでした。

境内は3万坪以上。気もちのいい汗を流しに来てください。

1998年春 勝持寺

  京都の桜、のぼり坂。縁起のいいもの揃っています。
  「ニッポンに春よ来い」です。これまでも、この国に、
  何度も冬の時代はあったけど、春は必ずやって来るんですね。

バスをおりて長い参道を歩いてゆくと、もう途中から桜たちが
顔をのぞかせて旅人を迎えてくれます。

2003年春 二条城


   家康も、春の日を選んで京都へ引っ越してきたんです。
   二条城が完成したのは、ちょうど400年前の桜の頃でした。

2017年春 二条城


  手のひらの小さな画面を覗き込んでいた私を
  上に向かせてくれた桜です

城内の桜は、50品種400本まるで桜の図鑑のようです

2005年春 勧修寺


   桜のあと、モネの描く「睡蓮」のようになるんです。

京の花の寺、そのひとつがここ、1100年以上の歴史をもつ
氷室池を中心にした庭園が桜の舞台です。

2018年春 勧修寺


   いい春を残してくださってありがとうございます。
   私たちも、美しい過去になれるといいけれど。

勅使門から進むと一気に視界が広がります。目の前の氷室池に
張る氷は、毎年一月二日に宮中に献上されていたとか。

1995年春 醍醐寺


   地球に、ポッと桜色になっているところがあるとしたら・・・
   京都です。あの秀吉が、自慢したくてしたくてたまらなかった
   700本の桜の子孫たちです。少々の人出には、負けません。

2015年春 醍醐寺

  見事なサクラであればあるほど、長い冬の時間、
  耐えてきたことを思うのでした。

醍醐の花見 1598年の年明けすぐ準備に取りかかった秀吉は
五重塔を修理。新たに700本の桜を植え、茶屋や庭園を造り、
女性客千三百人の着物も用意させたそうです。
当日は晴天。帰るのが惜しい、決して忘れない、などと詠まれた
和歌131首。みな心から幸せを感じた一日だったようです。

2000年春 毘沙門堂


  「がんばれ」「元気を出せ」なんていうよりも・・・
  いま、励ましを必要とする人がいたら私なら、ここに連れて
  きてあげたい、と思います。

平安遷都以前は御所近くにあって、最澄など比叡山の高僧が唐に渡る前、
準備のために立ち寄ったお寺でした。現在の寝殿と勅使門は江戸時代に
御所から移築されたもの。満開の桜と一つになるとまるで王朝絵巻です。

2007年初夏 城南宮

  桜がすんでも一息ついているヒマはないですから、京都は。
  春と夏の間に、いったいいくつの季節を隠しているんだ、
  この町は。

平安京の南を守る社でした。やがて貴族たちが別荘を建て始め、
白河上皇がこの神社を中心に鳥羽離宮を造営。御殿が次々に建つ頃
の華やかさは、「まるで都がここに移ってきたかのようだった」と
記されています。社殿を取り囲む約1万坪の楽水苑は、趣の異なる
五つの庭園からなる「源氏物語花の庭」。ここを彩るのは、紫式部
が作品に登場させた100種を超える「源氏物語」の花々。
藤に続いて、笹百合、空木、菖蒲、露草、藍、夕顔・・・
一年中途切れることなく咲いてくれます。