2022年11月 京都秋遊の旅6日間⑥天橋立観光

天橋立観光を終えて 昨年からの1年間で日本三景全踏破

<第六日目 11月11日(金)晴れ>丹後鉄道と天橋立股のぞき

ホテルでの朝食を済ませチェックアウト 荷物はホテルロッカーへ
7:34京都駅発 JR嵯峨野線・JR山陰本線園部駅乗換えで
9:48福知山駅到着 到着前車窓から福知山城を発見パチリ一枚
明智光秀が築城の名城です 今回の旅では随分光秀に出会いました

京都丹後鉄道のレストラン列車「丹後くろまつ号」モーニングコース
ランチコースは既に予約で満席 金曜日で乗れたのはラッキーでした

隣のホームには赤い列車の丹後鉄道車輛 列車横の「丹鉄」を撮影

車輛には一番乗り 記念乗車証がいただけます

スペシャルモーニングコースのサービスです
自家製スコーンと天滝ゆずのマーマレードクロテッドクリーム
自家製ローストビーフラタトゥイユと自家製スモークサーモン
フルーツサラダ 季節のカットフルーツ 丹波ヨーグルト 小佐
        の赤米グラノーラをトッピングしています

途中 大江駅で15分休憩

京丹後鉄道のポスターです
アニメ「艦これ いつかあの海で」の登場人物が由良さんで 
実際の鉄道駅名が同じ ということからコラボしたのでは?

列車に戻ると 丹鉄珈琲とデザートプレートがサービスされた
丹波黒豆黄な粉のモンブラン アーモンドクリームとリンゴ焼上げ
抹茶の口どけポコム ミルキーなホワイト生チョコ
レモンと紅茶のクープ クレームシトロンの酸味とメレンゲの甘み

車窓から白い鳥居が見えました 「元伊勢内宮皇太神社」だそうです
伊勢神宮が現在の場所に決まるまでの90年間に25ヵ所も場所探し
をした その候補の一つです
「あかまつ」は土日祝日運行の予約制カフェ列車
「あおまつ」は毎日運航し予約不要 普通運賃のみで乗車できる
「くろまつ」は金土日祝日運行の予約制レストラン列車
列車は一両 デザインは水戸岡鋭治氏が手掛けた

今回の旅行で くろまつ号を利用しなければ フリー切符がある
特急列車乗り放題の「京都丹後鉄道ワンデーパス」2,500円
但し座席指定はできず 満席の場合は利用不可のようです

天橋立駅に着き 先ずは対岸の笠松公園を目指します
行きは自転車 戻りは観光船で千円です いざ出発!

3・6km ちょうどいいサイクリングコースでした

丹後一の宮「元伊勢 籠神社」を通過 ケーブルカー・リフト乗り場へ

私の方は お腹が邪魔をしてかがみこめません

かさぼうに声をかけ 一緒に記念撮影

リフトから見る景色 下りの方が圧倒的にいい!

いつも 観光地を描いたマンホールのふたがないか探しています

天橋立の砂洲は両岸にくっついていると思っていましたが
実は二つの橋で結ばれていたのです 

ケーブルカーに乗って「天橋立ビューランド」へ 早速股のぞきを
こちらの方が砂洲の形状がいい 写真写りがいいのです

足漕ぎペダルを踏んで頂上を一周します
高所恐怖症の人は 途中で止まってしまうそうです 私は妻任せです



本日は旅行の最終日 妻は大阪に 私は東京に帰ります
京都発の新幹線が19:30なので16:16発の高速バスででも
18:43京都駅着でいいのですが 疲れていることもあり特急を
選択 15:31発はしだて6号で京都18:07着に決めました
(単線なので何度も反対側からの列車待ちがありイライラします)

駅構内でお土産を買い 夜食用に551蓬莱のぶたまんを4個購入
新幹線ホームのベンチで3個食べて満腹になりました

いざ新幹線に乗り しばらくして妻からのメール
「私の使っている魔法の杖が見当たらない 伊勢丹に聞いても
先ほど乗車した特急に連絡しても落とし物の届けはありません」と

しばらくして 551の蓬莱のそばのベンチで忘れてきたのかもと
思い出し探しに行き発見! 伊勢丹やJRの駅員に陳謝して一段落

新幹線が品川駅近くになったとき 再度妻からのメール
「(大阪梅田の)自宅マンションに着いたものの鍵が無い!しかも
(同居している)娘は今日淡路島に行っていて留守 どうしよう」
というもの まあ何とかなるだろうと思っていたところ どうやら
マンションの知り合いに扉を開けてもらい フロアーにトランクを
広げ 探したら発見しました~との報告 お疲れ様でしたというか
これこそ認知症の始まりでは?と心配になって来ました・・・

今回もまた 珍道中の二人でした
声が大きい二人ですので 口論した際は周りの方々さぞ迷惑だった
でしょうと いつものように反省です













 

 

 














2022年11月 京都秋遊の旅6日間⑤清水寺と伏見桃山

「そうだ 京都、行こう。」のキャンペーンは1993年に始まった
その第一弾が上の京都清水寺で キャッチコピーがこれまた抜群です
    パリやロスにちょっと詳しいより
    京都にうんと詳しいほうが かっこいいかもしれないな

<第五日目 11月10日(木)晴れ>清水寺から伏見桃山

本日は 清水寺の朝6時開門を目指し ホテルを5:20に出て始発の
バスと徒歩で清水寺へ向かいます まだ真っ暗ですが坂を上る人がいます

寺社前に到着 かなりの人がいました タクシーでも次々乗り付けます

「開門です」の声と同時に石段に集まります

左下に妻が並んでいます 早朝から受付で拝観料は徴収されます

舞台から下はまだ暗闇 地主神社も閉門中

日の出と共に 舞台に人々が大勢出てきました
清水寺は創建778年 応仁の乱を含め9回も全焼して今があります
本堂は懸(かけ)造り 日本古来の伝統工法で 木材が格子状に 舞台を
支えるのは樹齢400年以上の欅18本の柱 長さ12m周囲2mで釘は
一本も使われていない 柱を繋ぎ合わせるのは 継手と呼ぶ接合法です

音羽の滝です
三本の滝が流れます 向かって右から 延命長寿・恋愛成就や縁結び
そして学業成就 一度の参拝で得られる利益は一つだけで 他の水を
飲んだり 同じ滝の水を何杯も飲むと 欲深いと見抜かれ 後利益は
無くなってしまう
清水寺関連での「そうだ 京都、行こう。」のポスターを並べます

2001年夏

2004年盛秋

2010年夏 「清水の舞台」を子供と一緒に予習してくる
       そんな旅じたくもあるのです。

五条坂を通り若宮八幡宮の横に 目的地CICONを妻が発見

TV「京都画報」で見た常盤貴子さんお勧めのパンを買うのが目的で入店
寒かったのでコーヒーでもというのに 今の時間朝食をどうですかと勧め
られてレストランに入りました(WEBでは宿泊者が優先で予約不可と)

私はエッグベネディクト 妻はオムレツを選択 
毎朝ホテルのビュッフェでも満腹でしたが ここでは目で楽しめました
パン各種が小さく切られており 沢山の種類を採れるのも良かったです

レストラン内部がカッコイイ!

屋上のスカイデッキを見学 景色最高です
ベーカリーでパンを買ってここで食べることもできるのです

ロビーのベーカリーと常盤さんお勧めのたまごサンドです

京阪本線伏見桃山に行くべく清水五条駅に到着
大々的にCICON経営のノーガホテルのパネルが飾られていました

御香宮神社を目指します 突然妻が動けなくなります
「トイレが我慢できない!!」と・・・息を吐くことができず・・・
最終何とか間に合いましたが ここの神社ではあとの記憶がありません

本当は神社に湧く御香水や 鳥羽伏見の戦跡で有名なのです
右の石碑は 佐藤栄作首相の筆です

伏見城の歴史より 
秀吉が拓き 家康が築いた伏見桃山ですが 古くは渡来人たちが根を張り
貴族たちが愛で 後鳥羽上皇など院政の地となった
秀吉が手掛けた巨椋池おぐらいけ)の大改造計画とは・・・
稀代の普請好き秀吉の狙いは 皆の経済力を削ぐ必要から築城と朝鮮出兵
を計画 伏見城築城には朝鮮に出兵していない大名から延べ25万人動員
  指月伏見城を完成させるも1596年の慶長伏見地震で城は倒壊した
  次いで 聚楽第の殿舎など解体して運ばせ 木幡伏見城を完成させる
  天守閣は 望楼型五層の姿で 洛中洛外図屏風に見事に描かれている
  秀吉辞世の句
  露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪速のことは夢のまた夢
    城の完成前の1598年に秀吉は伏見城内で没した 遺言で秀頼は
  大坂城に移り 代わって五大老の筆頭の家康が入城し政務をとった
    
1600年関ヶ原の戦いを前に鳥居元忠奮戦 伏見城落城
1603年家康が修理 この地で征夷大将軍となり 家光までの20年間
伏見は徳川氏の城下町であった 水路や街道が集まり商人・職人も多い町
高瀬川開削で洛中と伏見を運河で繋ぐことで京都の物流は伏見経由中心に

二代将軍秀忠の時代には 武家諸法度の草案につき 二条城の家康へ幾度
となく使者が往復 1623年家光が将軍宣下を受けたのもここであった
1624年に廃城となり解体されて 全国に築城資材として下げ渡された

1867年鳥羽伏見の戦いで伏見はどん底
ただし明治維新で物流量が飛躍的に増大し 軍需が町に活気をもたらした
1912年明治天皇崩御 旧伏見城跡に明治天皇伏見桃山陵がつくられた

妻が指差しているのは 鳥羽伏見の戦い時の弾丸・弾道跡です

道の両側に月桂冠関係の店が並びます

ようやく月桂冠大倉記念館に到着です
ここで見学と日本酒の試飲ができるのです

昔のお酒と最新のお酒です
月桂冠が出た当時は 偽物が出回った 左:桂でなく佳 右:月でなく日
ラベルが微妙に違うのです それだけ本家月桂冠の人気が高かったのです
最新の日本酒スペシャルフリーは何とノンアルコールだそうです えっ!

明治の末期に 国内最大の清酒コンテストがあり 月桂冠が優勝!
何でコンテストが? 当時日本政府の 税収の三分の一が酒税で 
更に飲んでもらおうと 政府の肝いりで実施されたそうなのです

伏見の名水が常時流れています お土産の猪口で一杯いただく

試飲は10種類の中から3つ選択して飲みます 辛口が気に入りました

十石舟でクルーズ 堰までの往復50分です 乗船は我々二人だけ
秋の紅葉シーズンは少なく 圧倒的に桜のシーズンが大人気ですと

この濠(ほり)川が繋がる淀川との水位が大きく違うため堰があります

月桂冠の建物が景色に花を添えます

寺田屋事件寺田屋 現在も宿(梅の間以外)を営んでいるそうです
ただし本物の寺田屋鳥羽伏見の戦いで焼失し 昭和の1950年代
本物の寺田屋を模して造営されたものです 注:一泊6,500円也

竜馬とお龍さん

お龍さん大活躍の階段とお風呂 素っ裸で竜馬の危機を救います

駅への帰路 黄桜カッパカントリーと伏見奉行所跡を探しました
朝が早かったのでホテルに戻り 昨晩JR伊勢丹で購入の昼食を
そして夕食にそなえて しばしの睡眠休憩・・・

本日のメインは「二条 やま岸」妻の友人のお勧め店でのディナーです
ミシュラン一つ★「富小路 やま岸」の姉妹店2019・10オープン
旬の厳選食材で彩る鍋物をメインに据えた鍋懐石を個室でいただきます
本日は「たっぷりきのこと炙り鴨の鍋」のコースです

お酒:日本酒一合で充分(だって昼間に伏見で試飲していたので)
先付:雲子(鱈の白子) 栗 蒸米 銀杏

おしのぎ:こっぺがに 雲丹塩水 りんご そうめん 糸昆布
お椀:松茸 こっぺがにの真薯 

酒肴:ほっき貝と焼きシイタケにゴマ 小かぶとほうれん草
   カワハギの肝和え 山芋賽の目 あさつき
   お皿にはモミジや柿の葉が添えられている どこの紅葉?と質問
   弟子達と一緒に昨日鞍馬までピクニックを兼ね集めて来ましたと
   当店は週休2日制で 一日はこんなことに費やしますと料理長談

手巻き寿司:うとい和え(ウニ とろ いか)
      お造りの半分を食べて残り半分を手巻き寿司に

焼き物: さわらの藁焼き 梅肉 紅白なます 松の実
お口直し:いくらと柿と三つ葉 しめじ 海苔
     <料理長さんへの質問>
     出汁が自慢の店 水はどこからと質問 梨木神社ですか?
     富小路 やま岸の井戸水を利用していますと(これは錦の
     名水だと思う) 続けて出汁の材料は?の質問に70%は
     昆布 利尻の三年物を使っていますと
     HPで枕崎産の鰹節と鮪節で取った一番だしを使用とあり

鍋:おかみさん(富小路本店大将の奥様)が手づからこしらえ
  きのこ三種と鴨肉 きのこがものすごーく噛み応えあり最高!

さあ食べられます 柑橘と山椒赤みそでいただきます 九条ネギ添え

御飯:土鍋で蟹の炊き込みご飯(3合)にいくら乗せ
   御茶碗一杯で満腹 残りをおにぎりにしていただけて持ち帰り
香物:白菜と干し大根の醤油漬け こかぶと赤かぶ

デザート: 洋梨のコンポート 紅茶のジュレ 栗のテリーヌと抹茶

いつもながらですが 料理の説明を妻がメモし 私が撮影を担当します
聞き間違いがあるかも知れません どのように美味しいかの食レポが無い
のも気がかりで 今後の課題です

料理長さんが帰り際に写してくれました 後ろの人は背後霊?
更には オペラ座の怪人みたいと妻 ちょっと言い過ぎでは!

参考:料理長さんは横井祐史さん34歳  
   和久傳で修業中 相当厳しかったし兄弟子からイジメを受けた
   当店のオープンと同時に引き抜かれたが 当時31歳であった
   現在は弟子にレシピも渡すし動画も撮らせて勉強させています
   オープン以来誰も辞めてはいない 自分の時代は20人入店し
   一年後には2~3人残るかどうかであったと・・・
   お人柄がいいのは 話していてすぐわかりました
   御馳走様でした 二人で4万円でした


















































2022年11月 京都秋遊の旅6日間④長岡京巡り

長岡京は今週は「ガラシャ祭」でいっぱい 何と3年振りですって

<第四日 11月9日(水)晴れ>光明寺 長岡天満宮 勝龍寺城公園

光明寺 紅葉ピーク時期以外は無料なのですって

近所の保育園の散歩コースだとか 何とも羨ましい
表参道の女人坂は シニアも子供も楽に上がれるやさしい階段でした
「はじめのいっぽ」の掛け声が 関西は「ぼんさんがへをこいた」では?

法然上人像 右は勅使門(奥に庭園がありますが無料期間は見学できず)
御影堂(本堂)は 応仁の乱や山崎の合戦で何回も焼失 現在のお堂は
1754年に再建されたものです 注:今年は応仁の乱後555年です

源平合戦の勇者 熊谷次郎直実がこんなところに出て来るとは?
「どんなに罪が深かろうと 念仏を一心に申せば 必ず報われる」と
いう浄土宗の教えに出会い 直ちに弟子入り光明寺の創建につながる

法然上人の石棺と御火葬跡です

通称 もみじの参道

2009年盛秋「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンポスター
もみじ参道が散り紅葉で埋まってしまうのですね 圧巻のスポット!

昼食は奮発して「いっぷく亭」の紅葉重膳三段弁当
一の膳:名物胡麻豆腐 二の膳:煮物・湯葉・生麩等
三の膳:丹波黒豆 西京焼き他 御飯 吸い物 デザート

社地10万坪だったが 明治の上地令で2万坪に
現在の社殿(祇園閣や築地本願寺伊東忠太設計)は1941年平安神宮
から拝領移築 これは桓武天皇関連でとのこと
長岡京奈良時代平安時代の間の10年間都であったのですから・・・

「桜花 主をわすれぬものならば 吹きこむ風に ことづてはせよ」
大宰府にいる私の方に宜しくという意味か? 後撰和歌集収集歌より

勝龍寺城公園にあったプロジェクターから転写したもの
参考:長岡天満宮と細川家当主細川護熙元首相
   2013年1月 長岡天満宮の境内で「古今伝授の間ゆかりの地」
   の石碑(「温故知新」の揮毫は細川氏)除幕式があり列席された 
   「幽斎らは命がけで文化を伝えてきた 私達なりの責任で 次の
   世代に伝えていかなければならない」と・・・
   古今伝授の間とは
   細川幽斎が 八条宮家初代 智仁親王古今和歌集の解釈につき
   奥義を伝授した建物で 二代智忠親王が御所近くの自邸から移し
   それが明治期細川家に下賜された後 水前寺成趣園に移築された 

   列席された日の午後のガラシャ祭の講演で「細川家 美と戦いの
   700年」という題目で 細川ガラシャの人柄や細川家に仕えた
   宮本武蔵のエピソードを話されて 大河ドラマ化を希望しますと

   ついでですが 細川家が光秀の謀反後 秀吉から咎めが無かった
   のは 幽斎が古今伝授の奥義を極めた他に代えがたい人物だった
   ことが大きいのでは?ガラシャが許されたのも幽斎の尽力では?
   勿論京都の朝廷の方からの力添えも大きかったと思われます・・

JR長岡京駅まで歩きました 日曜日のガラシャ祭でいっぱいです
観光案内所に駆け込んで次の勝龍寺城公園までのバス便を聞きます
あと5分で駅の反対側から出ますよと・・・妻と必死に走りました
本日は 実はものすごくラッキーでした 今朝の光明寺行きもあと
4分で出ます 光明寺から長岡天満宮までのバスも7分待ち(実は
この時間帯では2時間に1本のみだったのです)

勝龍寺城は 安土城より早く「瓦・石垣・天守」を備えた最先端の城

小山の上からも敵に一斉射撃を加えること可能と 城郭専門家千田教授談

玉(ガラシャ)が細川忠興に16歳で嫁いだ城 山崎合戦で敗れた光秀が
最後の夜を過ごした城でした 光秀は超イケメン 野心家で頭脳明晰の仁
玉は欧州まで知れ渡る絶世の美女 高山右近の影響でキリシタンになった
辞世の句「散りぬべき時しりてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

前回は3年前 今年は挙行されると

園内のプロジェクターからの転写
公園から駅まで1時間に一本のバスで戻り 最終目的地に

サントリー天然水のビール工場を見学(シャトルバスで送迎されます)

発酵タンクは直径6m 高さ20m(因みに奈良の大仏が18m)

ラガーって貯酒のことなんだ

まあ ここまではどうでもいい見学でした

本日の目的はビールの試飲 3種類の新ビール試飲です

そして家庭でできる神泡サーバーこれがすごい

本日はプレミアムビール2杯と試飲小ジョッキ3杯でした
小さなおつまみとダイヤモンド麦芽をポリポリ ファイン
アロマホップの匂いを嗅ぎながら「神泡」を堪能しました

京都駅に戻り 京都タワーに初上り カップルばかりでした
実は昨晩が「皆既月食」だったのですね 夜の6時過ぎから
8時半過ぎまでだったようで 皆さん空を見上げていました
私は 早くホテルの部屋に戻って スマホでのアベマテレビ
Mリーグマージャンを見たいがために必死でした・・・
次の皆既月食は2025・9・8ですって次回は見ましょう




















 






 



 

 

2022年11月 京都秋遊の旅6日間③市内バス旅


     京都大徳寺聚光院「そうだ京都は今だ」のポスターより
          新シリーズ 2016年夏 狩野永徳筆「花鳥図」
     目の前にあるのは、もしかして
     16面のパノラマスクリーンではありませんか
 

<第三日目 11月8日(火)晴れ>青蓮院門跡 京セラ美術館と大徳寺
京セラ美術館の予約時間が10:00で 朝の時間をどうするかを検討し
歩いて回れるのは?という中で 9:00から開門は青蓮院門跡だけです

「青の幻想」「生命賛歌」「極楽浄土」の三部作60面が描かれる

木村英輝画 どうして伝統ある門跡寺院に現代アクリル画が・・・
京都を舞台に「もてなし しつらえ ふるまい」による日本の美意識を
楽しむ催し「にっぽんと遊ぼう」のプロデューサーでもあった木村氏が
平成16年の主催地が青蓮院門跡であり たまたま当門跡の襖絵が白地
であることから 蓮の三作品を提案し採用された次第である
実は提案でボツとなった一作目「枯れ蓮」は友人樹木希林自宅の板戸に
描かれ 四部作として完成を見るのです

上皇上皇后様です

室内に「そうだ 京都、行こう。」のポスターが大々的に掲示

気持ちもゆったりする癒しの庭園です

小学校の廃校をホテルに改装
「ザ・ホテル東山 by京都東急ホテル」屋上からの眺望が素晴らしい
私見ですが「粟田口」が気になります 既述しましたが 光秀の首晒し
京都キリシタンの処刑場で 江戸時代には毎年3回処刑が公開された地

上のホテルは地図上の「現在地」の敷地の位置にあります

スマホでの撮影はOKなるもカメラは不可と どうして?3枚失礼!

ここは稲盛財団の美術館 関連の京都賞受賞者 坂東玉三郎の写真・・・


東山キューブ・テラスよりの眺望

昼食は予約しておいた「エンフューズ」のピクニック弁当を日本庭園で

1933年以来の建物は 2020年5月リニューアルオープンしたが 
現存する日本で最古の公立美術館建築である 

近くまで来たので気になっていたヒューリックのマンションを見物に
無鄰菴と瓢亭を見下ろす位置に高層マンションはどうなのか?近隣の
猛反対もあった物件でしたが 超高級ホテルの「ふふ京都」に生まれ
変わり安心しました 三階建てです ヒューリックふふ共同経営です


  京都市バス206で一日ぐるりと市内を回ります
先ずは京都駅から神宮道 次が東山二条・岡崎公園口から大徳寺前へ
大徳寺前から千本中立売そして最後が京都駅まで一日券有効活用です

大徳寺塔頭総見院」の秋期特別公開で織田信長の木造がお出まし

織田信長公一族墓碑 信長と正室濃姫に手を合わせます
聚光院予約時間まで30分あります 急いで今宮神社裏へ
お目当ては もちろん 御餅です・・・

 

 


本年は利休生誕500年の年 利休の菩提所に参れたことは縁でしょう
そしてここは利休の流れを汲む茶道三千家墓所ともなっているのです
庭園は永徳の下絵を利休が作庭したと

1979年にパリのルーブル美術館からモナリザが来日 その返礼とし
永徳の障壁画16面がフランスで展示された まさに日本の宝なのです
狩野派の大天才永徳は 幼い頃から祖父の元信に連れられ 多くを学び
桃山時代の頂点を極めた画家であり 聚楽第大坂城伏見城などに
作品を描くが 多くは焼失し残念ですがほとんど残っていないのです
私は長谷川等伯の方が好きで追いかけていますが 永徳にも感謝です

2013年に書院の建て替えが落慶し 千住博画伯の障壁画「滝」が
奉納されました 今回拝見し 絵の具を垂らしながら4度も描き直し
をされた作品であるとの説明を受け 新進気鋭ながら若手の千住氏に
依頼をされた寺側の先見性に感服しました


聚光院では入口で荷物は全部ロッカーへ 写真も全面禁止ですし
朱印状は書置きだけ しかも1,000円ってあまりにもムゴイ

夕食は超人気居酒屋の「神馬」
電話予約はまず不可能 オートリザーブという媒介を使い早くに予約
入店してカードが使えないということで 夫婦で財布の中身を合算し
「一人1万円で おまかせということでお願いできますか?」と依頼

前菜

からすみ餅と刺身盛り合わせ(まぐろ 牡丹海老 鯛 烏賊)

ふぐてっぴと白子友和え 先ほどの海老 依頼しての唐揚げ

松茸と鱧のしゃぶしゃぶ・・・撮影し忘れました
甘鯛と貝柱の塩焼き ローストビーフ

こっぺがに(香箱) 二人で一皿を半々にしてくださいと

鱧のスープ(先ほどのしゃぶしゃぶを利用)
鱧と鯖寿司・・・これで御馳走さまです 美味しかった

気付いたこと: 食事中電話が鳴っていました すかさず店員さんが
電話口に出て応対していました あれっ?電話通じるの? おかしい!
もしかしたらと思い 入口においてある店の名刺を見ます そこには
電話番号が二つあり 一つがWEB掲載の代表電話番号 もう一本が
(075)461-4322 これに二回目以降のお客さんが架ける
一番楽なのは 私が依頼した依頼代行の「オートリザーブ」お勧め!











 

 






 























2022年11月 京都秋遊の旅6日間②保津川下り

あっという間の2時間でした

<第二日目 11月7日(月)晴れ>嵯峨野トロッコ列車保津川下り

駅舎内に「19世紀ホール」というコーナーがありました

懐かしいD51や特急はと 特急つばめが陳列されています

早期予約で入手できた 窓無しの「リッチ1号車」に一番乗り
「窓もなく寒い!」という妻に 相席の向かいの上品な奥様が
「この席 人気でなかなか取れないのですよ」と柔らかに一言
返す言葉もありません そうですそうですと私は心の中で拍手

途中駅及びトロッコ亀岡駅でもたぬきの歓迎

川下り待合室にあった多くの色紙から 沢口靖子さんの色紙発見
めちゃくちゃ綺麗な字 隣は高島礼子さん 普通のサイン字体ですね

船頭さん3人 櫂 梶 竿を適宜交代します 乗客は26人です

船べりにある緑のビニールが波しぶき除けで 急流で皆で上げます
それにしても朝一の川下り 朝もやか霧かが周囲の山々を囲みます

時間を見計らって 船頭さんが「列車が来ますよ」と言ってくれます
右 歩道の下の裂け目は 台風による被害で未補修のまま 危険です

台風時には橋桁の下まで川の水位が来たと(当然川下りはお休みに)

みたらし団子 3本で400円しかも小さい! 高過ぎです

船頭さんが写真を撮ってくれます

突然現れた美女の踊り 嵐山芸術祭の一環とか

嵐山渡月橋近くの舟着き場に到着
船頭さんの話が面白かった 16歳から75歳まで現役ですって
年初にくじ引きで3人のチーム編成をし それは1年間続きます
一人前になるには10年間かかる 一日4往復ピークでは5往復
「今朝は一番目元気ですが 最終番では喋ることもできません」

川下りは1606年から416年目です 昔は筏を組んで輸送を
担っていたが 舟になって一番大変だったのは川下り後の舟運び
人力で5時間 必死に元の亀岡まで引っ張り上げたとのことです
今はトラックで一度に3槽分運び 我々は電車で楽々移動しますと 

ここが亀山公園展望台 来るまでが大変で階段が急でした


   ブラタモリ嵐山編で見て どうしても来たかった穴場観光地

ここに集まるのは外人さんばかり どうして知ってるの?
夫婦の写真も シンガポール人の方に撮ってもらえました

近くにもう一つの展望台
外人の方の方が熟知しています 下りも後について行きますと

なだらかな斜面を下り 竹林に到着です
上りの苦労は何だったのでしょう ここも外人さんの方が多いです

前回の嵐山巡りでは来なかった『野宮神社」にお参りします

昼食は嵐電嵐山駅隣の「ぎゃあてい」で
ぎゃあていとは般若心経の一部で「思うがままに行きなさい」の意と
GYATEI means ”GO FOR IT!’

口コミ評判通りで美味しかった「彩りおばんざい御膳」秋バージョン
ご飯は地元の嵯峨米 季節の焚合(大豆の生姜煮・薩摩芋・檸檬煮)
デザートの栗プリン 牛蒡のポタージュは良く混ぜておあがりやすと
汲み上げ(湯葉と竹炭豆腐) 西京漬け(ローストビーフ白味噌
ドレッシング・サラダ) 京野菜(九条ネギぬた和え・蒸しアワビ)
彩り里芋饅頭 魚 煮穴子寿司 出汁巻 豆乳チーズの湯葉餃子

天龍寺境内にある塔頭の一つ弘源寺に立ち寄ります

身体をくねらせた毘沙門天像が大変珍しい

柱の刃傷は 幕末の禁門の変に際し 天竜寺に陣を構えた長州藩の軍勢が
試し切りをしたものとか

竹内栖鳳上村松園の絵は撮影禁止 残念

ということでWEBから転載
当寺で竹内栖鳳の子息が療養生活を送り 寂しいだろうと弟子が集まり
部屋に絵を飾った それが今の襖絵や扇面に残っています

渡月橋を渡って法輪寺

ここは十三参りで有名です 渡月橋を渡り切るまで振り向いてはダメ!

展望台からは嵐山や はるか遠くに京都タワー

渡月橋を見下ろせる場所って穴場ですね ブラタモリのお陰です
それにしても野宮神社天龍寺嵐電駅前の通りは渋谷並でした

阪急電鉄で四条に行き 夕食の予約時間までイノダコーヒー本店に

好きだった三条店が閉店となり とても残念です

コーヒー一杯で1時間半粘りました

伏見の清酒醸造業「玉乃光」の出店 開店したばかりです
全ての料理に純米酒粕が使われており とてもユニークお勧めの店です

最後のデザート アイスクリームにも勿論酒粕が・・・
「おいしゅうございました」お昼がコスパ良しだと思います













 





 





















 

2022年11月 京都秋遊の旅6日間①琵琶湖西岸

近江八景「三井の晩鐘」音の三井寺として有名ですごい迫力の響きです
宇治の平等院 高雄の神護寺と共に 「日本三銘鐘」の一つだそうです

<第一日目 11月6日(日)晴れ>石山寺三井寺近江神宮
6時15分東京発 8時24分京都着 大阪からの妻と合流して急いで
8時38分発JR琵琶湖線に乗車し石山駅へ 京阪電車に乗り換えます

京阪は2両編成 石山寺一駅前の唐橋前駅に下車 カーブの連続です

瀬田唐橋は 近江八景「瀬田の夕照」で有名 宇治橋・山崎橋(京都府
大山崎にあった)と共に日本三古橋として有名だそうです
注:日本三名橋日本橋(東京)・錦帯橋山口県)・眼鏡橋長崎県

唐橋が有名なのは 古くは壬申の乱 承久の乱の戦場の地 当時は琵琶湖
にかかる唯一の橋で 都に入る東の関所という役割を担っていたのです
「唐橋を制する者は天下を制す」また「急がば回れ」の語源になっている
こんなに流れの無い川なら渡ればというのは現在の話 信長が下流に堰を
作るまでは 暴れ川として有名で 橋は南方の宇治橋まで無かったのです

芭蕉の句碑「石山の石にたばしるあられかな」と縄文時代しじみ貝塚
予約済ボランティアガイドツアーの始まりです 約90分の予定でした
妻が「閼伽井屋あかいや」や「兜跋とばつ」の読みを当て大喜びでした
(結果は10時から12時半までの150分 ガイドさん大張り切り)

運慶作と湛慶作の仁王像

参道の紅葉も色づき始めました

「くぐり岩」大理石の奇岩・怪石の幽邃の境中 天然自然に体内造り状態
をなすこの池は天平時代のものと(注:立札の文字で「胎内」にあらず)

本堂下の木組みは京都の清水寺と同じとの説明

毘沙門堂毘沙門天像 印塔の敷石は88枚あり 四国八十八ヶ所霊場
土が埋められており これを廻ると八十八ヶ所を巡ると同じ功徳を得ると 

多宝塔(源頼朝の寄進)前の硅灰石は下でくぐり岩につながっている
この石は天然記念物で 寺名である石山寺の由来ともなっていますと

本堂前で 仏像の位の説明 如来ー菩薩ー明王ー天の順位となっていると
如来のトップが大日如来で その下に薬師如来・釈迦如来阿弥陀如来
並列順位にあること・・・知りませんでした

本堂と紫式部「源氏の間」の説明板より
紫式部はこの部屋に参籠し 前方の金勝山よりさし昇る中秋の名月が下の
湖面に映える美しい景色に打たれて 構想の趣くままに筆を取られたのが
有名な源氏物語 以降この部屋を「紫式部源氏の間」と言うようになった

紫式部供養塔と芭蕉の句碑が並んでいる

多宝塔 昭和の4円切手で見ていて懐かしい 本尊は快慶作の大日如来
頼朝寄進と既述したが 1159年の平治の乱平清盛に敗れた源義朝
長男義平・二男朝長・三男頼朝が東国へ逃亡中離れ離れになり 一時的に
義平が石山寺にかくまわれた その恩に応えての寄進であると 

鐘楼 ここの鐘撞きは 鐘を背にして後ろ向きに撞くのだそうです
最後に「豊浄殿」で特別公開中の紫式部展を見学(撮影禁止でした)

本日の昼食は 湖舟「志じみめし」を予定していましたが空席待ちで
志じみ弁当をテイクアウトし 東大門前の茶店外席でいただきました

三井寺にやって来ました(石山寺三井寺駅の駅間は19分)
国宝10重文42の日本屈指の文化財所蔵寺院であるが寺の歴史もすごい
参考:戦国武将と三井寺
   信長 比叡山延暦寺焼き討ち前日に 三井寺に本陣を敷いたのです
      延暦寺と敵対関係(山と寺)にあった三井寺に寺領安堵状を
      前年に発給する用意周到さがあった
   秀吉 天王山の戦いで陣を三井寺に置き 光秀を追い詰めたところ
      陣に光秀の首が届き 京都の粟田口に首を晒した
      後日 秀次事件で寺が関与したと闕所(所領没収)を決めた
      秀吉死去前日 五大老連署の再興申請が許されるまで続いた
      五大老の一人 毛利輝元の手腕が大きかったと言われている
   家康 関ヶ原の合戦で近隣の町人が 三井寺観音堂から高見の見物
      をするなか 浅井長政の姉の子である京極高次正室淀君
      の妹の初)は当然の豊臣方から方針転回し 大津城に籠城し
      西軍の1万5千人を引き付けた 9月15日大津城は開城す
      るも 当日関ヶ原の戦いは既に始まっていた
      京極高次三井寺に入り 剃髪して下城し 高野山に入った
      家康から下山するよう伝えられ 若狭一国の大名になった
   毛利輝元
      毛利氏と尼子氏・大友氏との調停役が三井寺長史道澄でした
      秀吉との橋渡しも同人であった恩から三井寺に対しては深い
      感謝の念あり 三井寺再興に尽力 山口県の国清寺から一切
      経蔵を移築・寄進した
      関ケ原の戦いでは西軍の総大将ながら出陣せず不戦 戦後は
      家康に謝罪し石高減(120万石から37万石)となるもの
      の毛利家安堵 自身も萩城へ・・・生きる知恵のいい見本! 

お目当ての国宝 金堂は工事中で拝観できず 掲示されていた写真を
金堂は秀吉の死後 正室北政所が再建した経緯あり 夫の罪滅ぼし?

昨年の1月4日より 鐘撞き一回800円(従来300円)に
気軽に撞き過ぎると割れてしまうリスクあり値上げしましたと

三重塔と一切経
この間の道は映画のロケで多用されている
「武士の献立」「銀二貫」「天地明察」など我々が見た映画でも・・・

弁慶の引き摺り鐘

閼伽井屋 現在もポコポコと祠の中で音が 妻はスマホで録音していた


この展望台から関ヶ原の戦いの前哨戦が見えたという話が・・・

右は 現代の名工(石彫工)長岡和慶の奉納寄進像
裏面には本名の長岡和敬(ながおかかずのり)の名が記されており
それを妻が発見 私と同じ名前しかも同音での呼び名にはビックリ!

琵琶湖疎水沿いに駅まで戻ります 京都へ通じる疎水です

近江神宮にやって来ました 妻の足が攣(つ)りました
本日の万歩計が25,000歩を越えていました

最後の一踏ん張りです
そもそも この近江神宮は 大化の改新で有名な天智天皇中大兄皇子 
神としての名前は天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ)が
古都・近江大津京の跡地に 神武天皇即位2,600年を記念して 昭和
15年に創建されたのです

近江神宮まで足を延ばすか決めかねていましたが 直前にTVで本年の
小倉百人一首高校生選手権大会と かるた部合宿を見てしまったのです
映画「ちはやふる」のイメージが強い上にTVがかぶさって尚更でした
近江神宮は「時の神」と言うより「かるたの聖地」の方が有名なのです

天智天皇が詠んだ下の句が 小倉百人一首の第一首に選出されました
「秋の田のかりほの庵(いほ)の苫をあらみ 我が衣手は露にぬれつつ」

かるたは以前から盛んでしたが 昭和7年にルールが統一されました
無差別に選ばれた50枚を 自陣・敵陣に25枚づつ並べ最初の15分
で暗記し 詠まれた札を取り合う 相手陣の札を取れば自陣より1枚を
相手に渡し 最後自陣の札を無くした方の勝ちとなるのです

毎年1月ここで名人位・クイーン位決定戦が 7月には全国高校かるた
選手権が行われます 「畳の上の格闘技」と称され 文化部ではなくて
運動部として認識されています まさに真剣勝負そのものなのです

先ずは内拝殿に一礼 本殿までは行けず

壁に架けられているだけで「かるたの聖地」的雰囲気は全く無し
敷地内の一番奥に「近江勧学館」があり そこが競技かるた大会会場と
妻がもう歩けないと休憩中でもあり 一人で往復することは止めました
本日は日曜日 七五三・初宮詣等のジジババと初孫のご一行で大賑わい

駅への帰路 歩道に敷かれた近江八景のタイル石を発見しパチリ

本日の夕食は 京都恒例のJR京都伊勢丹地階の食品売り場セールです
閉店間際7:45ごろから安売りが始まります 最後は半額になります
我々は20%引きで買いましたが もう少し粘れたのになあ・・・
だって宿泊ホテルは「都シティ近鉄京都駅」駅ビルの中にありすぐです

最後に:京都に来てどうして滋賀県に行こうと思ったのかですが・・・
旅行直前 NHKTV「英雄たちの選択」「日本の宝を守れ町田久成
博物館創設への挑戦(2022・10・19)」を見たことが大きい

町田久成(1838~1897)は旧薩摩藩士 明治初期の官僚出身で
慶応元年(1865年)英国留学し大英博物館に感動 当時の廃仏毀釈
の流れの中で美術品破壊・海外流出を惜しみ 私財を投じ収集を続ける
後日 東京国立博物館初代館長に 1889年に師の桜井師が没するに
及び出家し仏門に入った(三井寺光浄院の住職になった)

町田久成で番組は終わるが 実は日本美術を救ったアメリカ人がいます
日本が欧化政策を進め 日本古来の文化財が軽視されていた明治時代に
その価値を認め 保護に努めた米国の哲学者がアーネスト・フェノロサ
日本政府の要請により来日(1878年) 美術への造詣も深く 奈良
文化財ギリシャ・ローマ美術に通じる美を見出した

神仏分離令からの廃仏毀釈運動は収束しつつあった
東大で哲学・政治学を講義しつつ奈良・京都の古社寺や古美術商を廻る
教え子の岡倉天心(現東京芸大設立)が通訳で同行し 東大寺の日光・
月光菩薩像 唐招提寺の破損仏「如来形立像」を素晴らしいと絶賛した

三井寺の律院に法明院があるが ここに桜井敬徳住職の銅像と墓がある
隣接して住職の弟子である町田久成フェノロサ・ビゲローの墓がある
(注:町田は1873年 米国人二人は1885年に受戒している)
フェノロサは帰国後ボストン美術館東洋部長となり 英国の大英美術館
で死去 遺言で1年後に遺灰移送され受戒した三井寺法明院に葬られた

ビゲローはボストンの医者 モースやフェノロサと共に1882年横浜
に到着 伝統的な日本絵画の保護育成に尽力 7年後帰国も岡倉天心
要請に応え 日本美術院設立に際し巨額な資金援助(兄弟家族存在せず
莫大な資産を一人継承した)そしてフェノロサの後ろ盾 桜井師の宗教
活動も支援した 注:歌川派の浮世絵を安価に大量収集して帰国したが
その大量の浮世絵がボストン美術館に寄贈され現在に至っているのです
恥ずかしながら 当時の日本は自国の芸術に誇りを持てなかったのです

町田久成が没した1897年には 4月に東京図書館帝国図書館
5月には帝国京都博物館が 6月には古社寺保存法が制定されました
1902年再来日したビゲローがこれを聞き及びとても喜んでくれた

実は法明院に行きたかった! 二駅向こうですがあまりにも辺鄙な地
にあり 道なき道に近く足下不如意であり 断念せざるを得なかった 

 

 



 

 





 































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2022年9月 金沢 福井 能登6日間⑥金沢市内 

加賀友禅会館での「フェニックス康子」

<第六日目 9月1日(木)雨>成巽閣と西田家庭園そして帰京

「成巽閣」ミシュランガイド1つ★ 入口正面と前庭 小雨です

室内からのお庭撮影

書院造り 加賀百万石 前田家奥方の御殿
欄間は檜の一枚板に花鳥を透かし彫りにし 極彩色の岩絵具使用です


本日は雨模様で雨戸が出ているが 実はここの廊下 柱の無い20mの
縁側で有名 軒先が桔木(はねぎ)によって支えられ庭を開放的に眺め
ることができる 梃の原理で屋根を支えているのが大きな特徴の様です

2階に上がります   成巽閣の屋根はサワラ材の杮(こけら)葺きです 
創建当時の杮葺きが 明治に瓦 昭和に銅板 最終杮葺きに戻りました

数寄屋風書院造りの部屋の次に「群青の間~書見の間」が・・・
フランスから輸入されたウルトラマリンブルーの群青の色が目を引きます
日本・中国・西洋の融合を感じさせる空間は 明治以降は歴代天皇 皇族
の御宿泊 御休憩所として用いられました 実は今年度の特別公開で茶室
と名勝「飛鶴庭」が事前予約で入れたようなのです!勉強不足でした

次に訪れたのが石川県立美術館

この美術館の一番は辻口シェフの「ル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ
美術館の展示品がイマイチだったので ここのカフェで挽回です

西田家庭園がまだ準備中なので 隣の加賀友禅会館に入館

花嫁のれんをくぐります 花嫁になれるのは一生に一度だけですよ!

京の町で人気の扇絵師であった宮崎友禅斉が 当地の御用紺屋に身を寄せ
斬新なデザインの模様染を次々と創案 加賀友禅の発展に大きく寄与した

五彩と言われる「臙脂・藍・黄土・草・古代紫」を巧みに使い 着物に
美しい「染め」の心を封じ込める加賀友禅 金沢駅鼓門のライトアップに
加賀五彩が生かされています 

ドヒャー!我ながら不格好ですね~

西田家庭園 玉泉園です 約50年前の学生時代に訪れ 金沢で一番好き
だった庭園で 係の女性が「雨が止んでいる間に 庭を回られては?」と
勧めていただき 庭に入りました

どこを切り取っても絵になる庭園です

室内から見えるのは またしても「隠れ切支丹像」ではありませんか

玉泉園の歴史から・・・
前田利家の四女「豪姫」が 子供の無かった秀吉の養女となり のち秀吉
五大老の一人 宇喜田秀家の正室に しかし秀家が関ヶ原の戦いで敗れて
八丈島島流し 兄前田利長の元へ戻され 小姓として脇田直賢も金沢に

当時の金沢は 切支丹大名として名高い高山右近が客将として住み 多く
の藩主が影響を受ける 日本中でも有数のキリシタン信者の町金沢で豪姫
も 直賢ら家臣と共にマリア名で洗礼を受けた
(参考:高山右近は 家康のキリスト教禁止令で マニラに流され病死)
直賢は 利長の正室永姫(信長の四女 院号玉泉院)に預けられ 子供の
ように育てられ 脇田家を創設 約100年に渡り作庭されたのが玉泉園

「かなざわ玉泉亭」の「優雅昼会席」がスタートです
お椀・造り・八寸・炊合せ・箸休めなど豪華8品です
築200年を越す江戸末期の邸宅を現代風にアレンジしたガーデン
レストラン 窓の外に広がるは玉泉園 目にも舌にもごちそうです

お皿の魁の文字に角がありません ハレの日にお出しするのに鬼は
不似合いですので・・・と(東京の鬼子母神と同じ発想です)

鱧や鰻が続きます
玉泉亭のホームページから料理長が片折卓矢氏と判明 調べました
金沢の名店「懐石つる幸」出身(ご夫妻とも)で玉泉邸のオープン
(2014年4月1日)から3年強料理長と女将として 何と1年
目にして1つ★獲得 そして独立 2018年5月「片折」を開店
ミシュランガイド北陸2021特別版で2つ★獲得 超人気店です
(あれれ 今現在 玉泉邸の料理は誰が任されているのでしょう?)

他の人のブログを見ていたら ご飯が余ったらおにぎりにしてもらえる
とのこと 知りませんでした 帰りの飛行機まで十分な時間があったのに

大変好感の持てる話し方で 料理の説明も簡潔明瞭だった配膳担当の女性
もしかして ここの料亭のお嬢様では?と 夫婦で秘かに話していました

話の途中で「御帰りになられるサンダーバードは良く止まるんです」と
「今のところは大丈夫な様です」・・・いやな雰囲気が漂い始めました

ホテルに立ち寄り預けた荷物を引き取り 早めに金沢駅に到着しました
すると場内アナウンスが・・・「サンダーバードは34号までは発車し 
後続は中止です」と 妻はその34号で16:00大阪に向かうのです 

私は小松空港までリムジンバス そして18:50のANAまで3時間
以上あります これからが長いのです 休憩室で眠り込まないように!
待合室に来ると「羽田空港上空が混雑していて 出発も遅れます云々」
最終的に30分遅れで羽田到着 ものすごい揺れでもう飛行機ゴメンの
状態でした 台風の影響でしょうが 天気に文句は言えません
本来は 出発前の天気予報で前半は晴れ 後半に崩れ 雨模様となって
いたのが 最終日までは好天 暑すぎる毎日だったので晴れ男万歳です

妻も大変だったと 本日の最終列車という事になったため 本来通過駅
であった駅にも停車し 停車の都度乗客が押し寄せ 指定席の空席無し
最終の大阪駅に サンダーバード34号 やはり30分遅れで到着です
(そうです 我々夫婦は 月の三分の一は遠距離結婚なのです)
 
でもでも妻からは「楽しかった ありがとう」の電話があり良かった!
また金沢に行きたいとまで言っているので 旅行立案者としては合格!

金沢を旅行しての「金沢ランキング」の感想 ②以外は実感しました
①甘い物大好き     国内第一位
②御餅の人気      国内第一位
③意外な人気野菜 蓮根 国内第一位
④年間降雨日数197日 全国第一位 弁当忘れても傘忘れるな
⑤高級魚介類志向    全国第二位 蟹・ぶり等

 金沢は美味しい どこの食事も思い出深い
 そうなんです ミシュランガイド・ジャポンの ★獲得店が多い
 3つ★が1店 2つ★が9店 1つ★が18店の 計28店です
 金沢随一のグルメタウンである片町から にし茶屋街周辺に多い
 今回の旅行で全く足を運んでいないエリアで 次回のお楽しみ?

金沢滞在中 ホテルでテレビをみていたら 馳 浩が石川県知事として
出演していた そうか!と そこで金沢出身の有名人を調べてみました

当地に記念館のある谷口吉郎鈴木大拙はともかく 特別好きでもない
作家の泉 鏡花・徳田秋声室生犀星・・・と出てきますが特筆すべき
人物は八田與一さんでしょう 東大土木課卒で 台湾総督府技官として
任官中の1930年に「烏山頭ダム」を完成(今も健在)させた人です
(台湾では中学の教科書にも載る有名人で 大恩人として紹介される) 


1942年 土木工事の為フィリピンへ調査目的で日本を出発した船が
途中 米軍の魚雷で沈没し死亡 1945年 妻が台湾を離れるに際し 
烏山頭(うさんとう)ダムに投身 夫の後を追ったのです


      有名人としてもう一人 ジアスターゼの生みの親 高峰譲吉さんが日米
友好の懸け橋として 1912年ワシントン・ポトマック河畔に桜を寄贈 
2012年 ワシントンの桜の里帰りとして金沢城公園に植えられました

ついでに俳優・歌手では・・・鹿賀丈史 あつ!鶫真衣 陸自の歌姫!

最後に「ブラタモリ金沢編」から

我々も行きました 見越しの松の家

長町武家屋敷跡の「鞍月用水」です
小川沿いにある建物は川より一段高い 土塁があった痕跡 この堀と
土塁を利用し 城や城下町を丸ごと守る仕組みを「惣構え」と呼ぶ
金沢城河岸段丘上に立地した 堀をつくり 掘った土で土塁が作ら
れたのです
この惣構えシステム大改造を指揮したのが 前田利長から命を受けた
高山右近なのでした

 






 




 


























 


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