2023年 酷暑の四国・京都一週間⑤


宇野駅前の船の信号機のモニュメント タイトルはBon Voyage

今春には 観光客の長い行列にビックリし退散 金閣寺リベンジです

<六日目 8月3日(木)晴れ>岡山から京都へ
今年一番の猛暑日 国内の観測地点別で猛暑日最多を記録!!

朝食は2日目ということで 前日とは違うメニューからチョイス
私はメインには ピーチポークハムとUNOパンケーキ

妻は生グリーンサラダとUNOフレンチトースト
こんなの見たこと無いと 妻が感激!

宇野から児島まで戻り 下津井循環バスで日本遺産を訪れます
倉敷市下津井の「むかし下津井回船問屋」というバス停で下ります
ここは北前船の寄港地・船主集落として平成29年日本遺産に認定
日本遺産のサブタイトルは「一輪の綿花から始まる倉敷物語」です

日本の歴史学者である磯田道史氏 岡山市出身であり当然ここには
来ましたと ものすごく詳しくて タジタジでしたと案内人さん談

                  右地図は干拓ビフォーアフター

学校の授業で習った覚えがあります 有明湾と児島湾の干拓事業
江戸時代の寛永年間より 慶応に至る役240年間 児島湾岸で
約8,400ha.もの土地が干拓により造成されている そして
明治になり 大阪の豪商 藤田伝次郎の大規模干拓5,500ha.
終戦により国家事業に移行し 1964年に干拓は完了しました

ここ下津井は 上の地図上ではプードルの後ろ足に当るようです

干拓地であり塩害が強く米作は無理 塩害に負けない綿花栽培が
発達 そして綿花の肥料に必須だったのがニシン粕だったのです
ニシン粕を運ぶのが北前船 当地には最盛期83もの船が集結!

北前船 大変な航海の時もあり 万一転覆しても右の固い「船箪笥」は
海面に浮きあがり 彫られた家紋から届けた人には 現在価値3千万円
の謝礼が手渡されたそうです 船乗りが命と同じくらい大切にしていた
「相棒」なのです ではいったい何が入っていたのでしょうか?

船の鑑札(往来手形)書付書 仕切り書 印鑑 そして現金 これらを
入れて 誰でもが容易に開けられないよう錠前で守られていた 表には
金毘羅様(こんぴらさま)のお守りも張り付けられていました
海上に漂う船箪笥 たとえ海賊でも奪わず持ち主に返したという 命を
賭けて生きる 男同士の仁義というものがあったようなのです

北前船は動く総合商社 北海道では無尽蔵とも言われたニシン その場
で煮られ それを絞ったのがニシン粕(北海道で必要なのはニシン油)
これを上り荷で西日本に運び高く売り 下り荷では西日本の古着を積み
衣類の生産技術が低かった北日本では高価な商品になる 押して引いて
木を切るのこぎりのように行きも帰りも商売ーのこぎり商いと言われた
当時の国内の地域間格差をうまく利用して 一攫千金を狙ったのです

祇園神
但し「板子一枚下は地獄」に生きた男たち 安全を神仏の加護に求め
寄港地の中心や小高い丘に 守護神としての神社や寺院がありました

北前船は海難事故の多発に寄り 明治18年「和船禁止令」が出され
以降 衰退の一途をたどり 陸路開発がそれに代わった

瀬戸大橋
橋の完成前 本州から金毘羅詣りの参拝客は 最短ルートとして下津井~
丸亀まで船での航路を選んだ 後に宇野~高松の宇高連絡船に追われたが
そこで「紫雲丸事故」(昭和30年 広島の修学旅行生100人を中心に
168名が死亡 宇高連絡船の上り下りの濃霧下の衝突・沈没)が発生!
これは 前年の洞爺丸事件と共に国鉄の大事故で 「早く瀬戸大橋を」の
大合唱に発展しました

昭和63年 18年の歳月をかけて瀬戸大橋が完成するのですが・・・
その難工事たるや NHKTV「プロジェクトX」でも紹介されました
最大の難関が 荒れ狂う瀬戸の渦潮・大潮流の海中基礎工事なのでした
紫雲丸事故の悲劇からは 33年も経過していました

お馴染み仁和寺仁王門と夜の御室会館

児島から京都まで3時間半 普通・快速を乗り継いでの強行軍です
これは当初「青春18きっぷ」の利用で 新幹線・特急を使わない
旅を計画しており その行程表をそのまま使ったためです
参考:料金は4,510円 青春18きっぷでなら2,410円です
   ただし5枚綴りであり 全部使わない旅では無駄になります
   (新幹線と特急を利用すると8,670円もします)

何とここで 痛恨のミス 私が個人旅行を計画し始めて最大のミス発生!
御室会館宿坊への予約が完了していなかったようなのです 絶句です!
何とか素泊まりでの宿泊は認めてもらえましたが 朝食は用意できずと

確かに「予約確認書」のメールは来ておらず 電話で確認すべきでした
変だなあ~とは思っていたのです 今回の計画は山陰からの大幅変更も
あり 徳島・高知の事前勉強と直島の諸手配でテンヤワンヤではあった 

参考:仁和寺御室会館宿泊代金
   105号室(4畳半)和室 バス・トイレ無し素泊まり
   単価 7,400円+宿泊税200円 の二名分15,200円
   特典:国宝金堂で朝のお勤めと住職の法話 庭園・御殿入場券付

   妻の感想:宿坊としては南禅寺の方が圧倒的に良かった!
   部屋は8畳トイレ付き(食事も夕・朝付きで申し込んだのです)

食事なし さあどうしようですが 夕食は門前の「佐近」に予約済です

ノンアルコールのスパークリングワインで乾杯
本日のおまかせ料理は「桜」のお献立 琵琶鱒のマリネからスタート

近江牛ローストビーフ 赤ずいき胡麻酢 夏野菜テリーヌ
トマト冷製スープ

天然鯛 本鮪 鱧落とし 造り合わせ
鮮魚ワイン蒸し カフェドパリ風

鱧鳴門煮 冬瓜 子芋 小茄子 焚き合わせ
天然鯛昆布〆寿司(これが大好物なのです) 香の物 赤出汁 

パイナップルムース 抹茶わらび餅(令和5年7月メニューから)
さすがの「佐近」でした 料金1万4千円(含むおにぎり代)

妻の私への不手際ブツブツも宿坊の不満も一挙に吹っ飛ばす料理
無理を言って「明日の朝食用のおにぎり」まで夜食用として用意
していただけました 
気になったのが 我々が入店した18時から19時の1時間に
他のお客様が誰も来なかったこと どうしたことでしょう?

それと道の反対側の広い敷地(仁和寺仁王門の真ん前)に計画中の
共立リゾート(我々の大好きなドーミーインや高級店「花伝抄」を
経営している)が計画しているホテル(仮称は 京都御室花伝抄)

仁和寺での説明会でも 住民は猛反対 儲けるのは佐近さんだけと
変にいじけられていると ただし市は許可 建築確認も下りており
今年の10月に着工 2025年には完成となる見込みと

この辺は バス便が終わるとタクシーが全く捕まらない そのため
お客様には ご不便をおかけしていますと・・・夜の営業が不調な
のは そんな影響があるのかも知れません
料理長が随分細かく説明してくれます 本心困っているのでしょう

<七日目 8月4日(金)晴れ>仁和寺金閣寺等持院


朝の勤行は 国宝の金堂で早朝の6時からです 参加者は7名でした
ロウソクの明かりだけが灯る中 読経に耳を傾けながら心静かに参拝
住職のありがたい法話(ほとんど忘れましたが)を拝聴しました

即身成仏の言葉から 凡人でも悟りを開けば 現世でも仏陀になれる
人間一人一人 仏の体を借りて生きているそうです 大切にすること
自分を愛することから人にも親切にできるー情けは人の為ならずです

朝が大事 朝と言う字は十月十日に分解される 朝には毎日生まれると
いう意味が表現され 鏡に向かって自問すること 今でいうドーパミン
が出て やる気が出て来る 脳が無意識に反応するのですと・・・ 

僧侶は 五重塔の曲がり角でも一礼 御殿に入る前にも一礼しました
じっくり観察させていただきました
そう言えば 朝の勤行中 一人は汗をふきふき 他の二名は動き無し
そこに集中度合の差 修行の差があるのかなあ~と変なところに注目
読経で声を張り上げる その声の美しさにも大きな差があり興味津々

佐近にお願いした おにぎりです(夜食用を今朝いただきました)

仁和寺から見て 左が佐近 右が「御室花伝抄」のホテル用敷地です
建築確認看板より:着工2023・10・2 完成2025・9・1
敷地面積 1172坪 地上3階地下1階 高さ9・98m 67室

仁和寺の壁際の桜は 何と山桜でした 御室桜ではなかったのでした

9時開門 我々が一番乗り
入口付近にダラダラと集まっている人はいましたが 並んでいません
そうなんです 外人さんには行列するという習慣が無いようなのです

ミストシャワーが歓迎してくれます 浮き世の汚れは取れましたか?

舎利殿は 応仁の乱では被害を免れましたが 1950年7月2日の
学僧放火により焼失 1955年復元 1987年「昭和の大修復」で
金箔は通常の5倍の厚さ「5倍箔」約20万枚のキンキラキンに仕上げ
悪趣味の極み!

この自撮りも悪趣味?

外人さん 蓮の花には興味なし 素通りです
(本当だ 蓮の葉は水面から浮き上がり 葉に切れ込みはありません)

お茶室に入ったのも我々が一番でした

金閣寺垣を意識して見たのは今回が初めて
三回目の金閣寺(妻が初めてなのでお付き合い)を後にします

そうだ 京都、行こう。2003年冬から

 陽気に誘われるだけが、旅ではないのです。
どうやら京都は 冬も「芸術の季節」のようです

そうだ 京都、行こう。1994年冬から


  シャッターを押すのをやめてじっと、まぶたに焼き付けています。
  しっかり見る。しっかり感動する。簡単にみえても、案外、
  コツがいったりするんです
第一層は藤原時代の寝殿造で 第二層は鎌倉時代の書院造で 第三層は
禅宗仏殿造 住宅と仏堂を兼ねた独特の建物 こんなこと考えますか?


金閣寺から仁和寺に戻る途中 立命館大学前でバスを降りて等持院

等持院門前に立つ上の像は「日本映画の父」と言われる マキノ省三
坂東妻三郎 嵐寛十郎 片岡千恵蔵 市川歌右衛門らを育成しました
当地は牧野省三の撮影所がありました 周辺はススキの原っぱでした

立命館創立者 中川小十郎は等持院の檀家総代でもあり 寺院から
の紹介で校舎敷地を購入 「等持院校舎」と呼ばれていた時代もある 

  中川小十郎は 西園寺公望の秘書であり 西園寺の夢を叶えての
  学校設立であった 当然多大の援助があり 声掛けで溥儀からの
  巨額の寄付があり 現在の衣笠キャンパスが購入できたようです

今回の旅行で 偶然にも二人の「牧野さん」にお会いできました

等持院臨済宗天龍寺派禅宗寺院 
禅宗開祖達磨大師図が我々を迎える(天龍寺にある絵と同じである)

足利将軍家菩提寺(先祖代々の墓がある寺)夢窓礎石を開山として
1341年足利尊氏により建立 等持院という名称は尊氏の法名です

霊光殿には足利氏歴代将軍の等身大の木造が並ぶ(家康像もあり)

応仁の乱の被災にあったが 秀吉の命により秀頼が再建した以降も 
方丈が妙心寺より移築されたり 庭の作りも変わるなど波乱万丈! 

茶室(義政好みと言われる)から眺める庭の美しさは格別

それにしても 我々の見学中 誰も来なかったのはどうしてか?
一つには アクセスが良くないことでしょうか

行きは立命館大学の外塀を 何人もに聞きつつクネクネ道を辿り
これは大変だと思いました 帰路は寺院の受付で教えてもらって
立命館の南出口から校内を突っ切り 意外な近道があったのです


仁和寺に戻ります

この角度からの「仁和寺五重塔」が見所なのです


仁和寺で 将棋の竜王戦が戦われる

何しろ暑い!!! 御室会館横で休息

この空を見上げれば 暑さが分かります
お腹がすいたので 等持院から予約しておいた「イ百食屋」に

バス停から店までの道順が分かりません
やはり スマホマップは言う事を聞きません
最後の手段 店に電話して 道案内をしてもらいながらです
しかも13時近く 一番多忙時に店員さんも可哀そう!!

予約時に 12:30までに入店できたら店内でOK 以降は
持ち帰りでよろしいですか?と聞かれ 了解した妻 13時に
到着し「店内では食べれないようで どうしよう どうしよう」
大声を出す妻を 店の外に連れ出すことが精一杯でした・・・
店の外の看板にも「お席でのご案内は14:00以降」とあり

超人気店ながら コロナの最中は大苦戦 店も縮小しての再出発
頑張ってほしい名店です
我々は ここは妻の機転 ローソンに入り「イートインできる場所?」
を質問 セブンイレブンを伝えられ そこまで何とか辿り着き食事を

ここでも我々夫婦の旅行中の恒例となっている口喧嘩 それにしても
暑い!もうどこにも行きたくない 京都駅に行きます

窓からボーッと見ていました

(本来なら 帰りの新幹線まで4~5時間あり どこか見物をとして
いましたが 頭が働きませんでした・・・やはり京都の夏はダメ!)




































 




2023年 酷暑の四国・京都一週間④

直島のシンボル 赤い南瓜に負けない黄色い南瓜
草間彌生氏初めての屋外彫刻作品 台風で海に流され破損
一年振りに復元・復活(2022年10月)しました 

<五日目 8月2日(水)晴れ>まるまる直島です

早朝 連絡船の切符を手配に港まで

たまの湯温泉に朝日が

ホテルでの人気の朝食です
飲み物5種類:オレンジ キウイとリンゴと小松菜 トマト赤パプリカ
       紫キャベツと豆乳 瀬戸内レモン
野菜のココット蒸し ヨーグルト ポタージュ UNOベネディクト

  SANAAの作品 観光案内所

直島の観光案内所に貼ってあったポスター 女の子の服がイイ!

予約済みのレンタサイクル店で電動自転車 1台1,200円
地中美術館チケットセンターまでは20分ほどですが 電動で
ないと 坂道続きで ちょっとキツイ
まだ9時です 10時開館の地中美術館の前に一つ見ておこうと
ベネッセハウスの北ゲートからは徒歩で 坂道を下ります

VALLEY GALLERYは安藤忠雄氏設計
草間彌生氏の「ナルシスの庭」ステンレス製のミラーボール
       1966年のヴェネチア・ビエンナーレで会場の芝生に
       大量に敷き詰め 世界的注目を集めた記念すべき作品

小沢 剛氏の「スラグブッダ88」豊島の産業廃棄物処理後 無害化は
       成し遂げたが 負の歴史が無かったことになるのは? 
       測量と写真をもとに 直島に残る八十八体の仏像を模刻
       し仏像の型をとり その型にスラグを流し込んで焼成
       廃棄物のスラグを取り入れた仏像が勢ぞろいしたのです
       
      (江戸の人は四国八十八ヶ所巡礼地をコンパクトに模して
       簡単に巡れるコンビニエンス巡礼を各地に設けました)            

地中美術館に戻り 開館を待ちます 圧倒的に若者が多かった

チケットセンターからここまでの途中に「地中の庭」と銘打って
モネのジヴェルニーの庭を模した 道すがらの小川がありました

   空中から撮影の地中美術館

 何と!建物を構築させた後 地中に埋め込んだのです

この三角の切れ込みがスゴイ! やはり建築構造上難度大と
隅っこに妻が写っていたのでビックリです

地中カフェで一休み オリーブサイダーとレモネード各560円
外に出て感動 小島までは歩いて行けそう?

地中美術館では モネの睡蓮5作品と ウォルター・デ・マリアの
直径2.2mの球体と27体の金箔をほどこした木製の彫刻を配置 
そしてジェームズ・タレルの「オープン・フィールド」 

参考:ジェームズ・タレルって?
   金沢21世紀美術館の「ブルー・プラネット・スカイ」でも
   そして 後の「家プロジェクト」の南寺の暗闇も同氏作品と

チケットセンターからベネッセミュージアムまではシャトルバスで
「自然・建築・アートの共生」をコンセプトに1992年ベネッセ
ハウスミュージアムが完成 瀬戸内の風景が主役です!

対岸に架けられたこの一枚を撮影するために来たのです
杉本博司氏 海景シリーズの「タイム・エクスポーズド」
原始人が見た海を現代人も同じように見ることは可能か?

実は帰京後調べていたら この最後の一枚が 少し離れた
シーサイドギャラリー横の桟橋から 眼前に見物できると
作品は タイム・エクスポーズド ミルトア海スーニオン
この一枚は 風雨にさらされ何回か 掛け直したようです

ちょっと気になった作品 ずーっと笑っているのです

妻がシュワッチ!しています ウルトラマンの群像です
実際は円の四分の一だけなのに 鏡の反射で円にしてある

軽く食事を

右:大竹伸朗氏「シップヤード・ワークス 船底と穴1990年」

リーウーファン美術館 李さんと安藤忠雄さんのコラボ芸術です
2007年のヴェネチア・ビエンナーレの作品を見たベネッセ代表の
福武総一郎から「あなたの美術館を直島に作らないか?」と声掛け

「美術作品だけを集めて人を呼び込んで見せる 世の美術館に対して
美術の墓場みたいではないか?」「アルタミラやラスコーの洞窟など
外側と何かを感じ合えることのできる場所・空間にこそ 自分の名を
冠した美術館を作りたい」この要望を包み込んだのがここ・・・

2010年 安藤忠雄による建物は 直島と言う海に面し山の谷間に
ある その作品は個を超え 周囲の空間に調和・反発し 豊かな響き
合いを生み出している 李さんに対する回答といえるのではないか!

ベネッセハウス下のシャトルバス停留所からは乗る人が多いため
13:30に予約してある杉本博司ギャラリーに行けないかも?
という私の懸念に 妻「それなら一つ前のバス停まで歩いてそこ
からのシャトルバスに乗ればいい」との提案でここへ来たのです

杉本博司ギャラリー時の廻廊 時間ピッタリに到着 先ずはホッ!

硝子の茶室「聞鳥庵」
2014年 製作され ヴェネチア・ヴィエンナーレに出品
2018年 ヴェルサイユ宮殿トリアノンの池に設置される
2020年 京都京セラ美術館大リニューアル杮落し 庭園の池に設置
2022年 最終目的地が直島で 五輪塔と一緒に設置される

他にも 後の「家プロジェクト」につながる護王神社の模型あり

これでベネッセハウス内の鑑賞は終わり
シャトルバスでチケットセンターに戻り 再び電動自転車で島の東へ
北ゲートを左折して ほぼ下り坂を15分進みます 一本道で助かる


               本村ラウンジで共通チケット1,050円を購入

         最初は南寺 安藤忠雄設計 ジェームズ・タレルの作品
暗闇の中で感覚が研ぎ澄まされ 次第に光が見えてくる体験を作品化
何だか だまされたようなキツネにつままれたような印象が残ります

家プロジェクト「角屋」空き家を改修して宮島達男氏が作品化

同氏の作品が「カウンターサークル№18」としてベネッセハウス
内にもありました どうもアーティストが両方に出品している感じ

家プロジェクト「護王神社杉本博司氏作品 ガラスの階段
そう言えば この模型が杉本博司ギャラリーにありましたね

かつて製塩業を営んでいた石橋邸を再建 母屋と庭の一体感「空の庭」

蔵の中で自然光のもと鑑賞(モデルが入っては困るそうです)

家プロジェクト「石橋」千住博の「ザ・フォールズ」は壁の
穴から庭につながって 橋を渡って流れて行くイメージです

16:30で終了なのです あとの2件は訪問できずでした

電動自転車をすっ飛ばして宮浦港
港周辺の有名どころと言えば 直島温泉と赤い南瓜です

フェリーで宇野港まで戻って来て たまの湯温泉に入り 夕食です

目の前に沢山皿が並ぶと それだけで満足です

ホテルでは うまい棒とシューアイスが食べ放題だったそうです
(裏口の休憩所にお茶のセットとうまい棒 冷蔵庫にシューアイス)
知りませんでした ホテルと食事 温泉とコスパのいい連泊でした
一つだけ難点 たまの湯 何回でも入れますとは言うものの 朝が
10時から それはない! その時間にはホテルにいません!

















2023年 酷暑の四国・京都一週間③

「モネの庭マルモッタン」に青い睡蓮が開花しています


<四日目 8月1日(火)晴れ>北川村モネの庭

どこのドーミーインでも ビュッフェ朝食は人気 
妻は「日本全国ドーミーイン巡りの旅」をしたいとまで言っている

はりまや橋から高知駅まで歩いて行きます

終点の奈半利駅までに 阪神タイガースの安芸キャンプ場が
あるせいか 阪神一色の8:30発 JR土讃線快速です
奈半利駅着が9:42 9:55発の村営バスでモネの庭へ
(バスには大勢乗るかと思いきや 我々ともう一名のみ)

夾竹桃です

早くも登場の青い睡蓮 庭全体で50輪あるそうです
8月初旬 水の庭の池全体で250輪以上の睡蓮が開花
これからの8月中旬の真夏では300輪になるそうです

温帯性睡蓮の花は 水面上に浮かび 
熱帯性睡蓮の花は 水上から立ち上がって開花する

睡蓮の見頃は午前中と聞きます
夜の間はツボミ 朝になると咲き始め 夕方にはまた花が閉じる
2日目も同様 3日目以降は水の中に沈んでしまい 二度と花が
咲くことは無い 夜になると眠ってしまい 眠る蓮の花に似た
植物ということから睡蓮と名付けられたようです
参考:大人も乗れるというオオオニバスも睡蓮の仲間とのこと

睡蓮の葉が 円形や楕円形を保って水面全体にほどよく分布するよう
水底で鉢に植え 週に一度は水中の落ち葉を回収し 年に一度は池の
水を抜いて 睡蓮の株を交換するのだそうです
本日は その週に一度の作業日だった 作業が見られラッキーでした

池の周囲にある草木も 季節や時間帯による陽光等も考慮して
緑と空の水面への映り込みを計算して植えられているそうです
植生を管理する川上裕さんは 2015年にフランス政府から
芸術文化勲章シュヴァリエ)を授与されています

汗びっしょりで駆け込んだ休憩所は「リヴィエラの小屋」という店
ユズが最高でした 高知県は全国シェアの半分を占めるユズの産地

その中でもトップクラスの生産量を誇る北川村は いち早く欧州や
シンガポール等の海外へ ユズ果汁 ユズ玉を輸出する ユズ輸出
トップランナーとして 現在では27ヶ国以上に拡大中とのこと
 
きっかけは 当地の偉人中岡慎太郎
「桃栗3年 柿8年 ユズの大馬鹿18年」なかなか実をつけない
ユズを植える者は大馬鹿だと言われるなか 昔から自生するユズを
山すそにでも栽培するように奨励したのが中岡慎太郎だったのです
歴史はともかく ユズのかかった かき氷が美味しかった!

作品名「ボルディゲラ」
モネが43歳の時にルノワールと旅した地中海のボルディゲラ その
光と色彩に魅了され 興奮と共に描き上げた30点以上の作品の一つ

右:夏スイセンに似ている(レンズ機能で調べたが不確実)


モネの庭マルモッタンとは?
元は マルモッタン氏の個人宅だったパリのマルモッタン・モネ
美術館の名称をいただいたもの モネ財団公式認定 唯一のもの


太鼓橋


花の庭に移動する前に
念のため切符売り場の女性にロッカーの有無を聞くと ロッカーは
無いけれど 荷物は預かりますと(車椅子の有無は聞かず)

睡蓮と蓮はどう違う?
蓮の葉はまん丸い 葉は大きくなると水面より高い位置に上がる
抽水植物で 蓮根は大きな穴があいている
睡蓮の葉には切れ込みがある 水面に浮いているだけの浮遊植物
根はワサビのよう 上の子供の「睡蓮の根っこはいもだった!」
という表現が当たっている 結果全くの別物と判明しました


1996年に 北川村の担当者をフランスへ派遣し交渉開始
1998年に フランスより管理責任者来日北川村へ実地検分
1999年に「モネの庭マルモッタン」という名称をいただき
2000年4月19日 開園にこぎつけた

予定していた戻り時間 早い方の村営バスで奈半利駅
駅前の物産館「無花果」で昼食(駅のイタリアンの店は混んでいて
間に合わないことが分かり)サンドイッチ360円も追加です

安芸駅に停車中のクジラ号


乗換の後免駅で 高知駅からの特急列車待ち
本日は 高知~奈半利 奈半利~後免~児島と四国を縦断します

それにしても 高知中アンパンマンだらけ
やなせたかしの出身地(父母の出身地-高知県香美市)だからでしょう
(同人の出生地は東京府北豊島郡滝野川町 私の自宅近辺のようです)
高校生(県立追手前高校)までは高知にいて 大学から東京のようです
でもTVではアンパンマンって見たこと無いし ファンではありません

香川県宇多津駅岡山県児島駅を結ぶ瀬戸大橋線
瀬戸大橋は 鉄道道路併用橋としては世界最長だそうです 

児島駅到着 これでJR四国「夏のあちこちきっぷ3日間」終了
児島駅は流石! エレベーターにまでジーンズをはかせています


宇野港までは3分

本日と明日の宿泊はUNO HOTELに連泊
レストランと温泉「たまの湯」はホテルと同系列の運営

夕食は2名分 9,050円

本日も明日も 期せずして スーペリアダブルベッドです

夜の駅舎とホテル遠景

















































2023年 酷暑の四国・京都一週間② 

牧野植物園の人気植物「ムジナモ」が開花

<三日目 7月31日(月)晴れ>高知県立牧野植物園

<朝食おしながき>
小鉢 ほうれん草の白和え 二菜 ひじき
小皿 出汁巻卵の半身浴 サラダ レタス キャベツ トマト
焼物 鮭の塩焼き フイッシュカツ
みそ汁 具だくさんのそばすべし(出汁にそば粉を加えていく際に
    手の平でそば粉を振るいながら指の間からすべらせるように
    入れていたことから「そばすべし」の名がついたそうです)
御飯 香の物 甘味(特製プリン)

本館8階にある特別室(ここしか空室がありませんでした)
一泊2食付き2名分 55,300円でした

プロが撮影した観光宣伝写真

高知駅

                   右は坂本龍馬の家紋(組合角に桔梗)

高知駅から MY遊バスで五台山頂上経由植物園へ
「植物園を造るなら五台山がええ」と 90歳を超えた牧野博士の一言で
五台山竹林寺の一角を譲り受け 昭和33年博士逝去の翌年開園しました

ここの訪問前には 牧野富太郎生誕160年講演ビデオ(2022年)
朝井まかてさんの「愛すべき天才の情熱70分」を見ることを勧めます

ヤマトグサです 日本の植物誌で最初に新種として発表された


リュックが重い そうだロッカーがあった筈と入口に引き返し
ついでに車椅子を発見 康子大喜び! ロッカーも無料でした

此の花は本物か写真か?
本当のジョウロウホトトギスは黄色の筈 開花時期は今でいいのか?


梅花黄連は「春告げ草」2月の花 花言葉は 情熱です
「お母ちゃんが一番好きな花」「命の力に満ちちゅう」と病床の
広末母・・・牧野博士の最後の病床でも頬ずりして喜んだ花です


「世の中の あらむかぎりや すゑ子笹」

TVドラマらんまんでも よーく見ていますが 押し花に用いる
新聞紙は 全くの新品を使っています さすがです

バイカオウレンとヤッコソウの押し花標本


「TVらんまん」に登場する植物は 京都の工房でレプリカ製作中
山科の西尾製作所 塩化ビニールの葉と釣り用のテグスの茎で製作と
何とレプリカの基にしていた植物図鑑は 牧野本人の植物図鑑でした

植物園のムジナモの鉢
左は展示館中庭 右は温室 「ムジナモの花が開花しました・・・」の
場内アナウンスがありました そのとき二人ともトイレにおり どこかを
聞き漏らしたため 周囲の人に聞きます あまり関心が無いようで温室に
向かう我々に 中庭にありましたと言ってくれる親切な女性 坂道を戻り
女性の指差す鉢 これは違うのです! 再度温室に向かわざるを得ません

私は 妻を車椅子に乗せ押して園内を移動しているのです 大変な労働で
汗だくです 当園きっての坂道の回廊の往復は 特にコタえました

温室では相当な人数が並んでおり 皆さん必死に目を凝らしています
撮影した小花を拡大(上の写真)してようやく黄色い花が見えました


植物研究交流センター内3階 レストラン「C・L・ガーデン」.

妻 パスタランチ1,400円 私 魚ランチ2,100円

                     党植物園のロゴマーク
隣のミュージアムショップ「サクラ」で梅花黄連のタンブラー購入
3,850円でした(ランチ&タンブラーは康子からのプレゼントと
ブログを校正する妻から ちゃんと書いておくよう催促がありました)

山桜にも出会えました 京都山科編のブログでも紹介済ですが 山桜
これは 桜守の佐野藤右衛門氏と富太郎を結ぶもの 日本の宝です

展示シアターを一本(13分)でも見たいと 展示館に戻ります
開演前に 牧野蔵や からくり人形(標本の夢)を見ておきます

最後に見つけられなかったマルバマンネングサを探します
中門受付の人に どこにあるか調べてもらったのですが・・・

こんこん山広場まで上り 探します
眺望はとても良く それはそれで良かったのですが見つかりません
最後は 入場口にいらっしゃる学芸員の女性に聞くと 何と!!

一番最初に見ていた らんまんの植え込み ここにあるのがそうでした

竹林寺に立ち寄り 植物園南門バス停から桂浜に向かいます
バス停で四国八十八ヶ所巡りの最中のお遍路さんに出会いました
全行程30日は必要 今は13日目とか この時期しか休めずと
いうことで酷暑の苦行 どうして続けられるのでしょうか?

学生時代 車で四国一周した際 桂浜までは来ましたが
坂本龍馬像を見ていなかったので そのためだけに足を延ばしました

ブラタモリ高知編ー高知の町は なぜ龍馬を生んだ?
2017年9月30日 商店街に大々的な広告が下げられた

桂浜や高知城をめぐっての地形の話は詳しすぎるので割愛し
よさこい節」の歌詞(実話だそう)につき書いておきたい

よさこいとは「夜さ来い」「今晩おいでください」という意
竹林寺の僧 純信と お馬という娘の禁断の恋を歌った曲で
いわば エリート僧の大スキャンダル事件とも言えそうです

二人は駆け落ちするが 途中でつかまり引き裂かれてしまい
連れ戻されて番所にさらされた・・・ 

そうそう 北はりまや橋で 路線バスを降りて今晩の宿泊先の
ドーミーイン高知まで行きたいのです 目的地までは5~6分
なのに 妻のスマホ指示では全くの反対方向を歩かされ 最後
親切な人に聞きながら 元の場所に戻り 何とか到着しました
(今回は 事前にドコモまで出向き 実際にどの手順で操作を
すれば経路検索と音声ナビが使えるのかまで習得してきた筈)

地元で有名な ひろめ市場に行きますが
ものすごい人いきれと騒がしさ 座る席さえも無く すぐに退場です
そうそう 路面電車にも乗りました 大丸デパートを目指したのです
結果はもうすでに閉まっていますと・・・

通りでは 8月上旬に始まる よさこい踊りの練習です
歩いていて 妻が聞き覚えのある店という事で 司に入店します
箸袋には 土佐料理 大正6年創業 幸(さち)の料理でおもてなしと
大阪阪急三番街地下2階に「ごはん処 司」の記載がありました

本日二名で5,660円でした

なにしろ疲れていました
ビールも美味しかった 鰹のたたきも良かった でもでも最後の最後に
スマホマップの反対方向への経路指示で 昼間の車椅子押しと重なって
くたくたにさせられました 自分としての計画しなかった大誤算でした
























































2023年 酷暑の四国・京都一週間①

 祖谷のかずら橋

今回の旅行は「青春18きっぷ」を利用し 山陰奥出雲の辺境まで行き
11月で廃線となる「奥出雲おろち号」に乗車することが目的でした
おろち号の特急券は何とか入手でき 次はJRで最大の赤字線芸備線
乗継ぎ 岡山経由瀬戸内海の直島に行くというコースを考えていました

ところが 芸備線が5月の崖崩れで復旧工事中 予定では7月末復旧と
あるも その7月に山陰地方の豪雨被害で更に悪化し あきらめました

(最終的には 問い合わせていたJR西日本お客様センターから 復旧
の旨メールが到着しました その時点では旅程上の宿泊予約が完了して
いたため 今更再変更は無理となりました )

<一日目 7月29日(土)晴れ>16時 羽田から伊丹へ 大阪泊

真夏の黒い富士山を見るのは久しぶりでした

<二日目 7月30日(日)晴れ>四国大歩危小歩危・かずら橋

大阪駅6時発 舞子から7時発「神姫バス」で徳島へ
明石海峡大橋から淡路島そして大鳴門橋 このコースは二回目
前回は2013年8月 大塚国際美術館に来たとき経験済です

鳴門の渦潮発生までは あと2時間必要と 現在はさざ波状態

        ここでブラタモリ鳴門編ー鳴門が四国の玄関口になるとは!?

今回我々が入ったように 平安時代から鳴門海峡と言う難所が
有るにも関わらず 人々は鳴門をスタート地点にしたようです

何故か?タモリが大好きな中央構造線(全長千km日本最長)
これが吉野川に沿って 西側にまっすぐに伸びているのです
南北の讃岐山脈 妙見山にはさまれ 街道となっていたのです


               タモリ遂に全都道府県制覇です!

同時に 四国八十八ヶ所のお遍路さんの一番札所(霊山寺)も
鳴門にあり 二番 三番~六番までスムースに巡れます
四国には 弘法大師が一緒に回っているという「同行二人」の
考え方から お遍路さんをもてなす習慣(お接待)があります
巡礼の盛んな欧米人も大勢参加しますが お接待には大感激!

 ブラタモリ淡路島編ー神はなぜ淡路島を「はじまりの島」にした!?
神話では 日本列島の中で 神が最初に産んだ島とされているのが
淡路島・・・2021年9月25日放送 

大和政権は奈良盆地にあり 淡路島は西側の守りの一つの要であった
これは事実で 古代六甲山のふもとを走る断層と 連続して淡路島の
断層があり 途中陥没した所が明石海峡となり 淡路島は本州からは
分離した これは 六甲・淡路島断層帯と言われ同一地震帯に属する

平安時代前期 明石浜と淡路島に初めて船と渡し守が置かれたのです
一方 奈良の紀ノ川を経て紀州・阿波へと渡る船のルートは南海道
して多用され 荷物を積んだ場合は 陸路よりむしろ楽だったよう

参考:平安時代延喜式によると 中古代の畿内から四国への街道で
   ある南海道は 紀淡海峡の加太から淡路島の由良へ渡り 鳴門
   海峡を渡り 阿波の国に・・・との記載あり

両コースとも 目的地は鳴門海峡から少し離れた小鳴門峡に入ります

JR四国「夏の四国あちこちきっぷ」は 妻に依頼しスマホで購入済
3日間特急自由席も乗り放題で1万3千円はお得なのでしょう
車窓からの風景を写そうとしたら 妻がカメラの前で手を合わせ 山!

我々の特急到着に合わせ 阿波池田駅バイキンマン到着

当駅からJR四国交通バス「大歩危・祖谷秘境の旅5時間」出発

定期観光の謳い文句に「温泉娘のご案内で・・・」とありました
てっきり 可愛い温泉娘が添乗ガイドしてくれるのかと思いきや
バス車内放送の声が娘さんで 実際のガイドは大ベテランでした

駅前には 県立池田高校の蔦名監督の雄姿が・・・
1974年春 全部員11名だけで戦い抜き 甲子園準優勝を果たす
「さわやかイレブン」と讃えられた
1982年夏 3度目の挑戦で初優勝 1983年春も連続優勝です
3連続を狙った1983年夏は KKコンビのPL学園に負けました

平家の落人屋敷(ということは源氏もこの近くまで追って来たと)

「ホテルかずら橋」田舎亭で昼食

あとで「美味しくなかった」と文句を言う妻です
当地の名物そばには つなぎが入っていないそうです

当ホテル名物は ケーブルカーで行く展望風呂


安全のため ワイヤーは使われており かずらはワイヤーを包み込む
装飾と言える かずらは地元のシラクチカズラ 重さ約6トンもある

上の三枚の写真を見て下さい
スタコラサッサと進む妻に比べ 前にいた黄色い帽子のご婦人は
全く進んでいません 怖くて立ち止まっている様な感じです

では私はと言うと 橋の下を写しながら 小走りに妻の後を追いました

1970年 国鉄のディスカバー・ジャパンで登場 知名度飛躍的向上
宣伝につられ50年前 一人旅で四国一周した際に挑戦「怖かった!」

かずらの取り換えは3年に1度だそうで 今は2年目だそう

祖谷のポスターモデル嬢です

さすが観光バスです 「ひの字渓谷」で止まってくれました

妻の大好物です

地獄へ真っ逆さま!

長い年月(2億数千年前)を経て浸食された岩の渓谷美とか
大歩危峡を形成しているのは砂岩が変成してできた砂質片岩

国指定名勝天然記念物 遊覧船は往復約30分 物足りない
(どうしても 京都保津川の川下りと比べてしまうのです)

ホテルからの送迎バスと16時に待ち合わせです
観光バスの終着が阿波池田駅16:45で そこからの送迎だと
食事をし夜の観光までの時間が無いため ホテルと交渉しました

本館最上階の特別室です

<夕食は極会席>
食前酒 県木 山桃ワイン 前菜 本日の盛り合わせ
造里 鮎の博多盛り 岩豆腐 蒟蒻 鳴門若布
鍋物 阿波尾鶏のみぞれ鍋 焼物 鮎の塩焼き 

台の物 阿波牛石焼 鳴門金時 蒸し物 鯛のおこわ蒸し 
酢物 金時豚冷しゃぶ レタス ミニトマト ポン酢ゼリー
留椀 祖谷そば 椎茸 さらし葱 油揚(撮影し忘れ)

御飯と鰻と香の物 もう満腹です 
担当の女性に「おにぎりにしていただけませんか?」と依頼

20時からは ホテルのバスでかずら橋のライトアップと星空観賞

星座の鑑賞には アプリ「スカイウォーク2」が大変便利 〇〇座と
囲みを入れて示してくれます(有料なので後日アンインストール)

いやあ! 私のボロカメラでも上手に撮れています

一か八かの自撮り撮影 上手く行きました

深夜に起き出して 二人分のおにぎりいただきました

徳島と言えば阿波踊り どうしても触れておきたい知識が満載です
ブラタモリ阿波編ー阿波踊りは なぜ生まれた?
2019年3月9日 今回で なんとブラタモリ47都道府県制覇!
(鳴門編は3月16日でした)最後って徳島ってそんなに地味なの?

徳島の名産品と言えば 昔は高品質な藍(あい)お米の2倍の値段が
ついた これで大儲けした豪商が全面的に金銭支援した 音楽面でも
全国を行商するなかで 熊本県の牛深ハイヤ節や大阪の調子ことばを
ミックスして独自に仕上げた
豪商がどれほどか? 明治25年の長者番付 全国1,600人中に
123人が中位にずらっとランクインしていた
藍は一度作ると土の養分をほとんど吸収するため連作が不可能だった
ところが 徳島の吉野川は大変な暴れ川で よく洪水を起こし肥沃な
土壌を運び入れたため 連作が可能な一帯となった

さて阿波踊り これは全国の民俗芸能の粋を集めた超ミックス踊りと
言われます ただし豪商の持ちよりのため踊りに参加する連(れん)
ごとにバラバラでした
1983年中興の祖が現れます 高く舞い上がる美しい指先 鋭く
とがったシャープな笠 高く跳ね上げるダイネミックなステップと
これを自らの連で披露すると やんやの拍手! 翌年からは全部の
連に広がり 今の躍りになったのだそうです







 

2023年6月 茨城・栃木4日間 ④栃木県

「大谷資料館」最深部での記念撮影 

<4日目 6月3日(土)小雨のち晴れ>宇都宮市 大谷町周遊

宿泊した「東急ハーヴェストクラブ那須」の館内

ホテル玄関

ホテル内でオークション販売されていた作品
ヒロ ヤマガタ アンディー・ウォーホル 谷内六郎 山下 清

そして朝食 パンが余ったので紙に包み 袋に格納する瞬間です

那須では野菜が美味しかった 那須町は標高200~1,000mに
かけての広い地域で栽培される農産物の種類の多さと 標高差がある
ことにより収穫期間が長いことが特徴 また生乳生産量本州第一位と
いうことで 牛乳・チーズ・ヨーグルトなど乳製品が自慢なようです
我々のお土産も「チーズガーデン那須本店」のチーズケーキで決まり
(そうです 那須御用邸への御用達の一品でとても美味しかった)

本日は最終日 ホテルから送迎バス(本日も乗客は我々夫婦のみ)で
那須塩原駅へ そして常磐線宇都宮駅 バスで大谷町へ向かいます
バスの車窓から何となく見渡すと ハナミズキの街路樹が見えました

明治45年 当時の東京市長 尾崎行雄が米国ワシントン市親日
にサクラの苗木を贈った返礼に 大正4年に贈られたのがハナミズキ
このことからハナミズキ花言葉「永続性」「私の想いを受けてくだ
さい」に「返礼」が加わったそうです

ハナミズキ(別名アメリヤマボウシ)白や薄紅色の花木があります
どうしても 一青窈の「ハナミズキが頭の中でリフレインします

実は「ハナミズキ」を耳にするたびに ドキドキが止まらないのです
アメリ同時多発テロ発生時 NYにいた一青窈の友人からのメール
をきっかけに 一週間ほどで涙ながらに書いた詞 TVに映る悲劇は
彼女の想いをA4用紙3枚にあふれさせたのです
当初 テロ 散弾銃 ミサイルといった生々しい言葉が書かれており
「挑戦的な詞」テロに対する自分の想いを全部吐き出してからその詞
を削って行き「君と好きな人が百年続きますように」に辿り着いたと

NYは水辺の都市だったため「タイタニックの悲劇」を連想 多くの
人が逃げ惑う光景が 重なって見えたのでしょう
船が沈みゆく中 救命ボートにあと少しで乗れるという時に「自分と
好きな人が助かる」よりも「好きな人と その人が好きな人」を助け
たいという想いを皆が持てば もっといろいろなことが変わるのでは
・・・あの夏を繰り返さないために平和を歌う・・・

♬ 空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと
  どうか来てほしい 水際まで来てほしい
  つぼみをあげよう 庭のハナミズキ ♬

♬ 薄紅色の可愛い君のね
  果てない夢が ちゃんと終わりますように
  君と好きな人が百年続きますように ♬

ハナミズキ」はテロで死んだ母から息子(君)へ贈られる歌
「水際」は死のイメージ 三途の川 岸までやって来てどうか
姿を見せてほしい でもこちら側「彼岸」には来ないでほしい
「果てない夢」とはテロによって起こった憎しみの連鎖 その
終わりを願う夢なのです ものすごい意味深なメッセージです

宇都宮駅からバスで大谷資料館バス停到着

駅の観光案内所で「大谷観光一日乗車券」購入 左右は切り離し使用

大谷資料館は1979年オープン 地下採掘場が一般公開された
江戸中期から昭和34年頃までの手掘り時代の道具等も見学できる
いざ!地下神殿へ

最深部地下30mを目指して階段を下ります

「五十石」(5寸✖1尺✖3尺)15㎝✖30㎝✖90㎝の大きさの石を
一本掘るのに 4千回ツルハシをふった 1日の採掘量は10本だった
参考までに 昭和35年以降機械化で五十石を一人一日50本になった

假屋崎省吾さんの作品

採石場では 10mおきに柱を残し 天井を支えている

  右:赤の光で示してあるのは 掘削の方法 上は横線で手掘り
    下になると縦線で機械掘りという変化が見て取れるのです

<掘削方法には「平場掘り」と「垣根掘り」がある>
平場掘りは下に掘り下げる 垣根掘りは横に掘っていく方法です
大谷石の地層は 綺麗な石の層ときたない石の層(ミソと呼ばれる
茶色の塊を多く含んだ部分)が サンドイッチ状に横の層になって
いる そのため平場掘りの技術しか無かった頃は きたない石の層
を全部取り除いてから 綺麗な石を掘り出したので無駄が多かった

最深部では 資料館スタッフが記念写真を無料で撮ってくれます

大きな写真は 1,400円也

非公開エリア


   ここで映画撮影や結婚式も行われます
   薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」のロケ地でもあります

ここでも自撮り写真を1枚

はるか遠方の光 これは外気の取り入れ口からの地上の光

坑内の温度は6度と聞いていたのに9度とは!
ものすごい厚着で来たので暑い 暑い(半袖の観光客もいました)

ドンペリより資料館オープン記念に贈られた

ここが先ほど見た 外気取り入れ口


   「ロックサイドカフェ」を併設しています

昼食は 当然ホテルからのパン(コーヒーだけは注文します)

大谷観音

日本のシルクロード 千手観音と摩崖仏(パンフよりの転写)
千手観音は 千の手と手の平に千の目を持ち 私たちを見守っています

歩いて3分の所に平和観音 大谷寺のお前立ち観音です
太平洋戦争の戦没者の慰霊と世界平和を祈念する目的で 町の石工
たちによって手彫りで 岩壁に作られた 27mあります

「天狗の投石」上手く手の平に山上の石が乗ればいいのですが・・・

近くのお店の人に撮り方を教わり 最終的には 
その方にスマホで撮影していただいたのが上の写真です
(本当は 手の平に石を乗せて投げるポーズが正しい)


   カネホン採石場
   大谷唯一の露天掘り 少しでも雨が降ったら機械が使えず砕石不可

カネホン採石場のガイドツアー 14時集合ギリギリセーフ
大谷観音バス停から立岩までのバスが5分ほど遅れて到着したため
何とか乗車できたのです 入場料込みで800円(休日のみ)
最後にトイレに入りましたが 大谷石で出来ていて気持ちいいです

参加しているのは 小学生中心 学校の社会科見学に付き添うかのよう

これは池ではありません 雨水がたまったもので ここに舟を浮かべ
米津玄師がプロモーションビデオを撮ったようです

「坑内掘り」という方法の説明
山の中腹の綺麗な石の層より 垣根掘りで横に掘り進み ある程度
奥行きができると 柱を残しながら平場掘りで掘り下げていく方法
(この頃には 小学生の大半が理解不能であらぬ方向を見ていた)

ここから採掘場の上空をジップライン(200m)で体験(2千円)
できますが 本日は道がぬかるんでいると係員が面倒くさがった
参考:https://www.youtube.com/watch?v=BFM4YYZW40E


   大谷の町ではいたる所で 大谷石を使った家が見受けられます
   大谷石に含まれるゼオライトが空気を清浄にしてくれるのです
   市内の建築物で一番有名なのが「聖ヨハネ教会」とのことです
   有名な建築物としては 旧帝国ホテルと築地本願寺が双璧です  

   バスの行き帰りに通るのが二荒山神社 何だか懐かしい 

2018・9・22 「ブラタモリ宇都宮編」の大谷町観光

 大谷観音から徒歩5分の場所(非公開私有地)の地下採掘場跡地で
 「地底湖探検ツアー」が不定期ながら催行されているようなのです
 「えにしトラベル」の主催で 1名8,500円(事前予約制)
 その地底湖探検にブラタモリ一行が参加したと   

宇都宮駅からは 湘南新宿ライン池袋駅に到着
夕食は池袋東口の「大戸屋」ここが一番 コスパ良しです
楽しい旅行でした 分刻みのスケジュールに妻も頑張ってくれました
「栃木県ってイイね!」と妻が何度も口にしていました 良かった!





































 

 

2023年6月 茨城・栃木4日間 ③栃木県

「ア-ト・ビオトープ」の水庭ポストカードから

3日目 6月2日(金)雨>アート・ビオトープ那須

                   クチーナ・イタリアーナ(イタリアの台所の意味)ヴィンチ

この盛り付け方が綺麗 サーブされた瞬間の驚き! 目で食するよう

本日は大雨です 予定していたステンドグラス美術館見学は止め
那須のお米のパン屋さん」での朝食も中止して ホテル室内で
バナナとチーズケーキとコーヒー お茶で軽食して我慢しました

10:10ホテルから那須塩原駅までの送迎バスで向かったのが
「クチーナ・イタリアーナ・ヴィンチ」の名物パスタコースです
お店を探すのに少々手間取り 予約時間を10分ほどオーバーし
入店後12:20までに食事を終わらせるよう希望を伝えました

あっという間に席は埋まります 近くにお住い?の女子会らしき
おしゃれな方々が 真ん中に陣取り 男性方は隅っこの方でした
とても美味しかった ゆっくりと味わいたかった 失礼しました

12:30に駅前から迎えに来ていた「アート・ビオトープ」の
シャトルバスに乗り込み(我々2名だけ)30分 現地に向かい
その間 雨はより激しくなってきました

受付を終え ギャラリーと特別展示館を回ります

ギャラリー内から外を眺めています


ヤマアジサイ」(別名サワアジサイアジサイ科 日陰で育つ

この小川と水庭の水が繋がっているそうです

何と 本日から「欧米家具の名品と雑貨コレクション」スタート
ー受け継がれるデザインの法則ーという副題がついています

デザインの法則とは 人の暮らしのスタイル 水庭の奇想も 永遠へと
投げかけられたデザインです 尖鋭的なアイデアも 人になじむことで
暮らしのスタイルになってゆきます

手作りの椅子 ケネディ大統領がニクソンとのTV討論会で使用されて
大人気となった椅子に堂々と座る妻 もう一枚立ち姿の妻の横の椅子は
一脚100万円で ここで販売中と

用意されていたクッキーと野草茶をいただいて14時からのガイド待ち

プロ撮影の季節ごとの写真が 紹介画面上に展開し 期待が膨らみます

ガイドさんの説明が始まります
2018年6月 日本建築学会賞など多数の受賞歴を持つ石上純也氏が
手掛けた「水庭」 面積は16,670㎡ 甲子園球場や東京ドームが
スッポリ入る大きさです
敷地は もともと雑木が生い茂る里山 それを先人が切り拓き水田にし
その後は牧草地でした 人の手によって開発された土地が 長い時間を
かけて再び自然に還っていくというプロセスをデザインし直す・・・

水庭の木々は 隣接敷地のヴィラ・レストランの計画で伐採される予定
であった樹木318本を移植したもの 特殊な機械で元の姿のまま移植
このため 悪天候や冬の間は作業できず 一日4本が限度 4年費やす
どこから見ても樹々が重ならない ものすごく計画的に移植されてます

水庭に配置された大小160の池(ビオトープ)は奥に行くに従って
段々と大きくなります 最初は木の間に池が配置 いつの間にか大きな
池の中に木が配置されていると反転していきます

右の写真 妻の左側が何だか黒い 妻が「陰を感じる 怖い怖い」と
実はこの部分 6月の中旬には藤の花が広がり それはそれは豪華と

築山から 水庭の全景が見渡せます

「立床石」は日本古来の庭園の思想を受け継ぐもの
四国にあったイサム・ノグチのアトリエに秘蔵されていた石を譲り受けた

全ての池はパイプを通じて繋がっており 取水枡から導き入れられた
川の水は 最初の8個の池から全ての池を循環 再び川へと流れ込む
「行く川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」と鴨長明
方丈記」で述べた如く 水の流れに生命の姿を重ねてきた日本古来
の思想にも通じるものです

出入口は 玄関から屋内に入り 廊下を通りながらリビングスペースへ
と向かうイメージになっているそうです

奥に見えるのがプレミアムヴィラとレストラン
この敷地の樹々が水庭に移植されたのです

雨でなければ もっとゆっくり ロングコース(今回はショート)を
しかも秋の紅葉シーズンに訪問したい
2019年3月 石上純也氏は文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞
「こんな風景は自然の中には存在しない だから 少しでも人が手を
緩めると崩壊してしまうフィクションであり その蜻蛉のような儚さ
が人を引き付ける 危うい姿勢でつま先立ちをして語り掛ける静寂
自然とは何か 人とは何か それは 精神の深奥に語り掛ける美しい
逆説である」平成30年度芸術選奨 贈賞理由一覧より抜粋したもの

2019年 5月 「クールジャパンアワード2019」受賞
2019年10月 「グッドデザイン2019 ベスト100」受賞
2019年10月 水庭の成果で 第一回「オベルアワード」
         (デンマーク)を石上純也氏が受賞

本来 この周辺の土地は 二期倶楽部の二期リゾートが管理していた
二期倶楽部とは 栄光ゼミナールを運営する北山氏の妻女が栄光から
借り受け営業 一時は皇族の方々も利用する高級リゾートであったが
東日本大震災で傷ついた施設の修繕を 栄光に依頼するも拒絶されて
賃料支払拒絶に出て 訴訟となり その最中に 現星野リゾート那須
の敷地が売り渡された 

 

      2019年秋 旧二期倶楽部の買収・修繕を終え 
      オープン ここから3分の場所で 一般客入れず


            那須高原バル全景

水庭を後にし タクシーで「那須高原バル」に向かいます
タクシー代は2,300円でした
現在3:10 まだお腹はすいていません メニューを見てどれも
これも食欲が沸かないようです その顔が如実に写真に出ています
テイクアウトの品を含め なかなか決めない妻に文句を言う私です
いつものことです でも店の店員さんが心配そう・・・・

店員さんにタクシーをお願いしますと「こちらで車を用意します」
初めにメールで予約した際 東急ハーヴェストまでのバスがこの
時間が最後 その時間内に 食事とテイクアウトの準備を希望と
書いておいたのを見て店員さんが こんなにしてまでうちの店に
来ていただく これには 車でホテルまでお届けしないと・・・
そう決めていたそうです(白タクではないので料金不要と)

助かりました 本来は店から300m歩いて広谷地バス停からの
路線バスに乗り 一軒茶屋バス停から那須周遊バスでホテル前へ
という面倒なコースか タクシーかしかない 交通不便な場所で
レストランを選んだせいです でも最後に 大きな親切に出逢い
とても心がホッコリしました 妻に笑顔が戻りました ホッ!

テイクアウトのサラダとピザ2枚をホテルに持ち帰り夕食です
部屋の前にレンジがあり チンします
ここでも「チコちゃんに叱られる」「レンジでどうしてチンできるの?」
マイクロ波で 食べ物の中の水の分子が 押しくらまんじゅうするから

参考:那須はなぜ一大リゾート地になった?
   2018・9・1の「ブラタモリ那須編」で解明されました
   今では 年間1,400万人が訪れる人気観光地なのですが

明治になっても那須は 石ころがゴロゴロ 不毛な荒野ばかり広がる
日本一の扇状地 水も地下深くに吸い込まれ水無川がある場所でした

時は 明治新政府鹿鳴館時代 明治の元勲たちは私財を投じ農場作り
にチャレンジ これはヨーロッパの貴族が農場を有することへのマネで
明治18年 国家プロジェクトとしての「那須疎水」スタートと機を一
にしていました 70kmを華族ファーストとも言える突貫工事で完成
活路(開拓の目的の一つ)は温泉の存在だったのでしょう

農場作りが本格化 避暑地として別荘地としてのステータスが上がる
那須塩原駅から黒磯駅周辺には 今でも明治元勲の別荘が見られます


   明治16年 青木周蔵  明治17年 山縣有朋(上の写真)
   明治26年 松方正義  明治34年 大山巌 西郷従道他多数
「明治貴族が描いた未来」~那須野が原開拓の浪漫譚として2018年
日本遺産に登録されています

黒磯駅からの日本遺産周遊も事前に検討しましたが 日数的にオーバー
   次回もし訪れる機会が有ったら 別荘群見学にチャレンジしたい
注記:那須と言えば御用邸 以前は御用邸に向かう際の最寄り駅として
   黒磯駅に皇室専用の出入り口や待合室が設けられ お召し列車
   発着は当駅であったが 東北新幹線の開業や 昭和天皇崩御後は
   隣の那須塩原駅に移転しました  

 





























  ガイドさんの