2023年 酷暑の四国・京都一週間⑤


宇野駅前の船の信号機のモニュメント タイトルはBon Voyage

今春には 観光客の長い行列にビックリし退散 金閣寺リベンジです

<六日目 8月3日(木)晴れ>岡山から京都へ
今年一番の猛暑日 国内の観測地点別で猛暑日最多を記録!!

朝食は2日目ということで 前日とは違うメニューからチョイス
私はメインには ピーチポークハムとUNOパンケーキ

妻は生グリーンサラダとUNOフレンチトースト
こんなの見たこと無いと 妻が感激!

宇野から児島まで戻り 下津井循環バスで日本遺産を訪れます
倉敷市下津井の「むかし下津井回船問屋」というバス停で下ります
ここは北前船の寄港地・船主集落として平成29年日本遺産に認定
日本遺産のサブタイトルは「一輪の綿花から始まる倉敷物語」です

日本の歴史学者である磯田道史氏 岡山市出身であり当然ここには
来ましたと ものすごく詳しくて タジタジでしたと案内人さん談

                  右地図は干拓ビフォーアフター

学校の授業で習った覚えがあります 有明湾と児島湾の干拓事業
江戸時代の寛永年間より 慶応に至る役240年間 児島湾岸で
約8,400ha.もの土地が干拓により造成されている そして
明治になり 大阪の豪商 藤田伝次郎の大規模干拓5,500ha.
終戦により国家事業に移行し 1964年に干拓は完了しました

ここ下津井は 上の地図上ではプードルの後ろ足に当るようです

干拓地であり塩害が強く米作は無理 塩害に負けない綿花栽培が
発達 そして綿花の肥料に必須だったのがニシン粕だったのです
ニシン粕を運ぶのが北前船 当地には最盛期83もの船が集結!

北前船 大変な航海の時もあり 万一転覆しても右の固い「船箪笥」は
海面に浮きあがり 彫られた家紋から届けた人には 現在価値3千万円
の謝礼が手渡されたそうです 船乗りが命と同じくらい大切にしていた
「相棒」なのです ではいったい何が入っていたのでしょうか?

船の鑑札(往来手形)書付書 仕切り書 印鑑 そして現金 これらを
入れて 誰でもが容易に開けられないよう錠前で守られていた 表には
金毘羅様(こんぴらさま)のお守りも張り付けられていました
海上に漂う船箪笥 たとえ海賊でも奪わず持ち主に返したという 命を
賭けて生きる 男同士の仁義というものがあったようなのです

北前船は動く総合商社 北海道では無尽蔵とも言われたニシン その場
で煮られ それを絞ったのがニシン粕(北海道で必要なのはニシン油)
これを上り荷で西日本に運び高く売り 下り荷では西日本の古着を積み
衣類の生産技術が低かった北日本では高価な商品になる 押して引いて
木を切るのこぎりのように行きも帰りも商売ーのこぎり商いと言われた
当時の国内の地域間格差をうまく利用して 一攫千金を狙ったのです

祇園神
但し「板子一枚下は地獄」に生きた男たち 安全を神仏の加護に求め
寄港地の中心や小高い丘に 守護神としての神社や寺院がありました

北前船は海難事故の多発に寄り 明治18年「和船禁止令」が出され
以降 衰退の一途をたどり 陸路開発がそれに代わった

瀬戸大橋
橋の完成前 本州から金毘羅詣りの参拝客は 最短ルートとして下津井~
丸亀まで船での航路を選んだ 後に宇野~高松の宇高連絡船に追われたが
そこで「紫雲丸事故」(昭和30年 広島の修学旅行生100人を中心に
168名が死亡 宇高連絡船の上り下りの濃霧下の衝突・沈没)が発生!
これは 前年の洞爺丸事件と共に国鉄の大事故で 「早く瀬戸大橋を」の
大合唱に発展しました

昭和63年 18年の歳月をかけて瀬戸大橋が完成するのですが・・・
その難工事たるや NHKTV「プロジェクトX」でも紹介されました
最大の難関が 荒れ狂う瀬戸の渦潮・大潮流の海中基礎工事なのでした
紫雲丸事故の悲劇からは 33年も経過していました

お馴染み仁和寺仁王門と夜の御室会館

児島から京都まで3時間半 普通・快速を乗り継いでの強行軍です
これは当初「青春18きっぷ」の利用で 新幹線・特急を使わない
旅を計画しており その行程表をそのまま使ったためです
参考:料金は4,510円 青春18きっぷでなら2,410円です
   ただし5枚綴りであり 全部使わない旅では無駄になります
   (新幹線と特急を利用すると8,670円もします)

何とここで 痛恨のミス 私が個人旅行を計画し始めて最大のミス発生!
御室会館宿坊への予約が完了していなかったようなのです 絶句です!
何とか素泊まりでの宿泊は認めてもらえましたが 朝食は用意できずと

確かに「予約確認書」のメールは来ておらず 電話で確認すべきでした
変だなあ~とは思っていたのです 今回の計画は山陰からの大幅変更も
あり 徳島・高知の事前勉強と直島の諸手配でテンヤワンヤではあった 

参考:仁和寺御室会館宿泊代金
   105号室(4畳半)和室 バス・トイレ無し素泊まり
   単価 7,400円+宿泊税200円 の二名分15,200円
   特典:国宝金堂で朝のお勤めと住職の法話 庭園・御殿入場券付

   妻の感想:宿坊としては南禅寺の方が圧倒的に良かった!
   部屋は8畳トイレ付き(食事も夕・朝付きで申し込んだのです)

食事なし さあどうしようですが 夕食は門前の「佐近」に予約済です

ノンアルコールのスパークリングワインで乾杯
本日のおまかせ料理は「桜」のお献立 琵琶鱒のマリネからスタート

近江牛ローストビーフ 赤ずいき胡麻酢 夏野菜テリーヌ
トマト冷製スープ

天然鯛 本鮪 鱧落とし 造り合わせ
鮮魚ワイン蒸し カフェドパリ風

鱧鳴門煮 冬瓜 子芋 小茄子 焚き合わせ
天然鯛昆布〆寿司(これが大好物なのです) 香の物 赤出汁 

パイナップルムース 抹茶わらび餅(令和5年7月メニューから)
さすがの「佐近」でした 料金1万4千円(含むおにぎり代)

妻の私への不手際ブツブツも宿坊の不満も一挙に吹っ飛ばす料理
無理を言って「明日の朝食用のおにぎり」まで夜食用として用意
していただけました 
気になったのが 我々が入店した18時から19時の1時間に
他のお客様が誰も来なかったこと どうしたことでしょう?

それと道の反対側の広い敷地(仁和寺仁王門の真ん前)に計画中の
共立リゾート(我々の大好きなドーミーインや高級店「花伝抄」を
経営している)が計画しているホテル(仮称は 京都御室花伝抄)

仁和寺での説明会でも 住民は猛反対 儲けるのは佐近さんだけと
変にいじけられていると ただし市は許可 建築確認も下りており
今年の10月に着工 2025年には完成となる見込みと

この辺は バス便が終わるとタクシーが全く捕まらない そのため
お客様には ご不便をおかけしていますと・・・夜の営業が不調な
のは そんな影響があるのかも知れません
料理長が随分細かく説明してくれます 本心困っているのでしょう

<七日目 8月4日(金)晴れ>仁和寺金閣寺等持院


朝の勤行は 国宝の金堂で早朝の6時からです 参加者は7名でした
ロウソクの明かりだけが灯る中 読経に耳を傾けながら心静かに参拝
住職のありがたい法話(ほとんど忘れましたが)を拝聴しました

即身成仏の言葉から 凡人でも悟りを開けば 現世でも仏陀になれる
人間一人一人 仏の体を借りて生きているそうです 大切にすること
自分を愛することから人にも親切にできるー情けは人の為ならずです

朝が大事 朝と言う字は十月十日に分解される 朝には毎日生まれると
いう意味が表現され 鏡に向かって自問すること 今でいうドーパミン
が出て やる気が出て来る 脳が無意識に反応するのですと・・・ 

僧侶は 五重塔の曲がり角でも一礼 御殿に入る前にも一礼しました
じっくり観察させていただきました
そう言えば 朝の勤行中 一人は汗をふきふき 他の二名は動き無し
そこに集中度合の差 修行の差があるのかなあ~と変なところに注目
読経で声を張り上げる その声の美しさにも大きな差があり興味津々

佐近にお願いした おにぎりです(夜食用を今朝いただきました)

仁和寺から見て 左が佐近 右が「御室花伝抄」のホテル用敷地です
建築確認看板より:着工2023・10・2 完成2025・9・1
敷地面積 1172坪 地上3階地下1階 高さ9・98m 67室

仁和寺の壁際の桜は 何と山桜でした 御室桜ではなかったのでした

9時開門 我々が一番乗り
入口付近にダラダラと集まっている人はいましたが 並んでいません
そうなんです 外人さんには行列するという習慣が無いようなのです

ミストシャワーが歓迎してくれます 浮き世の汚れは取れましたか?

舎利殿は 応仁の乱では被害を免れましたが 1950年7月2日の
学僧放火により焼失 1955年復元 1987年「昭和の大修復」で
金箔は通常の5倍の厚さ「5倍箔」約20万枚のキンキラキンに仕上げ
悪趣味の極み!

この自撮りも悪趣味?

外人さん 蓮の花には興味なし 素通りです
(本当だ 蓮の葉は水面から浮き上がり 葉に切れ込みはありません)

お茶室に入ったのも我々が一番でした

金閣寺垣を意識して見たのは今回が初めて
三回目の金閣寺(妻が初めてなのでお付き合い)を後にします

そうだ 京都、行こう。2003年冬から

 陽気に誘われるだけが、旅ではないのです。
どうやら京都は 冬も「芸術の季節」のようです

そうだ 京都、行こう。1994年冬から


  シャッターを押すのをやめてじっと、まぶたに焼き付けています。
  しっかり見る。しっかり感動する。簡単にみえても、案外、
  コツがいったりするんです
第一層は藤原時代の寝殿造で 第二層は鎌倉時代の書院造で 第三層は
禅宗仏殿造 住宅と仏堂を兼ねた独特の建物 こんなこと考えますか?


金閣寺から仁和寺に戻る途中 立命館大学前でバスを降りて等持院

等持院門前に立つ上の像は「日本映画の父」と言われる マキノ省三
坂東妻三郎 嵐寛十郎 片岡千恵蔵 市川歌右衛門らを育成しました
当地は牧野省三の撮影所がありました 周辺はススキの原っぱでした

立命館創立者 中川小十郎は等持院の檀家総代でもあり 寺院から
の紹介で校舎敷地を購入 「等持院校舎」と呼ばれていた時代もある 

  中川小十郎は 西園寺公望の秘書であり 西園寺の夢を叶えての
  学校設立であった 当然多大の援助があり 声掛けで溥儀からの
  巨額の寄付があり 現在の衣笠キャンパスが購入できたようです

今回の旅行で 偶然にも二人の「牧野さん」にお会いできました

等持院臨済宗天龍寺派禅宗寺院 
禅宗開祖達磨大師図が我々を迎える(天龍寺にある絵と同じである)

足利将軍家菩提寺(先祖代々の墓がある寺)夢窓礎石を開山として
1341年足利尊氏により建立 等持院という名称は尊氏の法名です

霊光殿には足利氏歴代将軍の等身大の木造が並ぶ(家康像もあり)

応仁の乱の被災にあったが 秀吉の命により秀頼が再建した以降も 
方丈が妙心寺より移築されたり 庭の作りも変わるなど波乱万丈! 

茶室(義政好みと言われる)から眺める庭の美しさは格別

それにしても 我々の見学中 誰も来なかったのはどうしてか?
一つには アクセスが良くないことでしょうか

行きは立命館大学の外塀を 何人もに聞きつつクネクネ道を辿り
これは大変だと思いました 帰路は寺院の受付で教えてもらって
立命館の南出口から校内を突っ切り 意外な近道があったのです


仁和寺に戻ります

この角度からの「仁和寺五重塔」が見所なのです


仁和寺で 将棋の竜王戦が戦われる

何しろ暑い!!! 御室会館横で休息

この空を見上げれば 暑さが分かります
お腹がすいたので 等持院から予約しておいた「イ百食屋」に

バス停から店までの道順が分かりません
やはり スマホマップは言う事を聞きません
最後の手段 店に電話して 道案内をしてもらいながらです
しかも13時近く 一番多忙時に店員さんも可哀そう!!

予約時に 12:30までに入店できたら店内でOK 以降は
持ち帰りでよろしいですか?と聞かれ 了解した妻 13時に
到着し「店内では食べれないようで どうしよう どうしよう」
大声を出す妻を 店の外に連れ出すことが精一杯でした・・・
店の外の看板にも「お席でのご案内は14:00以降」とあり

超人気店ながら コロナの最中は大苦戦 店も縮小しての再出発
頑張ってほしい名店です
我々は ここは妻の機転 ローソンに入り「イートインできる場所?」
を質問 セブンイレブンを伝えられ そこまで何とか辿り着き食事を

ここでも我々夫婦の旅行中の恒例となっている口喧嘩 それにしても
暑い!もうどこにも行きたくない 京都駅に行きます

窓からボーッと見ていました

(本来なら 帰りの新幹線まで4~5時間あり どこか見物をとして
いましたが 頭が働きませんでした・・・やはり京都の夏はダメ!)