2023年 初めての台湾4泊5日 前半


 台北松山空港からツアーバスで市内へ入ります
台湾は本日から3連休 バイクも駐車スペースに止めてあり通りは静か
これが連休明けにはどうなるか? 随時フォローしてみます なにしろ
バイクの保有率は 2人に1人(日本は12人に1人)世界一の普及率
「台湾人は普段は温厚なのに 乗り物に乗ると性格が変わります」と
台湾では 歩行者の方が圧倒的に 立場が弱いのだそうで 要注意です

<一日目 9月29日(金)晴れ>本日は中秋の名月 3連休初日
中秋の名月で満月になるのは14年振り しかも前回は雨だったと

羽田空港のJALラウンジが利用できました
我々は デルタ航空のゴールドメダリオン よってスカイチーム
飛行便だとビジネスクラスラウンジが使えますが 本日のチャイナ
エアラインは7:55発です デルタの超豪華ラウンジもチャイナ
エアのラウンジも開いていません でも本日はJALの共同運航便
なので JALのラウンジが使えたのです

本日はクラブツーリズムのツアー5:55羽田集合なので 3時に起き
軽い朝食と このラウンジで満腹 それで機内食は無理矢理食べました
そうそう 今回ツアー参加は7名(夫婦2組 親子1組 あと女性一人)

台北101」は 地上101階 地下5階建て 高さ509m 
2007年に ブルジュハリファに抜かれるまでは世界一でした
2004年に竣工 施工は熊谷組中心の日本企業JV ビル外壁
全面がガラス張り(8トントラックが乗っても耐え得るそうです)
エレベーターは東芝製 毎分1,010m 時速は60・6キロ
地上1階から89階まで39秒で到達しますが このスピードは
2016年上海のビルに導入の三菱電機製に抜かれるまでは世界一

過去の栄光はともかく 料金が高い!
89階の展望階まで 一般は600元 我々のような時間に制約の
ある旅行者は 昼食時間を削ってファストパス1,200元を支払う
地元民は半額以下 学生・シニアなど300元(1元は現在約5円)

エレベーター内ディスプレー 37秒からのカウントダウンタイマー
そしてエレベーター作動と同時に天井に星座が現われガイドも始まる
エレベーター床面に小銭を縦に置いても倒れないことで有名になった

この89階には 葉書と切手を売っているので郵便も出せます


夜の眺めがいいだろうとは想像できますが 行列が厳しいのです!

このタピオカミルクティー 200元(千円)もします

後ろの大型バスに7名 そして現地ガイドの陳さん含めて計8名
これで台北から台中・台南に行き 新幹線の駅までゆったりです

 
台北101から向かうのが 故宮博物院 土林(シーリン)郊外です 

たまたま 写り込んだセブンイレブン 台湾に何店舗ぐらいある?
台湾の4大コンビニ(便利商店とか超商と呼ぶ)につき紹介しますと
第一位がセブンイレブン何と6,502店(米国セブンイレブン傘下)
第二位がファミリーマート(こちらは日本資本)4,024店 
第三位 四位は ハイライフとOKマート(両方台湾資本)台湾では
自動販売機がほぼ無いので人気です 以上は2022年3月時点調査

        「故宮博物院」と言えば 中国が本家では?そうです でも
北京にある故宮博物院は 1933年日本軍の侵略に備え 上海へ
そして中国本土各地を移動し 1948年国共内戦の際 中華民国
政府は 選りすぐっての一級品を台湾へ移動させた
1956年には一般公開させて 1965年今の台北故宮博物院
オープン 約70万点の貯蔵品の内 2万点を順次展示させている
結局 中国北京故宮博物院には 残り物しか無いということになる 

日本での「故宮博物院展」では見ることができなかった「翠玉白菜
(この展示は最初の2週間で終了 3時間待ちの人気であったと)
8月6日までは 嘉義故宮南院で展示されていたようで良かった

高さ18・7㎝ 小さいので室外の拡大模型で説明してくれます
光緒帝の妃の持参品(嫁入り道具)と伝えられている 白は純潔
それと 子孫繁栄を象徴するイナゴとキリギリスが乗っています

「肉形石」美味しそうに煮えた「豚の角煮」を模した玉の彫刻
素材は瑪瑙(めのう)で自然石のままではなく 皮 脂肪 肉部分の
三層に分かれた豚肉に見える様 細かな加工が施されている 高さは
5・7㎝ 毛穴までリアルに表現されている

西周時代の「毛公鼎(もうこうてい)」 料理に用いられた器 内側に
32行500文字が鋳込まれている 白菜と豚の角煮を入れて 料理が
できると不謹慎な考えも浮かぶ 後に権威の象徴とされる礼器となった


翡翠の屏風」後日「碧玉屏風」と改名(注)
ガイドさんのサラッと説明で終わったが 実はものすごい傑作なのです
48枚の翡翠を削ったもの 裏面とデザインが全く同じに彫られている
日中戦争時に昭和天皇に寄贈され 一時日本が所有 敗戦後中国に返還
され台湾に移された 注:翡翠でなく碧玉(ブルーサファイア)と判明

左: 西太后がお気に入りの一品
中: 左「紅白玉 髄筆洗」そして右「黄玉 髄三蓮章」黄色い
   鎖もサイコロ状の石も実は一個の石からで 繋ぎ目が無い
右: 滅茶苦茶大きな翡翠の石と碁石

「灰陶加彩仕女俑」灰陶と呼ばれる粗製陶器に着色した俑(よう)
仕女は宮廷に仕えた女性 俑は主に人型の副葬品です 高さ75・5㎝で
色は薄れてしまっているが ふくよかな姿態に細い目 小さな口と典型的
唐美人の姿を彷彿とさせる 

「定窯 白磁 嬰児型枕」愛らしい幼児を写した白磁の枕
底には「乾隆葵日三十八年(1773年)と題された 乾隆帝の詩が
彫りこまれている
右は「汝窯 青磁無紋水仙盆」水仙を室内鑑賞するための青磁器の盆
全体にメノウの粉末を加えた天青の釉薬により 高貴な青色のグラデ
ーションが生み出された名品 所蔵品で唯一ひび割れの無い極上品!

「官窯 青花 蟠龍天球瓶」白地に青の文様を描いた「天球瓶」と
呼ばれる器 形状はイスラム金属器に影響されたものとも言われる  

今月初め伊万里で磁器を見学してきたため 磁器の展示品に目がいく
左: 「五彩蟠桃天球瓶」水蜜桃は昔から不老長寿の果物と言われた
右: 余りの美しさに引き付けられ品名? 官窯で製作されている

「鏤彫(るちょう)象牙雲竜紋套球」 球体は1本の象牙から彫られた
24層の球になっていて 全ての層が回転できます 製作方法はいまだ
不明であり 親子三代が100年にわたり 製作したといわれています

純金の8体     
赤い珊瑚は 台湾と小笠原のみで見られるそうです

中秋の名月を祝う京劇とか? 撮影禁止だそうで もう一枚を自主廃棄


孫文像」 孫文の教えは蒋介石に承継された
この二人が出て来ると思い出されるのは 映画の「宗家の三姉妹」
これを振ると ガイドさんがすぐに反応 宋美麗が素敵とのこと
私以外の他のツアー客はポカーン 知らなければ仕方ないのです

中国の激動の時代をリードした三姉妹「一人は金と 一人は権力と
一人は国家と結婚した」と言われる 長女は大富豪と 次女慶齢は
孫文と 三女美齢は蒋介石と結婚 正に三姉妹が政治をも動かした
戦後は香港 上海 台湾と別れ 二度と会うことはなかった・・・

映画では 好きなマギー・チャンが主演を務めた次女慶齢推しで
ガイドさんが推す 最後台湾で夫の蒋介石と歩んだ三女美齢とは
意見を異にしますが 台湾へ逃亡後の美齢をよく知らないのです

おまけ:現在の台湾100元紙幣表面は孫文 200元紙幣表面は
    蒋介石のそれぞれ肖像画です ついでに言えば1000元
    の紙幣裏面に描かれた山は 玉山(旧名称は新高山)です
    「ニイタカヤマ ノボレ」3,952m東アジア一高い山

台湾の建物は どの地域でも とにかく良く似た建て方をしている
ビルには〇〇建設のような看板 台湾でも完成前に売買されるそう

宿泊したホテルに隣設の台中金典酒店(金園中華レストラン)
上は 円卓にこれでもかと並べられた料理を一皿にまとめた状態

この顔が「美味しかった」と物語っている

一泊目のホテル 金典緑園道商派(パークレイン・イン)

<二日目 9月30日(土)晴れ>台中・台南観光


信号待ちでは バイクが車の前に出ます 一斉にスタートします
少し間をおいて 車が追いかけます まだまだ休日で少ない

白い弥勒菩薩像 お腹にさわるとご利益があるそうです

台中では珍しい仏教寺院「宝覚寺」で有名な 黄金の弥勒菩薩
サンダンカという聞いたことのない花を前にして輝いていました
境内には 日本軍人として戦った台湾人の慰霊碑があり 合掌!

日月潭」昨晩は中秋の名月でした
当地の先住民の男女が 結婚前の合コンで大盛り上がりしたそうです
ダンスの最中に女性が同意すると 夜に 女性の家に上がり込めると
女性が実権を握り家を持つ 男性は集団合宿生活でこの日が大勝負!

文武廟」1938年に行われたダム工事で水没した水社村の龍宮宮と
益化堂を移転 1999年の台湾中部大地震で倒壊したが再建された

ガイドさんに「台湾式運勢占い」の仕方を教わり 先ず自己紹介をする
氏名・年齢・住所を伝え 願い事を一つして杯コウを投げる 陰陽が
出れば その願い事は叶いますと 夫婦とも一度で陰と陽が出てOK!
注:杯コウ(竹冠に交の字)古代中国で占いに用いた道具

「ひのきビレッジ 檜意森活村」阿里山森林鉄路の起点駅に隣接し
林業に携わる人々の宿舎があった そんな檜造りの日本式宿舎群を
修復し 集落をまるごと文化園区とした 元は木材の集積地だった

ものすごい人気の鶏肉飯の店 我々のグループが食べ終わるのを必死の
形相で見つめる客 ガイドさんが小さい頃は屋台の店 今は大繁盛店と

店のバックヤードを見ても清潔で 従業員もテキパキ働いていた


バスの車内から「二・二八事件の慰霊碑」が・・・後述します
さあ 台南観光です

「赤嵌楼(セキカンロウ)」1653年当時台南を占領したオランダ人に
より建てられ この城が行政と商業の中心となった 300年以上も経過
した今も現存し 鄭成功統治下では 東都承天府として全島の中心となる 
ある時は清朝の中国風楼閣 ある時は日本統治時代の陸軍病院とされた

文晶閣の二階に祀られている「魁星爺」は かつての科挙の時代における
試験の神であり 今日では試験合格を祈願する信仰の対象 鬼の形相をし
右手に筆を 左手に墨床を握り 右足で大亀の頭を踏みつけ 左足で星を
蹴っている これらは「一等賞を取る」「試験合格」を意味していますと


庭園には オランダ人を投降させ ひざまずかせた鄭成功の像があったと
事前に調べておらず見逃しました パンフレットにも書いてありましたよ


孔子廟」 今月初め長崎で見て いま台湾でも・・・
建物が全て赤です 高貴な色なのです

上は工事修復前の「龍虎塔」 下が現在の姿

「蓮池譚」の淡水湖
台湾の人は 十二支の中で「龍が最も良い動物で 虎が最も悪い動物」と
信じており 虎の口から出たら罪が浄化され善人になれると言われている
トンネルの内部には 仏教説話の壁画が描かれています

「春秋閣」と大きな龍(これも口から入れる)の背中に観音様
頭の中で 中島みゆき「♬銀の龍の背に乗って♬」が流れていました

龍の像の先には 長い橋と中国式東屋「五里亭」フォトスポットです

熊本県熊本市と台湾は2017年に「友好交流協定」を締結
くまモンだと思ったら 「高雄熊のガオションション」でした


高雄港大港橋が2022年完成 高雄ウオーターフロントの新名所

それはそうと ガイドさんが高雄の道路幅は広いのですと 万が一
戦争が勃発したら 飛行機が道路に着陸できるのだそう 車窓の外
確かに広い そして電柱や電線が一切無いことに今更気付きました

帰国後調べました 台湾も日本同様台風が多くて その都度停電に
なるため 市民からの突き上げで無電柱化率・電線地中化率が促進
2022年現在 全国42・5% 台北は95%(因みに日本では
全国で0・3% 完全に無電柱化率の後進国です 恥ずかしい!)

金品旅行社の予約席のプレートあり
ガイドの陳さんはフリーのガイド 旅行社には属していませんと
ツアー客をお土産店に案内すると 売上の歩合分は旅行社に行き
私は ちょっとした月餅菓子をいただくくらいですよと・・・


ステンドグラスが美しい「美麗島駅」(メイリーダオ駅)  
アメリカの旅行サイトで「世界で最も美しい駅2位」に選ばれました
(参考までに1位は ベルギーのアントワープ中央駅でした)

「光之穹頂」(The Dome of Light)はイタリア人芸術家のマエストロ・
ナルシサス・クアグリアータ氏が 4,500枚ものステンドグラスを
全て手作業で嵌め込んだ 4年半を費やしたそうです 1日3回点灯


<三日目 10月1日(日)晴れ>妻の誕生日 新幹線で台北

新幹線の前に民芸店でショッピング 台湾土産の人気ナンバーワンは
パイナップルケーキですが高い! ドライマンゴーが大きい!


新幹線のホームから見下ろすと 巨大なバイク置き場が・・・

台湾新幹線」2007年開業 345km 最高時速300km
日本の新幹線車両・技術が 世界で初めて台湾に輸出されたのです
独・仏の欧州連合がコスト面では優位にいましたが 日本が徐々に
盛り返す ICEの脱線事故 1999年の台湾大地震で欧州勢に
地震への対応不十分が露呈し 最終日本連合に軍配が上がりました
(最後に追記あります)


それと背景には 欧州と日本を推すグループが それぞれ政治家と
結びついたため 政治色の強い競争になり 相当にもめたようです
(当寺台湾の武器輸入は仏からで アメリカは輸出禁止だったよう)
車輛は日本 配電は欧州 土木工事は国際入札となりました・・・
2023年 追加の車両受注も日本が契約 実質的な勝利は日本! 

追記1 ICE事故(エシェデ鉄道脱線事故
    1998年6月に ドイツのエシェデ駅付近で発生した 
    世界高速鉄道事故中 最悪の事故(101人死亡88人が
    重傷)車輪の金属疲労と不具合を看過した整備ミスによる

追記2 台湾での20世紀最大のM7・6台中大地震
    1999年9月 死者2,415人 負傷11,306人
    同日夜 日本の国際緊急援助隊が最初に台湾入り 現場に
    急行した(145人)後から海外派遣団が次々と台湾入り 
    最終ドイツ21人 フランス0 中国0・・・・

    2013年5月 李登輝氏が述懐しています
    地震で真っ先に駆けつけたのは日本 更に曽野綾子会長が
    主宰する財団から3億円の寄付 これを受け 将来日本で
    何か起きれば 真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊だと
    曽野綾子さんを通じ約束したのに・・・

    2011年3月の東日本大震災時 真っ先に救助隊派遣を
    申し出たが 話が進まず その間中国や韓国に先を越され
    何とか山梨県甲府市NPOを通じ独自に派遣隊を送った
    ところが日本の外務省から「台湾からの救助隊を迎え入れ
    る準備が出来ない」と言われた 中国に気を使った日本は
    台湾のことを そんな風にしか見ていないのか とこれは
    自分の生涯の痛恨事と吐露したのです 外務省情けなし!