1972年の夏⑧イタリア三都を二日で駆け足旅

8月21日(月)8:20起床 本日は1954年「ローマの休日」本番
どれだけローマに来たかったか 期待は膨らむ一方でした  ROMA を
逆に綴るとAMOR  ラテン語で「愛」ですが ローマで愛を実感するこ
とができるでしょうか

下は訪問当時のローマテルミニ駅 随分近代的ですね 1953年の
「終着駅」の舞台で 激しい禁断の恋でありました 邦題の終着駅は 
この映画での新造語です

f:id:HATTYAN0234:20210205203506j:plain
イタリア共和国の国旗について

1800年代の半ば頃から独立した新興国は 次々と三色の縦縞の国旗を
選んだ フランスの三色旗の影響を受けているのです トリコロールは
一部の偉い人たちでなく 皆で国をつくる「共和制」のシンボルで 王が
国を治めていた古い時代の終焉を意味すると考えられていた 因みに世界
の国旗の40%位は三色である

f:id:HATTYAN0234:20200628160134j:plain
ローマが舞台の映画は多数あり 歴史劇では1959年「ベン・ハー」は
日本での初公開時 昭和天皇ご夫妻初めての観覧映画です 続く1960
年には「スパルタカス」 でもイタリアで伯爵のルキノ・ヴィスコンティ
を凌ぐ監督はいないのでは?1963年「山猫」1971年の「ベニスに
死す」そして1972年「ルードヴィッヒ」と続きます 因みに同監督は
ルイ・ヴィトンの鞄を常時所持しており その頭文字のL・Vから さす
が特注か?とアラン・ドロンが驚くほど自身と同じイニシャルがお気に入
りであったと 身の回り品はすべてがヴィトン製で L・ヴィスコンティ
といえば ルイ・ヴィトンといわれるほどに おしゃれでダンディー
監督だった(アラン・ドロンは付き人兼愛人であった)


見学する行程は テルミニ駅~共和国広場~バルベリーニ広場~トレヴ
の泉~スペイン広場~ヴァチカン市国のサン・ピエトロ寺院~聖天使城~
パンテオンベネチア広場~フォロ・ロマーノコロッセオ凱旋門
カラカラ浴場跡と続く

f:id:HATTYAN0234:20200523162523j:plain
f:id:HATTYAN0234:20200523162551j:plain

トレヴィの泉からの写真が どうして白黒になったの?フィルム代ケチっ
たのか? 右側の写真で右上は もしかしてサン・ピエトロ大聖堂のクー
ポラか?やったあ!

f:id:HATTYAN0234:20200523162908j:plain
f:id:HATTYAN0234:20200523162941j:plain

市の中心に建つ「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」とフォロ・
ロマーノコロッセオ(白黒フィルムで撮影位置も変? 何だか余計に廃
墟っぽく映ります)

f:id:HATTYAN0234:20210205203945j:plain
f:id:HATTYAN0234:20210205204013j:plain

インターネットで見つけた「さすらいおじさんの旅行記1971年」
から拝借してみました コロッセオを同じ場所から撮影しています

f:id:HATTYAN0234:20200523163117j:plainコロッセオ凱旋門のワンペアー 昼食は上の Tavola  Calda(温かいテー
ブルの意味の店) 現在のトリップアドバイザーで検索すると 不評店舗
が相当多いのです 当時のローマ市のガイド地図には「軽食にイタリア式
スナックバー」と説明がある

一日歩き回り くたくたに疲れる スイカを食べ マカロニを食べてバタ
ンキュー イタリアのお米も まずくて食べられない ローマ市は気にく
わないので 当初は二泊の予定を一泊に変更する ローマ市の古さはムカ
ツク古さだ あまりにもガラクタ過ぎるし観光客も猫も多すぎる!
(と当時は本当に強く思い込んでいました)

ここで兼高かおるさんの名言 
年を重ねて来た者だけが味わえる旅の醍醐味は かつて旅したところへの
再訪です 懐かしさを味わうと共に新しい感動
があるでしょう

その通りです ローマ市には2011年5月に夫婦で再訪しています 
そのときも一日4万歩以上 朝から晩まで バス・トラム・地下鉄を利用
して頑張ったのです 結果ものすごい感激でした ダン・ブラウン著書の
「天使と悪魔」のベルニーニ作品を追って ポポロ広場から教会内の彫刻
噴水からヴァチカンの広場までを Uの字型に踏破しまくったのです 
ローマの教会は入場料無しなのです これが余計に嬉しかった
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂の屋上から見おろす眺めは特別
感激でした

f:id:HATTYAN0234:20200703135319j:plain 注:撮影禁止であり図書館から「世界美術大全集」を借りて来て転写し
ました ヴォルゲーゼ美術館でのベルニーニ作の大理石像には 心臓をわ
し掴みにされます 
「プロセルピナの略奪」柔らかな太ももに食い込む指先は 大理石である
というこを忘れさせます うっすらと流す涙が切ない これを20代前半
の人が彫れる?「ベルニーニはローマのために生まれ ローマはベルニー
ニのためにつくられた」

f:id:HATTYAN0234:20200603163441j:plain
f:id:HATTYAN0234:20200603163412j:plain

ヴァチカン市国のサン・ピエトロ寺院と ミケランジェロの最高傑作
ピエタ」像

f:id:HATTYAN0234:20210205204429j:plain

さすらいおじさんが前年に写したヴァチカン広場

ヴァチカン市国の国旗について
中世ヨーロッパでは 貴族の家に生まれると紋章を与えられた 身分の高
さを周囲の人に知らせるためである 多くの家は強大で 国そのものを支
配した それゆえ やがて紋章が国を表わすようになった 国旗をデザイ
ンする際 紋章から基本の色だけを取り出したりした ヨーロッパの二色
旗はそうやって絵を簡単にしてできた

f:id:HATTYAN0234:20200627213545j:plainヴァチカン市国は利益追求の為の経済活動は一切行っていない 国の主な
収入源は「聖ペテロ使徒座への献金」として知られる世界中のカトリック
信徒からの募金だ

8月22日(火)8:30起床 ホテルの女主人 朝食付きの条件で宿泊
したはずなのに 「朝食?ノー」だって 頭にきて飛び出して 次の都市
フィレンツェに向かう 乗った列車がデラックスカーのTEE ホテル
のロビーを小さくした様なコンパートメントで1等車 格好いい!
「食事の用意ができました 皆さんどうぞ食堂車の方へ」なんてアナウン
スがあるから 「あっ!サービスだな(欧州では車内サービスがある列車
もある)」と(二人とも)思い込み 喜び勇んで行きました
前菜 スープと始まって肉料理まで出てくる すごいサービスだなあと思
いつつも段々心配になってくる 案の定 最後のデザートが終わったとき
勘定書きが回ってきたのです「えっ2,500円」思わず日本語で叫んだ

f:id:HATTYAN0234:20200502170442j:plain

フィレンツェの市内ではバザール(日本の縁日みたい)を楽しんだ 
露天に出店のおばさんに「Come down Come down(まけてくれ まけて
くれ)」と言うけれど通じません 去っては来 去っては来て「まけて」
と言ううちに 周囲の店の人も大笑い「あの下駄はいた日本人やるわい」
とでも思ったのかな? 結果はというと とうとう買ってしまった皮の
ジャケット まけてもらえませんでした 残念! 
注:Come  dwonって何? これでは通じない 希望値段を紙に書いて交
  渉しよう

f:id:HATTYAN0234:20210205204731j:plainさすらいおじさんの買った絵葉書から

f:id:HATTYAN0234:20200502220700j:plainシニアになって2回訪問するほど好きな街です でも当時は結局 有名観
光名所はほとんど見ず仕舞いでした 朝ローマ出発し 昼フィレンツェ 
そして夜ベニスへ
 <ベニスとベネチア呼称の差って>
因みに 現在はイタリア語表記の「ベネチア」が多いようです 我々世代
は英語表記の「ベニス」が多かった なぜか? 多分シェークスピア作品
ベニスの商人」の影響でしょう 誰も「ベネチアの商人」とは言いませ
んでした・・・・・・・

ベニスに着いたのは既に夕暮れ 駅前から水上バスに乗ってサンマルコ広
場へ行く途中の大運河のロマンチックなこと 今旅行中で最大の感動を味
わえた 広場では1955年「旅情」のテーマ曲が静かに流れてきます 
♪Summer time in Venice♪ を奏でる楽隊の音色に聞きほれて ワインと
スパゲッティを注文 学生と言えどこの雰囲気には負けてしまいました

(そういえば 終着駅も旅情も イタリア男に上手に持ち上げられイタリ
アという魔法にかかって 必死に理性と不倫の間でもがくアメリカ女性の
姿が哀れでした 終着駅はローマ 旅情はベニス おまけに1970年
「ひまわり」を是非どうぞ 観客の涙を振り絞る映画 ラストはミラノ駅
そう男と女は綺麗に別れなくちゃ 切々たるメロディーに「これからも
人生は続くのです」というエールに浸ります) でも浸っている時間は
無かったのです!

f:id:HATTYAN0234:20200603163533j:plain
f:id:HATTYAN0234:20200603163510j:plain

ゴンドラから流れるメロディーに耳を傾けながら 駅に向かう水上バス
乗ったがバスに特急と鈍行の2種類があることは知らなかった 鉄道駅ま
で12もの停留所があり(行きは2~3ヶ所)結果ウィーン行きの最終列
車に乗り遅れて・・・・・時間の計算が狂った ものすごく悔やんだ 

f:id:HATTYAN0234:20210204054433j:plain
「世界の名駅」サンタ・ルチア駅です・・・・駅前がすぐ運河なのです


クックのタイムテーブルを急遽調べる というより今や選択できる夜行列
車はインスブルック行きしか無かった しかもこの夜行列車 深夜に乗換
が必要なのでした ベニス0:34発~ベローナ2:09着~ベローナを
3:32発でインスブルックに早朝到着というものです

案じていた事が起きました 二人うとうとしていてハッと気づいたらベロ
ーナの駅看板が! 大急ぎで降りたら 駅長さんが来て「ここはベローナ
何とか 本当のベローナ駅は4キロ先だよ」なんて言うのです しかも今
のが最終で 朝6時まで列車は来ないとおっしゃる おまけに小雨も降っ
てきて 万事休す!かと思いきや 幸い駅長さんがタクシーを呼んでくれ
て おかげで目的のベローナ駅に行けました
今回もリラでのタクシー代が無くて ドルを余計に支払った なんという
厄日!(後で時刻表を調べたら ベローナ駅の前には ニューベローナ駅
がありました)

f:id:HATTYAN0234:20200502114134j:plain  上の地図を見ながら位置関係を示すと   f:id:HATTYAN0234:20200509113825j:plain
注:当初のスケジュールでは ベニスから上って①②③④と右に回る予定
  でした ミスにより ベローナ経由で③④①②④に変更とせざるを得
  なくなりました

ベローナの街は 今では世界遺産登録都市 「ロミオとジュリエット」の
舞台です まさに悲劇が似合う街なのでした 「ジュリエットの家」には
愛の言葉を交わしたであろう名物バルコニーがあり その前庭にはジュリ
エット像が建っているのです
「恋のパワースポット」であり どこかから ♪What is the youth♪ が
聞こえます

ここで「もし乗り遅れていなかったら」を検証すると
  23日午前ウィーン着で 半日ウィーン観光し ウィーンYH宿泊
  24日ザルツブルクに移動し 一日観光し ザルツブルクYH宿泊
  25日インスブルックに移動し 観光後 ミュンヘンのYHに宿泊
  26日はミュンヘンオリンピックの当日・・・・・・となったはず
乗り遅れで ミュンヘンとウィーン間の往復となり 結果強行軍になった
ようです

追記:相棒S君に「イタリアで印象に残っていること」を投げかけると
   トレヴィの泉に後ろ向きでコインを投入したこと ヴァチカンの
   サンピエトロ寺院と古式ゆかしい傭兵 廃墟のようなコロッセオ 
   ローマのインチキ下宿屋で 君とダブルベッドで寝たこと???
   フィレンツェベネチアもだけど 塩野七生さんの世界を感じられ
   たこと フィレンツェウフィツィ美術館では周囲にジプシーぽい
   物売りが沢山いたこと ベネチアでは何と言ってもサンマルコ広場
   と 乗り遅れた水上バスでしょうか ユーレイルパスの件ですが 
   1stクラスというのは当然知っていた 例の高いランチのときは
   1stに乗っていた 君の印象が薄いのは スペインでは1stの
   車両がなかったことと スケジュールの関係上 夜行が多く特急利
   用の機会が少なかったことによると思う(何という冷静な分析か)

毎日の使ったお金(伊リラ)について記しておく 1ITL=0.52円
・8/21 サンピエトロ寺院400L 昼食220L フォロ・ロマーノ
    200L フィルム代800L アイス200L バス50L 
    ジュース200Lスイカ2切れ100L 夕食1、000L
    (昼食110円 こんな値段で「不味い!」なんて言うのが間違
    い)(メモからだとコロッセオには入場していないんだ)
・8/22 宿代2,500L エレベータ代5L 朝食305L 
    昼食4,425L 荷預け150L ドゥオーモ100L 
    皮ジャケット15,000L ビニール袋4,000L 
    荷預け300L 水上バス120L 夕食サンマルコ広場
    975L+250L 水上バ ス75L タクシー1.5ドル
    (ここで購入の皮ジャケットは以後ずーっと着ている 以降の
    写真参照)(ドゥオーモのクーポラに登った? 写真が1枚もな
    いので不確かです)
    
8月21日の朝8時から8月22日深夜まで 正味二日間でイタリアの三
大都市を駆け抜けたわけで これではイタリアが可哀そう 正しい評価な
ど生まれませんね

f:id:HATTYAN0234:20200703141114j:plain
f:id:HATTYAN0234:20200703141139j:plain

折角「世界美術大全集」を借りて来たので ベルニーニで好きな作品を二
点紹介 左は「アポロとダフネ」右は「聖女テレサの法悦」どちらもロー
マ市内で鑑賞可
<芸術の奇跡>
ダフネの逃走と変身という態様の時間的変化を スポーツ写真のような
ショットで捕え 彫刻のドラマに引きずりこまれる 絵画的情景を大理石
に移し変えた!(太陽神アポロの愛を拒んだダフネが神々の助けを借りて
月桂樹の木に姿を変える変身の瞬間 ダフネの手は木の枝に変わり足の 
指先からは枝が生えている)
私的には ベルニーニこそはミケランジェロの後継者と考えています

高峰秀子の旅日記 ヨーロッパ二人三脚では パリとは打って変わった
強い陽ざし 明るい表情のイタリア人 陽気な大きな声 何もかもが明る
く明るく こっちの気持ちまでが晴れ晴れとする 店も美しい 建物も空
も美しい 私は一遍でローマが好きになった・・・・・・・・・・

我々とは印象が全く違いましたね
反省点は 宿泊を全てユースHにすれば良かった 本当のバックパッカー
は 先ずはユースHからと当たっています スペインだってスイスだって
勿論イタリアだって ヨーロッパは全てユースホステルがあるのですから
・・・

追記:フィレンツェは好きな街で云々・・・・・・・・
   どうしてそれほど好きになったのか?社会人になって二度訪問した
   都市はパリとフィレンツェザルツブルクだけで その理由を書い
   た私のトリップアドバイザーへの口コミを紹介しておきます
   <二度目のフィレンツェ 二度目の薬局訪問>
   サンタマリア・ノヴェッラ薬局は フィレンツェで一番大好きな
   場所です 5年前の訪問時に ものすごい感動に心が打ち震えた
   ことが思い出されます
   5年前 つまり東日本大震災の年ですが 5月初旬に訪れたとき 
   入口に 日本とイタリアの国旗が交差して立てられているのです 
   何だろうと思い奥の店にいらした日本人の女性店員さんにお聞きし
   たら フィレンツェは京都と姉妹都市で 日本とは親密で この度
   の大惨事を悼み 国旗を立て ここの4月の末日の売上を全額寄付
   させていただきましたという事でした
   ビックリすると共に こんな遠くからも支援の手が伸びているとい
   う事を知り 大感激したのです(店員さんは京都松栄堂さんからの
   超超和美人)

   この思い出があるため 2016年6月到着後すぐに薬局を訪問し
   ました 内部は改装され店内の売り場が広げられた感がありました
   香水他の商品は 日本で購入するよりだいぶ安いとは 妻の実感 
   女性には人気が高い 世界一古い薬局は今も健在です(と締めてい
   ますが 実は5年前にいらした それはそれは美しい美人さんに
   再会できる?でした)