1972年の夏⑫最終章 無事に帰国できるか?

1972年9月11日(月)17時 横浜港に無事到着しました
よくまあ帰ってこれたものだ
(旅日記を出した相手に向かって)最後の絵葉書はオランダからだったと
思うけれども それからが大変だったんだよと訴えている

フィンランドからソ連へ出発する際 予約しておいた筈の列車の席が無い
んだよ インツーリスト(ソ連の国営旅行会社)の係員に尋ねても
「ノー」の一点張りで予約カードを見せても 全く相手にしてくれない 
..............................................................................................................................
ここでちょっと脇道へ

悔しかったヘルシンキ駅を2018年に再訪し写しました 残念ながら掲
示板にレニングラード行きの表示は無く 今はサンクトペテルブルク行き
の表示でした

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 ヘルシンキ中央駅は1919年に完成した「世界の名駅の一つ」です

f:id:HATTYAN0234:20200515154342j:plain分かりますか?メーキャップしています 下左がビフォー下右がアフター

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ランプを持った石像4体は ロックバンド「KISS」のコンサートの為
マスクをかぶせられて まるで市民のアイドルのように 楽しくイジられ
ているのです...............................................................................
元に戻して
乗るべき列車を目の前にし乗れなかったんだ 夕焼けが綺麗なヘルシンキ
のホームに 我々二人呆然と立ちすくみ「日本に帰れなくなるぞ・・・」

f:id:HATTYAN0234:20200504134140j:plainなにしろソ連国内の旅行スケジュールは あらかじめ全てが決まっていて
一つ狂ってしまうと やり直し(順送り)が効かないというものだから大
変なのだ~
注:1972年当時も2020年の現在もロシア旅行の組立ては変わって
  いない
  ロシアを旅行するためにはビザが必要→ビザを取得するためにはバウ
  チャーという書類が必要→バウチャーを作成するためにはホテル料金
  などの先払いが必要→先払いするため あらかじめ全ての日程を決め
  ることが必要となる

ヘルシンキレニングラード間は 一日2本しか列車が出ないというのに
その2本目の列車に乗れなくなり 翌日乗る羽目になってしまった!

<9月3日の悪夢> この日の支払いメモに 電話代との記載があるが 
相棒のS君がソ連大使館にTELしたが効果はなかった?
注:相棒S君から訂正の連絡あり このときソ連大使館に出向き 当日が
  日曜日だったため 旅行担当者の電話番号を聞き出し電話した こち
  らの英語も良く通じなかったのだろうが 相手が酔っ払っていたこと
  だけは鮮明に覚えていると そのあとで駅に戻り 駅員に何回も食い
  下がった(そうだっけ?)

うなだれてヘルシンキのユースHに3泊目 さすがにディスコには行かな
かった
3日に乗れなかったため 仕方なく4日の13時発の列車に代金を もう
一度支払って乗った(7,600円相当なり)

f:id:HATTYAN0234:20210206065222j:plainレニングラードに到着したのが23:06で 街を見物するどころではな
かった 約30分後にはモスクワ行きの列車が出るんだから 夜の駅前広
場を見ただけで レニングラードはおしまいだ(結局レニングラード
全部割愛したことになる)
注:頭が変になりそうな旧ソ連の駅名のつけ方
    レニングラードには フィンランド駅やモスクワ駅という主要駅があ
  ります モスクワにはレニングラード駅があります・・・・・・・
  ソ連ターミナル駅の駅名は その駅を発車する列車の目的地の地名
  が付けられるのです(これらの駅名は19世紀以来の歴史あるもの)

後で分かった事ではあるが ソ連という国は 団体観光客優先で 個人の
一人や二人 知ったこっちゃない という考え方なんだ 3日の我々の列
車にはハンガリーの団体客が ドカーッと乗り込んだために 勝手にキャ
ンセルされたらしい
こんな理不尽が許されていいものか ロスケめ覚えておれ!
(と強がっている)

ロシア文学愛好家の相棒S君 憧れのレニングラードが見られずというの
で悔しがっていたなあ~(こちらは悔しさ半分 内心あゝこれで日本に帰
れるとホッ)

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46年前には行くことができなかったエルミタージュ美術館を訪問 
S君悪いね!

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サンクト・ペテルブルクの観光名所といえばここで 2018年に訪問

f:id:HATTYAN0234:20200504134722j:plain 上はアエロフロート航空便の領収書 日本円41、150円と見えます
が・・・108ルーブル41,150円で1ルーブル381円に 当時
125.8円では?
ソ連時代の複雑な旅行予約システムに従うための多くの手数料が発生する
ためで このシステムは2020年のロシアでも続いているとか・・・

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宿泊したウクライナホテル 
スターリン様式のいかめしい外観170m29階建
注:現在は五つ星のラディソン・ロイヤル・ホテル・モスクワと改名

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こんな食券が渡されました 食券は単なる1ルーブル補助でしかない?

9月5日(火)8時モスクワ到着 駅に着くとインツーリストの係員が出
迎え ポーターが荷物を持ちホテルまではタクシー ホテルはデラックス
またポーターが荷物を持って先導してくれます これはレニングラード
行けなかった件のお詫びの意味から インツーリストが配慮してくれた? 
何かあまりにも低姿勢?

2泊3日のモスクワ滞在中 写真から見て赤の広場モスクワ大学に行っ
たようだ 相棒のS君から情報あり チェーホフ記念館にも行ったとのこ
と(全く記憶無し)

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モスクワ大学はすごかった そびえ立つという感じだった
ウクライナホテルと同様スターリン・クラシック様式で 高さ240m
36階建 「セブンシスターズ」と呼ばれ 同様式の建築物が7つあり 
大学は代表格です
ニューヨークの摩天楼にコンプレックスを抱いていたスターリンが それ
に負けないビル群をと考え モスクワ800周年を記念して建設されたと

モスクワ大学だけは コネが通用せず 本当に秀才でなければ入学できな
い大学で ここを卒業さえすれば「ソ連社会の超エリート」が約束される

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赤の広場には 昼と夜両方行ったようだが 何の記憶も感想も浮かばない
参考:「赤の広場」の赤は実は社会主義とは関係ない ロシア語のクラー
   スナヤ・プローシャチの「クラースナヤ」という言葉は 現代ロシ
   ア語では「赤い」という意味だが 古代スラブ語では「美しい」と
   いう意味だったのである
   だから「赤の広場」は本来「美しい広場」であったのだ・・・・・
   ついでにもう一つ 広場に建つワシリー寺院の たまねぎ型の屋根
   の形? たまねぎ坊主にしたのは 雪が積もらないようにするため

f:id:HATTYAN0234:20200624163020j:plain上の写真 左ワシリー寺院 右クレムリンウスペンスキー大聖堂 
どちらもイワン雷帝と関係の深い名所 1944年映画「イワン雷帝1.
2部」はS・エイゼンシュタイン監督が直前に観劇した日本の歌舞伎から
見えやにらみを取り入れ いつも以上に顔のアップを多用 ロシアの統一
から雷帝にかけ上るまでの一代記 日本の織田信長と同時代人で気性の荒
さも同じ スターリンが好んだ証し ただし第2部は1958年の公開 
スターリン批判が見え 彼の死後公開された ラスト10分のカラー画面
こそ 流血の赤 後のナチスにつながるホロコーストを想起させる

f:id:HATTYAN0234:20200705130540j:plain中野京子さんの「怖い絵」より「イワン雷帝とその息子」
狂気の最後ー後継の次男殺しを描いたであろう第3部は同監督の死で製作
されず 1925年公開「戦艦ポチョムキン」を凌ぐ大傑作になっていた
だろうに残念!
ポチョムキンは(日本では 翌年輸入されるが 共産党の赤ということで
お蔵入り 1967年にようやく公開 この映画1958年ブリュッセル
万博で「映画史上傑作12選」の第1位獲得 キネマ旬報の外国映画部門
オールタイム・ベストテンでも第6位獲得する)大好きな映画です

そもそもソ連とは? 実は大学時代アルバイトの主体は 日本海映画とい
ソ連映画の輸出入会社にいて 映画の前売り券を持って 東京都心部
会社を回って総務の女性に依頼 映画終了後売れた券代と残った前売り券
を回収する仕事内容 そのせいかソ連映画を見る機会は多かった 
一番人気があったのが「戦争と平和(総集編)」で この映画の主演女優
リュドミラ・サベリーエワ 即刻ファンになった 彼女は1970年製作
「ひまわり」にも出ていた ソフィア・ローレンが妻 マルチェロ
マストロヤンニが夫役で その夫が記憶喪失した後の妻役であった
 
ソ連の若手女優は皆さん華奢です 1964年「ハムレット」のアナスタ
シア・ヴェルチンスカヤ まさに理想のオフィーリアであった 好きな女
優名はすぐに覚え 今でもスンナリ出てくるのは我ながらスゴイ! 
他には1957年「戦争と貞操」のタチアナ・サモイロワ 以上三人です

そうだ ソ連が舞台の映画が主題でした 1965年「ドクトルジバゴ」
映画よりも バラライカが奏でる「ララのテーマ」映画音楽の金字塔!

ハバロフスクへ向かう空港で 120名もの総評の団体がロビーを占領し
ている まるで羽田空港のように振る舞っていて 外人さんが隅の方で
小さくなっていた
日ソ間の労働組合連合大会があったとのことで ソ連で大歓迎を受けたと
自慢顔 この連中とは ハバロフスク~ナホトカのシベリア鉄道 ナホト
カ~横浜の船中でもずーっと一緒 日本に帰るのが嫌になっちゃった
(と書いている)
参考:モスクワ~ハバロススク16時間飛行そしてナホトカまで列車で
   15時間 モスクワの飛行場はシェレメーチェヴォ空港(多分) 
   市内から北北西に40km

f:id:HATTYAN0234:20200504134745j:plain 上はハバロフスク号の食事スケジュール あらかじめ全部決まっている
追記:相棒S君から更に情報が・・・・
   上記私のテーブル番号は33 S君と二人の日本人の女の子と
   ツアーガイドの女性は34だったようで 何で私一人別のテーブル
   にされたのか分からず
   気になるのはツアーガイドの女性って誰?美人だった?
   (料理はロシア料理 ソ連の正餐は昼食 コース料理で出され
   キャビアも食べた)

 ナホトカ~横浜まで2泊3日 52~53時間の船旅 揺れもせず快適
 でした 乗客333名乗員97名 4,772トン全長122.15m 
 西ドイツ製 ナホトカ航路は1961年からスタート 1991年ソ連
 崩壊に伴い翌年廃止されたそうです

というものの我々は モスクワで知り合った女の子二人と 少しだけ
ゴーゴーをし あとはトランプをして遊んでいた(この二人との写真だけ
残っていない?)
注:一人はお茶の水女子大4年 一人は東大3年で 帰国後私は東大生の
  R・Sさんと1年半ほどお付合いをしていたので もしかしたら結婚
  まで行ったかも?

おかしいなあ~この二人の写真が無い というか モスクワでの赤の広場
以降の写真が一切無い・・・・・・・
そうか!とここで思い出しました ソ連では軍事施設 鉄道 空港 航空
機内等での写真撮影は禁止されていたのです 地下鉄だって 地下深くを
走っていて地下シェルターとしての役割があって 撮影禁止なのでした
(現在はOKらしい)
日程に余裕があれば ハバロフスクのシベリア抑留で死亡の日本人墓地 
ナホトカの日本人収容所・墓地 日本への引き揚げ拠点など歴史への巡礼
も組み込みたかった

それと何だか変だったのは時差 ソ連って各到着時点で狂っていると思え
るほど時計が変 これは 世界一広く東西に長いため 時差の区切が11
段階もある(国土の東側と西側の時差は10時間にもなる)更に言えば 
日本と同じ経度のウラジオストック 日本より2時間早い 緯度が違うか
ら? 理解できません!

ソビエト社会主義共和国連邦の国旗について
革命により帝政を倒しソ連時代が始まった フランス革命の赤い旗に影響
を受けて ソビエト議会は 人々が立ち上がることを意味する赤い旗をつ
くったのです
ハンマーと鎌は労働者と農民を意味する 星は共産党だ ソ連時代周囲の
東側諸国(バルト三国 ウクライナ等15ヵ国)の国旗にも ハンマーと
鎌・星があった

f:id:HATTYAN0234:20200627211719j:plain1991年 ソビエト連邦の崩壊により 
ロシアの国旗は大帝時代の三色に戻った

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上は ソ連邦に従う東ヨーロッパの共産主義の国々の国旗 自分の国らし
さを出すことより ソ連に賛成する方が大事だったのが分かります

最後の日も大詰め 東京湾に入ったころから 早く家に帰りたいと思うと
同時に「もう このまま死んでもいい 青春を十二分に満喫した」という
感慨に浸った

追記:相棒S君に種々の質問し その回答から
   空港名は忘れたが ハバロフスク行きの飛行機を待っていた 
   総評の団体と同じ飛行機に乗るのかと思っていたら 直前になって
   係員に「お前たちの飛行機(プロペラ機)がもうすぐ出るから走れ
   !」と言われて走った そのとき女性二人の荷物を持ってあげたの
   を覚えている 本来はツーリスト優先搭乗のはずなのに機内に入っ
   たら 現地人が既に搭乗済で 我々は空いた席にバラバラに座らざ
   るを得なかった 因みに総評の団体さんはジェット機なので先着し
   ていた(畜生!)

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   ハバロフスク

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ハバロフスクからナホトカまでは 4人用2段ベッドの寝台車 シベリア
の何の変哲もない原野をただただ走行しナホトカへ向かう 食堂車でボル
シチを食べたのと 出発時に現地の小学生のピオネール(少年団)が
100人くらいで ブラスバンド演奏をしてくれたのを覚えていると

悔しかったヘルシンキレニングラードの二重払いの件は 帰国後JTB
で返却してもらったと その際 いろいろアドバイスをもらっていた先輩
から「大変でしたね でも良くあること」と言われたことを思い出しまし
たと・・・・・・・

f:id:HATTYAN0234:20200603165019j:plain家の隅々を探し 出てきました JTBの払い戻し証
(昭和47年9月26日付)

毎日の使ったお金(ソ連ルーブル)について記しておく 
・9/4 市電0.5M 切符104.4M スーパー8.22M タバコ
   1.1M タバコ巻き機2M(ここまではヘルシンキでの支払い)
   紅茶0.04B
・9/5 アイスクリーム19カペイカ 飲み水3K 夕食1B63K 
   (ボルシチ 肉 ポテト コーヒー パン)1RUB=125.8円
・9/6 朝食1B 壁掛け5ドル11セント 木彫り2ドル28セント
   昼食84K 地下鉄5K×2 ジョニ黒7.04ドル
・9/7 朝食1B75K バウチャー1.5B タクシー20K
   ナポレオン23.23ドル 皿150円 昼食3.3B 紅茶5K
      当日のバウチャー(クーポン 商品引換券)代金?昨晩の夕食精算
   か? 一流ホテルでは旅行会社同様バウチャーを発行できる資格を
   有している
・9/8 タバコ22セント 切手2B42K
   この切手購入は ソ連のお金を日本に持ち帰っても価値が無いので
   買った(今はもう無い)
・このあと船に乗船 お金を使用した記録無し
 このとき購入のジョニ黒とナポレオンは36年後に 妻に捨てられて
 しまった (だって もう飲まないでしょ)

今回の旅行は44泊45日間
ホテル宿泊20日 機内泊2日 車中泊12日 YH宿泊7日 船中泊
3日 旅行総額約50万円(全額自分で調達しました 本当です )

<今回の旅行を振り返って>という感想が旅日記に残されている
今回の旅行では 西欧と日本を比較することができたことが一番の収穫な
のじゃないかな 日本にいては分からないが ヨーロッパに直接来て肌で 
感じた何か これがきっと自分自身の栄養になったことと思う 
さすがだと思ったのはロンドンとパリ 特にロンドンだ 経済的には没落
したと言っても 日本よりずーっと文明国である 市の半分が公園ではな
いだろうかと思えるくらい緑が多く 道路はキレイ 公園内を老夫婦が手
をつないで歩くほほえましい光景は いつまでも忘れられないものである

反対にスペイン・イタリアと南下するほど生活は貧しいものとなる だけ
ど人々は働いているという印象が感じられる点で 北欧より人間味がある
ように感じた
北欧の人間は いつ働いているんだろうか不思議で仕方ない 汗の臭いが
感じられない 無臭の人間の集団みたいである 社会保障の行き過ぎとい
うのも考え物
中間に位置するスイス・ドイツ ここら辺の国の人々が一番理想である 
私は今度生まれてくるならドイツ人に生まれたい 少なくても日本より
生活し易いだろう 気候も快適 夏の暑いさなかでも汗をかかないのは
素晴らしい 

それと今回の旅行中 ドイツでなぜあんなに日本人選手を応援してくれた
のか? そうオリンピックです TVでの水泳青木まゆみ選手の金メダル
の瞬間だったが 我々より大きな声で声援 ものすごーく喜んでくれた
参考:ミュンヘンオリンピック
   特筆すべき成績が男子体操です 体操団体金(ローマ以降4連覇の
   偉業)個人総合と 平行棒 鉄棒で金・銀・銅独占 表彰台で日の
   丸が3本です
   あと男子バレーボール金 TV「ミュンヘンへの道」の効果?
   もちろん日本得意の柔道 レスリングでも大活躍でした

参考:9月5日のミュンヘンオリンピック事件
   パレスチナ武装組織「黒い9月」により選手村襲撃 イスラエル
   代表選手11名が人質となった 最後警官1名と合わせ12名全員
   死亡で 最悪の結果となった(すごいのは 事件があっても競技日
   程を中断せず最後まで実施したこと 現地はどうだったのだろう 
   我々はモスクワにいたせいで ニュースを知らず 帰国後知った)

最後に兼高かおるさんの名言
「世界の旅」は人生の学校だった
世界を見る目 日本を改めて見つめなおす目が開かれる

f:id:HATTYAN0234:20200601115550j:plain上のヨーロッパ地図で ロンドン発モスクワ到着までの旅程コースを示し
ました
注:パリ~マドリッドの経路 正しくはパリ~バルセロナ経由~
  マドリッドです