1972年の夏⑨オーストリア三都巡り三日間

8月23日(水)7時起床 午前中チロルの町インスブルック観光

f:id:HATTYAN0234:20200503090946j:plain 残念ながらインスブルック市内散策の記事が残っていません
当日の支払いメモからの推定ですが 先ず「チロル民芸館・教会」とある
のは多分チロル民芸博物館と隣接した宮廷教会でしょう コンビカードで
両方入場できます
次いで「市の塔」 これはそのままで 黄金の小屋根のすぐ横から登ると
市内一望も周囲のアルプス眺望も可能 おそらくですが上の写真がそうで
はないか・・・背景のバロック建築の建物は「大聖堂(聖ヤコブ教会)」
と判断しますがいかが?
もうひとつの「宮城」と書いてあるのは ホーフブルク王宮か?
いずれにしても全く記憶が無い なにしろ48年も前のこと 仕方無い

f:id:HATTYAN0234:20200502205425j:plain昼からのミュンヘン訪問は 26日のオリンピック開会前の雰囲気を感じ
るための予行演習?(と言うかベニスからの夜行乗り遅れでやむを得ず変
更したためです)
当然オリンピック会場にも見物に行き 設備の近代性に度肝を抜かれた思
いが強い 立派で さすがドイツ人だと感心させられた

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夜は 有名なホーフブロイハウスで乾杯 NHKの鈴木健二アナウンサー
に会った 相棒S君曰く 鈴木アナウンサーに席を譲ったと まさにこれ
「気配りのすすめ」です
深夜ウィーン行きの夜行列車に(車中泊ミュンヘンとウィーンを往復)

8月24日(木)6:10起床 ウィーン駅(当時はウィーン西駅発着)
旅行慣れしている人は疑問に思うのでは? 何で西駅 市の中心部からは
距離があるのに・・・実はこの駅1858年に建ったが 同年まで市壁
(リングシュトラーゼ)があったためです 市壁外の駅舎 ザルツブルク
への発着駅で ユースHも駅近でした


憧れの街ウィーン 音楽の街ウィーン 西のパリと並ぶウィーンの街 
他いろいろ とはいうものの 疲れがたまっているんだろうなあ~ 夜行
列車ばかりだから・・・ローマ以来ベッドで寝ていないためか 重い脚を
引きずりながらさすらう二人です
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ちょっと脇道にそれて ウィーンというと「エリザベートとスイーツ」
学生旅行では縁が無さそうで「ヨーロッパのスイーツ王国」を検索して 
ヨーロッパのスイーツ4選を紹介しておきます
・チョコレートケーキの王様     ザッハートルテオーストリア
・秋に食べたいマロンスイーツ    モンブラン(フランス)
・年輪模様の木のお菓子       バームクーヘン(ドイツ)
・カラフルキュートなまんまるお菓子 カロン(フランス)
社会人になり各国を再訪し ようやくいただきました さすがの4選
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疲労からか気分は重苦しく 1949年「第三の男」のような陰鬱さが
漂います
再度 ちょっと脇道にそれて ウィーンのミニ歴史です
第二次世界大戦のウィーン攻勢で ナチスは崩壊しソ連に占拠されてしま
ったが その後連合国の合意で 米英仏ソ四ヵ国の共同占領下におかれた
「第三の男」には この時代のウィーンの雰囲気が良く描かれている

ハプスブルク帝国の継承国家のほとんどが共産圏に組み込まれていく中で
オーストリア共産党が国民の支持を得られず 西側との関係を保ったま
永世中立国になった

オーストリア共和国の国旗について
赤白赤のオーストリアの国旗は1100年代に出来たそうです レオポル
ド5世が 血で真っ赤になった軍服からベルトをはずすと 真っ白な筋が
ついていて それを見て国旗のデザインを思いついたと言われている
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f:id:HATTYAN0234:20200502205713j:plain支払メモから見ると この日ベルベデーレ宮殿オペラ座に入場している
ようです ウィーンのユースホステル(下の写真)に宿泊です

f:id:HATTYAN0234:20200503091123j:plain8月25日(金)7時起床 ザルツブルクに向かいます

モーツァルトの生誕地としての巡礼地扱い 楽壇の帝王カラヤンの故郷
私の個人的な思いは 1965年「サウンド・オブ・ミュージック」の
舞台となった街! 映画ファンにとっては モーツァルトといえども 
おまけに過ぎません!

(ユースHではあるもののベッドで寝ることができた効果か旅日記が元
気です)
ホーエン・ザルツブルク城からの眼下の眺望は 明るい太陽に映えて更に
美しさを増します どこからかドレミの歌が エーデルワイスの歌声が
響いて来そうです
マリアがいた教会もあった 当然ミラベル庭園も訪れています

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当時は モーツァルト音楽祭が毎夜開かれていたとか 正装の男女が車で
通るのを横目に 知り合った女の子(一人旅なのです)と三人で店に入り
[ミルク」と注文したら 可愛い姐さんが横目でいぶかしそうにこちらを
見るんだ そうだろうね ビアホールのような店でミルクとはね 今晩も
ザルツブルクのユースHに宿泊です
パリのアルマホテル以来 久しぶりにシャワーを使うことができた

参考:ザルツブルクの街大好きです 社会人になって2回訪問し 映画の
ロケ地はほとんど行きました 入ってはいけない個人が所有の庭園にも無
断で侵入しました 映画では トラップ大佐の屋敷としての「レオポルツ
クロン宮殿とその庭園」です 2014年に高級ホテルとしてオープンし
翌年「欧州最高の歴史的ホテル」に表彰されています

参考:オーストリアでは 21世紀の今日まで ザルツブルク市以外では
   「サウンド・オブ・ミュージック」(ドイツ語題名「私の歌~私の
   夢」)は上映されていない! 上映されたザルツブルクでも 映画
   を見た市民は ほんの僅かであったという事実 どうしてなのか?
   市民には 1956年の映画「菩提樹」原題トラップ一家)が史実
   に近い「1950年代に最も成功したドイツ映画の一つ」であり 
   米国製はウソが多いとー詳細はウィキペディア検索でご覧ください
   ビックリさせられますよ
   私的に一番疑問なのは ラストの山越えでスイスへ これは不可能
   ですね 映画では感動で胸が震えるシーンですが 地理上調べると
   現実に引き戻されてしまいます(実際は 北イタリア行きの列車に
   乗って イタリア南チロルの山に逃げ トリエステ地方からフラン
   スに入り イギリスそして最後船でアメリカに渡ったのです)

f:id:HATTYAN0234:20200502210315j:plain毎日の使ったお金(オーストリアシリング・独マルク)について記す
              1ATS=13.06円 1DEM=94.25円
・8/23 新聞12S 荷預け3S 切手16.5S 朝食15.4S 宮城
    7S チロル民芸館・教会12S 市の塔5S タバコ11S 
    果実3.25S 牛乳6,.8S(ここまでインスブルック
    地図0.2M 絵葉書1.25M 地下鉄2回2M 初日カバー
    6M ビール1.5M 切手2.4M 記念切手6.45M 夕食
    5.8M 荷預け1.2M パン1.24M
    ミュンヘンオリンピック記念切手と初日カバー購入したがどこへ
    行った?現在 手元にはありません 自宅建て替え時誤って母が
    捨てたのでしょうか?
・8/24 荷預け3S ベルベデーレ宮殿5S トイレ1.7S スーパー
    30S オペラ座15S 地下鉄6S ユースH34S 夕食
    18S
・8/25 市電6S リザーブ12.5S バス4S ケーブル6S パン
    7S 土産72S ユースH30S 夕食16S ミルク3.5S
    (リザーブ料って どうもウィーン西駅での荷預け料のよう)
    それにしても安いのがY・H 444円と392円相当です 
    Y・Hでは 予約しておけば朝食も夕食も安く食べられます

              我々の旅行はバックパッカーとは少し違うような?というのは
    リュックを担いでのものではなく 旅行鞄バゲッジを引きずって
    のものなので 駅に到着すると都度「荷預け」にお世話になるか
    らです  料金も各国で相違あります ーどうしてウィーン西駅に
    限って超高いの?

追記:相棒S君にオーストリアの印象を質問したところ
ウィーンではやはりオペラ座 こじんまりとはしていたが風格のあるベル
ベデーレ宮殿 学生街ではビュッフェスタイルのランチをしたこと 市内
を行く馬車の風景 著名な音楽家のお墓(ベートーベンやシューベルト
を見たこと ザルツブルクを散策したこと まさに「サウンドオブミュー
ジック」の世界でした・・・・・・・
(ウィーンで相棒は こんなにしっかり記憶していたんだ~と今更感心)