1972年の夏⑦再びフランスに入りスイスへ

8月17日(木)ずーっと車中生活? 夕食40ペセタ(ビールとパン)
旅日記に挟まれていた列車の時刻検討が2案あったので紹介してみたいと
思います
<第一案>時刻表とにらめっこして いろいろ検討している中でグラナダ
バルセロナまで列車で13時間 8月17日 早朝8時頃到着した後で
バルセロナを夜まで観光後 19:36バルセロナ発ナルボンヌ着 翌日
1:26着~1:41発~リヨンに7時前に頃着

f:id:HATTYAN0234:20200609152808j:plain<第二案>
8月17日 8:05バルセロナ発ナルボンヌまで行きカルカッソンヌ
立ち寄る 地中海に面したナルボンヌ~内陸部のトゥールーズまで行き 
カルカッソンヌへ戻り観光したあと ナルボンヌ~リヨン行という時間
つぶしまでをも検討している
(当時の時刻表があればいいのだが 捨ててしまっているので検証不可で
す 参考としてブログを書いている現在だとどうか?で調べると グラナ
ダ~バルセロナは在来線で11時間半 バルセロナ~リヨンは在来線で8
時間の計19時間半です)

いずれにしても グラナダ~リヨンまで鈍行でも24時間で行けるのに 
実際には36時間も費やしている 12時間分をどう使ったか はたまた
各駅停車 かつ各駅での連結が異常に悪くて 列車内で余分の12時間を
耐え忍んだかは不明です 私もS君も全く思い出せずにいるのです 
当然 バルセロナカルカッソンヌの写真は1枚も残っていないのです 
8月17日の朝食 昼食の支払いメモさえありません 全て空白なのです!

8月18日(金)ようやくスペインからの長旅後 早朝フランス第二の都
会であるリヨン駅に降り立った そぼ降る雨の中 リヨンの公園を歩くと
落ち葉がやけに多い 秋がもうやって来たかなという感じだった フラン
スパンをかじりながらも パリよりフランスらしいリヨンの街並みを散策
ローヌ川を隔てた向こう岸には 古びた教会が1つ2つと見えるロマンチ
ックな朝焼けだった

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ジュネーブに着いた 明るい太陽とレマン湖の噴水 ただそれだけで素
通りです この日はベルンホテルGlookeに宿泊(このホテル名で
検索するとバックパッカーズホテルグロッケでトリップアドバーザーの
1位人気 当時と同一かどうかは不詳)

8月19日(土)ベルンの朝市観光後インターラーケン~ルツェルン
小雨と濃霧のためユングフラウヨッホ登山はあきらめ ルツェルンに行く

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 左:インターラーケン駅にはユングフラウ・ヨッホ山頂の様子がTV
   画面に出る
 右:ルツェルンでのカペル橋 やはり天気悪し スイス観光に雨は似合
   いません

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(幸運にも天気回復し)
車中からの景色は抜群!!左窓には山々に抱かれて湖が 右窓には広々と
した緑の牧場 牛の戯れ 可愛らしい煙突付きの小家 止まる駅といった
らこれまた可愛い 鮮やかな花が飾られていて一日中眺めていても決して
飽くことを知らぬスイス

当時のことで後日までずーっと記憶していた感覚 それは カメラを構え
たらどこでシャッターを押しても360度が絵葉書になるというものです 
それこそがスイスなのです

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スイスを舞台にした映画って何かあったかなあ? どうしても思い浮かば
ないので邦画から 1966年加山雄三主演「アルプスの若大将」でお茶
を濁しておきます
いや実は スイスに対する情報を あまりにも勉強不足だったので 実際
現地ではどこに行くべきか迷ったのでは? 訪問地を見ても スイスの
真髄をはずしているなあと思うからです 1974年になれば 高畑勲
の「アルプスの少女ハイジ」も始まり スイスの知識も少しは習得できた
かも?  

ちょっと脇道にそれて
ハイジのとてもやさしいおじいちゃんですが 眼光がいやに鋭いと思いま
せんか? 実は おじいちゃんは「スイス傭兵」出身なのです 「スイス
傭兵?」説明します
①「ヨーロッパ最強」と言われたスイスの傭兵(15世紀~18世紀に活
 躍した)始まりは14世紀 スイス原初同盟がハプスブルク家の軍隊を
 破って独立に成功し スイス人による軍隊の強さを広く知らしめた 
 そして1470年代 勇猛で知られたブルゴーニュ公国のシャルル突進
 公軍を破り スイス傭兵の強さの評価が固まる

②ヨーロッパ全体で引く手あまたの人気
 スイス傭兵は 州政府単位の契約で貸し出され そのためスイス兵同士
 の戦いも生まれ 他国からは非難も込めて「血の輸出」とも呼ばれたが
 小国と言えど「強い」という評判は定着 おいそれとスイスを侵略でき
 なくなった

③1792年 フランス革命時 テュルイリー宮殿に殺到する民衆約2万
 人に対し950人のスイス傭兵が 王家の防衛にあたり(フランス近衛
 兵は事前に解散済)全滅した この悲劇をルツェルンの「嘆きのライオ
 ン」が現在に伝えているのです 背中に折れた矢がささったライオンは
 スイス傭兵を ライオンがかばっている盾はルイ16世とその家族を表
 しています(下の写真参照)

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④ナポレオン軍がロシアの「冬将軍」に敗れ 敗走に敗走を重ね ドニエ
 プル川に差し掛かった時 スイス傭兵部隊は殿軍(しんがり)を命じら
 れてほとんど全滅 おかげでフランス軍の一部がフランスへ帰ることが
 できた・・・・

⑤今もバチカンを守るスイスの傭兵たち

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近代になり 各国で国民兵を使うようになり傭兵の需要は減って 
1874年には スイス憲法で傭兵の輸出を禁止した
その中で唯一 バチカン市国だけが1505年から500年以上雇い続け
ています ミケランジェロがデザインしたとも言われる青と黄 オレンジ
の縦じまの軍服です(超イケメンぞろいでカッコイイ! 目の前をウロウ
ロしても 微動だにしません) 

⑥今も「精強」とされるスイス軍
永世中立国」ではあるが 軍隊を保持しているスイス 軍は職業軍人
徴兵による民間人で構成されています なぜ徴兵制?理由の一つが 徴兵
制を止め 職業軍人だけになった場合 周辺の国から「NATO]への
加盟を迫られ NATO軍として海外派兵にも参加しなくてなならない 
それは絶対に阻止したいということで「対外戦争はしたくないので徴兵制
度を維持した(国民投票の実施結果)」のです
日本では「集団的自衛権」が多数の賛成で可決されました どうなる?

スイス連邦の国旗について
そもそもの国旗の成り立ちは 1200年 スイスを支配していた神聖
ローマ帝国が 赤い地に白い十字架で 皇帝の気高さと殉教したキリスト
教徒の血を表わした
1798年スイスに攻め込んだフランスが新しい三色旗(緑赤黄の横縞)
を作った 
1840年 スイスの軍人たちが赤い地に白い十字架の旗に戻した

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
元に戻して

スイスの街路では 夜になると各店のウィンドウに灯がともり 通りを歩
く恋人達(非常に羨ましかった~)は店内を覗きこんで楽しんでいます 
店のシャッターは朝まで閉まらないのです
バスに乗る場合 乗車券を自動販売機で購入してから乗る 下車するとき
調べるかと思っていたが調べない 日本のワンマンカーとは違う 人間を
信用しているの?
いや違います ある日突然検札官が乗りこみ 所持していないと高額の罰
金を科す

この日はルツェルンの「LE MAZOC」というホテルに宿泊
(現在不明)

f:id:HATTYAN0234:20200501150231j:plain8月20日(日)8:30起床 晴 ルツェルンでは勾配世界一ピラトス
山に登る 往路はケーブルカーで 雪割草が綺麗だった 頂上は全面雪で
視界はゼロでした(下の写真は奇跡的に視界良好であった日の写真引用)

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スカッと晴れるのは何年に1回だとか よってアルプスは全然見えません

山を下りる復路ではゴンドラ・リフトでゆっくりと 教会のミサの鐘が心
地よい 次いでチューリッヒに行く チューリッヒ湖では国旗を背にして
湖上遊覧を楽しむ

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4時半だというのに店は全部閉まっていた 日曜日ではあるものの 駅前
ぐらいは開けていてくれればいいのに 今晩もまた食事抜きで ローマ行
き夜行に乗車する チューリッヒからだと 相当な距離ですが 時刻表と
ニラメッコして「夜に出て朝到着できるのはどこ?」で決めます 
ミラノ~ボローニャフィレンツェ経由です

追記:相棒S君のスイスについての印象
スイスではどこに行こうか決めていなかった?との問いに「記憶が定かで
はない」と スイスの印象は宿泊したホテルが清潔で感じが良かったこと
ピラトス山に登るケーブルカーからの車窓が「アルプスの少女ハイジ」だ
ったこと 山の上が雪で寒かったこと チューリッヒ湖での湖上遊覧 
スイスは清潔な国だと強く感じたと

毎日の使ったお金(スイスフラン)について記しておく 
1CHF=79.46円
・8/18 7:00起床 パン1.9F 荷預け0.6F アイス0.5F 
    ビスケット1.5F パイ缶1.25F バター0.6F 
    地図1.3F(S君0.5F) パン0.5F 宿紹介料0.5F 
    宿代22F 市電0.4F
    (さすが物価高のスイス ホテル素泊まり1,750円は高い)
・8/19 8:30起床 市電04F 荷預け0.6F ビスケット1.4F
    コーヒー1.8F スーパー2.95F(ハム パン ジャム 
    バナナ オレンジ)宿紹介料1.25F 夕食9.9F
・8/20 8:30起床 宿代16F 荷預け0.6F バス1F 
    ピラトス山22F コーヒー1.5F (チョンボ0.5F) 
    パン0.5F タバコ1.7F

ここでも兼高かおるさんの名言を紹介します
若い人は安い旅をしてはいけない
 若い時に使う時間というのは 自分を育てるための時間
 自分を高めるための旅をしたいものです
  学生でこの時代海外旅行を実現できたことで 自分を高め得たと思う
 なるべく多く周遊しようと食事を抜いたり車中泊の連続で無理した?

旅に出ると細胞が活性化する
 行って 見て 出会って 感じたい
 まるでドラキュラのように 見るもの 聞くもの すべてから吸い取っ
 て
細胞を活性化させたい
 旅行中 できるだけ多くの人と接触する機会を作り できるだけ会話し
 できるだけ見聞きしたつもりですが・・・若い女の子に限っていない?