1972年の夏⑪ユーレイルパスあと三日北欧へ

8月28日(火)夕刻アムステルダム駅に到着
ユーレイルパスもあと三日間で有効期限が来るため 最後の一踏ん張りで
北欧を巡りフィンランドを目指す必要があります 予定より少し遅延気味
で またも車中泊を復活する必要があります
夜といっても少しでも観光をと一人散策 相棒は怖い街だと言ってユース
H(下記注)から出ず 興味津々で「飾り窓地区」に入るがさすがに背中
が冷たい 後ろからグサッと短刀を突き付けられる感覚がして さっさと
表通りにあるユースHに戻った
注:YOUTH AND STUDENT HOTEL  THE OLD BAKERY(今も現存)

アムステルダムを舞台にした映画 それは1959年の「アンネの日記
ですね あまりにも苦しい ナチスに見つからないでほしい! 観客全員
の願いでした

8月29日(水)7:30起床 アムステルダム近郊フォレンダムにバス
で行く
このところ相棒とも別れて行動するようになって来た ズーッと一緒では
愚痴が出るからです バスの中で知り合った女の子二人と外人さん一人と
半日同行した(こんなに多くの日本女性が 海外に旅行に来ているなんて
想像していなかった)

f:id:HATTYAN0234:20200503132328j:plain 自転車王国のオランダです  アムステルダムでは 人間の数より自転車
の台数の方が多く 今ハーグを訪れる観光客の70%が 自転車で旅する
ほどだそうです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと脇道にそれて 自転車王国誕生の背景を
1960年代 自動車が急速に普及すると同時に 交通事故による死亡事
故件数が増大 1971年 子供のための安全なサイクリング環境を求め
る社会活動が起こる 追い打ちが 1973年の石油危機~産油国の米国
・西欧向け石油輸出ストップ~で自動車の信頼性・持続性が大いに揺さぶ
られたことも後押しとなる

「人生という冒険を一緒に旅する信頼のできる仲間」として すりきれて
くたびれた古い自転車 長~く続く愛情を証明するものとしてステータス
があります
保険会社の条項には 「ドライバーはサイクリストと自転車に対し 最低
50%の金銭賠償をしなければならない」と記載があるように 自転車愛
好家を守っているのです 道路には専用レーンを確保し平たんな道づくり
を原則にしています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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フォレンダムは「風車の町」として有名 観光用なのか人々が民族衣装に
木靴をはいて生活しています 我々も民族衣装に着替えて 記念写真を撮
ることにした
この英国紳士ロナルドさん School of Education University of Liverpool
(後日調べてみるとイギリスの名門校でした 日本人と会話がしたかった
のかも知れませんが 我々三人とも英会話力乏しくガッカリされたかも)

市内のダム広場に戻り 3人で結婚問題について話す(そういう年齢?)
プロポーズは女性からするのはおかしいとか 浮気や離婚についての話題
だった 男性は一歳年上か三歳下の女性がいいそうだが 本当なのかなあ
~(興味無し)
彼女たちからも名前・住所をもらうが 日本にいたらこんなに簡単に教え
るかな 海外旅行先での開放感なのか 私が無害な人間に見えるのかなと
変な感じだった

参考:ダム広場って?13世紀アムステル川河口近くの平地にダムを造り
   人々が住み始めた これが現在のアムステルダムの始まりでその中
   心がダム広場 「世界は神が造りオランダはオランダ人が造った」
   とよく言われる

オランダ王国の国旗について
もう一つオランダで始まったと思われるもの それは「国旗の三色旗」
でしょう 国旗のデザインのパターンでは最多が三色旗 特に欧州に多く
フランス オランダ アイルランド ルクセンブルク ブルガリアそして
ルーマニアなど挙げればキリがない

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欧州ではどうして? 真相は 16世紀 世界有数の先進国で当時の欧州
のリーダー的存在であったオランダが 国旗に三色旗を採用し 他国もそ
のデザインに習ったため・・・・・・・・・・

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木靴の製造場所で 大小2個購入
アムステルダム駅に戻り相棒と合流し 夜行列車に飛び乗りデンマーク

アムステルダム中央駅もコペンハーゲン中央駅も 両方とも世界の名駅
選定されているのに写真一枚残っていません この当時は「鉄ちゃん」の
要素はゼロで もったいないことでした (2018年に再訪した際に 
ちゃんと撮影もしました)

f:id:HATTYAN0234:20200519053634j:plain「世界の名駅」の一つ コペンハーゲン中央駅 チボリ公園に一部直結

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「世界三大ガッカリ」のコペンハーゲン人魚像です
左は1972年当時 右は46年後の人魚像 前回とは違うところがある
全身を赤く塗られたことは何回もあるが 1984年には右腕を切断され
(後日返却)1998年に頭部失い(後日返却)2003年台座がダイナ
マイトで爆破され 像の胴体が海に投げ出された 修復に1か月半要した
その後も赤やピンクに塗られるなど損傷が続いている なぜそれほど痛め
つけられるのでしょうか?

デンマーク王国の国旗について
デンマークの国旗は世界最古で13世紀初めにできた 交差する場所が左
にズレた十字架のデザインは 近隣の国でも人気で「北欧型十字」と呼ば
れる様になる 北欧五カ国は同じデザインで 十字の印はキリスト教を大
切にしている国々です

f:id:HATTYAN0234:20200627190208j:plain8月30日(木)7:55起床 コペンハーゲンもまた一人で回る
どこへ行っても 日本人に出会うので この日は日本人の行かない場所へ
行こうと決めて田舎方面を目指す 列車に乗り窓からの風景を観察すると
田舎なのに社会保障が行き届いているのだろうなあ 日本の様に あばら
家なんて全くない 庭付きの小綺麗な家々がずーっと続いていた・・・ 
でもそこで暮らす人々の姿見えず

ハムレットの城クロンボー城を目指した 開城時間を少し過ぎていたので
内部には入れなかったが 城の外部を散策した この名城が世界遺産
登録されたのは2000年ですが 実は私の2年前1970年 昭和天皇
・皇后が訪問されていたことを知りました ずーっと後日ですが2017
年6月 皇太子殿下(現令和天皇)も訪れているのです 日本の皇室が
ファンであることを嬉しく思いました
昭和天皇も私も世界遺産への登録前に訪問しており先見の明ありですね

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クロンボー城です シェークスピアは HAMLET という名前をどこから
選んだ? 実は デンマークの伝説上の王子に AMLETHという人物がい
て 綴りの最後のHを一番前に持ってきて アムレスをハムレットに変え
たということらしいです

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集合時間を合わせていた相棒と チボリ公園で列車時間まで2時間程度
過ごした 深夜の2時まで開園しているって 東京の後楽園でも無理で 
少し羨ましかった

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左の舞台上でダンスや劇が披露される 今も続いている
(46年後に再訪した際は 何だこんなものだったかと少々ガッカリ)

f:id:HATTYAN0234:20200504175607j:plain再訪時のチボリ公園入口 午後10時(この時間でも子供がいっぱい)
またも夜行に飛び乗り スウェーデンの首都ストックホルムを目指します

スウェーデンを舞台にした映画といえば イングマル・ベルイマン名監督
の作品群ですが どれを見ても良く分からないのです あまりにも宗教文
化色が強いのです 一番印象的な作品が1963年「第七の封印」でしょ
うか 見る価値あり

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<要約すると>
十字軍遠征から帰還した主人公が 妻の元へ帰る途中死神に会い 命を賭
けてのチェス勝負 旅の合間に勝負を続けながら いろいろな人に出会う 
世は黒死病が流行り いつわが身にという中「死後 無になる恐れ」を抱
きつつ故郷へ向かう
ヨハネ黙示録やラストの「死の舞踏」のロングショットが印象的だ

ヨーロッパの映画は 製作者の側が あえて決着をつけないのが常道 
更に人生は続く・・・・・・・・・・型的な幕の下ろし方をするようです
ここでベルイマン監督の1962年「冬の光」を紹介して さあこれで 
決着を付けることができるでしょうか 答えられますかと皆さんに問うて
みたいのです

自身が無神論者の同監督が 映画の中で 教会の寺男にあえて言わせてい
るのが 「イエスの苦悩は心の痛みだったのでは?」 三年間一緒に暮ら
した弟子たちは イエスの教えを理解せず 兵士が主を捕えに来ると
(抵抗もせず)彼を裏切った イエスは孤独に陥った さらに十字架にか
けられてからは 父なる神に見捨てられたと思った 死ぬ直前にイエス
神に大きな懸念を抱いた(のではないか?)神の沈黙こそが イエス
最大の苦悩だったのでは? 沈黙の意味するものは?

ニーチェは「神は死んだ」と言う 人は何を信じればいいのか?
ヨーロッパのインテリたちが さながら通過儀礼のようにベルイマン映画
に親しんでいるようですが 上の問いにどう答えるのか?神は存在するの
でしょうか?


8月31日(木)8:40起床(というか終着駅)ストックホルム駅到着
ストックホルムは 北欧一物価の高い都市だそうで 長居は無用とシリヤ
ラインという船でヘルシンキを目指す この乗船までが ユーレイルパス
の有効期限で十分活用しました 16:45発翌朝10:30ヘルシンキ
北欧風ビュッフェ食事付??の移動ホテルです 白夜は終了しているが 
昼間時間の長い日が続きます
北欧は夕陽の沈むころが一番明るくなり美しい 船は全く揺れません

追記:ユーレイルパスホルダーは 乗船料が20~50%割引になるそう
   です 船室予約及び港湾使用料は必要で 朝晩のビュッフェ予約も
   必要(有料)パスが1STクラスであれば ストックホルムでのSJ
   ラウンジ無料だそう支払いメモの50Kには上のどこまで反映され
   ていたのか全く覚え無し!
最近になり 我々が購入したユーレイルパスが 実は1St.クラス用であっ
たことに気づきました 旅行中一等車に乗ったことあったのだろうか?

毎日の使ったお金について記しておく     
1NLG=93.38円 1DKK=43.66円  1SEK=63.65円
・8/28 荷預け0.7ギルダー YH紹介料1G ユースH9G タバコ
    1.75G 夕食5.75G  
    (さすが物価高 ユースH料金が840円とは高い)
・8/29 切手1.2G 絵葉書1.35G 荷預け0.35G バス2.9G
    民族衣装1.5G チップ0.25G 皿6G 皿敷き2.5G
    木靴2.75G 昼食4.25G 木靴7.5Gと11.4G 
    ジョッキ5G 灰皿1.25G バス1.3G タバコ1.5G 
    パン2.2G
・8/30 荷預け2クローネ ジュース3.75K パン1.75K 
    フィルム11.5K 果実3K クロンボー城1.25K 
    ホットドッグ2K チボリ公園2.5K射撃2K 
    やじろべえ60K ビール3.5K ビスケット2.5K
・8/31 荷預け2クローナ お土産12.5K バス1.25K 
    スカンセン3.5K アイス0.5K ホットドッグ2個3.6K 
    地下鉄1.25K 船50K(3,182円) ワイン15.3K
    (お土産が何だかは不明なるも 有名なデパートチェーンの
    オーレンス(AHLENS)の購入レシートが残る)     

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上の写真2枚「スカンセン野外民族博物館」1500年代のスウェーデン
にタイムトリップできる人気スポットだとあります 特に子供に大人気だ
そうです アルバムに貼られた写真を見て 「ここはどこ?」と全く記憶
に無い場所でした(今回 スカンセンって??ということで 妻が調べた
上で教えてくれました)
なぜ こんな所に出かけた?ストックホルムなら次の2か所・・・・・・

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そうです ノーベル賞授賞式で有名な「市庁舎」トリップアドヴァイザー
1位の「ヴァーサ号博物館」のどちらかでしょう 2018年訪問でき
ました
追記:上記の博物館 開館は1990年6月なので1972年に存在せず

ここで ユーレイルパス21日間での行動・宿泊につきまとめておきます
  8月11日 パリからマドリッドへ向けての 車中泊
  8月12日 マドリッドとトレド      マドリッド
  8月13日 プラド美術館と闘牛見物    車中泊
  8月14日 コルドヴァでメスキータ見物  マラガ泊
  8月15日 地中海マラガで水泳      グラナダ
  8月16日 アルハンブラ宮殿とその庭園  車中泊
  8月17日 リヨンへ向け移動日      車中泊
  8月18日 リヨン経由スイス入り     ベルン泊
  8月19日 ルツェルン散策        ルツェルン
  8月20日 ピラトス山~チューリッヒ   車中泊
  8月21日 ローマ市内散策        ローマ泊
  8月22日 フィレンツェ~ベニス     車中泊
  8月23日 インスブルックミュンヘン  車中泊
  8月24日 ウィーン散策         ウィーンY・H
  8月25日 ザルツブルク観光       ザルツブルクY・H
  8月26日 ミュンヘンオリンピック    車中泊
  8月27日 ハイデルベルク観光      フランクフルトY・H
  8月28日 ライン川下り・ケルン     アムステルダムY・H
  8月29日 アムステルダム風車村     車中泊
  8月30日 クロンボー城チボリ公園   車中泊
  8月31日 ストックホルム        船中泊
合計21日間の強行軍です 21泊中で車中泊(船中泊含む)が11泊
ユースホステル泊が4泊 いかにも学生の駆け足周遊貧乏旅行ですね~
「来た 見た そして去った」 一か所でゆっくり噛みしめてデワナイ

9月1日(金)~3日(日)8時~9:30起床 ヘルシンキ滞在
市庁舎前の朝市が実にいい 花 果実 パン 雑貨それに港の前のせいか
沢山の魚がドバーッと並びしかも安くて美味しいのです 三日間通い続け
たほどでした

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有名なカウパットリマーケット広場は 駅から1km(別途地図の⑭)
ヘルシンキには欧州全体の中でも特に娯楽が無いのです 遊びたいと思う
若者のレジャー はけ口はディスコ以外に無いのでは? 夜になると14
~20歳までの若者は ディスコに出かけて踊りまくり ウップンをはら
すようで どこのクラブも若者の熱気が充満している 私もY・Hで知り
合った仲間と行ってみたが 皆気さくで 初めて会う変てこ踊りのこちら
とも 女の子は喜んで踊ってくれた
汗一杯かいて滅茶苦茶に踊りまくったせいか 翌日腰が痛くてまいった

何でも 日本人はもてる 特に髪の長い男ほどもてるとか フィンランド
は元来アジア人種の血が流れているからか? 私の踊った相手の子からは
電話番号とか書いたメモを手渡された 他に2名から名前と電話番号だけ
のメモも残っている

f:id:HATTYAN0234:20200503140750j:plain支払メモを見てみると 翌日もディスコに出かけている その際に同行し
た相棒S君からは 踊りながらキスしていたぞと言われたが でも本人は
全く覚え無し!
ユースHでは門限というものがあって 2日続けて時間オーバーとなった
ために罰金として1回分1マルカずつ支払っている(これも旅のいい思い
出ですね~)

9月3日は 本来の予定ならばレニングラード行きの列車に乗っていなけ
れば? この件については 次⑫「1972年の夏最終章」で詳細に記載

追記:相棒S君に種々質問(主に別行動の行動記録)
   オランダからは別行動開始 アムステルダムでは街を散策し運河を
   巡る遊覧水上バスに乗った 説明が仏語か独語だったので どちら
   も?であり独語を選択した コペンハーゲンでは もちろん人魚姫
   の像 あとは街の散策とチボリ公園・・・
   ヘルシンキへ行くフェリー船で食べたスモークボガードがすごく高
   かったと記憶 それとヨーロッパは北に行くほどタバコ代が高くな
   るのが印象的
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考:面白いところに目を付けたので 自分が購入したタバコ代金を記載
   日本の免税店で購入 1箱 33.3円(ハイライトかピースか)
   ロンドンの空港で  1箱100.4円 ケントを購入
   マドリッド市内で  1箱61.75円
   チューリッヒ駅で  1箱135.1円 ダンヒルを購入
   インスブルックで  1箱143.7円
   アムステルダムで  1箱163.4円
             1箱140.1円
   ヘルシンキで    1箱 80.1円
   ハバロフスクで   1箱 66.3円
   一番物価の高いコペンハーゲン ストックホルムで購入していない
   のでここに記載できないのが残念ではある
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(S君の印象続き)
ストックホルムでは市庁舎ほか街の散策 ヘルシンキでは朝市とディスコ
の記憶 列車のトラブルでユースHにもう一泊する羽目になり ユースH
に領収書をもらおうとしたら 拙い英語のせいかユースHの人に叱られた
(帰国後 列車代金とここの宿泊費を損害分として請求するためだった)

毎日の使ったお金(FIM)について記しておく  1FIM=73.6円
・9/1    デュロステチョコレート(オランダのドロステでは?)市電
    0.5M×2 荷預け1M ホットドッグ2個2.4M ビスケット
    2M バナナ1.6M パン2M ユースH2泊分11M 
    コーヒー0.6M ディスコ4M+チップ1M ビール1.54M
    市電1M YH罰金1M  
・9/2    ロッカー(ユースHに設置)1M スーパー13.65M 市電
    0.5M ディスコ(モンティ)5M  ビール2M 市電1M 
    YH罰金1M
・9/3   スーパー6.05M 市電2回分1M 電話2.25M ロッカー
    1M×2 ミルク0.48M 市電0.5M YH5M
     (電話代 ソ連か日本の大使館に架けたもの? 詳細は最終章)

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ヘルシンキで3泊したユースHどこだったかを推理(地図で中央上端部)
オリンピック競技場近くという微かな記憶を基に検索 「スタディオン」
という 駅から路面電車15分 徒歩5分のユースHに何とかたどり着き
ましたが・・・・・   
上の推理が正しいと確認できるブログを偶然発見「欧州バックパッカー
旅」と銘打って 我々の前年1971年に シベリア鉄道経由ヘルシンキ
に入った方が ユースH「スタディオン ホステル」に宿泊されていたと
の記載があったのです
我々同様 朝市とディスコを楽しんでいる様子の旅日記でした このユー
スHは 1952年ヘルシンキオリンピック時に 選手のシャワールーム
と控室であった 一部を改築しユースHにした 写真がイメージ通りだっ
たのでビックリしました

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      1971年に撮影(さすらいおじさん)されたものを転写