1972年の夏⑥ユーレイルパスdeスペイン

8月11日(金)パリからマドリッドへの夜行出発で ユーレイルパスを
使用開始
  注:ユーレイルパスの裏面にはバルセロナ駅の8月11日の消印が!
    ということは パリからの経路では バルセロナ駅を経由して
    マドリッドに向かったということです

早速車内泊です カナダからの二人の中国人の女の子と話し合うチャンス
が持てた トランプでナポレオン(中国語でユークーと言うそう)をした
が 結果コテンパンに負けた さすがに相手二人は英語がうま過ぎた
(こちらが下手過ぎたのです)車中のパン代2.2F ジュース1瓶1.1F
(・・・・これが夕食?)

<スペインでの行動足跡>
 8月12日  マドリッド市内~トレド旧市街
        駅で中国人二人にサヨナラの挨拶せずで少し心残り
        アルバイト先のS・Hさんのお兄さんが市内にいる
        というのでTELするも不在でした 残念でした~

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 8月13日  マドリッド市内~プラド美術館~闘牛見物
 8月14日  コルドバのメスキータ
 8月15日  地中海マラガで水泳
 8月16日  グラナダアルハンブラ宮殿 そして夜行列車に乗車

 8月17日  18日早朝にかけフランスのリヨンに着くまで車内生活
        旅行中一番の空白がこの車内での記憶 相棒S君に質問
        してみたが「列車から見た風景が結構殺風景で 昼夜の
        寒暖の差が大きく長く列車に乗っていた「移動時間」と

 以下 各観光名所の寸評が日記に残されている(パリ市内と同形式で)
・壊れかけた街が大好き(当時はそういう風に表現していたんだなあ)で
 も暑い!トレドには歴史がそのまま残存している エル・グレコの面影
 がフッと漂う街角に スペインの匂いをかぎ取ることができたと
 (何を気取っているのでしょう) 

参考:8世紀のトレド イベリア半島は約600年のローマ帝国支配の中
   道路網が完備され どんな山奥にも橋がかけられ またキリスト教
   も浸透していった
   その後ローマは衰退し 西ゴート王国支配下となり最初の発展期
   を迎えることに
   8世紀の初期にはイスラム教徒によって支配権を奪われるが 当時
   はキリスト教 ユダヤ教 イスラム教は共存していた
   キリスト教による軍事力 イスラム教徒の農耕・灌漑・建築・工芸
   ユダヤ教徒の科学・医学・国際的な金融感覚が一体となったトレド
   の文化水準は 当時の欧州でもずば抜けていた
f:id:HATTYAN0234:20200430132500j:plain 先ずは セルバンテスの像の前に建つドン・キホーテと従者サンチョ・
パンサ像 スペイン広場での有名な待ち合わせ場所になっているとのこと

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アルバムを見ていて分かったのは トレドで「サント・トメ教会」に入場
していたんだあということ(37年後に再訪したとき入場できなかったと
悔やんだが・・)

f:id:HATTYAN0234:20200525162942j:plainエル・グレコの傑作「オルガス伯爵の埋葬」壁にはめ込まれた大きな絵で
上下二部構成 天界(魂の昇天)と地上(肉体の埋葬)を描いている 
撮影禁止で大塚国際美術館の陶板画からの転写 エル・グレコ自身と彼の
息子がこちらを見つめている

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 METRO アトーチャ駅 「世界の名駅」の一つです 落葉の押し花は 
意味不明です

プラド美術館にはゴヤの名作「裸のマヤ」の原画がある・・・・・・・
 まあすごい 世界三大美術館にある絵を原画と表現することにビックリ

プラド美術館で会った大垣から来ていたご夫婦に 車に乗せていただき
 闘牛場へ 闘牛は少し残酷だ この日だけで 7頭もの牛が殺された 
 けれども闘牛士は恰好いい マタドールは やはりものすごい人気で 
 場内の拍手が鳴りやまなかった
 ハンカチが振られ 座布団が投げられる スペイン人の血のたぎりなの
 でしょう 同じ国技でいえば 日本の大相撲で横綱が負けて座布団が飛
 ぶのとは違うかな?

f:id:HATTYAN0234:20200601115244j:plainはるか上の方からの見物でした 日本人も多数いるなか下方に ルーブル
で一緒だった女の子がいた 何かの縁がと声をかけたかったが 出口近く
で はぐれてしまい残念!

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マタドールとは「牛に止めを刺す主役の闘牛士」のこと
肩甲骨の間わずか5㎝の急所に剣を突き刺す このとき剣の位置がズレて
牛が吐血したり 何度も突き刺すことは「闘牛美学」に反します 牛を苦
しめず一瞬に止めを刺すことが見事とされ拍手喝采となるのです「真実の
瞬間」と言われています

スペインを舞台にした映画と言うと ヘミングウェイ原作の1943年版
(日本では戦後1952年)「誰がために鐘は鳴る」ですが 主演のイン
グリッド・ヴァーグマンにうっとりしている間にエンドマークが 中身は
残念の一言です この後に回るコルドバグラナダこそは「ムーア人から
の国土回復運動(レコンキスタ)」と呼ばれる歴史上の大事件の表舞台で
あり 舞台に関しての歴史映画はあったかな?
それで思い出される映画こそ1961年「エルシド」です ベン・ハー
次いでのチャールトン・ヘストンの独壇場 超スペクタクル大作なのです 
祖国の大英雄シッドは「死して馬上の人となり ここから伝説が始まるの
です」と締めてエンドマーク 体に震えが起きます 感動です 

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エルシド(本名ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール)のサイン 

余談ですが 後日スペイン再訪時に ツアーのガイドさんに頼んでおいて 
ようやくエルシドの銅像に巡り合えました 残念ながらツアーの他の皆さ
んエルシド?誰?

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セビリアの道路中央分離帯に建つエルシド像です

コルドバでは 何と言ってもメスキータ イスラム教とキリスト教の合
 作建物でとても特異な雰囲気だった(当時写した写真が見つからずイン
 ターネット転写)

f:id:HATTYAN0234:20210205173044j:plainアーチの数約850本 まるで合わせ鏡のように 同じ形が奥へ続きます

見事! 実は キリスト教の大聖堂に増改修する際に 一部のアーチが取
り除かれたのです 本来もっともっと アーチの森は深かったのだとか 
(参考:現在一部分を復元中だとか)

f:id:HATTYAN0234:20210205173213j:plain次にイスラム・キリスト融合の礼拝堂を 両者は向き合っているのです

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左がイスラム教徒の祈りの場「ミフラーブ」メッカの方向に向けて祭壇が
右はキリスト教徒のマヨール礼拝堂 明るいイメージです
注:メスキータとはスペイン語でモスクの意 下はコルドバの市内

f:id:HATTYAN0234:20200430133221j:plain・マラガは避暑地なので宿泊するところが無く困っていたところ 親切な
 米国人が自分らの部屋を貸してくれた それで彼らは?というと 屋上
 で寝ているのです 翌日はこの米国人たちと海岸でいろんな話をした 
 なりは大きくても心根はすごく優しい 卒業後は教師になるそうです
  
 フランスのシャルトルといい 今回の男女4人といい アメリカ人は男
 女2組で海外旅行する 羨ましい! 今回はキャンディス・バーゲン
 の美女がいた
 
 地中海の水は井戸水のように冷たく 無理して入るも5分ともたない

f:id:HATTYAN0234:20200430131534j:plain 左から私 相棒S君 ハワイ島ヒロ出身マーロン・ライスさん 明治大
学の2人 明大の二人とはコルドバ~マラガ~グラナダと丸二日間同行し
たが全く印象残らず

アルハンブラ宮殿 どこからか ♪アルハンブラの思い出♪ が聞こえて
 来そうと言いたいが 少々イメージダウン 皆ワンダフルと言うが 
 私はワンダフル以上を期待していたのだ 私をスペインへと導いたこの
 宮殿の魅力をこの日実感できなかった 「世界の旅」で兼高さんがあま
 りにも魅力的に紹介し過ぎたせいか?

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 ここで兼高さんの名言:世界の旅を長年にわたって多くの方たちが楽し
んで観て
くださったのは本当に嬉しいことです でもテレビの旅番組は 
あくまでもプロ
ローグ その先の物語をつくるのは自分自身なのです

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上の3枚は「コマレスの塔と天人花の中庭」
水 光 花は無味乾燥な砂漠の生活に やすらぎを与える三要素であり 
それらをふんだんに保つために 中庭はアラブ建築に必須の存在であった

参考:歴史上の舞台として重要と既述しました 11世紀からのレコンキ
   スタ運動 実は最後は1492年のアルハンブラ宮殿陥落で終了し
   たのです 陥落までに数年要しましたが それだけ守備に強い難攻
   不落のお城でもあったわけです
   グラナダの征服者イサベル女王は と同時にコロンブスを援助して
   新大陸発見から スペインによる世界制覇の大航海時代の幕を開け
   ました
   イスラム教徒を追放したあと モスクは接収され教会となるが 
   アラブ様式は破壊されることなく キリスト教文化に接ぎ木された
   これはイスラム教徒が首都と定め大繁栄したコルドバのメスキータ
   を見ても十分理解できるのではないでしょうか

有名なライオンさんと綺麗な庭園
12のライオンが噴水となっている中庭は「ハーレム」で王様の快楽生活
の営み場 噴水は水時計 1時には1頭が 2時には2頭が 12時には
一斉に水を吐き出す ネバタ山脈と中庭の標高差により サイフォンの原
理を応用し雪解け水を運びます

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参考:ハーレムに付き物の浴場(バーニョ)は アラビア人にとり深い意
   味を持つ「精神を浄化する聖なる場所」と考え 入浴前には口 手
   足の順に丹念に浄めた 口は良からぬことを話し 手は良からぬこ
   とを行い 足は人を罪を犯す場所へ導く この浄めの儀式こそは
   コーランの格言に忠実を尽くすイスラム教徒の務めである

最後に湯蒸気で身体を浄めたアラブ王は もはや厳しい戒律から解放され
全裸の美女たちと 2階では目をつぶされ 宦官にされた楽士達が音楽を
奏でる

アルハンブラで スペインの美しいセニョリータ2人と知り合うが 
 あまりの美しさに上気し言葉が出て来ない 第二外国語スペイン語
 2年間(優)の成績を取ったのは何だったんだろう(女王と同じの)
 イサベルという名の美女だった

参考:スペイン語ってあるの?と言われると 厳密に言うと存在しない
   スペインはEU域内の多くの国と同じ多言語国家である 使われて
   いるのはカスティーリャ語 カタルーニャ語 バレンシア語 バス
   ク語他などである
   現行憲法では「カスティーリャ語は国家の公用スペイン語である 
   全ての国民は この言語を知る義務と 使う権利を有する その他
   のスペイン諸語も 自治州内で 自治憲章の規定で公用語となる」
   どうしてカスティーリャ語? それは既述のレコンキスタ運動の過
   程の中で カスティーリャ王国が中心となりグラナダでの勝利から
   統一を実現したため

スペイン王国の国旗について
国章はスペインの4つの古い王国 カスティーリャ レオン アラゴン 
ナバラの紋章からできている(ここにカタルーニャは入っていません)
北東部のカタルーニャ州バルセロナ中心)は独立心旺盛で 長い間自分
達の国をつくる運動をしている 人々は「アスタラーダ(星付きの旗)」
を窓からつるし 運動の成功を願っている

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左が国旗 右はカタルーニャ州の旗
f:id:HATTYAN0234:20200531174128j:plain毎日の使ったお金(西ペセタ)について記しておく 1ESP=4.75円
・8/12 ホテル代100P 手数料12.5P TEL代2P タクシー代
    25P 果実26P 昼食36P(ビールとホットドッグ)サン
    トトメ教会
5P グレコの家25P 壁飾り100P ズタ袋
    180P 地下鉄4P コーラ2本15P シャワー代23P 
    夕食125P   マドリッド1泊
・8/13 地下鉄2回10P 荷預け10P プラド美術館50P パンフ
    10P アイス3個12P 昼食50P 帽子60P 闘牛40
    P パン18P タバコ13P 牛乳1リットル18P 
    ジュース25P コーヒー8P

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・8/14 荷預け10P×2 マッチ入れ45P 昼15P(コーヒーと
    パン) 皮水筒300P 果実20P マッチ箱10P 
    体重計1P(55㎏) ルマワイン9P  バス代12P×2と
    6P 夕食代40P マラガ1泊
・8/15 宿泊代100P 朝食25P 昼80P バス25P ジュース
    7P アイス12P 宿代50P 夕食12P   グラナダ1泊
    (この日宿泊代が2回あるのは どちらか米国人に渡したから)
・8/16 荷預け10P 大伽藍15P 絵葉書4P アルハンブラ宮殿
    50P 土産200P 朝食20P パン13P 牛乳23P 
    果実12P 
・8/17 夕食40P(ビールとパン)                    車中泊2日
    「車中泊2日」これが不気味 空白の2日間なのです 旅日記に
    「お尻が痛くなるし退屈だし おなかは空くし 汽車は遅いし 
    駅には長く止まるしイライラし通し」と(16日夜グラナダを発
    ち 18日早朝リヨンに着くまで) 謎です

f:id:HATTYAN0234:20200702154925j:plain参考までにスペイン鉄道路線地図を出しておきます(2019年のもの)
地中海沿岸に沿ってバルセロナまで行ったのかと思い込んでいましたが 
線路を結ベません マドリッド~サラゴザ~バルセロナと大回りしたので
しょうか・・・・

高峰秀子の旅日記「ヨーロッパ二人三脚」新潮社
1958年 彼女が34歳のとき ベネチア映画祭出席のあと 夫の松山
善三と二人で7か月欧州を旅した際のもの 彼女の死後に日記が発見され
発刊された
パリ~マドリッド~イタリアそしてドイツと自由気ままな旅で 内容は本
音満載 ここにマドリッド編から抜粋してみます  

パリから夜行列車でマドリッドへ 起きるとあたりの風景は ガラリと変
わっていて 見渡す限りの青々とした土地に なだらかな起伏があり 
ポツンポツンと白壁の背の高い家が建っている 日がカッと強く照ってい
て 壁が光って美しい

・人々はほとんど髪も眼も黒く 何となく親しみがある
 スペインは朝10時から昼が朝食 2時~4時昼食 夜食は10時から
 だそうでフランスに輪をかけた遅さである

プラド美術館に行く グレコが沢山あり 初めて良さを知った
 有名なゴヤの二人美女「裸のマハ」と「着衣のマハ」も見る

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと脇道にそれて
マドリッドは今やヨーロッパ有数の「美女の産地」 そしてスペイン美女
の代名詞ともなったペネロペ・クルスの功績は大きい おそらくスペイン
史上初めてハリウッドでも抜きんでた評価を得るトップ女優となった人だ
ろう エキゾチックとはまさにこの人 一度見たら忘れられない個性的な
彫の深さ 黒々とした大きな瞳 豊満な肉体 彼女こそが「裸のマハ」を
思わせる マハとは 特定の女性を指すのではなく スペイン語で「小粋
な女」という意味で ペネロペ・クルスは典型的なマハであろう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
元に戻って
・ナイトクラブで本物のフラメンコを見る アラエッサッサの安来節のよ
 うだ 女も男も実にエネルギッシュな踊りで 汗まみれになり髪を振り
 乱して踊る 男のは闘牛の形を取り入れたものだそうで 女も裾の長い
 服で踊る時は足さばきやキマリの見えが実に日本風である しかし 
 日本の地唄舞いの難しさにはとても及ばない 矢張りある程度肉もつき
 年もとった女の方が感じを出すものである

・(再び夜行列車でフランスへ移動した際の感想)
 ジェラルミンのような汽車で揺れること 揺れること
 (国境越えでフランスに踏み入れ)
 全てが寛大で (税関も)ユーモアがあり面白い フランスの方が汽車
 も良いし揺れないのでぐっすり寝た 洗面器にオシッコ(大女優がこん
 なことする?)  
 (まあこんなことをメモに残すのも自分だけの旅日記だからでしょう)