1972年の夏⑩ミュンヘンオリンピック

8月26日(土)5:30起床 ミュンヘンへ行くために早起きしました
オリンピック日和 我々3人(昨日の北九州市の女の子も一緒)で出発!

ミュンヘン駅到着後 新市庁舎にある仕掛け時計を見てから会場へ行くと
すごい人波! 会場横の小山からは 内部が少し見られるので人人人です
公園内に設置されたテレビが故障中で 内部がどうなっているのか不明?
ようやくお店に飛び込んで日本選手団の入場シーンを見る 周囲にいた
日本人が一斉に「Japan!」 これには店員さんもビックリ

f:id:HATTYAN0234:20200503091528j:plainビール産地の合言葉 「ミュンヘン サッポロ ミルウォーキー」が有名
ですね この年2月に札幌で冬季 8月にミュンヘン夏季オリンピック
開催となり 2月にミュンヘン市長から正式申し込みがあり 8月の大会
開催中にミュンヘン市役所で 両市の「姉妹都市提携調印式」が行われた
(注:末尾に訪問都市の姉妹都市掲載)

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場外にある左上写真の小山から 右写真のように競技場内が見えるのです

参考:オリンピック映画と言えば 当時は白黒ですが ベルリンオリンピ
   ックの際の「民族の祭典」「美の祭典」が有名です ヒットラー
   リーフェンシュタール女史の合同製作といえる記録映画で 市川崑
   監督の「東京オリンピック」と双璧と言えます 今回はミュンヘン
   戦争とは無縁であってほしい(と思っていました)

ドイツを舞台にした戦争映画と言うと 1961年の「ニュールンベルク
裁判」と1969年 L・ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」の
二作品が頭に浮かびます 敗戦側は戦犯国としていい様に罰せられますが
あまりにも一方的では?

アルベール・カミュが1947年「ペスト」を出した 
感染拡大で閉鎖された町 住民側の団結対ペストの恐怖に 戦時中のレジ
スタンス側とナチスへの協力者の横暴をかぶせて 不条理の帝王が世界中
の人に訴えている 
戦後 勝者が敗者を一方的に非難する事態に「簡単に事の良し悪しを語る
な」と叫ぶ作者 実際戦時中レジスタンス側のカミュは 戦後ナチスへの
協力者を弁護する 
 
聖火ランナー登場 聖火がなかなか点火せずイライラ・・・・・
西ドイツ入場 公園にいる西ドイツの若者達一斉にインターナショナルを
歌い出す すると そばのおじいちゃんが「やめろ やめろ!」と興奮 
何なのでしょうか?

追記:相棒S君が後日書いた随筆がありますので一部抜粋 
   スタジアムを望むなだらかな丘陵の斜面に千人近い若者が整然と座
   っているのが見えた 最初はオリンピックの関係者なのかと思って
   いたが なぜか違和感があり気になって見ていた
   しばらくすると遠くから聖火ランナーが 丘陵の下で待っていた次
   のランナーに聖火をリレーしようと走って来ているところで若者達
   が一斉に立ち上がった やがて彼等の大きな歓声が聞こえてきた
   「インターナショナル」だということが分かった 若者達の素晴ら
   しい歌声の下 聖火ランナーが悠然と走り去るという 絵を見るよ
   うな情景に不思議な感動を覚えた
   おそらく大学生だと思われる若者たちのオリンピックへの 彼らな
   りの抗議行動ではなかったかと思うが そこには主義主張は異なっ
   ても同じ若者同士通じるものがあった 華やかなオリンピックの表
   舞台ではないが この情景は今でも忘れられない
                    「放送界」2005年陽春号

  
聖火が点火 そして一部のお客さんが出るため ゲートが少し開いた瞬間
我々3人 逆に飛び込んだんです それで 後の選手団退場シーンを見る
ことができた
8年前の地元東京オリンピックの際でさえ見物できなかったのに 外国の
ミュンヘンで見ることができた! 感激で涙がこぼれそうだったのです 
あっソ連 アメリカだ  わあ~日本選手団だ 子供たちと選手たちとの
交歓も ほほえましいなあとの思いを胸に刻み またも夜行列車に乗って
フランクフルトに向かいます 

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「世界の名駅」の一つ フランクフルト中央駅です

8月27日(日)5:45起床 フランクフルトの早朝の様子をさらっと
見てからハイデルブルクへ 

f:id:HATTYAN0234:20210204055538j:plainまた女の子2人と知り合って 一緒にハイデルベルク城を見学した
(いや~ 上智大学4年のお二人に案内してもらったという方が当たり)

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f:id:HATTYAN0234:20200523163348j:plain ハイデルベルクも大好きな憧れの場所
35年後の二度目の訪問時には ハイデルベルク大学構内をゆっくり散策
ドイツ屈指の名門校で学生数が3万人 学校側が6千人 まさに大学の街
(市人口は当時約14万人)
<ドイツは古城が多い国>
ハイデルベルク~ローテンブルク~ニュルンベルクプラハを結ぶ「古城
街道」は東西を結びます 南北を結ぶ「ロマンチック街道」より趣があり
ます お勧めです

f:id:HATTYAN0234:20200503091620j:plainハイデルベルク城の有名な「2万リットル入りワイン樽」は見ているだけ
でも酔いそう ワインを2杯飲んで そして食事に行く 女の子(可愛い
場合)と一緒だと いつもならパンだけで済ませるのに お金を奮発して
しまいますが 止むを得ず!
(この時点で 「ハイデルベルク学生のキス」チョコレートの存在を知っ
ていれば 当然にプレゼントしていたでしょう 事前勉強不足ですね)
注:この日の女性二人とは 帰国後 秋の早慶戦を一緒に観戦をと誘い
  実現しています
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駅に戻り 立ち食いソーセージを食べ 本日もユースHに宿泊できました
参考:ユースホステルと言えば ドイツで1912年に発祥の世界共通の
   システム 日本からは会員証とシーツだけ持参しました(シーツ代
   が別途必要なので)

8月28日(月)6:25起床 毎日早起きですねー
本日はフランクフルト~ケルン~アムステルダムへ ドイツともお別れに
なります
(ユーレイルパスに無料で組まれている)ライン川下りをするのですが
眠っていた 有名なローレライの岩壁さえ なんてことはない イメージ
ダウンの川下りでした

ドイツのイメージの一つ目は 1931年製作の オペレッタ映画の古典
「会議は踊る」の劇中歌 リリアン・ハーヴェイの歌う「ただ一度だけ」
に具現されます
馬車に乗った彼女の可愛らしい笑顔と歌が 長回しでずーっと流れて行き
ます 軽やかなリズムこそ音楽大国ドイツそのもの 歌喜劇のクラシック
を楽しめます(参考:1980年NHKTVで映画音楽ナンバーワンに)

ミュンヘンに滞在していると 明るく 人なつっこい性格の人が多い 
ビールと白ソーセージが良く似合うし お祭り騒ぎが大好きなようです

(これと対照的なのが北ドイツではないでしょうか?) 
二つ目のイメージは マレーネ・ディートリッヒの存在そのものと言える
のでは?
1930年「嘆きの天使」と1931年「間諜X27」に見る彼女の退廃
的美貌と 100万ドルの脚線美 そして「リリーマルレーン」の歌声こ
そ 反ナチとしての彼女の真骨頂であり 一本筋の通った鋭利さとなる 

f:id:HATTYAN0234:20210205225527j:plainそれがケルンの大聖堂の尖塔として 見る者聞く者の胸にに突き刺さる
ケルン駅から見あげるほど聳える大聖堂は 見事!の一言 しっかと拝見

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左 駅の構内売店から見上げる 右 大聖堂とケルン中央駅を空中から
撮影の転写
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ちょっと脇道にそれて
オーデコロンは 18世紀ケルンで生まれた オーデコロンをフランス語
で言うと「ケルンの水」という意味の香水だそうです ナポレオン及び軍
の兵士が妻や愛人のためにフランスに持ち帰り 大人気になったとのこと
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そのままアムステルダム駅に到着し アムステルダムのユースHに宿泊

追記:相棒S君にドイツの印象を質問したところ
   何と言ってもオリンピックのミュンヘン まさかの開会式が見られ
   たこと 子供と思われたのかドイツ人に肩車をしてもらって退場
   行進を見ました
   ハイデルベルクの街や大学の雰囲気にひたれたこと 英米軍に空爆
   されたケルンの大聖堂(外見からは損傷は目立たず)を見ることが
   できたこと

ドイツ連邦共和国の国旗について
ナチスハーケンクロイツは別としても 随分変更の多い国旗なのです
最後は1989年 ベルリンの壁崩壊後 1919年の三色旗に戻った

f:id:HATTYAN0234:20200627185252j:plain毎日使ったお金(独マルク)について記しておく 1DEM=94.48円

・8/26 バス4S タバコ11S 荷預け1.2M 地下鉄1M 昼食
    3.35M ビール1.5M 絵葉書1M 切手7.35M 夕食
    4.85M パン5M 新聞0.8M(新聞って英字新聞でも買
    った オリンピック特集記事?)
・8/27    荷預け2回1M 地図0.5M アイス0.3M 市電1M  
    城入場料1M ワイン2杯3M 昼食7.4M アイス0.4M 
    コーラ1.2M ロッカー0.5M ユースH5M 夕食6.8M 
    ソーセージ1.6M (復路の市電代記載なし キセル?)
    (この日フランクフルト駅で1回 ハイデルブルク城でも1回の
    荷預け)

    おまけ:ソーセージって 13世紀にフランクフルトで生み出さ
    れたそうで「フランクフルター・ヴルスト」と言い長いのが特徴
    ミュンヘンでの「ヴァイスヴルスト」は皆さんから「白ソーセー
    ジ」と呼ばれ大人気です
・8/28 市電1M バス0.9マルク あとはアムステルダムで掲載継続 

高峰秀子の旅日記 「ヨーロッパ二人三脚」より
 昼寝をしたけりゃイタリーに 買い物したけりゃパリーに
 早寝がしたけりゃドイツに 忙しい思いをしたけりゃ東京へである
                  1959年2月8日の日記より
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参考:旅行中に訪れた(乗継中継地も含めて)都市の姉妹都市・友好都市
   ミュンヘンー札幌の提携に合わせ 訪問順に調べて記載しました 
   香港       大阪市  ビジネスパートナーシティとして
   バンコク     福岡県   2006・2
            愛知県   2012
            八千代市  2008・5(友好都市)
                 子供親善大使受入れ20年来の交流
   ボンベイ     横浜市   1965・6
   カイロ      東京都   1990
   ロンドン     東京都   2015・10(友好都市)
                 舛添都知事ボリス・ジョンソン
                 ロンドン市長(現首相)が調印を
   パリ       京都市   1958・6・・世界的観光都
            東京都   1982・7
   シャルトル    桜井市   1989・4
   ヴェルサイユ   奈良市   1986・11・ちょっと違和感
   トレド      奈良市   1972・9・・お似合いです
   リヨン      横浜市   1959・4・・歴史的必然性 
                 19世紀から絹を介し両市の交流 
   ジュネーブ    品川区   1991  (友好都市) 
   ベルン州     奈良市   2015
   インターラーケン 大津市   1978  (友好都市)
   ローマ      東京都   1996
   フィレンツェ   京都市   1965・・・とってもお似合い
            岐阜市   1978 
   ベローナ     長浜市   1992
   インスブルック  大町市   1985・・オリンピック繋がり
   ミュンヘン    札幌市   1972・8
   ウィーン     府中市   1992以降 多数都市・区
   ザルツブルク   川崎市   1992・・・似合わないなあ!
   フランクフルト  横浜市   2011
   ハイデルブルク  熊本市   1992・6
   ケルン      京都市   1963・1
   サンクトペテルブルク    ロシアは兄弟都市として提携
            大阪市   1979・8(国内第二の都市)
   モスクワ     東京都   1991
   ハバロフスク   新潟市   1965・4
   ナホトカ     小樽市   1966・9
            敦賀市   1982・10
            舞鶴市   1961・6
 以上の内ゴシック表示した5件の姉妹都市提携を「お似合いカップル」
 と認定します(あくまで個人的趣味)

参考:姉妹都市へのプロポーズ受けが多い京都市 現在の9提携都市一覧
   パリ          1958・6
   ボストン        1959・6
   ケルン         1963・5
   フィレンチェ      1965・9
   キエフ         1971・9
   西安          1974・5 (平安京のモデル長安
   グアダラハラ(メキシコ)1980・10   
   ザグレブ        1981・10
   プラハ         1996・4

   ガムシャラとなって姉妹都市提携を急ぐ北京市は一帯一路を拡大
   すべく 日本の提携が少ない北欧にも 超積極的に押し掛けている
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