8月5日(土)何時に起きた?「朝食タイム」に間に合わず朝食抜き!
(宿泊代に朝食含む 翌朝は食べたがコメントも無く 極めて印象薄い)
ロンドン市内は 観光案内所で入手の 市内地図を見ながら周遊している
本日は 地下鉄5回分55ペンス 歩き回って喉が渇いたせいか アイス
2回で20P パンフ2冊購入で30P 1GBPポンド=100ペンス
=738円
本日の観光コースは バッキンガム宮殿の衛兵交代見物~トラファルガー
広場~ナショナルギャラリー~ウェストミンスター寺院~国会議事堂~
ロンドン塔巡り(20P)及びジュエル・ハウス(10P)~ベーカー・
ストリート(注)散策
注:ベーカー街のあるマリルボン駅は 宿泊のパディントン駅の次の駅近
にある ベーカー・ストリートの221b番地は名探偵シャーロック
・ホームズが親友ワトソン博士と共に拠点とした場所である これ
小説の中の住所であって実際には85番地までしかなかった でも
この住所に今でもファンが手紙を出すそうで どう処理されている?
ロンドンの住所は 番地とストリートから出来ており 宿泊ホテルの位置
を探しました 32CRAVANHILL GARDENSは 上の→で
示しています
ロンドンを舞台にした映画と言えば 007シリーズが有名で一番好きな
作品は何と言っても1964年「ロシアより愛をこめて」で ダニエラ・
ビアンキの色気が最高 古くは一番好きな女優の一人ヴィヴィアン・リー
が主演の1940年(日本公開は戦後の1949年)「哀愁」ですね
1953年邦画の「君の名は」はこの翻案 ウォータールー橋を数寄屋橋
にして大ヒットしました
1971年の「小さな恋のメロディ」や 近未来のロンドンを描いた同年
作品の「時計仕掛けのオレンジ」でも市内が写り込んでいるが 1952
年「マイフェア・レディ」のコヴェント・ガーデンでの花売り娘シーン
この映画出演料が何と100万ドル クレオパトラのE・テーラーと並ん
だ大女優ヘップバーンでした
確か衛兵交代式の様子は 門にしがみつき一番前列で見た?記憶がある
毎回11:30に到着して 40分間の交代式(Changing of the Guard)
では 衛兵の制服姿が超カッコイイ 黒いモコモコのベアスキンの長帽子
に真っ赤な制服(夏でも涼しいロンドンならではの制服)で 一流モデル
さんのようですね
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参考:後日になりますが ローマのクイリナーレ宮の広場でも衛兵交代式
を見ました 一言で言うと「スーパーマリオ」がゲームでジャンプ
する姿に見えました まるで漫画で威厳というものが感じられない
衛兵が子供のような身長で 周囲で見守る観光客の皆さんも 思わ
ず苦笑の連続であった印象が残っています それからデンマークの
コペンハーゲンで 遭遇したアマリエンボー城での衛兵交代風景も
質素で寂しいものでした
そうですね イケメン度で言うと バチカンそれとチェコのプラハ城にい
る衛兵が甲乙つけがたいのではないでしょうか?
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上の写真は「ホース・ガーズ(Horse Guards)」 近衛騎兵隊の司令部
てっぺんに房飾りがついた古風な金色ヘルメットに真っ赤な制服姿で馬に
またがった門衛は これぞイギリス!といういでたち 騎兵隊は この赤
い軍服のライフ・ガーズと青い軍服のブルース&ロイヤルの2種類からな
り 40人を超えるという 近衛兵の交代式もあるが 人垣も鉄柵もなく
間近に見学できる
(BEWARE HORSES MAY KICK OR BITE THANK YOUの注意書き)
分かりますか 写真撮影は8月初旬です 寒いのでセーターを着こんでい
ます ロンドンの緯度は樺太北部と同じなんです さすがに下駄ははいて
いませんね
ロンドン塔です 当時はスンナリと入場できましたが 昨年ロンドンに
再訪した際の情報では 先ず道が混んでいて駐車場も見つからない 見学
に要する時間が3~4時間となる観光名所で どのツアー(ロンドンを
1日で回る場合)でも立ち寄らない(立ち寄れない)とのことでした
学生時代に入っておいてよかった
ジュエルハウスは王家の宝石がすごい? けれども記憶に残っていません
ロンドン塔といえばヘンリー8世で 1970年の映画「1000日の
アン」で見た後訪れており アン・ブーリンに扮したジュヌヴィエーヴ・
ビュジョルドの強く美しい姿は50年経った現在でも ありありと瞼に浮
かびます アンの娘のエリザベスもここに幽閉されのちに異母姉メアリー
(ブラディー・メアリー)そしてスコットランドのメアリー・スチュア
ートと壮絶な争いを引き起こします
何と言ってもリチャード・バートンの演じるヘンリー8世がピッタリで
ビックリ 英国史で一番劇的な舞台がロンドン塔で 入った瞬間歴史の
重みで身震いします
上は国会議事堂(正式名称はウェストミンスター宮殿)ビッグ・ベンも
左はウエストミンスター寺院から見た国会議事堂(議事堂の周囲を歩いた
様です)右は国会議事堂の上院側に立つイギリス国王リチャード1世像
と言っても良く分からぬ方も「リチャード獅子心王」と言えば聞いたこと
があるはず 12世紀第三回十字軍の英雄で「中世騎士道の鑑」と称され
た人物でした(かく言う私もこの像が誰かを調べるのに 相当時間を使い
「ロンドン市内に立つ銅像」から多数の写真を検索し ようやく辿り着く
トラファルガー広場と ナショナルギャラリーにも行ったとの記載があり
ますが確かにネルソン提督像は写していました 一方ナショナルギャラリ
ーについては全く写真無し 大学生当時絵画については ほとんど興味が
なかったのか それとも館内撮影禁止だった?
トラファルガー広場とネルソンと並ぶと 1941年「美女ありき」が思
い浮かびます ネルソン提督とハミルトン婦人の不倫の恋ですが 演じた
ローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リー両人も不倫の恋で結婚した
映画=現実なのでした
ヴィヴィアン・リーの眼力はすごく 彼女にかかれば男性は一発でダウン
おまけですが 「英国感動紀行10日間」という私自身のブログに詳しく
掲載してありますので 絵画鑑賞は そちらをご参照ください
夜は 大学の先輩の女性と中華料理を食べに出かけました パブにも少し
入って英国独特の雰囲気を味わえました 中華75P アイスミルク?
10P 大学の先輩って 何の目的でここに滞在しているのか?記録が無
いので不明です
何歳上なのかも不詳ですが とても知的で魅力的な女性I・Hさんでした
追記:相棒S君から連絡 彼女は文学部英文学専攻で英語研修で来ている
8月6日(日)ロンドンの学生ハウスでは バルセロナからのスペイン人
の二人組と同室(4人部屋)でした 何故か住所・氏名をもらいましたが
興味無しです
この日も地下鉄を利用して 3回分で35P(10P×2 15P)
「The City」を見物とあるが この日は日曜 イギリス紳士もお休みです
この写真がどこか? 写り込んでいる騎馬像の下部にウェリントンと読め
たのでシティ・オブ・ロンドンの旧王立取引所の前だと探し当てました
ウェリントン公爵は ワーテルローの戦いでナポレオンに勝利した軍人で
あり且つ政治家です
セントポールズ大聖堂の写真がありました ここはW.チャーチル元首相
の葬儀やチャールズ皇太子と元ダイアナ皇妃の結婚式 サッチャー首相の
葬儀でも有名
ハイドパーク内でアイスクリーム25P「高すぎる!」と旅日記で怒り
左 ハイドパークを散歩 ここは ロンドンに8つ存在する王立公園の一
つです ヘンリー8世が1536年に ウエストミンスター寺院から買い
上げた土地です 1851年 世界初の万博がここで開催されました
右 地下鉄(Tube)の駅のプラットホームです
ロンドン1863年1月 世界最初の地下鉄がパディントン駅からスター
トした ただし石炭燃料で走る蒸気機関車だったため 車内や駅はすすけ
放題 不評だった
駅構内の感じ 丸いですね これはトンネルを掘りぬく面積を最小限にお
さえようと試みた結果 土を円形にくり抜くことになった 電車の顔も丸
い タイヤの中のチューブのようにどこで切っても丸い そこでTubeと
呼ばれるようになる 注:米語だとSubway そのSubwayを英語では地下
道(米語ではUnderground)
教会の日曜ミサにも参列し その荘厳さに感嘆とありますが 歴史の重み
ですね ロンドンは大好きな都市だ 2泊3日じゃあダメだ 最低1週間
ぐらいは この 静寂の中に浸ってみたいと記載あり(何をそんなに気に
入ったかが分からない)
もしかしたら この当時 日本人は「エコノミック・アニマル」と呼ばれ
働き蜂のようにせわしなく動き回っていたため その対比からの実感かも
知れませんね
イギリスのユニオン・ジャック
一見裏返しても同じデザインに見えますが 実は裏表があるのです
専門用語で言うと左下(ロウワー・ホイスト)の白地部分の幅の違いです
1606年 イングランドとスコットランドを統一したジェームズ1世は
2枚の旗を組み合わせて「ユニオン・フラッグ(連合の旗)」と名付けま
した「聖パトリックのX型十字」はアイルランドの古い旗 1801年
アイルランドがイギリスの一部になると ユニオン・フラッグに赤いX型
十字が加えられた
(注:ウェールズの旗はユニオン・フラッグに取り入れられていません)
次は花の都パリ ちゃんとスケジュールは組まれているのです
身支度をしていざ出発! その途端に 空港行きバスが今出たばかりと
判明する 仕方がなくタクシーを利用 その支払いの際ポンドの持ち合わ
せでは不足 ドルでも払うが 倍額ふんだくられる・・・と日記にはあり
請求は「3ポンド50P」で支払は「2ポンドと5ドルと10P」随分と
高い? 円換算で言うと 請求額が2,583円で支払額が3,055円
止むを得ずです 当時あったかは不明ですが チップ15%をオンすれば
支払額は妥当でしょう
参考:実は イギリスは1971年(訪問前年)十進法通貨制を導入した
ばかり それまでは十二進法と二十進法を使用 例示しますと・・
1ポンド=20シリング 1シリング=12ペンス 何か中途半端
ですね 1972年当時は 1ポンド=100ペンス スッキリ!
相手はロンドンタクシーです 「ブラックキャブ」といえば超難関合格の
運転手です 相手が観光客の日本人だからと言ってだますようなことは考
えられません
上のオースチン・FX4は 1960~80年代にロンドン・タクシーの
代名詞的存在であった
ロンドンでは終日雨か曇りが続いたが さすがに霧は見られませんでした
「霧の都」と言われるのは 二つの海流がドーバー海峡で正面衝突のため
グレートブリテン島の西側を 暖流のメキシコ湾流が一年中北上している
一方で北東からは寒流の北極海流が流れ込んでいる ぶつかり合った結果
暖かく湿った空気は冷たい寒流に冷やされて 大量の霧へと変化していく