1972年の夏③バンコクーカイロ~ロンドン

8月2日(水)22:20 エジプト航空でカイロへ
機内の隣席に西独 の「桜の女王」が座る いろいろ話ができて光栄の至り
彼女は日本のことを良くご存じで 日本中を旅行されていました

8月3日(木)01:10ボンベイ着で1時間乗り継ぎ休憩(コーラ20
セント)隣席にはボンベイから乗ってきたインドのご婦人が座るが これ
が大変な災難・・・体臭か香水か分からないが 眼から鼻から涙が出ます 
まるで玉ねぎみたいな感じ エチケットで我慢できる限界を超えています 
露骨に嫌な顔をして 毛布を頭からかぶって横を向いていたら どこかの
違う席に移動した様子 入れ替わりにドイツのご婦人が座る エレガント
な女性でうっとり 深夜なので話は控え目に ではお休みなさい

05:15 カイロに到着 タラップを降りると機関銃がこっちを狙って
いる さすがエジプトだあ というか最近 中東・アフリカはパレスチナ
ゲリラに神経質になっている(これが後刻9月5日のオリンピック事件に
突き進む予兆でした)
参考:カイロ空港 エジプト航空ハブ空港(別途カイロ地図参照)
   カイロ市街地中心部から北東に15kmタクシーで20分の距離 

ホテルへ行く途中景色を見ていると 1963年「アラビアのロレンス
が頭をよぎる 広大な砂漠が続き何とも素晴らしいが さすがに34°C
は暑いねえ!
ところで 砂漠と言えば「サハラ砂漠」 大きさはアメリカ合衆国とほぼ
同じ面積 アフリカ大陸の3分の1を占め 年々南下拡大中(5千年前比
千キロ南下した) タクシー代は50ピアストル レモンジュース10P

エジプトが舞台の映画と言えば ロレンスや1963年「クレオパトラ
が有名ですが 旅行との関係から言えば1956年「80日間世界一周」
でしょうね トーマス・クック社が1872年に世界初の「世界一周団体
旅行」を敢行した
経路はリバプールから船でニューヨーク~鉄道でサンフランシスコ~船で
横浜へ 東京を観光後 船で大阪・長崎・上海へ そしてシンガポール
マドラスカルカッタ 上陸後鉄道でボンベイへ 船で紅海~スエズ運河
~地中海 最後 鉄道でリバプールに戻るもので 計222日間を要した 
実はこの旅行期間中に 作家ジュール・ベルヌが「80日間世界一周」を
出版し それを基にし映画化された

気球・鉄道・蒸気船を利用し 80日間で一周できるか?という内容で大
ヒット 映画音楽 ♪Around the World♪も有名 「兼高かおる世界の旅
のテーマ音楽に採用され ここにトーマス・クックと兼高かおるが結びつ
くことになりました 

ホテルはコンチネンタル(これって今のインターコンチネンタル?) 
エジプト航空の関係から1泊分は航空料金に含まれている様子で 我々が
手配したホテルではない というかエアコン無しで暑かった記憶しかない
エジプトへ入国するには 必ずビザが必要だが 「24時間以内のトラン
ジット」であれば不要 そのため短い滞在時間からスケジュールはタイト
になってしまった
f:id:HATTYAN0234:20200428174348j:plainチェックイン後 ホテルガイドにギゼーのピラミッドとスフィンクス見物
を依頼 タクシー代は1.5ポンド(1EGPポンド=100ピアストル
=693.1円)

f:id:HATTYAN0234:20200630171229j:plain砂漠の真ん中にあると思っていたが ホテル並びの街路から一本道で案外 
楽に行ける場所にあり 拍子抜けでガッカリ ピラミッド入場料は50P
(注:現在調べるとピラミッドまで市の中心部から車で45~60分と)

f:id:HATTYAN0234:20200429125516j:plainラクダにまたがって これが25P ヨッタンコヨッタンコと揺れ乍ら進
みます 写真を見ると また下駄をはいている 下駄でピラミッドに入っ
たのは私ぐらいだろう カランコロンと歩きながら いやあ本心では登り
にくいなあ~と疲れた

f:id:HATTYAN0234:20200428174502j:plainさらにもう2枚あったので追加で掲載しておきます
人面獣身で有名なスフィンクスは アラビア語で「畏怖の父」といい 
ファラオや神を守護する聖獣とされている でも鼻を削られ イギリスに
長い立派な髭を持って行かれ(大英博物館に保管)愛嬌のあるブルドッグ
に見えると思うのは私だけか 

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カイロの町は何だか物騒だ 人々の目つきが鋭くて いざ町中に入ると
昼間でも心臓がバクバクする感じだ 異国情緒と言えば聞こえはいいが
さっさとホテルへ

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昼食でオマールワイン70P チップ7P(きつい味でまずい) ビール
30P ホテル内の様子や食事内容について 一切記載なく不明 記憶も
全くありません
追記:相棒S君からカイロの印象は?との質問に回答 
   印象はあまりない 無料のホテルはそれなりでしたが 部屋も暑く
   何か治安が悪い感じ 博物館に行こうとしたが休館で行けなかった
   ホテル内でも 食事の印象が全く残っていないのが不思議と・・・

参考:1980年代~1990年にかけ 日本のJICAが エジプトの
   農業を大々的に支援 従来からの米をジャポニカ米を基に品種改良
   して その後「ギザヒカリ」に育て上げた 今や日本の技術援助に
   よる灌漑水利で整備された田園風景(田植えも見られる)が広がっ
   ているそう かつては食料輸入国だったエジプトですが 現在では
   米の輸出国となっているので きっと親日国になっているでしょう

エジプト・アラブ共和国の国旗について
1952年 共和制を目指すエジプトの革命家たちが王政を倒しイギリス
の支配を終わらせた その際掲げられた赤白黒の三色旗が 「アラブ解放の
旗」として知られるようになった 共和制を理想とする他アラブの国々も
国旗に三色を取り入れた
エジプト国旗の中央にある国章は「サラディンの鷲」と呼ばれ カイロの
城壁に刻まれていた鷲の絵が元 1950年代アラブらしさの印として使
われるようになる

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 エジプトを離れるに際し どうしても世界遺産アブシンベル神殿について
書き留めておきたいー
世界遺産運動のきっかけは エジプト政府が 「アスワン・ハイダム」の
建設計画を発表した1952年にさかのぼる 灌漑施設によって食糧生産
をアップ 電力を10倍にアップさせることができるが ナイル河岸に建
古代エジプト文明遺跡「アブシンベル神殿」がダムの底に沈んでしまう

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移動前の神殿

エジプト政府は国際社会に対して<経済発展のためのダム建設と古代遺跡
の救済>両方を願い出た しかも当時 エジプト政府は ダム建設の支援
ソ連に求め アメリカと関係悪化 スエズ運河の国有化宣言で 利権を
巡ってフランスと軍事衝突まで起こしていた

ここで二人の関係者が立ち上がる 一人はルーブル美術館のエジプト研究
科の女性 時の大統領ドゴールに直談判 一人はエジプトの初代文化大臣
で 世界中でツタンカーメン展をひっさげキャンペーンを展開し 後日米
国のケネディが支援表明した 最終世界46ヶ国からの援助を取り付けた

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アスワンハイダムを上空から撮影したもの

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何とも無残 顔面の前半分がはがされてしまった

一枚岩の神殿を切断解体して移築 電動カッターやチェンソーは使えない
刃の薄いのこぎりで何人もが並んでノコを挽く それにラムセス像の頭は
50t クレーンで持ち上げられる限界が30t 苦渋の思いで顔の前面
を切り取った・・・・・・
1968年に 4年間の救済工事が完了した そして2月22日を迎える
神殿の奥のラムセス2世像に朝日が差し込んだ 文化が政治に勝ち世界遺
産条約に結びついた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

8月4日(金)予定では8時 UAA(ユナイテッドアラブエアライン)
でロンドンまで出発 途中ローマそしてジュネーブで休憩タイムがあるも
14:15着のはずが・・・・・・
遅れないようホテル早朝出発 タクシー50ピアストル(到着時と同額)
しかし空港で出国手続きに手間取り(出航税1ポンド)何と出発まであと
1分だ!大慌てで飛行機に乗ろうとするが どこへ行けばいいかさっぱり
分からずに あちこちで聞いてもはっきりしない もうダメかと思ったら
「飛行機は3時間ほど遅延」の案内 助かった~と息をつく 我々の横を
関西弁丸出しの団体が通り過ぎます こんなときは団体ツアーが羨ましい
苦労が無いもんね~
注:相棒S君から情報 空港のエジプト航空カウンター(窓口)が直前
  までオープンしていなくて焦った そうか それで右往左往させられ
  たのかと今さら合点する コーラ16ピアストル 絵葉書1ドル購入

機内では横か後ろかどちらかに居合わせた8歳の英国の女の子に折り鶴を
折ってプレゼント 「もっともっと」の声に結局14羽も折ってあげた 
彼女の名前はコリーン 可愛いんだあ~ 覗き込むスチュワーデスさんに
も1羽折ってあげました

お名前は?と尋ねたら 小さな紙に自分の名前を書き恥じらい乍ら渡して
くれた 大事に持ち帰ったのです(下のサインを参照) お土産以上に
記念になりました
えっ スチュワーデスさんではないですよ コリーンちゃんのサインです
お母さんとお兄さんと三人で旅行のようです

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上の搭乗切符のUAAって? エジプトとシリアの連合航空「ユナイテッ
ド・アラブ航空」のこと 1961年にシリアと分裂後 1971年には
エジプト航空」に改称されたのにまだ使われているのは? おおらかさ
か?何なのでしょうか? 

f:id:HATTYAN0234:20200428182508j:plain機内から見えるアルプス連峰(スイスとオーストリアの国境あたりか?)

ロンドンに到着 苦労なのがホテル探し 案内所で紹介を受けていざ出発
参考:ヒースロー空港からホテルまでどう行ったかの推理
   当日の支払いメモを見て (バス50P タクシー21P)判明し
   たのが市内近郊のパディントン駅まで ①空港バス「ヒースロー・
   エクスプレス」で15分(直行) ②「ヒースロー・コネクト」で
   25分(各駅停車)と2通りあり 終点からタクシー利用でホテル
   へというコースではないか? ようやくバス代50タクシー代21
   って何でバスの方が高い 料金逆転?の謎が解明できた

ケント3箱1ドル バス50ペンス 宿紹介料20ペンス タクシー21
ペンス そしてホテル代2泊分3ポンド25ペンス(当時のポンド為替レ
ート738円)
明日はロンドン市内見物だあ!

f:id:HATTYAN0234:20200428182545j:plainホテル位置 地下鉄はパディントン駅 ハイドパーク近い(下地図赤丸)

f:id:HATTYAN0234:20200429130214j:plain英国ヒースロー空港で両替実施
当時クレジットカードなど無く 日本からは独マルクのトラベラーズチェ
ックを持って来た これは盗難・紛失時に再発行してもらえるので安心な
ツールでした 両替表を見ると ドイツ100マルクが スターリングポ
ンド12.82であった
参考:当時は「外貨の持出し制限」があって3,000ドルであった

ここで出発の「1972年8月時点での訪問各国の為替レート」を掲載
       (アメリカドル      1ドル    301.4円)
       タイバーツ      1バーツ   14.5円
       エジプトポンド    1ポンド  693.1円
       英国ポンド      1ポンド  738.0円
       フランスフラン    1フラン  60.25円
       スペインペセタ    1ペセタ   4.75円
       イタリアリラ     1リラ    0.52円
       オーストリアシリング 1シリング 13.06円
       スイスフラン     1フラン  79.46円
       ドイツマルク     1マルク  94.25円
       オランダギルダー   1ギルダー 93.38円
       デンマーククローネ  1クローネ 43.66円
       スウェーデンクローナ 1クローナ 63.65円
         フィンランド マルカ    1マルカ     72.82円
       旧ソ連ルーブル    1ルーブル 125.8円