1972年の夏②羽田発バンコク4泊5日

1972/7/29(土)15:20エジプト航空MS865便で出発

当日は 大学のクラブ仲間が4人も見送りに来てくれた 現在では考えら
れないが 当時は海外旅行は とても珍しい事件だったのだろう 千円を
お茶代として渡注:大学時代のクラブ「シネマ研究会」今でも後輩たちが頑張って継続中
参考:海外渡航者数の推移(渡航自由化は1964年4月1日)
   1964年   128千人 1965年  159千人
   1966年   212千人 1967年  268千人
   1968年   344千人 1969年  494千人
   1970年   663千人 1971年  961千人
   1972年  1392千人 1973年 2289千人
   2019年 20080千人

f:id:HATTYAN0234:20200427184304j:plain空港免税店ではタバコを1カートン400円 フィルム2本1,160円
で購入した タバコが安いなあ~
(記事は 外国滞在中の金銭支払メモ 帰国後に友人あてに書いた旅日記
を基に記していく 記憶違い 記録ミスはご容赦いただきたい)

日記には 出発時の感想として 寂しいそして不安と期待が・・・とある
乗継の香港空港でトイレ(チップ10円 )  バンコック到着は現地時間で
21:30

<1日目の失敗>とある バンコクの税関に 当方のブロークン・イング
リッシュが通じずあせる 今晩宿泊するホテルが未定ということで さん
ざん嫌味を言われたらしい(複数の税関担当者が 早口でまくしたて良く
理解できず)結局は1日一人5ドルのホテルを紹介してもらう リムジン
代1ドル あせっていた相棒S君が ホテル玄関でボーイに1ドル手渡す 
部屋に着き「豪華だなあ~風呂付きである」とビックリしている 従妹の
服部たかちゃん(後にはJALのCAとして世界を飛び回り活躍)に貰っ
たウィスキーで一息つく 機内で食事が2回出ており おなかは空いてい
なかった 風呂に入り24:30 男二人がベッドを並べて寝ました 
ヒーヒーの1日目であった 
 参考:バンコックの空港は「ドンムアン空港」市内から北に約20km
    の距離でタクシーで30分 (現在はLCC用空港で 主空港は
    別に存在する)

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7月30日(日)8:30起床 朝風呂に入り9時に朝食16.5バーツ
雨が降ってきた バンコク市内の寺院見物するつもりが 日曜日は仏陀
休養日とかで近隣は閉まっておりダメ 蒸し暑い市内を歩いていたら偶然 
学校の教師という人に会い いろいろ案内してもらう この日の旅日記に
は 大理石寺院からサンデーマーケット~水上ハイヤーでワット・アルン
~エメラルド寺院~尼寺との記載あり
どこに入場できたのかダメだったのか どちらにしてもほとんど記憶無し
旧バンコックの生活を見て回る とても汚いメナム川で子供が泳いでいた
裏町を見学できたことは良かった
(注:帝国書院の地図で昭和49年までメナム川 今はチャオプラヤ川
帰り際この自称教師から ボート代として4ドル余(85バーツ)請求あ
り ああ観光案内人だったんだ~と仕方なく払う
追記:最新の「地球の歩き方」で 旅行者をだます連中のパターン分析が
   出ている 相手の方から声をかけてくる奴は信用するな!が最初に
   出てきます 日曜は仏陀の休養日で寺院は閉鎖というのもおかしい
   ですね 年中無休のはずですから・・・・でも一人4ドルで済んで
   よかった 変な店に連れて行かれてぼったくられなかったのだから

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ホテルに戻りプールに入り休息 一日中歩いたせいか足に豆ができ痛い!
ディナータイムになり 我々スーツにネクタイをしめて 颯爽とディナー
ルームに出かけるが 他に客がおらずしらける 2ドル余で充分満足した 
日記には吐き気のするほど食べたとの記載あり(PS タイでは米ドル強
く 1ドル約333.3円)
参考:旅行出発時点の タイバーツTHB為替レートは14.5円 ドルは
   301円 ドルは1971年8月のニクソン・ショックで360円
   の固定相場制が変動相場制に移行となり 順次円高に推移していく
   考えると1年間で360円→301円の円高になったのでラッキー

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明日の王宮ツアー(80バーツ)を予約する プールで250m泳いだと

7月31日(月)7:30起床し 朝食後9:30から「王宮ツアー」に
参加した R・Sホテルのバスで 1.5時間回る ハワイ出身日系二世の
女子と一緒であった 当日の写真を見ると 暑いのにワイシャツにネクタ
イをしている ネクタイ着用指定であった
このツアーの感想 王宮や仏像がキンキラキンで好きになれないとの記載

バンコクというかタイを舞台にした映画と言えば1956年「王様と私
原題がアンナとシャム王 デボラ・カーとユル・ブリンナー主演で王様役
ユル・ブリンナーの 剃り上げた頭の神々しさ 精悍さが強烈な印象と
して残っています
もう一本が1957年「戦場にかける橋」さすがのデビッド・リーン監督
作品です このブログには 後に「旅情」「アラビアのロレンス」そして
ドクトル・ジバゴ」と同監督作品が出てきます 世界中をロケで回れて
羨ましい 後日談ですが岸恵子さんが書いた「私の履歴書」には リーン
監督自ら「戦場にかける橋」への出演依頼があったという 日本映画界を
捨てパリで結婚という決意後であり断った 残念でした

帰国後になりますが バンコクの裏通りを撮影したシーンを見ることがで
きるのが1974年の「エマニュエル夫人」で 我々が歩いたときの様子
が思い出されます

f:id:HATTYAN0234:20210205170702j:plainなかなかの建物です インターネットからの転写です

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(同じ向きの写真を探すのが苦労でしたが いかがですか?)
王宮ツアーですが 何枚も写真は残っている ただしどこなのかが全く
不明でいろいろな観光名所の写真を見比べついに「これだろう」と発見し
たのが上と右下の写真の場所「ドゥシット・マハー・プラーサート宮殿」
王宮内で最古の建物で歴代王の戴冠式に使われて来た 極彩色の屋根を載
せた壮麗な姿を見せていますね

f:id:HATTYAN0234:20200502162650j:plainもう1つ 王宮敷地内にあるのが「ワット・プラケオ」です インター
ネット上で私の写真と同じものを逆引きして探しました それが上の左
の写真と下の写真

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「ワット・プラケオ」は王族専用の寺院で 翡翠でできた仏像が祀られて
いて 別名エメラルド寺院といわれる所以です 仏像の衣装は年三回国王
自ら取り換えます

f:id:HATTYAN0234:20210205170839j:plainついでに仏像と王宮の敷地地図も

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f:id:HATTYAN0234:20200618124047j:plain日本料理店のEVERGREENで 天ぷら定食と日本酒(計2ドル余
45バーツ)味はまあまあとの記載あり(この店名を検索すると今でも
存在しているようです)

そのあと「泰文堂書店」という本屋に入りタイの穴場探し ここには日本
語を話すタイ人女性がいた 下駄をはいていたので ジロジロと見られた
ちょっぴり恥ずかしい

ホテルでゴーゴークラブを紹介され出かける ビール2本が50バーツ 
ついた女性にチップ20バーツ 後から考えると少々高いかも? 
(お酒が入ると換算は無理)
昨日と本日のホテルでの朝食は コンチネンタル・ブレックファースト
(コーヒー ジュース トースト バター ジャム)16.5バーツ也と
比べてみれば分かります

クラブで知り合った女性に このホテルは高い 私達が紹介すると明日の
1泊分宿泊ホテルを変えることになった (翌日METRO HOTEL
に移動することに)


8月1日(火)ホテル精算3泊分355バーツ タクシー15Bでホテル
を移動し ついでに泳ぎに行きましょうというので 僕らと女の子二人計
4人でパタヤビーチに行く バンコクから160キロ 相当時間を要して
少々不安なドライブではあった

参考:パタヤビーチ 1960年代以前は小さな村に過ぎなかった 大き
   な変化はベトナム戦争で アメリカ軍がこの辺りに空軍基地を作り
   米軍人用保養地になった(ベトナム戦争は 1955年11月~
   1975年4月で 我々の旅行当時も戦争中だったのです)

人はあまり泳いでおらず 水上スキーヤーが多かった 今はタイの雨期で 
空が低く 太陽が見られない 女の子がいろいろなタイ料理を食べさせて
くれた もち米が多くて正直美味しくなかったが「おいしい おいしい」
と食べたとの記載が残る
ビーチでもなぜか 下駄が注目の的であり 女性たちもほしがった・・・
本日の車代5ドル 昼食10バーツ シャワー代3バーツ 夕食代1ドル
であった 最後に 名前を聞いてみた MALEE PUNDEE19歳
1児の母とのこと(ご主人は米の軍人で どうも行方不明のよう まるで
ミス・サイゴンのよう?)

f:id:HATTYAN0234:20200427185348j:plain8月2日(水)6時起床 朝食12.5バーツ 
11時チェックアウト ホテル代4ドル こちらのホテルの方がなじ
み深い
タクシー5バーツでタイ大丸へ New Japanで 握り寿司とビール
(37バーツ)フランスパン5バーツ購入 
President Hotelで コーヒー注文5バーツ まずい!

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(写真 泰文堂の日本語話す女店員)
参考:タイ大丸1964年開店 タイ初の日系デパートで 日本の雑貨・
   ファッションを取り扱う タイ初エスカレーター設置の最新デパー
   トだったが 1998年日本のバブル崩壊バンコクの大型ショッピ
   ングセンター開業で過当競争となり撤退した

f:id:HATTYAN0234:20210206101251j:plain訪問国の国旗もこの際覚えておきましょう
先ず最初はタイ王国です 20世紀初め 欧州の国々と親交を結ぶと国旗
を現代風に変えた 赤白青はアメリカ イギリス フランスと仲良くする
ことを意味します

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市内を16時に離れ空港へ 16:30空港到着 カイロへの便は
22:20です(空港で6時間って? こんな時間の無駄遣い 無計画の
極みですね・・・・・でも不勉強でどこへ行けばいいのか分かりません)
バンコクを後にしてカイロへ向かいます 羽田を土曜に出発すると 次に
バンコクを発つ便が月曜か水曜なのです 月曜では観光が正味1日だけで
それで水曜にしバンコクで4泊費やすスケジュールとしたのです

f:id:HATTYAN0234:20200502162842j:plain 追記:バンコク市で別途28ドルの支払いあり(相棒S君と共有事項)