2023年3月 大阪・京都桜紀行8日間③

善峯寺の見事な桜(桂昌院枝垂れ桜)と日本一の遊龍の松

<5日目 3月28日(火)>京都洛西・西山桜紀行

ホテルでさっさと朝食を済ませ 本日は洛西の桜に面会できます
国際会館から地下鉄四条下車 烏丸から阪急京都線東向日駅
本来は 1駅前の洛西口駅で電動自転車を借りてサイクリングと
決めていましたが どうしても途中の道が不安 坂道も多いので
阪急バスでのコース設定に変更しました

東向日駅バス出発8:42 善峯寺バス停9:09到着
戻りのバスは10:24 1時間に1本ですとアナウンスあり
寺までの300mが難所とは聞いていましたが この急坂です
左写真看板には 清心にてご参拝いただき よい仏縁を結んで
いただくことを願っておりますと・・・

「そうだ 京都、行こう。」で有名な善峯寺山門に到着
ようやく来ることができました

観音堂(本堂)桂昌院の寄進で再建されたお堂

鐘桜堂(つりがね堂)一突き100円也(昨年までは50円以上)
将軍綱吉の厄年にあたり桂昌院から寄進され「厄除けの鐘」と言われる

護摩堂 本尊は五大明王 桂昌院により建立
桂昌院が小さい頃遊んでいた場所 応仁の乱で焼失したのを嘆き再興

遊龍の松 五葉松で樹齢600年以上 平成6年に松くい虫の被害で
全長50mほどの松が15m余り切断され現在は37m 日本最長の松

眼下に経堂が見えます 祈願成就の絵馬奉納所

ここの釈迦堂(腰痛・神経痛に霊験あらたかなお釈迦様)前で妻は休息

私は一気に薬師堂まで行きます 下に釈迦堂前庭が見えます

阿弥陀堂を横目に 釈迦堂前まで急ぎます


山容を染める桜の向こうに京都市街を一望の圧巻の大スケール
眼下には3万坪の回遊式庭園に100本に及ぶ桜が植わっています

本堂でご朱印をいただき 最後は山道を一気に下ります
バスが下に到着しました 時間が有りません 急ぎます

善峯寺からのバスを 途中の灰方バス停で下車 大原野へ行きます
バスの運転手さんが親切に道案内してくれます 徒歩約18分です
少し歩き 何とバスが! 南春日町まで行くそうで バス1区間
距離ですが体力的に非常に助かります 京都市バスが通っていた!
南春日町バス停から 徒歩で 勝持寺(花の寺)に到着しました

勝持寺付属の霊園と

お寺への素敵な石段

有名な三代目の西行桜 西行はこの寺で23歳で出家(1140年) 
桜が大変好き 生涯をかけて桜の名所を巡り 数々の名歌を残します
花見にと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の科(とが)とは有ける
これが西行桜のそばにあり 桜は何と罪作りな存在なのでしょうか?
願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃
西行は 実際1190年2月16日死去 希望が叶った

江戸時代の松尾芭蕉が その生涯で唯一憧れた人物が西行であり
奥の細道」は西行が旅をした足跡をたどって出来たものである

池の水の色が変です 妻が受付で質問
雨が降ったあと 山の成分が池に流れ色が変わる 直に戻りますと

境内に入らずとも この鉄扉の窓穴から桜見物ができます 無料です
帰りの参道坂道 妻は後ろ向きに下りています やはりきつい様です
しかも はいている靴が運動靴ではありません

勝持寺から大原野神社への抜け道を通ると突然現れました!
有名な「千眼桜」です 満開から三日間しか持たないのです
社務所で聞きます 満開は明日と 本日はプレ満開の千眼桜
運よく出会えば 千願が叶うとも 幸せを求める桜なのです
一重の枝垂れ桜 沢山の花が密集し咲き揃う豪華な様子から
「千の眼があるよう」と名付けられました

またまた超接近の自撮りです

いつまでも見ていたい千眼桜です

全国に数千ある春日神社の最初の分社 狛犬ならぬ狛鹿は全国で唯一
藤原氏では娘が生まれると ここに参拝し 良縁に恵まれるよう つまり
天皇の后になれるよう祈った 道長は望み通り娘三人が皇后になりました

母親の胎内にいるようだと パワー注入です
注入されたこのパワーが 再び爆発するのです 今回も昼食です
ここで予定していた「そば切りこごろ」が待ちの順番17番目と
何故 神社を拝観する前に 順番待ちの表に書いておかなかった!
怒鳴り声が参道に響き渡ります

怒りを少しでも鎮めようと 隣の「春日乃茶屋」でよもぎ餅を
待ち時間が1時間ある この時間で正法寺へ行くことにします

極楽橋と枝垂れ桜が出迎えてくれます 正法寺です
妻は 相変わらずブータレていて ここで待ちますと

お寺の周辺の景色から

庭園「宝生苑」を近景 中景 室内からと撮り分けます
日本庭園撮影は 縁側と軒が必須とか 上の三枚見比べてください
借景(東山連峰と市内一望)に溶け込む伸びやかな桜風景が感動的
浄土への道筋を表わした石庭 枝垂桜は忘我の境地へ誘います
山内には全国からの巨石600tが集まり「石の寺」と呼ばれます

妻が受付で怒鳴っています「うちの主人が中にいるはずなんです」

食事処に戻ると16番が呼ばれ 次が我々 グッドタイミングでした
待ちの人が沢山いるのに 中にいる人たち ゆっくりゆっくりなので
頭に来ます 横の女は そばを一本一本すすっているのです バカです
我々は 早食い夫婦です あっという間に平らげて ごちそうさまです

バスで東向日駅に到着 阪急京都線西院駅から金閣寺へ向かいました
バスはギューギュー詰め K国人夫婦がバギーを広げたまま知らんぷり
降車するのも大変で 乗車も大変・・・金閣寺では参道から人が溢れて
入場用切符購入の人の列が半端ない・・・遂に金閣寺はあきらめました

帰りのバス停が大混乱で 我々は二つ先のバス停に戻り 行先も円町に
変更 円町駅からJRで京都駅に 551で肉まんとシュウマイ買って
ホテルへ戻ります ああー疲れた 予約無しでの市内観光は無理ですね


最後に追加しておきます
ホテルへ戻り TVをつけたら「保津川下り転覆事故」10:55発生
我々が前回の京都旅行 昨年の11月7日に乗ったあの川下りなのです
しかも 我々と同じ時間帯に起きた事故です 本当にビックリしました
川下りの船頭さん 明るくて冗談も上手でプロ ご冥福をお祈りします

<6日目 3月29日(水)>二条城周辺と北山駅周辺桜紀行

二条城の開門は8:45 その前に7時オープンの神泉苑

法成橋を本堂側から渡ります 願い事を一つに絞って渡ってください

先ほどの願い事のお礼を

時間を見計らって二条城へ 昨日の行列が有り反省 二条城への
入場切符は 昨晩妻にスマホから購入してもらってありますOK

8:45東大手門に一番乗りです 切符はこれから販売されます
門柱の隠し絵に注目 大手門自体が城の外側に面することは異常
平和な時代だからこそです 隠し絵の鳩も平和を暗示しています

唐門 装飾の中で釘隠しには菊紋が(菊の下には葵の紋)
後水尾天皇行幸
1626年9月 上洛中の秀忠・家光の招きに応じ 行幸が実現した
秀忠の娘であり天皇中宮となった和子らと5日間滞在し 能や和歌
等の会が賑々しく催された 行幸の準備として 2年前から城を拡張
し 天守閣や行幸御殿 本丸御殿等も造営された 狩野派の障壁画も
新たに描かれたとか 東大手門は 天皇を2階から見下ろさない様に
との配慮から一重の門に建替えられた

二の丸御殿

二条城は1601年 家康が 京都所司代板倉勝重を総奉行 中井
正清を大工頭に任じ 堀川の護岸を利用して 大規模な城の普請を
開始した 1603年3月に家康は 征夷大将軍を拝命することが
決っていた その時の宿舎として急ピッチで造営が進められました

それにしても 二条城を「元離宮二条城」と呼ぶのは辞めてほしい
明治維新により 徳川将軍家から接収された二条城は 明治17年に
宮内省所管の皇室の離宮へ変遷 その後1939年二条離宮京都市
に恩賜され「元離宮二条城」と改称された

御所御車返しの桜 ミクルマガエシ(花弁が5~7枚 車上の二人が
一重か八重かで争い 車を引き返したことからの命名)とは別品種で
桜守の佐野藤右衛門氏が 京都御所にあったものを保存植栽したもの
(花弁は10~15枚 半八重桜)

沢山の観光客が来る前にと撮影

ホテルザ三井京都 最上階からは二条城の中が見えるのです

堀に浮かぶ藻 どうして除去しないのでしょうか?


      調べました 今の状態なんて可愛いものです 2020年
10月初めに 上の写真の様に「抹茶オレ」状態になったこともあると
浮草だそう(担当者)定期的には清掃しているのですが・・・

ここでも文化庁移転が

大手門の後ろを見たことが無かったので撮影

ガイドツアーがスタート 9:30~10:30
11時からの二条陣屋見学を予約してあるので 時間厳守を依頼
二の丸御殿内の説明が大半で 本丸の方は工事中で行きませんと

二の丸御殿を出て ツアーだけの観光場所がこれですと
何だか馬鹿にされたよう 説明もつまらず 売店に記念品もらいに
行くも行列がすごくて諦めました 

二の丸庭園

二の丸御殿内で 小さな女の子がした質問 廊下を歩くと どうして
キュッキュッと鳴るのですか の答えが上の金具にあるようです


御殿廊下で釘を使うと 袴に引っかかるリスクあり その防止に考案
ガイドツアーで役に立ったのはこれだけ 1,500円は高過ぎます
TVの「京都ぶらり歴史探訪」「京都浪漫」で充分でした 残念! 

二条陣屋(小川家住宅)にやって来ました 予約済です

もともとは茶人好みの数寄屋風に建築したが 大名を泊めるようになり
その身の安全を保証する必要があるとのことから種々の工夫がなされた
覗き天井 隠し戸 落とし階段 釣り階段 まるでカラクリ屋敷でした

最後に パンフやガイドブックに書いていない納得の理由が明かされた
小川家は 江戸時代 京都所司代(いうなら裁判所)に陳情する人らの
陳述書作成代理業の様な仕事(公事方)をしており 陳情者側に有利に
作成する すると負けた方の人から恨まれたり 家に押しかけられたり
命の保証もない そこから防衛の為 家内に騙しの仕掛けを用意したと
(でも公事方の仕事では相当もうけたようです)

「膳處漢(ぜぜかん)ポッチリ」一休で予約し割安提供

食前酒として桂花陳酒 日替わりの豆皿9点盛り合わせ
ふかひれ麺か ふかひれご飯 これは小さな器に取り分けます
デザートで杏仁豆腐 二人で6千円(本来8,800円)

北山駅から地上に出て すぐ右にあるのが「京都府立陶板名画の庭」
ホームページを見て 安藤忠雄さん設計の美術館 これは行かんと
いかんということで来ましたが・・・

「最後の晩餐」は 色褪せていて むしろ水に写る方を注目
「睡蓮」は 何と陶板画が水の中に 水面を描いた絵を水面から見る
二点とも奇抜さ勝負なのだろうか?

ここのオープンが1994年4月 
徳島の大塚国際美術館が1998年3月 陶板は同じ大塚トーミ陶業
所要時間20分でOK 絶対ホームページの勝ち 100円で納得です

午後の散歩は 北山駅周辺散歩 陶板名画の庭に続いては 
京都府立植物園 何と70歳以上のシニアは無料なのです
園内では 様々な桜が楽しめた・・・のは妻の方でした

私は バギーに妻を乗せ 広い公園を縦断させられました

雨宿りと太白です(最近TVで檀れいさんが気に入った桜です)

右は源平枝垂れ桃

園内を歩いていて 戦後のひどい惨状がどこにも感じられない違和感
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ 食料増産の場となり 戦後の
昭和21年から12年間連合軍に接収され 軍人の住居が建てられた
このとき多くの樹木が伐採されたのです 昭和36年に再公開された

戦後 主に15代佐野藤右衛門氏により苗木が提供され 約70種
500本の桜となったと

最後に 前回はサイクリングで通り過ぎた半木の道を歩いて
ホテルまで帰りました   

800m続く半木の道 50本のフラワーシャワーです