2022年5月 沖縄再訪那覇から瀬底まで6日間 前半

首里城焼失前後
2019年4月にパリのノートルダム大聖堂 そして10月末首里城焼失
九州大学が 両方の火災及び復元価値考察の展示サイトを立ち上げました


   検索サイトは https://www.notredame-shurijo.com 
    
  <1日目 5月29日(日)>羽田から那覇までANA便(個人旅行)

沖縄の歴史を頭に入れて いざ出発!
本日は夕刻那覇空港到着 ゆいレール那覇空港駅から県庁前駅に行き
駅直結のデパートで夕食ゲット 一駅戻り旭橋でホテルへチェックイン
注:沖縄唯一のデパートがリュウボウ 経営の貿易㈱から命名した 

ホテルはダブルツリーBYヒルトン那覇 今回計3泊します
ホテルでの朝食時 毎回ブルーシールアイス各種をチョイス
シークワーサー味が一番気に入りました


ゆいレール首里駅に行き タクシー560円(ワンメーター)で首里城
ゆいレール1日券(24時間有効)800円 5回利用し充分元は取れた
注:ゆいレールのゆいの意味 沖縄の方言で「助け合い」を意味するのが
  「ゆいまーる」で それに因んで名づけられた
  ゆいレールの料金 初乗り200円 3kmごとに30円加わる計算

早速ライトアップされた首里城を見学に来ましたが 少々不気味です
大手門の「守礼門」から第一の正門「歓会門」へ進みますが閉門です
円鑑池に浮かぶ弁財天堂は ライトアップされ正に幽玄の世界でした

顔出しを見つけると すぐに飛びつく誰かさん


<2日目 5月30日(月)>那覇バス沖縄本島南部観光7時間
バス1台で観光客9人ガラガラで採算合うのかなあ 一人6千円です

高校生の一団 本来2年生で実施の修学旅行が コロナで3年生に順延

2千円札 本土ではほとんど見ません 嘘のような本当の話ですが
コンビニで大学生らしき店員に出すと固まってしまい 店長に聞く
沖縄のATMでは普通に出てくるが 外国の空港両替所では 見た
ことがないと断られるなど 面白い話が沢山聞かれる2千円札です

昨晩は閉められていた「歓会門」


   守礼門と歓会門の間から地下道(上の黄色)が掘られ赤の部分に
旧日本軍司令部壕があった ここが地盤が固い所だったのが選定理由で
最終的には昭和20年5月 壕内部を爆破して放棄して本島南部に撤退
置き去りにされた住民の犠牲が膨らむ「悲劇の一ヵ月」の始まりでした

「瑞泉門」を案内するガイドさん スタイル抜群!
右は「龍樋(りゅうひ)」という湧き水 傍に「中山第一」の石碑あり
泉の水量・水質共に琉球第一を称賛している 龍樋で水の吐き出し口が 
石造りの龍頭ですが 中国の明から贈られた物で 城内最古だそうです

「漏刻門」をくぐります 漏刻とは中国語で水時計 門の上の櫓の中に
水時計が設置 広場には日時計があり その二つで時刻をはかり太鼓を
たたいて時を知らせました 別名を「かご居せ御門」とも言い かごで
登城する身分の高い役人も 国王に敬意を表しこの門で下りたそうです
「東(あがり)のアザナ」から見渡せる景観の素晴らしさ 好天に感謝

「広福門」を入ると首里城正殿が見えるはずが・・・
最後の「奉神門」は有料 本来の遺構が見物できるならば入場しましたが
正殿が修復工事を開始 遺構を守るために完全にカバーされてしまい残念
世界遺産登録は遺構があるからで正殿が消失しても取り消されません)

首里森御嶽(すいむいうたき)」が目の前です
首里城内で最も格式の高い拝所の一つ 国王が城外の寺社に出かけるとき
祈りをささげた場所で 石積内の植物はガジュマルやクロツグだそうです

見たかった見所が上の写真
正殿のお庭(うなー)中央に延びる「浮道」(選ばれた人だけが通れる)
は正殿正面に向かって右側に少し歪んでいる理由が不明なのだそうです
浮道は奉神門中央出入り口から その先の首里森御嶽に向いていますが
御嶽は琉球王国発祥の伝承聖地であり その後に正殿や城壁ができたと
いうことが関係しているのでしょう

「大龍柱(グレイトドラゴンコラム)」 ・・・奇跡の龍柱と呼ばれます
与那国町産の細粒砂岩で作られたもの 火災に負けず屹立していましたが
ひび割れも多く 補修展示室に保管され次の大龍柱の見本となるそうです


完全な修復は2026年予定 その際には再訪します

何たる悲劇 洗面所のシーサーの水では太刀打ちできなかった?


「西(いり)のアザナ」展望台を見学し 出口の「木曳門」前で
門番の役人さんに話しかけます 役人さんの衣装が素敵ですね


首里杜館(すいむいかん)」で展示物見学
寄贈された折り鶴アートが素晴らしい 守礼門の扁額は予備のものです
NHKTV「祈りの首里城」からのトリビアですが 正殿自体「巨大な
琉球漆器」といえるもので 柱も周囲の壁も 原木から計24回(黒で
20回以上最後に赤を1回)塗って仕上げます ただし紫外線に弱く赤
が剥げて下の黒地が出るようだとすぐ修復作業に入ると

「おきなわワールド」にやって来ました

クロアチア旅行でポストイナの鍾乳洞を見ているので 感激度小です

ハブとマングースの格闘は動物愛護の観点から中止に


エイサーのショーは迫力満点 太鼓の音が腹に響きます

右は「沖縄平和祈念堂」沖縄戦最後の激戦地 摩文仁(まぶに)の丘に
そびえ立つ高さ45mの正七面体の塔は 7つの海と合掌の形を模した
平和祈念堂のシンボルです


「平和祈念資料館」です 


ガイドさんの説明にも力が入ります
広場の中央 さざ波の池には 沖縄県最初の米軍上陸地である座間味村
阿嘉島において火打石で採取された火と 被爆広島市の「平和の灯」
長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火と合火(1991年)し
平和の礎ができた1995年6月23日の「慰霊の日」ここに移動した 


中央の噴水から水が池に流れ落ちて波紋ができる それが刻銘板にまで
広がって行き 平和の波となって世界中に広がっていくようにとの願い
が込められています 刻銘板は屛風状になっていて波を表現しています


この芝生の前に高校生が集合して記念写真を撮っていました
資料館で何を感じ取ってくれたのだろう

「平和の楚(いしじ)」沖縄戦等で亡くなった人の名を刻んだ刻銘碑が
放射線状に並ぶ 米兵をはじめ外国人も含め24万人以上の名が刻まれ
年々増えている 日本人名で刻まれることを拒否する人もいるそうです

今年「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる集い」が実施されます
24万人(今年55人増加)の犠牲者全ての名前を読み上げる取組みが
12日からオンラインで始まる 世界中から1,500人以上が参加し
23日午前まで続けられる予定ですと

続いて「ひめゆりの塔」です


慰霊碑は納骨堂 壕は第三外科壕 深さは14mあり梯子で昇降していた

ひめゆり命名 第一高女の校誌名「乙」と師範女子部の校誌名
       「白百合」とを組み合わせ姫百合がひめゆりになる

今年に入り 広島の原爆ドーム・平和記念資料館 そしてここ沖縄
を訪ね 戦争の傷跡を見てきました 過去の戦争は反省材料として 
いままたウクライナ 人類はいつまで戦争を続けるのでしょうか?


ひめゆり学徒隊 従軍看護婦として動員されたのは沖縄師範学校女子部と
県立第一高女の生徒・職員でした ひめゆり学徒隊の227名の慰霊塔と
資料館を見学します 一人一人の顔写真がパネルに張られて並んでいます 

名前だけで顔写真がないパネルは 悲しみが更に増幅されてしまいます 

主人公を演じるのは吉永小百合以外考えられない映画(1968年日活)
他に1953年東映作品では津島恵子 1995年東宝作品では沢口靖子
が演じているが 芯の強さで吉永小百合に軍配があがると個人の意見です

ばくだんおにぎりが名物だそうです かりゆしウェア購入しました