1972年の夏⑤パリ市内・郊外5泊6日

8月6日(日)エールフランス航空でパリに到着 快晴で旅の前途は有望
エッフェル塔の見えるホテルを確保 バス6フラン 夕食5.65フラン

f:id:HATTYAN0234:20200429183736j:plainSte Hotel ALMA 32 Rue  de IExposition メトロ エコール・ミリテール  

<パリでの行動足跡> 毎朝8:20~9時までには起床していたと記載
8月7日  エッフェル塔~シェルリー宮~凱旋門シャンゼリゼ大通り
      ~コンコルド広場~マドレーヌ寺院~オペラ座 ~ルーブル
      美術館 
8月8日  モンパルナス墓地~リュクサンブール公園カルチェラタン
      ~ソルボンヌ大学に 小雨 出会った日本人女性と少し会話
8月9日  郊外へ遠出 シャルトル大聖堂ヴェルサイユ宮殿及び庭園
8月10日 サンジェルマンデプレ教会~ソルボンヌ大学ノートルダム
      大聖堂~最高裁判所ルーブル美術館~モンマルトルの丘~
      夜のエッフェル塔上からの眺めは抜群(写真が無い!)
8月11日 イエナ近代美術館 Very Goodと(午後マドリッド行き)

以下 各観光名所の寸評が日記に残されている
凱旋門の上からの眺め抜群 とそこへ同じ大学でF銀行内定のY君が現
 われた 東京にいたら絶対に会うことなどないのに まさか異国のそれ
 もここで会うとはと 両者ビックリ仰天でした
 (因みに このY君とは銀行員時代 一度も顔を合わさず)

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シャンゼリゼ通りは やはり昼間より夜間が似合う 日本人がうようよ
 いるのを夜の闇が覆いつくしてくれるようだ

f:id:HATTYAN0234:20200429193002j:plainルーブル美術館の広大さには ただただ驚いたの一言 モナリザや 
 ミレーの晩鐘 落穂拾いetc. ミケランジェロダヴィンチの作品も
 ルーブル美術館にあってこそ一層光るんだろうなあ・・・・
追記:相棒S君から ルーブルは「一回では足りないので二回行ったと
   思う」と

f:id:HATTYAN0234:20200429184746j:plainルーブルではフランス語を勉強しに来ている女の子と出会ったー名前は聞
けず 実はフランス語を話すことができるので 館内を案内してもらった
一回目に巡ったときに見逃したモナリザや ミレー作品も彼女の案内で見
ることができた
(彼女とはマドリッドで再会? 同じ闘牛見物に来ていた 何かの縁?)
(注:オルセーは1986年設立でミレー作品はその時オルセーへ移管)

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オペラ座前で そしてルーブル美術館 下駄を手に持っていますが・・・
この日は下駄をはき 9:30~18時まで市内見物「疲れたよ~」

ヴェルサイユ宮殿自体はつまらぬが 庭園の広さや素晴らしさに感服
 
f:id:HATTYAN0234:20200603162506j:plain参考:当時の「憂鬱な結婚生活」
   結婚は家柄を守るためのもので 正妻が産んだ子にしか家を継がせ
   ない そこで貴族や金持ちの娘は 処女性守護の為 思春期には修
   道院に入れられて14~5歳になるとしかるべき相当年上の相手へ
   嫁いだ 彼女の最大の仕事が男児を産むことであった かくして夫
   婦の間に愛が存在する確率は恐ろしく低くなり終いには 妻をある
   いは夫を真剣に愛する者は無粋だと笑われた

   フランスにおいて恋愛という歓びは 後継ぎを産んで責任を果たし
   た後 別の相手と得るものとのコンセンサスができたこと これは
   他の国々と違った
   男の浮気が許されるのは万国共通として フランスでは女の浮気も
   見て見ぬふりをされた 夫として嫉妬などしては 野暮の極みとい
   うことになる

   という訳で ヴェルサイユの女主人公マリー・アントワネットも 
   宮殿から離れたプチ・トリアノンを建て たとえ王様でも彼女の許
   可なくは入れぬ塀を作り スウェーデンの貴公子とプライベートな
   時間を楽しんだようです 
    f:id:HATTYAN0234:20200429185540j:plain上の写真 宮殿から見て一番奥 大トリアノン近くの大水路
(全長1670m)では7月~8月にはボートに乗ることが
できるし 冬場にはスケートリンクになります

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シャルトル大聖堂では アメリカ人4人組と出会う 一人可愛い女の子
 がいて 当時流行っていた映画 1970年「いちご白書」に出ている
 米女優のキム・ダービーに似ていると言ったら とても喜んでいた
 (のかどうか?)

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シャルトル大聖堂にて(お気に入りは左から二人目)
旅日記から:ここに来る列車の同じコンパートメントで乗り合わせました

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ノートルダム大聖堂内のステンドグラスは シャルトル大聖堂と並ぶ立
 派さ! ♪パリの空の下セーヌは流れる♪ ノートルダムでは屋上まで
 上りました  

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・モンマルトルの丘はパリの代表格 芸術の街 画家の卵らが大勢集まっ
 ていて そのエネルギーが燃え盛る一画と言えよう カリカチュアやら
 中国人の墨絵やら 切り抜き 似顔絵など多様であった 丘の上からは
 パリ中心部がほぼ見渡せた

・イエナの近代美術館には 私の一番大好きな画家 モディリアーニの絵
 がある モディリアーニを好きになったのは 1958年公開の映画
 「モンパルナスの灯」がきっかけで 主演のジェラール・フィリップ
 公開翌年に36歳で死亡 奇しくも 演じたモディリアーニ本人が亡く
 なった年齢と同じであったのです


パリを舞台にした映画は数多くあるが 私自身 パリに思いを寄せるきっ
かけの作品は1933年「巴里祭」や 1942年「カサブランカ」あた
りでしょうか
オードリー・ヘプバーンもパリに縁が深くて 1954年「麗しのサブリ
ナ」や 1963年「シャレード」が好きです シャレードでの山場の 
パリ切手市は今も続いている 本当にシャンゼリゼが似合う女優でした 
ジバンシーの服や高級なパリを観客に紹介しています 映画界の「パリ観
光大使」と言っていいくらいですね 
F・トリフォーのロマンチックな作品 1971年「恋のエチュード」は
忘れません
史実の映画化では 1957年「翼よ!あれが巴里の灯だ」と1966年
パリは燃えているか」でしょう 1964年「大列車作戦」もいい
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ちょっと旅日記の時代から脇道にそれて
現在まで広げて パリの魅力を紹介している映画と言えば ①2011年
ミッドナイト・イン・パリ」に尽きます <パリ・マジック>の真髄を
見せてくれます 1920年代ベル・エポック(古き良き時代)のパリへ
タイムトリップしてくれます ラストシーンのアレクサンドル三世橋夜景
には パリが大好きなアメリカ人の恋心が反映されています そうです!
真夜中のパリには 魔法がかかる」のですーウッディ・アレン監督作品
②2001年「アメリ」ですね モンマルトルを舞台にパリジャンの日常
を描いた現在のパリのおとぎ話 ラストは何か「ローマの休日」のように
バイクで恋人二人パリを駆け抜けます モンマルトルのカフェ 果実店前
ではガイドさんが必ず「ここです!」と言って映画のロケ地を紹介します
③1992年「ポンヌフの恋人」大好きなジュリエット・ビノシュが出て
いるだけでいい 主演者側に次々災難が発生 ポンヌフ橋を再現してまで
夜の花火シーンを仕上げた 製作裏話に感動させられる大好きな映画です
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元に戻して
5泊も宿泊したホテルは朝食付きで 出していただいたクロワッサンや
バゲットが もうこれ以上考えられないほどおいしくて大感激であった
最後にはママさんにお願いして記念写真をとった パリ最大の思い出の
一つですね

f:id:HATTYAN0234:20200429191436j:plain結局はどこのパン屋さんで買ってもおいしかった しかも日本円換算で
40円です パリでは食材等の大部分をスーパーでの買い出しで済ませた
でも白ワインだけは まるでリンゴ酒のように酸っぱくて それゆえ以降
長い間白ワイン拒否症になった

毎日の使ったお金(仏フラン)につき記しておく 1FRF=60.25円
・8/7  凱旋門屋上3F 絵葉書2F ビール2F スーパー11F
    (ワイン6F レモンJ パン ジャム コンビーフ ポテトチ
    ップ ハム 鮭缶 ソーセージ 計11Fをスーパーで購入) 
    ルーブル美術館3F 絵葉書2F
・8/8  地下鉄5回分4.5F ビール2.3F フィルム7.6F 
    中華1.6F 紅茶2.3F レモンJ2.35F 果実3.4F 
    切手9.2F   

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・8/9  切符(モンパルナス~シャルトル間)13F 絵葉書1.8F
    レース編み6F ローソク2F コップ2個8F エメラルド
    2F 切符(シャルトル~ヴェルサイユ間)11F ボート3F
    切符(ヴェルサイユ~パリ間)2F パン0.65F りんご
    2.9F(復路のパリまでの切符代が2Fというのは 何故?
    キセルしたのか?)
・8/10 バッジ4.5F ノートルダム屋上3F 絵4枚16F 絵葉書
    2F ルーブル美術館3F 時刻表15F バッジ6F パン
    0.65F(クック社の時刻表「オリンピック特集号」購入 
    S君から4.85F)
・8/11 5泊分ホテル代84.75F 近代美術館3F
 
注:パリでの5泊6日の間 最初にスーパーに入り11フラン分買い出し
  をしてから あとはパンを買い足しただけで昼食と夕食はおしまい?
  「美食の街パリ」でレストランらしき場所に入らず何していたの?

羽田を出発して約2週間経過 バンコク~カイロ~ロンドン~パリと宿泊
して来て 各国ホテルの代金がどのくらいだったのか検証します ここま
では 以降多用する車中泊は無く 学生旅行としては超破格の ベッドで
の睡眠がとれていたのです!
  7/29~7/31  3泊 バンコク1泊素泊まり料金 1,500円
  8/1    1泊 バンコク1泊素泊まり料金 1,200円
  8/2    1泊 機内
  8/3    1泊 カイロホテルは無料
  8/4~8/5   2泊 ロンドン1泊朝食付料金 1,200円
  8/6~8/10 5泊 パリ  1泊朝食付料金 1,020円

圧倒的に満足度が高いのはパリ泊で 
高過ぎる?と思われるのがバンコク泊となる

パリでは 毎夜ホテル(一番上の階)に帰ってから 知人宛に絵葉書を書
いていた
相棒のS君は 同じ大学の彼女あてに せっせと出していた 相当に真剣
だった? こちらは 特定の彼女がいないため 九州一周の際高千穂峡
知り合った女性4人に順次違う国から絵葉書を出していた
特筆事項としては S君はこの彼女と 私はパリから出し帰国後旅日記を
も送った女性と結婚したことです 何か運命的なものを感じますね

フランス共和国の国旗について
15世紀 イギリスと戦ったオルレアンの少女ジャンヌ・ダルクは 小さ
な金色のユリが描かれた白い国旗を使っていた ユリの紋章は「フルール
・ド・リス」と呼ばれ 白と金色はフランスの王家を表わすようになった
1700年代後半 王家はJ・ダルクの軍旗のデザインを簡単にした国旗
を使った

f:id:HATTYAN0234:20200627180931j:plain次に 現在の三色旗に移行するのですが・・・・・・・・・・・・
パリの街のシンボルと仏革命のシンボルの合体まで時間が必要であった

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f:id:HATTYAN0234:20200626175102j:plain参考:大好きな女優ー高峰秀子の旅日記より
   一つは彼女が34歳のときの「ヨーロッパ二人三脚」 
   新婚時代のメモ帖から出版されたもの
   もう一つは 彼女が60歳を過ぎての「旅は道づれ 雪月花」 
   夫婦共作 での出版
   メモで夫の松山善三に対し「善三又はZ」と記載していたが 
   さすが結婚生活30年ともなると「夫・ドッコイ」との表現 
   何と味のあるほほえましい呼称だなあ思う センスありです

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彼女の本音は 二人でいることが一番大事で 別に観光地や美術・絵画に
は興味を示さない よってパリに長期滞在中も 買い物とかおいしい食事
の描写に終始している(34歳の新婚時代)
(女優業の全盛期に一度来て 二度目となる)パリに関する表現を選んで
みると「相変わらず美しく相変わらず適当に冷たく適当に親切なパリ
松山もすっかり気に入ったようでと 夫君が気に入ってくれたことを喜ん
でいる 「こうしてパリでぼんやりしている事の何とすばらしい事か 
帰りたくない
」 決して高級ホテルには宿泊していない でもおいしい食
事には目がない様子です

「亭主を家につなぎとめておくには エサより他にはない」という結論を
出して 涙ぐましくも台所に 頑張って夫好みの料理のレパートリーを増
やすことに刻苦勉励した 日本人は働くために食べ フランス人は食べる
為に働く・・・・・・
彼女の料理上手は特に有名である 夫の為であるのは明白である 
60歳にもなると 多分夫の影響もあったのだろうが 小道具・古美術に
興味を示し 東京丸の内で古道具屋を4年間開業している 仕入れ値以下
で売って損を出しながらも生き生きと商売(相手に頭を下げること)を楽
しんでいたようです
彼女の凄絶な半生を考えると 幸せな結婚生活で良かったとファンとして
嬉しい 彼女の代表作の「二十四の瞳」「浮雲」は邦画史上で永遠の名作
だと思っている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おまけ 「高峰秀子 旅の流儀」より
1 宿に余計なものはいらない
  ホテルに泊まるのに「由緒ある」とか「最古」とかいう肩書は不要
  寝心地のよいベッドと清潔なシーツとタオル 洗面所にお湯が出て
  エアコンが完全ならば 他のものは一切必要ない
2 その土地 そこに暮らす人々に敬意を払う
3 どこへ行っても 人間を見るのが好き
4 絶景?名所?それがどうした
  私は夕日を見たって「フン 赤いや」と思うだけだし 海がありゃ
  「海ああ青いね」と思うだけ
  観光嫌い 風景オンチの高峰さん 何故 世界各国を飛び回り旅を愛
  したの?御主人が行きたいと言うところに 一緒に行くことこそが彼
  女の喜びなのです

実は 彼女が27歳 大女優として人気絶頂のとき パリ学生街の古いア
パートに半年間逃亡した 5歳から映画人生一筋 20年女優を続けて疲
れ切っていたのだ
人生の総てにシラケていた結果が 旅に対する回答で 松山善三はまだい
なかった パリの生活は全くの孤独 言葉もできず 何も興味がわかない
観光なんて・・・
ただ 彼女の心を救ったのは教会だった サン・シャペル教会 ノートル
ダム大聖堂 サクレクール寺院を何度も訪れていた

f:id:HATTYAN0234:20210213180555j:plain我々二人は 知らないことこは言え 同じ敷地内の最高裁判所に行って
ここには立ち寄らなかったのでした 

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サクレクール寺院は何度行っても素晴らしい

結婚してから 二人で海外に行くとき(ご主人が行きたいと言えば 絶対
に彼女のスケジュールをやりくりさせ)必ず飛行機のファーストクラスを
予約して出かけた
当然シートは寝やすいようにフラットになるはずだ それでも二人とも
寝なかった 仮にも自宅でない場所 それも他人様の目につく公共の乗り
物の中で寝る 寝顔を晒すというのは 本来どう考えても 美しい様では
ない 高峰は迂闊な人ではない いつどこにいても 最高の「同じ」を保
ち続けた人だった・・・・・・・・・・・

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おまけ もう一冊「高峰秀子のレシピ」
高峰秀子が 愛する夫のために作り続けた 57のレシピをビジュアル化
した本で 料理自体も相当だけれども 私が感心したのは その料理を盛
り付ける器の見事さ さすが銀座で古美術商を営んだだけあって 単純な
入れ物がとてもセンスを感じさせる一品なのです