2021年 京都の桜をサイクリングで巡る4日間④

f:id:HATTYAN0234:20210501055938j:plainここはどこでしょう 将軍塚清龍殿です

<第四日目 曇り サイクリング3日目>
南禅寺~将軍塚清龍殿~三条通寺町通上立売通大宮通り~
智恵光院通寺之内通~小川通~烏丸通三条通

本日は京都最終日! サイクリングも今日は電動自転車です 思いっきり
走ります 

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勅使門と中門

早朝5:20 宿坊から南禅寺の勅使門と中門が見えますが 人が入って
行きます 大変です 私が水路閣に一番乗りして写真を写したいのに他人
が入っては台無しです(宿坊に泊まった意味が無くなるのです)

f:id:HATTYAN0234:20210501060940j:plain誰も写り込まない水路閣

さっと着替えて小走りに走ります 良かった~ さっきの方は三門周辺で
ぶらぶらしていました 水路閣は無事で誰もいなかったのです 

f:id:HATTYAN0234:20210501204358j:plain水路閣は サスペンスドラマロケ地での 犯人告白現場として有名ですが 
十三基の橋脚を縦位置で撮ると 画面の奥行きが登場人物の深層心理と重
なって見えるらしい

この橋脚の縦位置 その中に他人が入り込まないようにしたかったのです

ホッとしました しばらくして女性が来たので 私の写真を1枚お願いし
本来のモデル(妻のこと)の代わりとしました 妻はまだ夢の中にいます

f:id:HATTYAN0234:20210501060742j:plain早朝の空を見上げ 本日も雨にはならないと感じ 出発前の心配は杞憂に

(注:雨の場合のコース設定も十分検討して来てはいました)
昨年来というか 京都で雨に会ったことって? さすが晴れ男は違います

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f:id:HATTYAN0234:20210501062409j:plain南禅寺の宿坊「南禅会館」です

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7:30になり 宿坊での朝食(本当に)テーブルには我々二人だけです

美味しくいただきました 妻の質問に対し「この豆腐は服部豆腐店からの
南禅寺御用達品です」と 数年前我々と妻の母三人 金戒光明寺真如堂
に出向いた際に偶然見つけて購入した あの服部豆腐に再会してビックリ

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  宿坊代金は 宿泊8,000円 順正3,000円 朝食1,000円
合計で一人12,000円 宿泊代が高いわね~と妻は言いますが 前泊
までの鷹峯が会社の法人会員であって安過ぎるのだよと 言い含めました


本日は ゆっくりの出発です 蹴上のバス停から8:52発の京阪バス
将軍塚清龍殿に行くのです ここに行くバスは 春は土日限定 秋は毎日
出ます 本日4月3日は土曜日なのです 三条京阪駅始発の便で満員では
ないことを祈ります

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f:id:HATTYAN0234:20210501063522j:plainバス停までの途中 蹴上インクラインを通りますが 名物の桜が無残です

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本来なら 着物の貸衣装でぎこちなく歩く若い女性で溢れかえる場所です

それと ここからだと昨秋朝がゆをいただいた瓢亭まですぐです
明治初期 祇園界隈で遊んで「朝飯を食わせろ」と雨戸を叩いた旦那衆の
ために作ったのが 朝がゆの始まり 粋ですよね~

考えるに 今から京都に来られる観光客 ツアー主催旅行会社はどこどこ
回るのでしょう まるでお詫び行脚になりそうです「本来ここは桜が満開
の予定でしたが 今年は想定外・・・・・・」 ガイドさんに同情します

参考 今年の京都の桜 開花日は3/16満開日3/26(昨年3/30で
   平年は4/5) 見頃は3/24~3/31と後日発表がありました
   京都市の桜の標本木は 二条城北門近くのソメイヨシノだとか

さあバスが到着します 座れる席がありました 良かった~出発です
東山ドライブウェイのイロハ坂を約7分かけて上っていきます 

f:id:HATTYAN0234:20210501063649j:plain清龍殿前の桜

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 ドローンで撮影された大舞台

f:id:HATTYAN0234:20210501204034j:plain舞台の一番奥から写すとこんな感じ

f:id:HATTYAN0234:20210501115159j:plain曇りなのが少々残念

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大舞台より上には階段であがります 御所も平安神宮も真下に

f:id:HATTYAN0234:20210501065503j:plain将軍塚は 知恩院の北側にある清龍院の飛地境内 市街地より200m高
い位置にあり 大舞台(1,046㎡ 清水寺の4・6倍)から京都市
の大パノラマが広がります 実際ここに来て体験すれば大感動間違い無し
「(大阪の)あべのハルカスが見える」と妻が叫んでいました

f:id:HATTYAN0234:20210501064355j:plain元は大正2年 北野天満宮南に建立されていた建物(戦後警察の柔剣道場
にしていたが その後雨漏り修理に多額費用を要すると解体処分を決定)
を 移築再建する方針に変更後 平成26年10月今の境内に移築を完了
(大舞台を新築)させるまで5年要した 移築再建の技術がすごいらしい
清龍殿の内部には 日本三不動の一つ 国宝の青不動明王が安置してある

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清龍殿が移築されるまでは「将軍塚」と言い 京都の中心四条通の真上に
位置し 桓武天皇が都を定められる折り 和気清麻呂に伴われ 登られて
この場所を都とすることをお決めになり 将軍の像に甲冑を着せ 埋めて
都の安泰を祈ったと伝えられている 約20m四方の将軍塚が現存します

f:id:HATTYAN0234:20210501064754j:plain庭園は紅葉と桜の名所で 枯山水庭園や大隈重信 東郷元帥 黒木大将の
お手植えの松などあり 往時の偉人たちも ここから京の都を一望し 日
本の将来に思いをはせたことが偲ばれる由緒ある場所です
北野天満宮南にあった元々の庭園は昭和の小堀遠州 中根金作氏の作庭で
資材全般ここに搬入したそう(外見は整えても精神注入までは無理か?)

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将軍塚清龍殿の訪問時期としてお勧めなのは

・春の桜200本 秋の紅葉220本の時期 及びライトアップ時間
・もしくは雨の日上って「雲の上にそびえたつ天空のお堂」が見応えあり

f:id:HATTYAN0234:20210501070220j:plain東山駅近くに上の碑が・・・・さすが京都 歩道も気を付けて歩かねば 

f:id:HATTYAN0234:20210515085104j:plain戻りのバスは10:10発 蹴上を越して神宮道で下車 東山駅で荷物を
ロッカーに預け「京のレンタサイクル楽チャリ」で電動自転車を借ります
一日2,200円は高過ぎ(作秋の奈良では1,000円でしたよ)


三条通 三条大橋を渡り 三条名店街と寺町専門店会商店街のアーケード
を自転車を押して進みます これが予定外 相当な時間ロスとなりました

f:id:HATTYAN0234:20210501070638j:plain本能寺を見て 御池通を渡り 寺町通を北上します 一保堂本店でパチリ

f:id:HATTYAN0234:20210501070843j:plain(一保堂:「茶一つを保つ」という屋号の意味がある京銘茶専門店です)

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新島襄宅や梨木神社 蘆山寺を見てスピードを上げます ゆっくりする筈
であった梨木神社では 一口「染井の水」を含んでおしまい 残念でした
神社を遊び場にしていた湯川秀樹さんも きっとこの水を飲んだでしょう

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祇園枝垂桜の姉妹樹で 樹齢90年

今出川通を渡り 本満寺です ここでは早咲きの枝垂桜と山中鹿之助の墓
が目当てです 戦前の忠臣代表格としては楠木正成と並ぶ山中鹿之助です
尼子十勇士を率い 宿敵毛利氏に何度もぶつかり散った武勇の士です

f:id:HATTYAN0234:20210501071255j:plain受付の女性に鹿之助の墓所の位置を聞きますが? パンフにも出ているの
に知らないのです 何ということでしょう 幸い檀家の人でしょうか案内
していただけました

f:id:HATTYAN0234:20210501071313j:plain妻の前の婚家が児玉家 義父の先祖が山中鹿之助とか 児玉木材の看板の
付いたベンチがいくつか置いてありました

「願わくは 我に七難八苦を与えたまえ」山中鹿之助の超有名な言葉です

f:id:HATTYAN0234:20210501115842j:plain相国寺を横断

昼食を12:00に予約してある「斉 阿うん」に向かって 上立売通
西進します 相国寺を突っ切り 烏丸通堀川通を渡り 一気に進みます

電動自転車で嬉しいのは 最初の踏み込みがとてもスムースなことです
参考 烏丸通 平安京烏丸小路にあたる 北は今宮通から南は久世橋通
       に至る(途中京都駅で中断)全長約6・6キロ
       明治10年京都駅設置が烏丸通をスターの座に押しあげた
       大正・昭和天皇の即位大礼の行粧はこの通りを行進した
   堀川通 平安京堀川小路にあたる 北は竹殿北通の北・加茂街道
       から南は七条通に至り油小路通に接続 全長7・9キロ
       終戦間際の昭和20年3月 空襲による火災の類焼防止策
       として西側の民家が強制疎開 終戦後に市街整備計画で幅
       50mに拡張されて南北幹線道路になった

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道を聞き乍らも どうにか三上家の表札に辿り着きました 三上家は室町
時代から続く織物司の家で 両側の長屋にはアーティストが住んでいます

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西陣を歩きたい 路地の奥や 図子まででも入って 昔の機織りの音が
聞きたいとの思いもあり 三上家周辺耳をそばだてますが 残念でした

「京の着倒れ」西陣織物の「西陣」とは

京都の地図から住所上 西陣という二文字はただの一つも見つかりません
西陣郵便局は現在もあり 西陣警察署も最近まではあったそうです)
応仁の乱で大阪の堺などに疎開していた職人たちが この地に戻った際に
西軍の陣地であった西陣に因んで 織物を西陣織と呼ぶようになったと

最盛期一日で千両の売上をあげた今出川大宮の一帯が「千両ヶ辻」と名付
けられた(今 京都市景観整備地区に指定されています)
では西陣とはどこを指す? 今出川大宮を中心に 東は堀川通 西は七本
松通 南は中立売通 北は鞍馬口通 20年位前「カシャン カシャン」
という機織りの音が街のBGMであった
参考 大宮通 平安京の大宮大路にあたる 北は御薗橋通の北から久世橋
       通の一筋南に至る 途中二条城で中断 全長約10キロ
       「糸屋町には傘いらん」並んだ家々は紅殻べんがらの千本
       格子に虫籠窓 深い軒下を持っていて 軒を伝って歩けば
       雨の日といえども濡れずにすんだ 「かしき造り」という
       軒下構造は 命より大事な生糸を 雨で濡らしてはという
       配慮から・・・フランスのリヨン市でも同趣旨の抜け道が
       ありました「トラブール」と言って500位あるそうです

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参考 ジャカードとは?

       明治維新直後 東京遷都による需要激減と生糸の輸出増加
       による品薄での原料費高騰により 危機にあった西陣織を
       フランスは最新織機と技術指導で救ってくれた秘話がある

       京都府西陣の職工三人をリヨンに留学させた 言葉も
       全く分からない中 フランス式ジャカード(紋紙を使う
       紋織装置)やバッタンとびひ装置)など数十種の最新
       機械を輸入し生産性が従来比4倍にはねあがり 危機を
       脱した フランス製金属製ジャカードを後に木製の物に
       国産化させたことも西陣織存続に貢献した

 

現在は分かりませんが 以前TVで「京都 上がる 下がる」という番組
があり 故衣笠祥雄さんが西陣を歩いて紹介してくれたのを覚えています
毎回 京都のディープな場所を探訪する 真面目な番組で 大好きでした
今は「京 上ル 下ル」なる京散歩街ぶら番組が関西ではあるようですが
おふざけ番組のようです 東京の「じゅん散歩」のように面白ければいい
のですが・・・・

閑話休題が長くなりました 「西陣 斉 阿うん」に約束時間に到着です
引っ張り回した妻には気の毒でしたが 本当に良く頑張ってくれました~
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 京の会席料理です 桜御膳コース とても美味しかったです
一休で申し込むと 3、800円が割引3,000円になりました

f:id:HATTYAN0234:20210501072532j:plain全席個室で とても凝った造り オープンは1年3か月前と 四条烏丸
錦小路店からの移転だとか 開店即コロナでご苦労されたことと思います

f:id:HATTYAN0234:20210501105337j:plain外玄関から続く敷石を踏んで内玄関へ 入口から入った廊下は 杉の木を
なぐった(手斧ちょうな の削り跡をつけた)もので足あたりが 何とも
暖かいのです

f:id:HATTYAN0234:20210501072334j:plain八寸 蛍烏賊酢味噌和え 筍の木の実和え 春菊和え 蕗と生麩煮
   天ぷら 出汁巻き
御飯 エンドウ豆御飯 香の物 赤出汁

f:id:HATTYAN0234:20210501072426j:plain造り 本鮪 鯛昆布〆

f:id:HATTYAN0234:20210501073146j:plain椀物 金目鯛桜蒸し

f:id:HATTYAN0234:20210501073308j:plain焼き物 さわら一夜干し杉板焼き 杉の香りが肴に移ります

f:id:HATTYAN0234:20210501073415j:plain水物 桜餅(東京とは違います)
元は関東で生まれた クレープ状の小麦粉生地に こし餡を包んだ長命寺
もちもちのもち米生地に粒餡が入っている道明寺は関西風 どちらも桜の
葉の塩漬けで巻かれているのは同じ 関西では葉を食べる方が多いとか

旅の途中で急ぐ故 13時までに出たいので・・・と伝えると それから
急に配膳が早くなり 12:40には完食 さあ出ようというときここの
ご主人が出て来られ まあ話好き お互い服部という姓であることからも
謂れから始まり 店のオープンまでの話 自身のこだわり設計まで 妻が
話を合わせるもので 余計です 多忙時間なのに玄関先までお見送りです

f:id:HATTYAN0234:20210501073754g:plainお勧めのお店ですが 行き着くまでの道筋説明が難しいのが難点ですね


さて あと最終受付時間に制約があるのが 宝鏡寺本法寺の二寺です
前半飛ばし過ぎで 後半はゆったり まあゆっくりとということで 食後
首途(かどで)八幡宮から始めます 源義経奥州へ旅立ちの地 旅行安全
交通安全・厄除け 我々のサイクリング旅には うってつけの八幡宮です

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ここ無人で ご朱印もケースに入って 代金300円は 賽銭箱にお入れ
くださいとあるのです いただきましたが 朱の印があるだけで日付無し
(日付は自分で入れるとか)まあ こんな簡素なご朱印は初めてでした

f:id:HATTYAN0234:20210501120039j:plain誰もいません

f:id:HATTYAN0234:20210501074415j:plainここの神の使徒である鳩が手水舎の縁にちょこんといて 人が近づくと口
から水を出します

f:id:HATTYAN0234:20210501074636j:plain桜と梅の共演

f:id:HATTYAN0234:20210501074753j:plain狭い参道の脇には 紅白の桃が 隣接の桜井公園では枝垂桜が満開でした

梅が散り始め 桜が咲き始める頃 満開を迎えるのが桃で ここは一つの
枝に違う色の花が咲く「源平咲き分けの桃」と「源平枝垂桃」が有名です
白は源氏の旗色 赤は平家の旗色 中には二色がまだらになってるものも

f:id:HATTYAN0234:20210501075724j:plain雨宝院の塀(背後にはまだ電信柱があります)

f:id:HATTYAN0234:20210501105908j:plain鉛筆画による雨宝院前

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f:id:HATTYAN0234:20210501075137j:plain次いで是非来たかった雨宝院 ここの桜が地元での人気第一位と言えます

狭い境内ですが 少し密です さすが観光客も桜の名所良くご存知ですね
通称 西陣聖天宮 西暦821年弘法大師空海の開基です 

東寺と共に皇城鎮護として栄えた大伽藍であったが ここも応仁の乱
天明の大火にあって 堂舎のみ再々興した(真言宗泉涌寺派の寺院です)

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本堂前の「歓喜桜」は根元から八重の花が咲き 本来は4月中旬頃開花の
御衣黄桜」が上品な黄緑色で門の屋根まで飾り立て 出迎えてくれます

両方見られる幸せを感じます 平野神社 原谷苑 仁和寺とこれでもか~
と見てきたのに まだまだ桜は新鮮な感動を与えてくれます 素晴らしい

f:id:HATTYAN0234:20210501080128j:plain寺之内通 宝鏡寺

さて智恵光院通を北に上がり 寺之内通に出ます 本日通ってきた寺町通
寺之内通 どちらも豊臣秀吉の京都大改造で 洛中の寺院を移転させて
この両通りに集めさせたのです 道理で寺院 寺院また寺院とあった訳で
す 秀吉恐るべしというか 応仁の乱で焼野原だったから出来たようです

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聚楽第が今あったとしたらの重ね合わせ図です

移転させた沢山の寺院の跡地に「聚楽第」を造営させるためだったのです

参考 寺町通  平安京の東京極大路にあたる 北は鞍馬口通から 南は
        五条通に至る全長約4・6キロ
   池之内通 東は烏丸通から 西は蘆山寺通に至る全長約2・2キロ
           小学館「京都の大路小路」千 宗室氏監修より

その池之内通を東に直進 堀川通を渡れば 宝鏡寺本法寺が待ってます

f:id:HATTYAN0234:20210501080413j:plain宝鏡寺は 春秋2回 新古人形名品による人形展を開催 本日が最終日で
それに合わせて計画を組んだのです 結果から言うとガッカリの一言です

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飾られている女性の人形 どれも髪がトゲトゲのいばらなのです 美しい
とか可愛いと形容できる人形はありません しかもほんの少ししか展示し
てありません せめて公武合体で降嫁された和宮様が愛用されていた人形
を特別展示するとかでないと 人形展という呼称が泣きます

和宮様は幼少の頃 当寺に来られ鶴亀の庭で遊んだり しばらく住まいと
されていたこともおありだとか また皇女が歴代となる宮門跡となり百々
(どど)御所と号された それほどの由緒がある寺院ですから尚更です

f:id:HATTYAN0234:20210501080504j:plain人形供養

昔の日本「付喪神(つくもがみ)」の存在が信じられていました
人々が使う物は 100年経つと妖怪である「付喪神」になってしまうと
信じられていたのです とりわけ人形は「付喪神」になり易いと言われて
魂が宿ると考えた人もいました 
それゆえ京人形商工業協同組合が中心となり 必要とされなくなった人形
の供養を行うようになりました 儀式を通して持ち主は感謝の意をこめて
人形の魂を送ることができます

「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども 愛された
事実こそ 汝が成仏の誠なれ」 人形塚にある武者小路実篤の歌碑です

f:id:HATTYAN0234:20210501120316j:plain宝鏡寺の庭

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ブラタモリ西陣編(2019・7・13放送) 紹介されていたようです 
 この付近は応仁の乱の一番の激戦地であった 宝鏡寺前にあった百々橋を
はさんで 山名・細川の両軍が戦いの鎬を削ったのである 今は百々橋が
架けられていた小川は埋められ橋も撤去 橋の礎石が一つ残されています

おまけ タモリ・林田アナ今回は船岡山近辺まで歩いたようです
    途中やはり高低差を発見し「聚楽第の堀遺構?」と大騒ぎしたと   

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 ブラタモリのファンは 今回の昼食はどこ? 番組最後のパッパッと
写るスライドで推定し 実際聞き歩くそうです 西陣編の昼食はどこか
少し離れますが 出町柳の田辺宗「葵匠」二人とも1,600円だそう

NHKでは以前二人に同行し「サラメシ」に取り上げたようです

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    もう一枚 これどこ?さすがNHK 事前調査済ですね
    上の写真は 実際の現役織物工場で撮影 下はミュージアム
    詳細な説明を受けたようです

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「手織りミュージアム織成館(おりなりかん)」と判明しました
「今 京都に来ている」と叫びたくなるほどとは訪問者の生の声です

f:id:HATTYAN0234:20210517113259p:plain何と雨宝院から徒歩1~2分で行ける所にありました 何とも残念です

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 上は表千家 下は裏千家

f:id:HATTYAN0234:20210501080726j:plain礎石のある小川通には 表千家不審庵がある 利休切腹のあと千家は再興
を許され 利休の後継者が大徳寺門前の利休の茶室「不審庵」をこの地に
移した 利休の後妻の連れ子少庵の子 千家第三世「宗旦」が 利休流の
わび茶の普及に努める 子供にも恵まれて 次男が武者小路千家 三男が
表千家 四男が裏千家を興し「茶道の三千家」として現代に至っている

四男が不審庵の裏側に「今日庵」を営む 不審庵の裏手つまり「裏千家
表の本家は「表千家」と呼ばれるようになった

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本法寺 本阿弥光悦 長谷川等伯菩提寺です

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等伯は何を見上げているのでしょう 涅槃図の出来を見てご満悦?
長谷川等伯の大恩人は千利休 京都~堺での交流から大徳寺に作品を収め
秀吉にも紹介され 聚楽第の襖絵や長男・鶴松の菩提寺 現智積院に国宝
「楓図」を完成 これを秀吉が喜び ここに狩野派と肩を並べる存在に

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小川通の左側に裏千家 右側に本法寺
本法寺とは 小川通をはさんで表・裏千家が立つのも利休との縁でしょう

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 没後1年 長谷川等伯が描く千利休

何やらコンサート会場準備でバタバタしている 我々は寺務所に進むと 
何と「本日の拝観は中止」の張り紙があるではありませんか!

f:id:HATTYAN0234:20210501120450j:plain妻が戸を開けて尋ねます どうして中止なのですか 東京から来て本日が
最終日 どうしても見たいのですが 何か通知が有りましたか?
中から「ホームページにも出してあります」との返事で
妻は必死にスマホを調べます 何も書いてないのを確認 再び戸を開けて
「どこにもありません」と応酬 ああだこうだの後「では特別に」と中に
入れていただきました ちゃっかり我々の後ろにおじちゃんも入りました

f:id:HATTYAN0234:20210501081240j:plain本日の一番の目的が 長谷川等伯の「涅槃図」通常は複製画なのですが
今だけ真筆が公開されているのです 等伯ファンとしては必見の涅槃図
それはそれは素晴らしい 一階から二階にかけて架けられていました
縦が約10m 横6mの大作で 東京国立博物館展覧時には天井からの
高さが足りず 下の方を巻いて公開したほどです

私はああ無理だ帰ろうと思っていたのに 妻の粘り 大阪のおばちゃん
恐るべしという思いというか 感謝感謝の粘り腰でした

この状態に保てるのがすごい 横に修復方法についての説明がありまし
たが 薄紙を梳くように剥がし 再度張り替える日本の技なのでしょう
妻は帰り際 コンサートの主役が予行練習しているのを見て イケメンだ
と喜んでいました ここかしこ雅楽の演奏のような音色が流れていました

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篠笛奏者・作曲家 佐藤和哉

注:パンフレットには「行事等により拝観をお休みする場合があります
  お問い合わせください」との記載あり パンフは入館後だとしても
  帰京後 京都市公式ナビには定休日 無休
  (但し 行事等で休館の場合あり)

  公式サイトのトピックス欄には
  休館日 4月3日(土)その他お問い合わせ下さい  とありました

最終コーナーを回り 最後の頑張りです

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f:id:HATTYAN0234:20210501113139j:plain寺之内通妙顕寺 ここも桜の観光名所ということでチョイ見してから
烏丸通に突き当り 南下します

f:id:HATTYAN0234:20210501081903j:plain御所近くとなり 今出川門から入り 旧近衛邸跡の有名な桜を見学します
既にピークを過ぎており 普通ならカメラマンが大勢いるのにいません
さっと一回りして 再度烏丸通を南下 昨夏入った松栄堂を通過し 御池
も南下し 姉小路通 三条通にようやく着きました おかしいなあ皆さん
自転車に乗ったままです それじゃあこちらもということで ゆっくりと
進みます 三条通レトロ建築群を見ながら 写真もパチリパチリ写します

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京都文化博物館(旧日銀京都支店)辰野金吾氏の建築

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 中に入って見上げると 誰もがアッと驚くと言います 見たかった

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    イノダコーヒー三条店でしか経験できないカウンター席 
高倉健さんの席は決まっていて 京都人なら坐ることはないそうです
本店がすぐ近くにあるのに 健さんは砂糖なしミルク多めのカフェオレ

f:id:HATTYAN0234:20210501123843j:plainカウンター席が人気のイノダコーヒー三条店

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三条店は支店ですが とてもいい雰囲気 すぐにテーブル席に座れました 

妻はカフェオーレ620円を 私は三条サンドセット1,080円を注文
セットの中身は 餡バタートーストとホットコーヒー トーストは三切れ
ですが 担当の女子店員 「お二人で分けるなら四つ切にしましょう」と
バターがホイップ状でこれが絶品 4月からの当店新メニューだそうです

f:id:HATTYAN0234:20210501082323j:plain旧不動貯蓄銀行 セセッション様式

f:id:HATTYAN0234:20210501082448j:plain京都ダマシン 三連アーチ窓が特徴 木造の建物にレンガを張っている

f:id:HATTYAN0234:20210501082642j:plain1928ビル 武田五一設計のアールデコ 昭和の名建築 旧毎日新聞社

f:id:HATTYAN0234:20210501082857j:plain三条大橋です 初日の3月31日から比べると桜は無残です

 朝同様三条名店街だけは歩いて もうゴールの東山楽チャリまですぐです
いやあ 本日も朝10:30から夕方まで 電動だからこそ走れたのです
自転車を返却し 東山駅から四条河原町までは「岡崎ループバス」ですが
かなり待ちました 最後まで残った我々に運転手さんが「以前は1時間に
3本あったのが1本に減ったのです」と コロナの影響でしょうか?


最後に京都高島屋で夕食 妻のお土産の定番である「阿闍梨餅」を購入
この銘菓 千日回峰の阿闍梨様がかぶる網代笠を模してこの名がついたと

大阪梅田まで阪急特急400円で向かいます 大阪何年振りでしょう?

今回の桜尽くしサイクリング旅行で一番良かったのは 修学院離宮
桜で言えば 平野神社 原谷苑 仁和寺でしょうか

平野神社の桜は 植物園のように 一本一本丁寧な説明の立札が立つ
        桜がこんなにも多品種なんだということが体験できます
原谷苑の桜は  これでもかこれでもかと自分勝手に咲き乱れており
        まるでプロレスのリング場外大乱闘 何でもありである
        京都の庭園にある空間美・芸術性とは正反対の個人の庭
仁和寺の桜は  桜に対し「右向け右!」と命じたように整頓されており
        五輪連覇中の体操男子団体の趣が感じられる人工美です 

旅行中 スマホのグーグルナビ無しで よくまあサイクリングできたと
感心する前に やはり京都の大路小路が縦横 碁盤の目のように 通って
大路から何本目の小路に入ればいいか分かり易いからではないでしょうか

<京の大路小路>
京の左京・右京は 各々「条坊制」というシステムによって ブロック毎
に区切られていた このブロック毎に区切るシステムの根幹となったのが
大路小路であった
条坊制は両京に等しく配置されているが 原則的に一条を四坊に分け一坊
を四保 一保を四町によって構成されているから一条は六十四町に達する
大ブロックであった
計算してみると平安京は両京で71坊 町は合計1、136町となった

この条坊制を区画する大路小路は 東西に走る大路は13 小路は26
南北に通貫する大路11 小路は22に達していた
大路は朱雀大路が85m 続いて50m級の二条大路 更に36m 30m
24mと5種類の規格があり これに対し小路は原則的に12mであった

平安後期から鎌倉期にかけて 左京中心の都市型が北伸によって更に細長
い都市型になり 二条大路によって上京 下京という呼称で区分された
12世紀にかけて「京都」という名詞が定着する一方「洛陽」の「洛」も
「京中」を意味する言葉として完全に定着した
但し 応仁の乱で「都市」=「洛中」という地域概念は根本的に消滅した
これを再生させたのが豊臣秀吉の「京都改造計画」及び「御土居」で以降
「洛中」「洛外」の概念が近世的基準になるのである