令和元年 黒川・由布院温泉 九州雅な旅3日間③

3日目は由布院温泉の周囲を観光して日出(ひじ)と杵築(きつき)から
大分空港へ 本日は国東半島の南側を辿るコースで別府湾が臨めます

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朝食 金鱗湖を模した楕円形の器が秀逸 名物だんご汁はお代わり
妻はご飯をお代わりです 「だって卵かけご飯にしたかったから」

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ホテル9時発 人力車で金鱗湖まで15分(1・2キロ4千円)
人力車の「えびす屋」は1992年京都嵐山でスタートし 現在10ヵ所
京都嵐山 京都東山 小樽 函館 浅草 鎌倉 宮島 倉敷 関門そして
湯布院で営業

f:id:HATTYAN0234:20191130083326j:plain(この場所で 各人力車が止まり写真撮影しターンします)
 
車夫さんは元キックボクサーでタイまでムエタイ修行にも行ったとか 
時間があれば日々由布岳を走っている 21歳 吉行 隆(りゅう)君 
カメラが趣味とのこと 注:車夫の車は本当はニンベンに車が正当

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金鱗湖 湖底から温泉と冷泉が出て 早朝には霧が湖を覆うとか
ツアーの中で早朝ここまで散歩に来られたご夫婦がいました 立派です
ここでバスガイドさんの一言 「金鱗湖(朝霧が)見られなければ ただ
の沼」ボロクソです 初め上品ぶって話していましたが 3日目となると
本性暴露です マイクを持ちながら 歌も飛び出し まさに独演会 上沼
恵美子風のノリでした

f:id:HATTYAN0234:20191130083529j:plain(いつの旅行でも見られる お気に入りズボン姿)

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ちょっと見では 京都の祇王寺の雰囲気

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金鱗湖に隣接し 御三家のひとつ「亀の井別荘」約3万㎡の敷地が広がる
右の2枚は 外部からの庭園内撮影(宿泊者以外入るべからずとの掲示
外国の方 字が読めないのでしょうか 知らんぷりでズタズタ入ります

敷地には「茶房 天井桟敷」があります 江戸末期の造り酒屋を移築した
建物 店内の雰囲気は雑誌「るるぶ」で見ていいなあと思いますが 下の
カフェとの両方には時間的に無理 選択は個人の趣味です 夜はバーの
「山猫」に変身です

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シャガール美術館一階の「カフェ・ラ・リューシュ」
宿泊ホテルで前売り券を買うと美術館入場料600円が400円 そして
飲み物も274円に コーヒーも紅茶もおいしかった ティーポットの
カバーが可愛い フランスの伝統地方菓子 クロッカン・オ・ザマンド
174円はカラメル風です

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美術館ではシャガールの「サーカス」シリーズの リトグラフ38点が

少し雨が降ったがカフェにいる間に止んだ
ホテルへの帰路は湯の坪街道散策 日本一の「金賞コロッケ」など目移り
します そこで注意 本日のスケジュールでは8時からの美味しい朝食で
満腹 次いで11:45からの昼食は豪華牛しゃぶ 食べ歩きは極力我慢

湯の坪街道に面するお店の営業時間は 9:00~17:30がほとんど 
そのため朝夕はひっそりとしますが昼間は 別府に宿泊しここまで来るC
国の人々で溢れかえります 市としても夕刻以降繁華街化しないよう相当
注意しているらしい

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その「的山荘(てきざんそう)」に着きました
さあ 昼食は豊後牛しゃぶしゃぶ懐石 5,500円也 玄関に立て看板
ガイドさんが「見ないでください」と言えば言うほど 視線は看板に

食事をしているのは 秋篠宮ご夫妻が来られた際に控室として使用の鶴見
の間 部屋の入口近くの席で 床の間を背にすまし顔で「おいしゅうござ
いました」
日出城そばの別府湾で捕獲されるマコがれい「城下かれい」は出ません
さすがに 関あじ 関サバの姿造り 城下かれい等は別注料理でした

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的山荘といういかにも「山を的(あ)てる」という名前の邸宅 伊藤博文
公の額もあり 代々の皇室の方々も訪問し記念植樹されている(写真は現
上皇ご夫妻お手植え)
 
当館は国重要文化財 当主が馬上金山鉱区の一部を譲り受け整備して復活
させたとのこと 1914年には日本一の産出量を記録し大いに栄えたと
金成金ですね
正面玄関に「風俗営業」の古びた金型が打ち付けてあると妻が発見 
現在は日本料理専門店ですが 以前は芸者さんを呼んで宴会も開いていた 

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別府温泉の煙が見えます 高崎山も見えます お猿さんまでは見えません

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庭園と表門です 1915年の完成当時で敷地面積は3670坪

f:id:HATTYAN0234:20191130084750j:plain帰り際 得意満面5,500円の表示を指しています 皆さん笑顔に
「城下かれいの料亭」として全国的に大変有名とは知りませんでした

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ここの隣家は二階堂の創業者の自宅です  二階堂吉四六(きっちょむ)は
有名 1866年創業 1973年麦100%の麦焼酎を開発 日出町に
本社を置く 

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ここ日出は滝廉太郎ゆかりの地 今ではスーパーボランティアの尾畠さん
の在住地としての方が有名?(ウィキペディアでも 当地出身の有名人と
して出ています)
滝家は日出藩の家老などを輩出した由緒ある家柄で 代々日出藩に仕えて
きました 彼自身は父親の転勤で東京に生まれましたが 親族とのつなが
りから 日出町出身と称していました 町では時報のチャイムに彼の楽曲
が流れ すっかり「日出の人」として親しまれています 滝家の墓地
龍泉寺ー右上の地図参照)に葬られています

「日出」日が早く出る地との見方もあるが ヒヂ(泥)の泥地に由来する
可能性大

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最後の訪問地は杵築
鎌倉中期に「木付」で見え 南北朝期の「木付庄」を経て明治期「杵築」
と記す 「キツキ(杵築き)」の意で 杵で土を固めて整地した所の意

江戸時代は杵築藩松平氏3万2千石の城下町として栄え 廃藩置県までは
国東半島の政治・経済の中心地であった 平成の大合併での日出町との合
併協議は 新市の名称と本庁舎の位置で対立して決裂した経緯があると 
本日は両方とも訪問しました

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番所の坂(不審人物を分別する関所)  手前酢屋の坂と対面は塩屋の坂

当地が珍しい「サンドイッチ型城下町」と呼ばれるのは 酢屋の坂上
住居を構える上級武士と反対側の塩屋の坂に住居を構える中・下級武士の
間に町人が住み まるでサンドイッチ状だと言うところから命名されたと
のこと(日本国内で唯一という)
2017年 重要伝統的建造物群保存地区に指定され「小京都」を称する

全国初「着物が似合う歴史的町並み認定」ということで 着物姿の女性が
目立ちます でもでも 良く見るとC国人 3千円で着付けまで行う貸し
着物屋さんがあるらしい
ちょっと待ってください どうして日本人でも良く知らない当地をC国の 
人が大勢押し掛ける? C国人の情報収集は 先ずグーグル検索 次いで
ブログの旅行記 そして旅行口コミサイト 九州地区では「小京都」が
人気のようです 一度気に入られると次から次へ来ていただける?・・・
それにしても貸衣装屋の方 もう少しきちんと きつ目に着付けをしてあ
げて下さい

実は最近読み始めた 講談社文庫の「精日」という本で 素晴らしい文章
を発見した これは 日本に来られるC国人を大事にしないといかんと 
感じるようになりました

「加速度的に日本化するC国人の群像」本当でしょうか?
「日本はアジアの灯台で憧れの場所」
日本好きのC国人は現在ますます増えています それは日本文化の感化力
が強いから そしてC国が対外開放を進めているからです 日本とC国の
交流は密接であり 日本へ留学や旅行に行く人が増え 日本は素晴らしい
という印象を持って帰ってきます たとえC国政府が日本に濡れ衣を着せ
ようとしても 民衆は 今それを信じなくなっています それどころか 
私が微博で見るコメントの大半は C国政府が日本を批判することを批判
するもの それに対するコメントも日本を擁護するものが大多数で 政府 
の面目は丸つぶれになっています

自由と民主があり 傲慢でも卑屈でもない日本は アジアの文明を代表し
て世界に立脚し尊敬を受けています 日本はアジアの灯台であり 世界の
人々が憧れる場所なのです ここまで書くとちょっと・・・・・・
過ぎるでしょうか(笑い)
 ー上海近くの地方都市で政府職員を務める女性(名前は出せない)より

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上級家老の屋敷 当地出身の石丸謙二郎氏が住んでいたという
当地の知事さんが偉かったとは現地ガイドさんの説明 道の両側を広げ電
柱を家の奥に隠し家の壁を白壁にしたら200万円の補助金を出すと・・ 
観光地の基礎を作った人です

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町のメインストリートに立地のスーパーマーケットが廃業し そこが無人
化しては大変と リフォームして市役所(藩庁)に仕上げたのも市長さん
の英断でした パンフの「KIT-SUKI」「きっと好きになる杵築」
との小文字入りです

添乗員さんから 「エコースタッフさんご苦労様」と栗千里をいただきま
したが 我々がクラブツーリズム月刊誌「旅の友」を会員宅に配送する
エコースタッフと ご存知だったのでしょうか? 参考までに我々夫婦は
ホームページの下方にある「ファンコミュニティ」のエコースタッフ欄で
顔写真入りで微笑んでいますよ

2017年5月6日第30回お城祭り江戸行列には 暴れん坊将軍の松平
健さんが「上様の御成り~」です(インターネットからの転写)


     現地ガイドさんからのお願い 近々 当地でロケした映画
 「居眠り磐音(いわね)」のDVDが出ますのでよろしくとのこと 
 映画のロケ地として 道路のアスファルトを砂で隠したそうです 

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バスガイドさん最後のお勧めアピールが大分空港でのお土産ザビエルです
「ザビエル」といえば宣教師フランシスコ=ザビエルですね 16世紀中
盤大分を統治していた大友宗麟の庇護を受け大々的なキリスト教の布教に
成功しました

ガイドさんが車中で言っていました 「今は修学旅行シーズンでそちらの
担当に回されるのではとヒヤヒヤしていました いやあこのツアー担当に
なりラッキー」 
それは私も同じです ゆうこりんで良かった楽しかった 本コースゆうこ
りんと一緒ならもう一度行きたいくらいです!


帰京便はJAL 英国の航空機格付会社「スカイトラックス」のワールド
エアライン・アワードで 日本初JALのエコノミークラスが世界一を
獲得した 加えて 「ベスト・エコノミークラス・エアラインシート賞」
を3年連続 これが4回目 座席間のピッチ幅が広いので長時間飛行では
他社と差が出るようです

出発前の天気予報は 雨ー曇り―雨でした 旅行中は小雨だけで傘いらず
でした 雨女(妻)に勝った晴れ男(私)のおかげでしょうか 
良かった 良かったです

最後におまけ バスガイドさんが車中で説明してくれた地名の由来から
ヒントを得て 図書館から借りて来た「日本地名大事典」から今回めぐっ
た九州5県分の県名の由来を記してみました

<福岡>戦国末期に黒田長政が藩主となって 当地の警固(けご)村に
城を築き 出身地の備前の国 福岡庄(岡山県長船町)の地名を用いて
福岡城」と命名した

<佐賀>日本武尊が巡行時 大きな樟の木が聳えていて「此の国は栄
(さか)の国と言うべし」と言ったとか 栄(さかの)郡から佐嘉郡に
なり佐賀へと変遷した
明治4年「伊万里県」と決まるが 翌年県庁所在地が佐賀郡で「佐賀県
に戻る 住民からは 世界的に有名な伊万里からして「伊万里県」への
復帰要望が強い

<熊本>南北朝期に「隈本」で見え 江戸期より「熊本」と記す 
「クマモト(曲本)」の意で 白川の曲がった川のほとりを言う
ガイドさんの説明の方が理解し易い 「隈」の字のコザトヘンを除くと
「畏」の字がおそれる こわがるの意味になり 領主の加藤清正が築城時
「熊」にしたと「隈」とは 山や川が曲がりこんだ所 奥まった所で 
歌舞伎の隈取に通じます

(私の補足)熊本といえば「わらべうた」が思い出されますね 作者は不
詳です あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ
せんばさ・・・

<大分>飛鳥期に「硯田(おほきた)国」で見え「豊後風土記」に「大分
郡」とある 「オホキダ(大刻)」の意と思われ 大分川が溶岩台地を刻
んで広い河谷平地を形成した所であろう

<宮崎>奈良期に「宮埼郡」で見え「和名抄」には「宮崎郡」と記され
江田神社の前に位置することから 宮前(みやさき)=宮崎になったと
される
  
同じくバスガイドさんからの質問「どうして九州と呼ぶのかご存知です
か?」筑前 築後 肥前 肥後 豊前 豊後 日向 大隅 薩摩9ヶ国の
総称です ではこれら9ヶ国は明治の廃藩置県後現在の何県に相当するの
かと聞かれたら答えられますか?とまでは質問されませんでしたが 
ついでに調べてみました

実は 「令制国」という分類が生まれたのは 大化改新直後で 筑紫国 
火国 豊国までは確定 日向国 大隅国 薩摩国は 統合したり分化して
いたのです
大宝律令(701年)の制定で 筑紫国筑前・築後に 火国が肥前
肥後に 豊国が豊前・豊後に分割 そして9世紀前半には日向国 大隅国
薩摩国及び壱岐国 対馬国も確定され以降平安時代から江戸時代までは変
化なく推移した 

f:id:HATTYAN0234:20191220135043j:plain国県対照表

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1871年(明治4年)廃藩置県前   廃藩置県後1871年11月末

明治維新廃藩置県で何度か改廃があり 最終的に次のようになった
廃藩置県直後は3府302県 第一次統合で3府72県 第二次で3府
35県 最終3府42県に 「明治維新の最大の改革」と言われる)
筑前  福岡県(西部)        築後  福岡県(南部)
肥前  佐賀県 長崎県(本土)    肥後  熊本県
豊前  福岡県(東部)大分県(北部) 豊後  大分県(大部分)
日向国 宮崎県
大隅国 鹿児島県(東部)(奄美群島) 薩摩国 鹿児島県(西部)  
壱岐国 長崎県            対馬国 長崎県
 
九州を旅行して 帰京後こんなに勉強することになるとは正に「想定外」 
このブログを書いていて一番神経を使ったのは「湯布院と由布院」の違い
についてでした 混乱を避けるためか 現在は「ゆふいん」表示が増えて
います

現地ホテル名称にも「湯布院と由布院」の両方が付いており これは由布
院と湯平統合で生まれた新語「湯布院」を意識して 統合前のホテルには
由布院を 統合後出来たホテルには湯布院をつけたのでしょうか? 
  例示として 「御三家」の一つ玉の湯は「由布院 玉の湯」です
  我々の宿泊した「はな村」は「湯布院かほりの郷 はな村」です

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早速 由布院観光案内所関連の「お散歩ゆふいん」にメールを送信し
問い合わせしますと 即刻回答が来ました ありがとうございました

どちらの表記も間違いではなく 今では 特に区別なく使われている
使い分ける住民が少なくなったことや テレビ・雑誌等で紹介される
「湯布院」が観光ブランドとして定着していること 加えて 町内で
商売している店や旅館の経営者の多くが 地元の方よりも外から進出
して来た企業が多くなったことも関係しているのではないでしょうか
玉の湯が古くからの地元の方経営であるのに対し はな村は別府発祥
企業である「翼リゾート」経営というのも関係があるかも知れません
                         
<最後に>私の大好きな作家 原田マハさんの「作家の旅メモ」から
旅は五感を刺激するもの 歩いて 感じて 見て 食べて 楽しんで 
ぐっすり眠って 明日への活力をチャージしてくれます
新たな出会いは 人生を豊かにしてくれるはずです 一歩踏み出せば
新しい世界が待っている そう考えるとやっぱりまた旅に出たくなり
ますね
    I  think so too.  おしまい