2022年11月 京都秋遊の旅6日間⑤清水寺と伏見桃山

「そうだ 京都、行こう。」のキャンペーンは1993年に始まった
その第一弾が上の京都清水寺で キャッチコピーがこれまた抜群です
    パリやロスにちょっと詳しいより
    京都にうんと詳しいほうが かっこいいかもしれないな

<5日目 11月10日(木)晴れ>清水寺から伏見桃山

本日は 清水寺の朝6時開門を目指し ホテルを5:20に出て 始発の
バスと徒歩で清水寺へ向かいます まだ真っ暗ですが坂を上る人がいます

寺社前に到着 かなりの人がいました タクシーでも次々乗り付けます
そうなんです「京都の真髄は朝にある」ことを皆さん分かってらっしゃる

「開門です」の声と同時に石段に集まります

左下に妻が並んでいます 早朝から受付で拝観料は徴収されます

舞台から下はまだ暗闇 地主神社も閉門中

日の出と共に 舞台に人々が大勢出てきました
清水寺には あらゆる人の祈りに応えるため 多くの手を持つ千手観音像
が御前立として安置されており 故に参拝者には あらゆるお守りが用意
されています 
清少納言の「枕草子」には遠国から来た人々のことを「騒がしきもの」と
記載されていますが それほど平安時代から人気が高かったようなのです

清水寺は創建778年です 応仁の乱を含め9回も全焼して今があります
本堂は懸(かけ)造り 日本古来の伝統工法で 木材が格子状に 舞台を
支えるのは樹齢400年以上の欅18本の柱 長さ12m周囲2mで釘は
1本も使われていない 柱を繋ぎ合わせるのは 継ぎ手と呼ぶ接合法です

音羽の滝です
三本の滝が流れます 向かって右から 恋愛成就や縁結び 延命長寿
そして学業成就 一度の参拝で得られる利益は一つだけで 他の水を
飲んだり 同じ滝の水を何杯も飲むと 欲深いと見抜かれ 後利益は
無くなってしまうそうです

ブラタモリ清水寺(2017年4月 2020年5月再放送)
ブラタモリ京都編は 毎年初に撮影されると タモリが京都に来ると
いつも鴨川のほとりに宿泊 朝の散歩コースには清水寺も入っている
本放送では タモリは健康を 近江アナは学業成就を願ったそうです
それにしても 近江アナが出ると いつも最高視聴率を更新しますと
可愛いし タモリとの間隔が程よいのでしょう・・・

清水寺関連の「そうだ 京都、行こう。」のポスターを並べてみます

2001年夏

2004年盛秋

2010年夏 「清水の舞台」を子供と一緒に予習してくる
       そんな旅じたくもあるのです。

五条坂を通り若宮八幡宮の横に 目的地「CICON」を妻が発見

TV「京都画報」で見た常盤貴子さんお勧めのパンを買うのが目的で入店
寒かったのでコーヒーでもというのに 今の時間朝食をどうですかと勧め
られてレストランに入りました(WEBでは宿泊者が優先で予約不可と)

私はエッグベネディクト 妻はオムレツを選択 
毎朝ホテルのビュッフェでも満腹でしたが ここでは目で楽しめました
パン各種が小さく切られており 沢山の種類を取れるのも良かったです

レストラン内部がカッコイイ!

屋上のスカイデッキを見学 景色最高です
ベーカリーでパンを買ってここで食べることもできるのです

ロビーのベーカリーと常盤さんお勧めのたまごサンドです

京阪本線伏見桃山に行くべく清水五条駅に到着
大々的にCICON経営のノーガホテルのパネルが飾られていました

伏見駅に到着し 御香宮神社を目指します 突然妻が動けなくなります
「トイレが我慢できない!!」と・・・息を吐くことができず・・・
最終何とか間に合いましたが ここの神社ではあとの記憶がありません

本当は神社に湧く御香水や 鳥羽伏見の戦跡で有名なのです
右の石碑は 佐藤栄作首相の揮毫です

ブラタモリ伏見「伏見は日本の首都だった!?」
2021年10月の再放送も見逃している 見たかった回なのです
安土桃山時代の「桃山」って何? 江戸時代伏見城が廃城になった
場所に 桃が植えられたことから 後世の人々が命名したそうです
当時 大坂城はプライベートな城で 伏見城が政権の中枢であった

伏見城の歴史より 
秀吉が拓き 家康が築いた伏見桃山ですが 古くは渡来人たちが根を張り
貴族たちが愛でて 後鳥羽上皇後白河法皇の孫)など院政の地となった
秀吉が手掛けた巨椋池おぐらいけ)の大改造計画とはどんなもの・・・
稀代の普請好き秀吉の狙いは 皆の経済力を削ぐ必要から築城と朝鮮出兵
を計画 伏見城築城には朝鮮に出兵していない大名から延べ25万人動員
  指月伏見城を完成させるも1596年の慶長伏見地震で城は倒壊した
  次いで 聚楽第の殿舎など解体して運ばせ 木幡伏見城を完成させる
  天守閣は 望楼型五層の姿で 洛中洛外図屏風に見事に描かれている
   秀吉辞世の句
   露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪速のことは夢のまた夢
    城の完成前の1598年に秀吉は伏見城内で没した 遺言で秀頼は
  大坂城に移り 代わって五大老の筆頭の家康が入城し政務をとった
    
1600年関ヶ原の戦いを前に鳥居元忠奮戦 伏見城落城
1603年家康が修理 この地で征夷大将軍となり 家光までの20年間
伏見は徳川氏の城下町であった 水路や街道が集まり商人・職人も多い町
高瀬川開削で洛中と伏見を運河で繋ぐことで京都の物流は伏見経由中心に

二代将軍秀忠の時代には 武家諸法度の草案につき 二条城の家康へ幾度
となく使者が往復 1623年家光が将軍宣下を受けたのもここであった
1624年に廃城となり解体されて 全国に築城資材として下げ渡された

1867年鳥羽伏見の戦いで伏見はどん底
ただし明治維新で物流量が飛躍的に増大し 軍需が町に活気をもたらした
1912年明治天皇崩御 旧伏見城跡に明治天皇伏見桃山陵がつくられた
   注:陵(みささぎ)所に選んだのは明治天皇本人で 遺詔があったと
    「明治天皇紀」によれば 1903年の大阪内国博覧会への出席
    の途中 京都御所に立ち寄った際「桃山は眺望絶佳の地」なので
    「陵を桃山に営むべし」と皇后に伝えたと記されている
    陵への大階段から振り返ると 眼下には 秀吉が整備した伏見の
    街並みが見える 明治天皇は秀吉を「尊皇の功臣」と讃えていた

妻が指差しているのは 鳥羽伏見の戦い時の弾丸・弾道跡です

道の両側に月桂冠関係の店が並びます

写真の左から右へ ようやく月桂冠大倉記念館前に到着です
ここで見学と日本酒の試飲(利き酒)ができるようなのです

昔のお酒と最新のお酒です
月桂冠が出た当時は 偽物が出回った 左:桂でなく佳 右:月でなく日
ラベルが微妙に違うのです それだけ本家月桂冠の人気が高かったのです
最新の日本酒スペシャルフリーは何とノンアルコールだそうです えっ!

明治の末期に 国内最大の清酒コンテストがあり 月桂冠が優勝!
何でコンテストが? 当時日本政府の 税収の3分の1が酒税で 
更に飲んでもらおうと 政府の肝いりで実施されたそうなのです
 注:では どうして数ある造り酒屋の中で月桂冠が第一位に?
   1889年(明治22年)の東海道線開通から 国鉄の前
   身である鉄道院により駅売酒に指定され 車中で飲み易い
   「コップ付き小瓶」をヒットさせたからだそうです・・・   

伏見の名水が常時流れています お土産の猪口で一杯いただく

試飲は10種類の中から3つ選択して飲みます 辛口が気に入りました
「灘は男酒 伏見は女酒」と言われますが 女酒にも辛口はあるのです

十石舟でクルーズ 堰までの往復50分です 乗船は我々二人だけ
秋の紅葉シーズンは少なく 春の桜のシーズンが圧倒的に大人気と

この濠(ほり)川が繋がる 淀川との水位差が大きいため堰が造られた

月桂冠の酒蔵が景色に花を添えます

寺田屋事件寺田屋 現在も宿(梅の間以外)を営んでいるそうです
ただし本物の寺田屋鳥羽伏見の戦いで焼失し 昭和の1950年代
本物の寺田屋を模して造営されたものです 注:1泊6,500円也

竜馬とお龍さん

お龍さん大活躍の階段とお風呂 素っ裸で竜馬の危機を救います

幕末の薩摩藩士が常用していた船宿寺田屋の女将 お登勢さんの部屋
坂本竜馬が 頼み事や泣き事を記した手紙を沢山残した太っ腹の女将
映画や演劇でいろいろな女優さんが演じるが 淡島千景がピッタリ!

駅への帰路 黄桜カッパカントリーと伏見奉行所跡を探しました
歴史上で超有名な「鳥羽・伏見の戦い」です 鳥羽街道での戦いと同時に
起こった伏見での戦いは 伏見奉行所に集結した会津桑名藩御香宮
陣取った薩摩藩中心の新政府軍との間で行われた 結果は承知の事項です

朝が早かったのでホテルに戻り 昨晩JR伊勢丹で購入の昼食をいただき
そして夕食にそなえて しばしの睡眠休憩・・・

本日のメインは「二条 やま岸」妻の友人のお勧め店でのディナーです
ミシュラン一つ★「富小路 やま岸」の姉妹店2019・10オープン
旬の厳選食材で彩る鍋物をメインに据えた鍋懐石を個室でいただきます
本日は「たっぷりきのこと炙り鴨の鍋」のコースです

二条駅から3分のところにお店はありました 少し早目であったものの
入口の引き戸を開けますと 女将さんが待っていて下さりお出迎えです
挨拶と案内を頂き お部屋に入りました そうです 一流割烹の女将と
いえば 京都観光を支えるプロデューサーで 出しゃばらず 引っ込み
過ぎず 絶妙のもてなしができるようにとの 女将修行を経ての現在で
あります この日は18:00の予約でした 女将さんは「お出迎え」
のため どの位前から緊張感を保ちつつお待ちいただいたのでしょう?
 注:実は お出迎えの女性が当店の女将とは  最初は思わなかった
   と言うのは 一流割烹店の女将と言えば 素敵な和服を着こなし
   ていると 勝手に思い込んでいたからかも知れません

あっ! この人が 当店の女将ではありませんよ 私の愛妻です
当店は割烹となっていますが カウンター式ではなく個室 そして
コース料理となっていて 「料亭と割烹の違い」が分かりません

お酒:日本酒一合で充分(だって昼間に伏見で試飲していたので)
先付:雲子(鱈の白子) 栗 蒸米 銀杏

おしのぎ:こっぺがに 雲丹塩水 りんご そうめん 糸昆布
お椀:松茸 こっぺがにの真薯 

酒肴:ほっき貝と焼きシイタケにゴマ 小かぶとほうれん草
   カワハギの肝和え 山芋賽の目 あさつき
   お皿にはモミジや柿の葉が添えられている どこの紅葉?と質問
   弟子達と一緒に昨日鞍馬までピクニックを兼ね集めて来ましたと
   当店は週休2日制で 1日はこんなことに費やしますと料理長談

手巻き寿司:うとい和え(ウニ とろ いか)
      お造りの半分を食べて残り半分を手巻き寿司に

焼き物: さわらの藁焼き 梅肉 紅白なます 松の実
お口直し:いくらと柿と三つ葉 しめじ 海苔
     <料理長さんへの質問>
     出汁が自慢の店 水はどこからと質問 梨木神社ですか?
     富小路 やま岸の井戸水を利用していますと(これは錦の
     名水だと思う) 続けて出汁の材料は?の質問に70%は
     昆布 利尻の三年物を使っていますと
     HPで枕崎産の鰹節と鮪節で取った一番だしを使用とあり

鍋:女将さん(富小路本店大将の元奥様)が手づからこしらえ
  きのこ三種と鴨肉 きのこがものすごーく噛み応えあり最高! 

さあ食べられます 柑橘と山椒赤みそでいただきます 九条ネギ添え

御飯:土鍋で蟹の炊き込みご飯(3合)にいくら乗せ
   御茶碗一杯で満腹 残りをおにぎりにしていただけて持ち帰り
香物:白菜と干し大根の醤油漬け こかぶと赤かぶ

デザート: 洋梨のコンポート 紅茶のジュレ 栗のテリーヌと抹茶

いつもながらですが 料理の説明を妻がメモし 私が撮影を担当します
聞き間違いがあるかも知れません どのように美味しいかの食レポが無い
のも気がかりで 今後の課題です

料理長さんが帰り際に写してくれました 後ろの人は背後霊?
更には オペラ座の怪人みたいと妻 ちょっと言い過ぎでは!

参考:料理長さんは横井祐史さん34歳  
   和久傳で修業中 相当厳しかったし兄弟子からイジメを受けた
   当店のオープンと同時に引き抜かれたが 当時31歳であった
   現在は弟子にレシピも渡すし動画も撮らせて勉強させています
   オープン以来誰も辞めてはいない 自分の時代は20人入店し
   1年後には2~3人残るかどうかであったと・・・
   お人柄がいいのは 話していてすぐわかりました
   御馳走様でした 二人で4万円でした