イタリア・カプリ島の「青の洞窟」を超える美しさと絶賛される
クロアチア・ヴィシェボ島の「青の洞窟」への旅が始まります!
<7日目 7月11日(木)>アドリア海クルーズと島巡り
フヴァール島の玄関です ソフトクリームが美味しい季節ですが
日本の様な湿気が無いので 汗がしたたることは全くありません
添乗員さん 何やら必死に交渉していました 少々不安です
それにしても スピードボート側の男女イケメンと美女でしたね
港には 数多くの個人所有の豪華クルーザーが係留してありました
さすが クロアチアで最も人気のあるリゾートアイランドですね~
欧州各地からもハリウッドスターも訪れる有名リゾートだそうです
さあスピードボートで出発 満面の笑み まるで遠足気分の妻です
1時間ぐらいかけて到着の 最初の島が「ヴィス島の緑の洞窟」です
本当にエメラルドグリーンに輝く洞窟で 若い美女たちが人魚のよう
この海岸はプライベートビーチだそうです
小舟に乗り換えて洞窟の入口へ 先着のボートが出るのを待ちます
どうですか?「ビシェボ島の青の洞窟」です
ツアーの中で昨年 カプリ島の青の洞窟に行ったばかりの女性が一言
「こっちの方が断然いい 向こうは入ってすぐ終了 味わう暇が無い」
カプリ島はそれだけ小舟の順番待ちが激しいようで こちらがお勧め
我々二人を撮ってもらいました さすがに顔の表情は撮影できません
洞窟内 皆さんのおしゃべりはありません 正に息をのむ光景でした
アドリア海の水はとても綺麗 山に木も川も無く わずかな雨水も
カルスト地帯の石灰岩に 濾過された地下水脈となって 海に湧き
出ている 川は岩山の中を流れて「マウント・リバー」と呼ばれる
正にスピードボート ガンガン飛ばした船長さんと一緒に
フヴァール港へ戻ってきて昼食 当地のシーフード料理が抜群!
リゾットもサラダもパスタも蛸も ビールやワインに滅茶苦茶合います
ツアーが9人で添乗員さんと合計10人 この位の少人数がいいですね
フヴァール島の世界遺産「スタリーグラード平原」のラベンダー畑
カラリとした気候がラベンダー栽培には最適 何とローマ時代から
家内経営で栽培されていたとか 本来この時期には最盛期のはずが
今年は少し早まった? 島中ラベンダーの香りという訳にはいかず
既にほとんどが収穫されていたようでした・・・
宿泊したホテル「フヴァール」実は出発前 参加人数が減って当初予定
していた上級のホテルが取れなくなってしまい 5千円返金しますとの
通知があったのです ツアー中ここだけが減点です まるで民宿でした
当初宿泊予定の「アンフォラ・フヴァル・グランドビーチリゾート」
ツアー催行の最低人数が12名のところ9名になり変更になったもの
参考:このツアー7月分は55万8千円/1名でした
<8日目 7月12日(金)>フヴァール島散策そして最終地である
ドゥブロヴニク(ドブロヴニク)へ向かいます
ガイドさんが説明中です 皆さんの自由散策のための案内なのです
裏手の坂道を登っていくと
「シュバニョラ要塞」に到着
まあ どうでしょうこの景色 街並みと港の風景が圧巻です
あれっ そういえばサングラスをしていませんね 傷が治った?
「誰のおかげ?」と妻が得意げに聞いてきます 奥様様ですねー
大砲を見つけてはすぐにまたぐのが習性なのです
サボテンの花か実か? 南米でもよく見かけました
フヴァール島から本土に戻り ドゥルヴェニク近辺
クロアチアからほんの一部モンテネグロを通り ドブロヴニクに行きます
その一部に立地しているスーパーです クロアチアよりも物価が安いため
多くの人が立ち寄るそう 日韓の国旗が見えますが お得意様なのですね
添乗員さん(白鳥和見さん)から 思いがけず嬉しい報告がありました
「皆さんのご協力で 計画が極めて順調です 時間があるのでストンと
いう町に立ち寄ります」と これは嬉しい! 塩田で有名な町なのです
こんな城壁があるとは知りませんでした さすがに城壁巡りまでの
余裕はありませんでしたが ここへ立ち寄れた得した感だけで十分
この橋の向こうがドブロヴニクです
3連泊となるホテル「リクソス リベルタス」ここも五つ星です
ホテルで寛ぐ妻 いや旅行中は写真のモデルさんです
「ハイ モデルさん」と言うと振り向きざまポーズを決めてくれます
室内と ベランダに出ての夜景 真っ暗です
<9日目 7月13日(土)>「アドリア海の真珠」市内観光です
海を見ながら レストランのベランダで朝食
ロープウェイに乗ってスルジ山へ(内戦前はケーブルカーがありました)
眼下に見えるのがドブロヴニク旧市街
皮肉屋・毒舌家のバーナード・ショーが「ドブロヴニクを見ずして天国を
語るなかれ」と最大時の讃辞を贈っている 「町は絵画の様で女性は映画
スターの様だ」とも・・・・同感です 美女 美女 美女ですから
「ナポレオンの十字架」です
ドブロヴニクは1808年ナポレオンに征服されるまで独立国家でした
中世 ベネチアと並ぶ海洋都市国家であった 西ローマとビザンチンの
境に位置しベネチア オスマントルコという大強国に囲まれながらです
16世紀に バルカン半島がオスマントルコ一色に埋め尽くされても
トルコの中にある飛び地のように 独立を保った共和国だったのです
1667年の大地震では ほとんどの建物が倒壊するも不屈の闘志で
復活を遂げたのです 決して周囲の国の属国にはならなかったのです
ああそれなのにそれなのにです
ユーゴスラビア内戦の凄まじさがこの一枚の写真
頂上には多くの写真が・・・
そして現在でも まだ地雷が沢山埋まっています 道以外には絶対に
入らないでくださいとの注意が ドクロのマークで示されていました
ピレ門を入場しすぐの壁に 市街地で戦禍があった場所の説明パネル
1991年に クロアチアがユーゴスラビア連邦からの独立を宣言し
独立に反対のセルビア人中心のユーゴ連邦軍との内戦が開始しました
12月6日(当日は信仰してきた海の聖人 聖ニコラウスの祝日)
かつての同胞より突然2千発の砲弾が! 都市を崩壊させたのです
世界遺産から危機遺産になるが 戦後修復の専門家 ワルシャワの街の
復興に関わったポーランドの専門家等の援助と 勿論多くの市民のボラ
ンティアで復興 1994年危機遺産解除でプラッツア通りは大騒ぎ!
奇跡の復興都市となったのです
今では ジブリ映画のロケ地の一つです
「魔女の宅急便」のロケ地はストックホルムのガムラスタンが70%と
あとは 宮崎駿監督が個人で訪れたドブロヴニクやエストニアのタリン
だそうです 分かりますねー どこの国が背景か それだけでもう一度
映画を見て見たい・・・
フランシスコ修道院には世界で三番目に古いマラ・ブラチャ薬局が現役で
中世から受け継がれるレシピ通りに 薬草ふんだん入りのコスメやハーブ
ティーを提供しています 日本人のおばちゃんが買い占めていくそうです
日本の皇族そして ジャクリーン・ケネディさんのサインもありました
「オノフリオの噴水」1438年ナポリの建築士オノフリオが スルジ
山の北側の水源から 山越えの上水道を建設した 充分に飲める水です
坂道の途中からでも 「モデルさん」と呼ぶと ハイポーズで応えます
昼食は「ナウティカ」レストランです
私 ムール貝は食べず嫌いなので妻に ペロッと平らげていました
ロブスターは言う事なし お皿の下のテーブルマットに注目してください
妻が記念にと新しいのをもらっていましたが 実は テラス席とか
店内特別室のお客様は 記念にコースターをいただいて帰る様です
これは入場口すぐのテーブル席 我々もここでした
一番端っこでは 何とドブロヴニク旧市街を見下ろす席があるのです
奥のテラス席 これが「絶景のレストラン」
世界で最もロマンチックなレストラン トップ10の一つだそうで
ローマ法王や日本の皇族方(秋篠宮ご夫妻も)も 世界のVIPに
愛された名店「ナウティカコレクション」は世界に広がっています
偶然ですが 港を写した一枚の左側に「ナウティカ」のテラス席が
少しですが見えます
昼食後は自由時間 我々はもちろん城壁一周2kmに挑戦します
屋根の色も微妙に違います 内戦後は明るい赤 それ以前はくすんだ
茶色なのです 明るい赤は砲弾で破壊されたため再建された屋根瓦です
ここは砂浜が無いビーチのようですね
さあ いつもの大砲またぎが待っています
ポーズを決めてカメラを催促するのです
城壁巡り
背後に見えるのが「ロヴリィエナッツ要塞」 ドブロヴニク守備の要
後で登りました 扉には「どんな黄金との引き換えであっても自由を
売り渡してはならない」と リベルタス(自由の意)が最も大事だと
いうことは市民全体に浸透 この文字 公共バスにも刻まれています
そして我々の宿泊ホテル名が 「リクソス LIBERTAS」です
要塞からは 旧市街の全貌が城壁越しに見えます
有名なジェラート店 城壁巡りで疲れた疲労回復剤になります
レモン味のジェラートだったと 食べ物のことは良く覚えている妻です
さすがおじさんキラー 一緒に写真いいですか?とチャッカリ
添乗員さんお勧めの路地裏にあるレストラン 新鮮で美味しかったです
添乗員さんが写っている写真が多いです ストーカー気味で御免なさい
こちらのご婦人は イケメンをみつけると さっと傍に行きます
夜のドブロヴニクを体験したいと少し遠出 街の明かりがすごい!
本日は土曜日 サタディナイトフィーバーの集まりなのか
美女がプラッツア通りに溢れます ドキドキして写真を撮るのを失念
妻が撮っておいてくれた一枚です 男性はトリミングアウトしました
ピレ門からバスでホテルまで 徒歩でもいいのですが
折角 ドブロヴニクカードを買ったので有効活用です
<10日目 7月14日(日)>モンテネグロのコトルへ日帰り観光
昨晩来てみた場所です 皆さんの撮影タイムです
クロアチアとモンテネグロの国境です パスポート検閲でしばし休息
妻はオジサンキラー 運転手さんとの写真を要求します
またまた小舟に乗れると分かりご機嫌なのです
ポカ・コトルスカ湾にぽっかりと建つ「岩礁のマリア教会」へ
たまにはお花も挿入しないと殺風景になるので・・・
誰かさんを尻に敷くご主人さま 妻にピッタリの造形物です
どこにでもある「最後の晩餐」料理は魚料理だったようです 魚です!
遂に世界遺産コトルにやって参りました
見上げると城壁がずーっと山の頂上まで続いています
翼の生えたライオンはベネチアのシンボル ここも支配地だったのです
時計台の下にある三角錐 拷問刑の一つ 股裂きの道具なのです
聖トリフォン大聖堂
私が見たかったのは「聖ルカ教会」の魚です 魚=キリストを表わします
「イエス・キリスト・神の・子・救世主」をギリシャ文字で綴り 5つの
頭文字を順に組み合わせると魚(イクテュース)という単語になるのです
ここまで上ってきたのは 女性では妻だけでした 得意の表情です
ここからの眺めこそがコトルの絶景 「美しい村」の真髄なのです
ホテルに戻って来ました
<11日目 7月15日(月)>帰国の途
最後の「ドブロユットロ(おはよう)」唯一覚えたクロアチア語です
後日チェコでも バルト海クルーズでの部屋担当者にも通じました
当たり前です 出身は?の答えがクロアチアで 即ドブロユットロ
朝食は 三日間とも サラダやフルーツが沢山あって大満足でした
欧州ではチーズは種類が多く置かれていますがサラダ・フルーツは?
当初の計画では 早朝ドブロヴニクを出発し帰国というはずが
午前中いっぱい自由となり それではとモデルさんの水着撮影会
海に一度も入っていないので 足をつけるだけでもと注文
絶対に手すりを離さない かなづち娘なのでした・・・
一人で旧市街に出ます 誰もいないプラッツア通りを撮影したかった
三か所ある城壁への登り口 写していなかったのでパチリ
14:55ドブロヴニク発の クロアチア航空便で ウィーンと
フランクフルト経由 全日空で成田です もう終わりなのですね
<12日目 7月16日(火)>15:05成田到着お疲れ様
s節下