2021年 平泉・松島・仙台観光4日間

10月17日(日)~20日(水)の3泊4日の個人旅行です
宿泊は マリオット系列「ウエスティンホテル仙台」にしました
今回はJR東日本の「えきねっと」を知り「トクだ値35%OFF」を
利用して新幹線代を節約することができて 何だか嬉しい気分です 

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f:id:HATTYAN0234:20211024092955j:plain仙台駅で10時に妻と合流 10:45東北本線で平泉へ向かいます
仙台まで妻は大阪から飛行機で 私は東京から新幹線でした

f:id:HATTYAN0234:20211024112647j:plain土日祝日限定のパスなのですが
仙台ー平泉間は 片道普通1,980円かかるのに一日2,720円です

f:id:HATTYAN0234:20211024093241j:plain小牛田(こごた)駅で一ノ関駅までの電車に乗り換えです
東北本線と言っても鈍行 新幹線では34分のところ97分かかります

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一ノ関駅から平泉駅への乗換タイムに 妻が伊丹で購入した空弁を実食

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12:53ようやく平泉到着 雨がパラパラ 2時間ちょっとの観光です
右の「平泉駅」の文字は今東光による どうして今東光
同氏は天台宗の大僧正 中尊寺貫主 国宝金色堂の昭和大修理に努めた
奥州を題材にした小説で人気に 私は「お吟さま」「悪太郎」が好きです

谷崎潤一郎 川端康成 梶山秀之の死去に際しては 戒名を贈り 葬儀を
仕切り弔辞を読んだ 瀬戸内晴美中尊寺での出家得度で「寂聴」の法名
を与えた 国会議員1期務めた まあ地元の名士と言えるのでその縁です

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毛越寺の「白鹿伝説」を大声で読んでくれますが 私は先を急ぐのです
毛越寺の越は「オツ」と読め モウオツジがモウツジ 最終モウツウジに

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芭蕉の句碑 「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」

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奥州藤原氏2代基衡 3代秀衡の時代に隆盛 本堂は1989年建立
浄土庭園は 日本最古の庭園書「作庭記」に基づく 吾朝無双(我が国に
並ぶものなし)と評判に 池の水は全て湧き水で 中尊寺近くの透水層が
水道管のような働きをして水を運ぶ

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観光地を結ぶ「るんるんバス」も土日祝日限定(30分に1本)なのです
平日に観光するには不便な土地柄なのです

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さすが平泉 トイレの男女用の表示も一工夫

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すぐ見つけて写真を催促します

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中尊寺は本堂まで560mの表参道「月見坂」がキツイ 
妻の手を引き ハアハア言い乍ら弁慶堂に到着 中尊寺を訪れるのは 
今回で3回目ですが この弁慶堂は見ていませんでしたので必見です
1826年建立 弁慶立ち往生の姿のまま彫られた迫力が見ものです 

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本堂は明治42年再建 本尊の釈迦如来坐像(丈六仏)は2013年建立

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内部は撮影禁止 パンフレットからの転写です
創建当時から唯一残る建造物 日本最初の国宝建造物に指定された
藤原三代の御遺体と四代泰衡の首級が納められている
<奥州藤原三代の栄えた理由>
北上川の東に1~5億年前の古い地層が存在し 砂金の形で金を
 得ることができた 
北上川が 南は宋 北は蝦夷地との水運の役割を果たした
③断水層による砂質の透明層の露出により天然の水道管を得ており
 水の心配が無かった

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梅雨は全ての物を朽ちらせてしまうが この光堂のみは降り残したの
だろうか 今も金色が輝いていることよ・・・

芭蕉の「奥の細道」は中尊寺が最北 平泉に戻ってあとは西に向かい
山形の立石寺で「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」を残します

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金色堂の旧覆堂 上は先代のもの 

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樹齢300~400年の老杉は 江戸時代に平泉を収めた伊達藩が植樹
15:15一ノ関駅までの22分間 岩手県交通バスは我々だけの貸切

ブラタモリ平泉>

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金色堂は 天台宗大本山 12世紀初頭 藤原氏初代の清衡が 前九年
後三年の役で亡くなった人々の霊を慰めるために造営したもの
金・銀夜光貝象牙や薔薇の香りの紫檀で極楽浄土の世界を表している
金色堂を風雨から保護するため 新覆堂があるのです

f:id:HATTYAN0234:20211024100124j:plain帰路 さすがに疲れたか・・・東北本線車内で

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仙台駅到着は17:36
エスティンホテルではアップグレードしてもらえ 広い部屋に
別途浴室もあります 本日は疲れていたので「インルームダイニング」に
ウェルカムフルーツと スパークリングワインと軽食 十分堪能しました

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部屋からの眺め ホテルは31階の角部屋です

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仮面ライダーの生みの親 石ノ森は章太郎は 登米郡石森町生まれです

f:id:HATTYAN0234:20211201173308j:plain本日と明日の二日間「仙台まるごとパス」2,720円を購入しました
仙石線東塩釜駅までの電車でした 目的の松島海岸駅の2駅前です
10時に出航予約の仁王丸に間に合うのだろうか・・・少々心配
仙石線東日本大震災で飲み込まれ 2015年に完全復旧したのです

f:id:HATTYAN0234:20211024112419j:plain仁王丸で50分 松島一周です

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船内はポカポカ すぐに眠りにつきます

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右は「鐘島」

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左は「仁王島」右は「水島」コースの一番奥に位置しています
松島は単なるリアス式海岸ではない 巨大な地滑りによって形成された
陸地が湾口にあり それが天然の堤防の役目を果たした 260もの島は
100以上の斜面崩壊 松の木も塩害で立ち枯れ大震災の爪痕が痛々しい
でもこれで松島町への津波は2~3mに抑えられ 同町の死亡者ゼロです
「松島町の奇跡」としてNHKでも特番として取り上げられたようです

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f:id:HATTYAN0234:20220102121155j:plain松島の牡蠣養殖場 大震災後にはフランスのブルターニュ地方からの支援が
これは以前に 被害があったブルターニュに牡蠣の種を贈った返礼なのです
1963年ブルターニュ地方を大寒波が襲い 水面が氷河のようにほぼ凍り
何と80%もの牡蠣が疫病で絶滅しかけた その時寄贈したのが三陸の養殖
業者達 これが日本のクルーズ種 その子孫が三陸に贈られたという訳です

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左「福浦橋」良縁スポット 252mの朱塗りの橋
右「五大堂」橋桁の間から海が見える「透かし橋」が有名

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下船の合図でようやく目を覚ました

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松島を愛でた有名人 
一人は 桂離宮の美を世界に広めたブルーノ・タウト氏「北斎の描いた
波がそのまま岩になった 日本でどうしてこの景色を映画に採用しない
のでしょう?」 夕方と雨の松島が特別お気に入りだったようです
もう一人はアインシュタイン 月の松島が好きだったとか 料亭の柱に
もたれたまま微動だにしなかったと 「おゝ月が おゝ月が・・・」と
かすかにつぶやいた 「月の光が描く銀の道」「月の光が日本の景色の
真髄と見た」と表現したと 新聞記者が記事にしている

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観光船乗り場の道路対面にあります
藩祖の伊達政宗公が1609年に落成 平成28年4月に平成の大改修
国宝の本殿 庫裡他桃山時代の代表的建物である

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妻の背後の切り株 これは津波での塩害にあった杉 少しでも海水に
晒された樹木は いずれ立ち枯れてしまうので 切り倒すそうです

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門をくぐってここまでが津波の到達点だそうです
津波の際には 観光客の皆さんも本堂他にあがり込み避難されたとか
政宗公は 過去からの地震津波を十分調査の上 ここならば安全と
建てられたとか 松島町の奇跡をふくめ 話好きの見張り役の坊様に
妻が話しかけて 色々な話が聞け 改めて政宗の凄さを実感しました
島巡りをしてきた直後だけに より一層感激しました

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有名な「臥龍梅」政宗朝鮮出兵時 兜に苗木を隠して持ち帰ったもの

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 仙台市 若林城(今は刑務所)にも元気に咲いています これは以前に
ブラタモリ仙台」で見ました 看守さんと入獄者のみ見物できると

<伊達モノ 伊達男とは>
秀吉の朝鮮出兵の出陣式 1番隊は前田利家軍 2番隊は家康軍 3番隊
となる政宗軍の出で立ちの見事さに京の見物人が感心した誉め言葉である
足軽隊は 金色のとんがり笠をかぶり 銀箔の太刀を腰に 日の丸の幟
(のぼり)をかかげ 騎馬隊は黒色の鎧 兜には金色・半月形の前立てを
政宗は熊毛の陣羽織でシックにきめていた 決まった!

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円通院 拝観料300円 実は「まるごとパス」所有者は250円に
後で知りました 残念!
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円通院は伊達家二代目藩主 伊達忠宗嫡男光宗(19歳で没)の菩提寺
光宗は文武に秀で幕府の脅威 江戸城内で 幕府側から毒殺されたとか?
注:忠宗の正室は秀忠の養女(実父は池田輝政 母は家康の次女督姫)の
  振姫でその子光宗と家光は従兄弟の間柄 それでも毒殺される時代!

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約700年前の洞窟群

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円通寺の周辺は どの店も入店できず 脇道で見つけたお店に入店
妻はサンマのお頭つき刺身に 私は牡蠣(フライ 焼き マリネ)に満足

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日没前 16:30頃ホテル着 午後のアフタヌーンティータイムです

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エグゼクティブ倶楽部ラウンジは 朝7時から24時までオープン
ただしコロナ禍で 現在は20時まで

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本日もカクテルタイムにラウンジまで行かず 部屋までのお届けを依頼
さあ スパークリングワイン今日も一本 冷蔵庫内のアルコールもOK
赤ワインもビールもあるのです
鮭や鯛のマリネがとてもおいしいのです なだ万みたいです

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本日も 2日間有効の「仙台まるごとパス」で 先ずは仙山線愛子駅
そしてバスに乗り換え秋保大滝まで 秋保・里センターに戻り日帰り温泉
そして仙台駅までは ホテルバスで送迎されるという日程を計画しました

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駅前に「1日24時間駐車料金400円」なる看板を見つけました

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滝口まで0・8km 当初は私だけ行くつもりでしたが バスが8分遅れ
戻りのバス時間までを計算すると 無理と判明 展望台からの眺めで終了

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確かに姿の綺麗な滝ですが 那智・華厳・秋保を日本の三名滝と言うには 
少しスケール感に欠ける気がします

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温泉と昼食で5,500円の紅千鳥コース 個室休憩付きです
ホテルニュー水戸屋 16趣の温泉があると有名ですが・・・

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行き掛けに主婦の店「さいち」で名物のおはぎを入手
あずきと黄な粉(あと ごま・納豆)とてもおいしゅうございました

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刺身と牛肉芋煮鍋 西京焼きの魚 甘鯛の唐揚げ 茶碗蒸し・・・
「茶碗蒸しに出汁が入っていない」と妻の機嫌が吹っ飛びブツブツ・・・

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日帰り温泉付きは 以前有馬の兵衛向陽閣で体験しましたが 雲泥の差
ちょっと他人様には勧められません 温泉街散歩もできない山の中です

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仙台駅に15:40頃戻って来ました 「ループル仙台」バスの最終便が
16時に出るということが分かり 時間つぶしの意味もあり パスで無料
ということから 夕食を予約しておいた「おでんの三吉」近くまでを観光
バスに乗りました バス案内のおじさんが妻に道順を教えてくれます

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仙台の目抜き通り マラソンコース 羽生君の金メダルパレードの道です
運転手さんの説明が入ります 窓の外からウエスティンホテルが見えます

f:id:HATTYAN0234:20211024105748j:plain停留所案内は上のような絵葉書様の案内なのです

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三越前のライオンもマスクを着けています
翌日乗ったバスの運転手さんは ずっと喋りっぱなし 本当にガイドさん
顔負けでした 三越と言えば 昔は東京~仙台間4時間(今は1時間半)
ご主人が仙台に転勤になったのがショックだった妻 仙台にも三越がある
と聞いて 一遍に機嫌を直したとか・・・・ 

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妻のCA時代 機長さんの紹介で何度か訪れ 大変気に入った店という
ことでカウンター席に予約を入れました 17時前一番乗りでした

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 右端がカウンター席

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確かにどれもこれも美味しかった 最後に「サンマの刺身」をいただいた
妻は松島での昼食に続き サンマの刺身に二度巡り合え 超ご機嫌でした
二人して6,479円 値段以上の満足感 日本酒二合も久しぶりでした

f:id:HATTYAN0234:20211024110421j:plain朝霧が美しい

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ホテルでの朝食も3回目 毎回のように仙台名物の牛タンやずんだ餅を取り
和洋取り交ぜておなかいっぱい食べた 

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駅までの途中 朝市に出かけ 見物 確かに野菜・果物が安い

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本日最終日は仙台市内見物 るーぷる仙台パスを購入して9時の
始発便に乗車 すぐに瑞鳳殿です

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上りは伊達家の禄高62段 下りは政宗の死亡時年齢70段を表すと
ただし一段ずつ数えると合致しません

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1637年政宗の遺命で 二代目忠宗が造営 1945年の戦災で焼失
1979年再建 2001年に改修が施されました

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左右の石塔は殉死者の供養塔です
政宗の殉死者は 直臣15名とその家臣5名の計20名 生前に主君から
許可を得た者のみ殉死が許される

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内部に納められている政宗公の座像 毎年誕生日には公開されるようです
政宗の遺言で 像の眼は両目開眼している

f:id:HATTYAN0234:20211024111245j:plain建物のあちこちに飾られる物 一つは阿吽の阿 一つは吽を表すと
阿は修行前 吽は修行後を意味するのですと初めて知りました

f:id:HATTYAN0234:20211024111316j:plain資料館にあった兜 前立ちが見事 撮影禁止でした この一枚ご容赦を
政宗の等身大の像が159・4㎝と記載あり 小さかったんだなあ~

空襲で焼失した藩主三代の霊屋が再建される際に行われた発掘調査では
完全な遺骨と共に 武具や文具等多くの貴重な副葬品が発掘されたので
三藩主の復元容貌像も今こうやって展示できているのだと感心しました

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片倉小十郎重綱「鬼の小十郎」
大坂夏の陣で 伊達軍の先鋒片倉小十郎は千余名を率いて河内の道明寺口
に布陣し 敵の剛将(真田十勇士の一人)後藤又兵衛を討ち取る
政宗は道明寺を出て一気に残敵掃討戦に出て 大坂城中に火の手が上がり
落城 豊臣氏は滅亡した・・・
この戦陣の中 真田幸村の遺命を受けた家臣が 幸村の娘阿梅(おうめ)
阿菖蒲(おしょうぶ)おかね 大八(4歳)の遺児を伴い 片倉小十郎
投降し 結果(仙台の)白石に護送された
対峙した二人 幸村と片倉小十郎が 戦う中でお互いの器量に敬意を抱き
幸村も「この人物に賭ける」と託したのであろう 見事な男の友情である
四人は秘かに養育され 阿梅は重綱の後室に 阿菖蒲は田村定広の妻に
次男大八は徳川氏をはばかり 片倉守信を称し二代藩主忠宗に300石で
召しだされ 屋敷を与えられ その子辰信のときに 再び真田姓に改姓

真田家12代幸歓(ゆきしげ)は西洋砲術を学び藩講武揚指南役 最後
六文銭」の隊旗を揚げ 洋式軍装の一隊を率いて新政府軍と戦った

真田家14代(仙台真田家13代)が今も続いている
片倉家は現在16代 政宗を祀る青葉神社宮司を務めているが 実は
片倉家 伊達家に仕える前は神職の家だったそうである 

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伊達藩は戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の盟主 新政府軍との戦いに敗れ
明治維新後28万石に減らされ 藩士は 平民となり帰農するか士族と
して他所へ移住するかを迫られ 北海道の現在の伊達市まで落ちのびた

戊辰戦争と言えば長州藩会津藩の壮絶な戦い
関ヶ原の合戦で西軍の総大将は毛利輝元 敗れた毛利家が封ぜられたのが
長州藩の始まりで 300年を経ての壮大な意趣返しが戊辰戦争 江戸に
進んだ新政府軍は 無血開城で攻撃相手を失い その武力を会津に向けた

福島県人がいまだに山口県を許していない理由
会津の人達は頑固で生真面目 ルーツは会津藩松平家の始祖 保科正之
「ならぬことは ならぬ」精神 戊辰戦争時 長州藩の意向で会津藩士の
遺体の埋葬は許されず 白虎隊の少年戦士も自決した
京都守護職 会津松平容保新選組長州藩士を何人か殺しその恨み!

1986年 長州藩の本拠萩市会津若松市に対して「戊辰戦争からもう
120年経ったと友好都市締結を申し入れると「まだ120年しか経って
いない」と拒絶した

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二代目忠宗 三代目綱宗の霊屋

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仙台城跡に立つ政宗騎馬像
仙台を「杜の都」と呼ぶのは・・・

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秀吉の天下統一最終段階は 関東と東北です 秀吉は各藩に恭順命令を
出します 最上藩 伊達藩はすぐに恭順 ただ北条氏が従わず ここに
小田原城総攻撃が始まります ここで政宗は小田原参陣に遅参したため
あわや切腹の事態に ここが政宗の演技力発揮の大舞台 白の死に装束
で秀吉の前に現れ 秀吉もさすがに参ったのでしょう その場では許さ
れたが結果 「奥州仕置」と言われる大幅石高減に 実質120万石が
62万石になってしまった


財政苦でも武士をリストラせずに 各武家屋敷に植樹を指示したのです
りんご あんず 柿 石榴 お茶 杉 松等・・・が屋敷街にあふれた
昭和20年7月10日の仙台大空襲で全市が破壊したが 政宗の遺志を
継いで仙台の人々が植林した木々が 現在の杜の都を形成したのである

ブラタモリ仙台>

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f:id:HATTYAN0234:20211024120740j:plainNHK大河ドラマで戦国時代をテーマにしたもので人気ナンバーワン

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ここからの眺め ウエスティンホテルが目立ちます 

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日清・日露戦争での戦没者慰霊塔

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いったいこれは何枚目 穴があれば裏から覗きます

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階段を見て「私ここで待ちます」と

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ここから駅までは 朝一で会った話上手の運転手さん 聞けばバスは5台
(ピーク時は15分毎7台)で回していますと 再度巡り合えたわけです

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最後の食事は駅ビルの中の「天海」漁師の刺身1,800円なるものを
注文しましたが これが最悪 冷凍保存していたものを解凍したばかり
という一品で水っぽい刺身 どれをとっても味がしません まるで私が
コロナに感染したのでは?と思えるほどのもの 極めて残念でした

帰路は13:44仙台発やまびこ142号 上野に15:42到着です
えきねっとで 2名13,860円 トクだ値35%OFFでした

最後に仙台に関係するものを二つ紹介
明治初期(1878年)に英国人女性イザベラ・バードが見た東北の姿
食べ物や不衛生な面への率直で批判的な記述がある反面 景勝地を愛で
「全く安全で しかも心配もなかった 世界中で日本ほど婦人が危険に
も無作法な目に合わず 全く安全に旅行できる国はないと信じている」
と現代につながる美点を評価している

もう一つ 井上ひさしの小説「青葉繁れる」は仙台が舞台
井上は仙台一高出身 近隣の女子高の美少女が登場します そのモデル
が後年の若尾文子(戦時中戦争疎開宮城県第二女子高に通う)だそう
仙台一の美少女との噂が広まったと

ついでに美人関連で言うと 江戸の昔から有名な「秋田美人」京・博多
と並んで日本三大美人の一つ コケシ型美人と言われる・・・
一方「三大不美人」は仙台・水戸・名古屋と言われる
政宗が「美人傾城」とばかりに 美人は国を滅ぼすからと追放したのは
自身が同性愛者で 小姓の只野作十郎との衆道の契りによるものかも?
家康によって水戸から秋田へ転封された佐竹氏が 美女を選んで多人数
連れていったと つまり仙台 水戸には不美人だけが残ったと言えます