2021年 京都の桜をサイクリングで巡る4日間②

f:id:HATTYAN0234:20210406052351j:plain修学院離宮浴龍池は 江戸時代初期 後水尾上皇によって造営されました
渓流をせき止め作られた巨大な人工池 大自然を背景とした規模がすごい
中央の立石に綱をかけて舟を係留した船着き場で 腰を低くしてみるべし

<2日目 晴れ サイクリング2日目>

北山通川端通~(北泉通)~白川通曼殊院道~修学院道~川端通
北大路通~半木の道~大田神社上賀茂神社

f:id:HATTYAN0234:20210406053423j:plain7:30ホテルでの朝食は一番乗り 相変わらず美味しい
昨日が2回 今朝も1回温泉に入り 体調万全で本日は洛北サイクリング

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ロビーからの景色 向こうの山は 花札の景色とか? 武者人形と馬
妻は午年 まだまだ元気でいてください 膝も足も故障続きですが・・・

f:id:HATTYAN0234:20210406054430j:plainホテルロビーでの続き

f:id:HATTYAN0234:20210406054556j:plainホテル前の桜 今日も桜 桜 桜になりそうです

8:28ホテル前の土天井町バス停から北大路バスターミナルへ そして
地下鉄烏丸線で1駅 北山駅に到着 駅前の「るぽるぽレンタサイクル」
昨日に続いてのるぽるぽ店利用です 京都市営ですので 一日千円です
ただし電動では無く 変速3段ギア付き 9:00サイクリングスタート

最初の目的地は曼殊院 昨秋詩仙堂圓光寺まで行きながら寄れなかった
ため 今回次の修学院離宮にくっつけての参拝です
北山駅前から松ヶ崎駅経由 信号7つで高野川・・・と数えながら 本来
白川通まで進むべきを あまりにも桜が綺麗な川端通に吸い寄せられ右折
途中で気付き 内心しまった!です 後戻りはイヤなので 出光ガソリン
スタンドに駆け込み 白川通への道を聞きます 「次の信号左折し直進」
と聞きほっ! 何も知らない妻は ただついてくるだけです
(後で調べたら この北泉通で良かった この道以外ではクニャクニャと
曲がって 時間ロス大であったろう)
白川通に到着 目印のシェル無人スタンドを見つけ 何とか曼殊院道まで
の狭い道に入った ここからが坂道の連続で ほぼ自転車を押しながらの
道行です 途中近所の人が電動自転車で通り過ぎます あああ~です

f:id:HATTYAN0234:20210406061455j:plain曼殊院手前の 武田薬品薬用植物園です 綺麗な研究施設のようでした 

f:id:HATTYAN0234:20210406061754j:plain9:45曼殊院門跡の勅使門に到着 予定より15分遅れでした
門の両側の塀に残る五本の白い筋は 寺院の格式を今に伝えている・・・
事前勉強で知ってはいましたが ここに至る坂道を自転車を押しながらで
もう頭の中は真っ白 よくまあこの門だけは写しておけたという感じです
妻は まだ坂の下でため息まじりに自転車と格闘しています さあ頑張れ

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f:id:HATTYAN0234:20210406062106j:plain流石の小堀遠州作庭の庭園 とても手入れが行き届いています

中興の祖となる良尚法親王は 桂離宮を造営した八条宮智仁と長男智忠の
弟であり 故に曼殊院は親と兄が完成させた桂離宮のミニ版だと呼ばれるf:id:HATTYAN0234:20210406062300j:plain秋の紅葉が似合う庭園なんだろうなと感じました
何気なく写り込んだ 樹齢400年の五葉松の根元にある曼殊院型石灯籠 
公家風で雅とか有名だそうです  庭におりて庭園内散策もできるとか?
参考 石灯籠の名工に聴く
   石燈籠は 北白川(北は一乗寺 南は銀閣寺)で採掘された花崗岩
   の新しい石材を3年かけて「味をつける」ことで 庭園に置いた際
   映えるようにする 北白川の地は「石にいい苔が付く」ため 山に
   運び上げるそうです 
   川があって霧が発生し 寒くなったら霜が付く いい苔が乗ると
   いい苔を「錆」とも「汗をかく」ともいい 毎朝水を打つとのこと
   明治の終わり 京都が風致地区のため採掘禁止となり 岡山県の北
   木島地区まで採掘に行くそうです 
   京都はもうダメ いやそうではありません 地下鉄工事などで地面
   掘り返しがあると古い石材が現われる チャンス到来!なのですと
   北白川が高級住宅地となった今も 名工は存続 せっせと山の上に
   石灯籠を4~50基ジャッキで運び 川べりには蹲踞を並べている

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妻が関心を示していた 釘隠しと引き手 錺(かざり)金具の名品らしい
この釘隠しは 菊の紋と真ん中には七宝が埋め込まれているそうです

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 特に有名なのが富士山型の釘隠し・・・見逃しました 

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f:id:HATTYAN0234:20210406062752j:plain朝一番 誰もいない京都の庭園なんて 滅多に経験できません

室内は撮影禁止というので 専ら庭園に目がいっていましたが 実は室内
襖絵は狩野永徳 障壁画は探幽といろいろあったようで 入口でもらった
寺院説明書は その場で見るべきですね すぐしまってしまいましたから
三不動の一つ 黄不動もあったらしい(実物は京都国立博物館
ここには2万点もの文化財があると 皇室の力恐るべしということですか

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 本日公開されてはいませんが「曼殊院の八窓軒」といえば京都三名席の
一つ あとは南禅寺金地院 大徳寺弧蓬庵の忘せん席 すべて小堀遠州

参考 障子の名工に聴く
   障子と言うのは桟(さん)がある 普通はこの桟の上で紙を継ぐが
   そうすると表からは継目が見えない けれども 「席障子(茶席の
   障子)」では桟と桟の中間 途中で紙を切ってわざと継目を見せる
   美濃紙というのは手漉きだから 昔はそう大きな紙を漉けなかった
   隅から隅まで横幅一枚で貼れるような長い紙が無かった そこで
   「石垣張り」という体裁で規則的に継いでいくことにしたのです
   今後 茶席を見る際は 是非この障子の継目に注目してみましょう

f:id:HATTYAN0234:20210406063012j:plain心静かな時間でした
いや実は 出口付近に 有名な幽霊画がかかっていたらしいのです
カメラに収めると霊が乗り移る 夏でも背筋が凍るとの旅行者評ぞくぞく

f:id:HATTYAN0234:20210406063121j:plain駐車場も静かです 次の修学院離宮まで自転車で12分です

途中で音羽川を渡りますが 渡った橋の少し先にかかる雲母橋は 比叡山
への登山口 親鸞聖人が修行中 延暦寺から街中の六角堂まで往復した際
通ったことを示す石碑が立っていると

f:id:HATTYAN0234:20210517161857j:plain     1980年と87年の2
酒井雄哉阿闍梨 鹿屋特攻隊基地で終戦を迎えたことが修行の出発点です

修行僧の千日回峰のコースになっている道筋では「阿闍梨様が通る!」と
その現場に遭遇した人は 自然と地面にひざまずいて拝むそうです

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f:id:HATTYAN0234:20210519120237j:plain常行堂とは・・・
90日間 阿弥陀如来の周囲を 念仏を唱えつつ(又は心で念じながら)
歩く常行三昧の行を行うことから 堂の中心に阿弥陀如来を安置した方形
の堂 天台宗の仏堂を指す

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f:id:HATTYAN0234:20210519120348j:plain比叡山が おみくじ発祥の地だそうです

f:id:HATTYAN0234:20210513182851j:plain修学院離宮表総門に着きました

f:id:HATTYAN0234:20210406124931j:plain見学は11:00の回 上は待合室にあった離宮全体図
田んぼが広がっていますが これは昭和39年上・中・下の各離宮の間に
展開する8万㎡に及ぶ水田畑地を買い上げて付属農地とし景観保持させた

f:id:HATTYAN0234:20210406125831j:plain離宮からスタート 案内人が「ここ仙洞御所は・・・」と始めました
あわてて 昨日まで仙洞御所の案内をしていましたのでと言い訳です
上は こけら葺きの屋根と花菱紋の透かし彫りが施してある板戸の御幸門

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山麓に広がる離宮ゆえ上と下の離宮の標高差は40m近くあり すぐ上り
になります

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池があってまた上り

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桂離宮は部屋の内部を見れなかったが ここは全面開放 さあどうぞ!
見上げると樋が青竹 修復後本日4月1日が初お披露目だそうです

f:id:HATTYAN0234:20210406131227j:plain大小の滝に加え水流の早い小川もあり どこにいても絶えず水の音を聴く
ことができる

f:id:HATTYAN0234:20210406131448j:plain さすが洛北 田んぼの向こうに比叡の霊峰から東山・北山の山並みが

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昔は畦道に過ぎなかった松並木から眺める風景もまた素晴らしい
少し説明がありましたが 周辺は天皇の領地で 農家に安く貸し出されて
いるとのこと ここの田畑もそうなのでしょうか?

f:id:HATTYAN0234:20210406131948j:plainこれから中離宮に入ります

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また階段 また池 今回の参加者は11名 定員は20名です
普段は50名 コロナの影響で定員大幅縮小するも余裕ありでした

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また門をくぐります まるで迷路です

f:id:HATTYAN0234:20210406132601j:plain客殿 随所にみられる飾り金具に葵の紋が配されており 徳川家から嫁い
東福門院(和子)の背後にひかえる幕府の権勢が示されているようです

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飾り棚は互い違いに配され 大小五枚の棚板がいかにも霞がたなびいてい
るように見えることから霞棚と呼ばれ 桂離宮の桂棚 三宝院の醍醐棚と
共に天下の三棚と称されている
右は 作者不詳なるも鯉の絵の網だけは円山応挙の筆と伝えられている

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この離宮の結界は上のような石 茶席庭での「止め石」ですが
「関守石」と呼ぶそうです 何とも風流で趣のある命名ですね

f:id:HATTYAN0234:20210406133259j:plain何だか秘密の場所めいていて 上には進めずです

f:id:HATTYAN0234:20210406133529j:plain額の字が「楽只軒」と読み取れます 
手前の間の襖絵は吉野山の桜 奥は龍田川の紅葉 狩野探信(探幽の子)

f:id:HATTYAN0234:20210406133628j:plain瓦はやはり菊のご紋

f:id:HATTYAN0234:20210406133750j:plain中の離宮から出てきました(戻りました)

f:id:HATTYAN0234:20210406133926j:plain最後の上離宮に向かいます

f:id:HATTYAN0234:20210406134128j:plain桜と菜の花(写真左隅)

f:id:HATTYAN0234:20210406134246j:plain山の頂上からの眺め 浴龍池です

f:id:HATTYAN0234:20210406134429j:plainいい天気ですね~

f:id:HATTYAN0234:20210406134524j:plain頂上の茶屋 隣雲亭 床も棚も無く一切の装飾を拒んで自然に立ち向かう
眼下に浴龍池が展開し 洛北の山々 ずっと左手に洛中の街並み その向
こうに西山の峰々が望まれる 天下の眺望ここに極まれり 後水尾上皇
心意気を見る思いである

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下りになりました

f:id:HATTYAN0234:20210406134830j:plain江戸時代に京都所司代から献上された千歳橋 中国風です

f:id:HATTYAN0234:20210406135217j:plain楓橋を渡り

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窮遂亭 創建当時の建物で現存する唯一のもの

f:id:HATTYAN0234:20210406140059j:plainもう一度桜と菜の花で 見学おしまい 正味1時間でした

出口で 我々見学者一行の後から二人ついてくる人に聞いてみました
先頭に立つ案内ガイドさんは 転勤があるようですが・・・・と向けると
「我々は皇宮護衛官ですと身分証明書を見せてくれました 宮内省側の人
とは違いますが 転勤はあります 皇居・赤坂離宮那須葉山御用邸
京都では御所・大宮仙洞御所・桂離宮・ここ・奈良の正倉院などですが
2~3年ごとに移動します」と
皇宮警備が主な業務で国家公務員なのです(参考:警察官は地方公務員)
立ち仕事が多く 常に緊張し姿勢もきちんと保つ必要があり 退職する人
も多いようです

修学院離宮を後にし 我々二人自転車で あとの方は徒歩で修学院駅
追い抜きつつ 気持ちが良かった(だって我々往きは坂道を自転車を押し
て上ったんだから・・・)

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外観からは結婚式場には見えません
モノリスって何の意味? 映画「2001年宇宙への旅」の一枚の岩が
モノリスで 最後まで正体不明でした
修学院道を走り抜け 13:00昼食を予約している「北山モノリス」に

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ここは結婚式場です レストランだけでも予約OKなのです

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庭園に桜がありません 3年前の台風で根こそぎ倒れたとのことです

f:id:HATTYAN0234:20210406174449j:plainおしゃれなランチ

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レストランは披露宴会場でもあります 庭園では挙式前撮りの写真撮影が

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写真のプロが撮影すると上の二枚になります
どうしてここに結婚式場? 帰京して北白川地区が「お嬢様のお住まい」
で高級住宅地であることが分かり 納得しました 京都駅から送迎バスが
出ています

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ゆっくり運ばれる料理 普段ならまだしも 旅行中は全部一度に出して!

サイクリング再開 行程は川端通を南下し北大路通に出て 西の鴨川まで
一直線 途中気が向けば 義弟の母校 京都府立大校舎に入って・・
参考 北山通  東は白川道から西は千本通佛教大学前に至る5・2km
        昭和30年代以降 都市計画道路として建設されるまで
        田んぼが多く 夜は真っ暗で蛙の合掌がうるさかったと
   北大路通 東は白川道から西は西大路通に至る5・5km
        大正末期から昭和初期にかけて市街地の外郭道路として
        建設されるまでは 道の影も形も無かった 大正13年
        現京都府立植物園が開園したことから急速に伸長した
   川端通  北は馬橋東詰から南は塩小路に至る鴨川・高野川東畔の
        通り7・2km

f:id:HATTYAN0234:20210406175636j:plain今朝少し走った川端通の桜の下 歩道ですが走ります 川端通の車道は
交通量が多く 道幅も狭く恐怖です(サイクリング店の方も危ないと)
きれいな桜道がずーっと続きます 素晴らしい歩道コース?でした

北大路通に入ると 歩道に自転車専用ゾーンがつくられていて超安心です
スイスイ進んで 北大路橋から北山橋までの「半木の道」800mです

f:id:HATTYAN0234:20210406180511j:plainどうですか 満開です 枝垂桜のトンネルです もう 嬉しいの一言です

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f:id:HATTYAN0234:20210406180717j:plainあまりにも素晴らしいので3連発で載せました
本来まだ五分咲の筈 今年の開花は例年より10日から2週間早いそう
で ラッキーこの上なし やはり日ごろの行いがいいからでしょうか?

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f:id:HATTYAN0234:20210406181226j:plainちゃんと下には自転車道もあるのです 

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ここが終点 いやこちらから入る人もいるので分かりません

次は上賀茂神社そして京都府立植物園の予定
上賀茂神社へは大田神社経由社家町を見ながら入ります

f:id:HATTYAN0234:20210406182648j:plain大田神社です 天岩戸の前で舞った「天鈿女命」を祀り舞踊などの芸事と
長寿にご利益がある また境内の大田の沢には カキツバタの野生群落が
あり すでに平安時代には知られ歌に詠まれている 国の天然記念物です

f:id:HATTYAN0234:20210406184845j:plain          尾形光琳の杜若図のモチーフになったと

f:id:HATTYAN0234:20210406185123j:plain 鴨が二羽泳いでいたと

f:id:HATTYAN0234:20210406185212j:plain社家町を流れる明神川 社家とは上賀茂神社に仕えた神官の家のこと
各家では川の水を引き込んで邸内に流して清め 再び川へ戻す工夫が
なされている 川には家ごとに橋が架けられ 風情ある景観を生んでいる

f:id:HATTYAN0234:20210406190145j:plainもう満開? 御所桜

f:id:HATTYAN0234:20210406190416j:plainこれが斎王桜です 紅枝垂桜 満開はまだなのかなあ?

f:id:HATTYAN0234:20210406190547j:plain何だか綿飴みたい

f:id:HATTYAN0234:20210406190749j:plain神馬舎で 皿の上ににんじんを置き 馬に食べさせようとするも 皿ごと
落されてしまい ショックの妻でした

f:id:HATTYAN0234:20210406191103j:plain二の鳥居
そもそも上賀茂神社は 源頼朝を始めとして 信長・秀吉なども参詣し
所領を寄進している 特に徳川家康は 家紋の三ツ葉葵が神紋の二葉葵
を基にしていることから信仰が厚かったと

f:id:HATTYAN0234:20210406191446j:plain有名な立砂 均整の取れた円錐形の一対の立砂は神代の代に神様が天から
降り立ったとされる神山を模したもの 神様が宿る依代よりしろとされる

頂にはそれぞれ3本と2本の松葉が立てられ 陰と陽を表し 奇数と偶数
を合わせることで神様の出現を願う意味があるそうです

f:id:HATTYAN0234:20210406192824j:plainこんな宣伝ポスターが 境内には何組かの挙式前撮りの写真撮影隊が

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楼門前の両側の桜 もうお仕舞?

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名物の「願い石」コロナでありエアータッチで願いを
お願いもしたことだし 予定していた植物園はカットしホテルに戻ります

f:id:HATTYAN0234:20210406193730j:plain地下鉄に乗ってハッと気づきました 北山駅で明日の朝食用のパンを購入
するんだった 北山ー北大路間を往復してトコハベーカリーに
この店 以前淡交社の本で紹介され 記憶に留めておいた店 女性二人で
営業しています トコハとは「常葉」の意味だそうです 6品購入です

一つ忘れていました 折角北山駅そして次の松ヶ崎駅まで行ったのだから
その次の駅 国際会館駅に行き 国立京都国際会館のイベント会場を見て
みたかった ここが日本のノーベル賞である「京都賞」表彰会場なのです

f:id:HATTYAN0234:20210517163301j:plain京都賞は 稲盛和夫さんが私財200億円を投じて 稲盛財団を設立した
ことで生まれた 先端技術 基礎科学 思想・芸術の3部門で人間の役に
立った人を表彰するそうです 第一回は1985年です

受賞者にはイサム・ノグチ アンジェイ・ワイダ 黒澤明 安藤忠雄 
三宅一生 坂東玉三郎 山中伸弥 本庶佑他大勢の外国人がいますが
すごいのは京都賞受賞後に 何と8人ものノーベル賞受賞者がいると
いうことです まさに「ノーベル賞の先行指標」になっている賞です

稲盛さんが言っています「最高に格好いい金の使い方」こんなことが
できる日本人がいるのです 賞金は受賞者一人1億円なのです!!
日本中に稲盛ファンが大勢いること 頷けますね 見事な人生ですね

後日山中伸弥さんが 稲森さんの助け無くして今の自分はなかったと
研究中資金難で困り果てて もうやめようかという時 若手に対する
支援金ということで百万円をいただけた これで研究が続けられたと
今は京都賞の理事・選考委員であり 式には必ず出ていますとのこと

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  本日の夕食は しょうざんリゾート内の「わかどり」

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妻曰く 鷹峯では人気ナンバーワン 次がむろい そしてボルドーとか
むろいやボルドーを抜くなんて こりゃ行かない訳に行きません

f:id:HATTYAN0234:20210406194827j:plainメニューがこれ 普通 一皿ずつ丁寧に説明してくれるでしょうに 無し
良く分からず食べ進みます 本日は5千円コースです

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わかどり特製のスープ お鍋は美味しそう 季節の炊き合わせなのかな
お造り五種盛り合わせの写真撮影を失念しました

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鶏の唐揚げと酢の物一皿 蛍烏賊がプックラで見た目からして美味しそう

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焼き鳥三種と天ぷら茶漬け と香の物
メニューの順番と違う配膳で 何を食べたかの印象薄い 少々コスパ低し
本日は 朝食◎ 昼食〇 夕食は△といったところでしょうか

おまけ 千日回峰と大阿闍梨

今回旅行初日に「行者橋」本日曼殊院から修学院離宮に行く途中の音羽
となると どうしても千日回峰について調べてみたくなります
「千日回峰」は比叡山内で行われる天台宗の回峰行の一つで 満行者は
「北嶺大先達大行満大阿闍梨」と呼ばれる
実際歩くのは975日 「悟りを得るためではなく 悟りに近づくために
やらせてもらっている」ことを理解するための 7年にわたる行なのです
 
1~3年目は年に100日 4~5年目は年に200日行う
無動寺で勤行のあと 深夜2時に出発 真言を唱えながら約30kmを
平均6時間で巡拝する 途中で行を続けられなくなったときは自害する
そのための「死出紐」と短剣 埋葬料10万円を常時携行するそうです
未開の蓮華の葉をかたどった笠をかぶり 白装束草履履きで行う

<堂入り>
5年700日を満行すると 最も過酷とされる「堂入り」が行われる
入堂前には 行者は生き葬式を行い 無動寺明王堂で足かけ9日間(
実質7日半)にわたる断食・断水・断眠・断臥の「四無行」に入る
堂の中では不動明王真言を唱え続け 堂入りを満了(堂下り)すると
行者は生身の不動明王とも言われる 阿闍梨となり 信者たちの合掌で
迎えられる
これを機に 行者は自分の為の自利行から 衆生救済の利他行に入る
6年目には これまでの行程に京都の赤山禅院への往復(赤山苦行)が 
加わり 1日60kmの行程を100日続ける
7年目には200日行い 初めの100日は全行程84kmに及ぶ京都
大回りで 後半100日は比叡山中30kmの行程に戻る・・・・・

大峯千日回峰行の塩沼亮潤大阿闍梨の講演から
「入堂して3日目を過ぎる位から 行者の足は紫色になり 身体からは
死臭が漂い始めます 見えるはずのない離れた所にいる人の体臭を感じ
たり 線香の灰が落ちる音も鮮明に聴こえ 灰が落ちる瞬間は スロー
モーションのように見えるほど五感が研ぎ澄まされると・・・・」

 ここでもう一つ追加
今読んでいる「京の大工棟梁と七人の職人衆」(河出書房新社)から
<京壁と向き合う>職人の言葉にビックリさせられた

f:id:HATTYAN0234:20210517163023j:plain「茶席には炉が切ってありますわね そこの床下にはめ込む耐熱性の枠
で 炉壇というのがあるんです 茶釜をかけて湯を沸かすのには その
炉壇を据え付けんならんのですけど それも左官の仕事ですわ とくに
炉壇の上塗りのときは 一鏝こて 一鏝親父は息を止めて塗っていまし
た 『この上塗りを撫ぜて仕上げるときはなあ お線香の灰が落ちる音
が聞こえるほど集中せんといかんのや』と親父がよう言うてました」

修行僧の極限状態も左官の達人も同じ境地に立つのだと妙に感心したの
で追記しました 参考として「左官」って昔は泥工(でいく)と言うた
らしい 御所の仕事をするのに何や 官の位がいるらしいですわ それ
で泥工のことを左官て言うたらしい 無官では入られへんかったんです
やろ