2020年 紅葉の京都・奈良 7日間  美しい庭園巡りと美味しい食事を求めて①

 京都は8月のお盆直前に訪れたばかりで  どうして再度?と問われると

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 ①やはりGo Toトラベルが適用されて 普段より割安に行けるから
 ②今年はコロナ禍で 中国人観光客がいないため 混雑も小さいだろう
  こんな機会は今後絶対に無いのではないかと考えたから
 ③JTB旅物語 京都フリー7日間(新幹線のぞみ往復とホテル指定)
  と阪急交通社の「奈良ホテル(夕・朝食付)1泊2日」を合わせれば
  一度に京都・奈良が楽しめると考えたから
 ④まだあります 割安に行ける分を美食に回そうとGo Toイートを
  フルに活用しようと考えたから
 ⑤もう一つ 数年前に大阪からの帰途に 一人で紅葉巡りをし感激した
  永観堂の紅葉を妻にも見せてあげたかったから・・・・・・・

以上から 巣ごもり中に 夫婦二人での個人旅行計画の策定に入りました
ネックは 10月末旅行中に腓骨骨折した妻の状態 徐々に良くなってい
るものの どこまで歩けるだろうか? 最初はビッシリ綿密な計画をたて
日々妻の様子を観察しながら 省ける個所を少しずつ削って行きました


それと やはりコロナ感染防止が最重要で 例年鬼のように混雑するとも
言われる市バス100番台(三十三間堂清水寺高台寺祇園方面)は
絶対利用しないことにし 京阪電鉄や地下鉄 そしてJR嵯峨野線という
バスの利用を最小限に抑える交通手段活用に重点を置きました
JTBの新幹線での東京発の時間と 京都発の帰京時間が 1週間前まで
決まらず 最初と最後の日の行程も未定のまま進めざるを得ませんでした

<1日目 11月22日(日)>建仁寺京都国立博物館
11時東京発のぞみ 12:15京都着
12:30都シティ近鉄都ホテルにチェックイン 荷物預けもOKです
すぐさまJR奈良線東福寺駅まで1駅 京阪電鉄に乗換え清水五条駅
下車して グーグルに操られながら六波羅蜜寺を目指します

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ここは空也上人が有名ですが 申し訳ないけれども 目的の建仁寺までの
途中目印地点なので 本堂に頭を下げ退去します

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この地では名物の「幽霊子育飴」を買いました 1599年からの日本一
古い飴屋 幽霊に飴を売った「みなとや」 麦芽糖とザラメを溶かし固め
てから金づちで砕いてつくる琥珀色の飴の味が懐かしい 

f:id:HATTYAN0234:20201208145243j:plain道路対面には 26日に予約してある貴匠桜があり位置確認ができました

f:id:HATTYAN0234:20210515065632j:plain松原通りからすぐ八坂通りに上がり 勅使門から建仁寺境内に入りました
人力車が一台止まっていて横の入口から入ります 出る人が圧倒的に多い

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   建仁寺では 俵屋宗達の「風神・雷神図屏風」と潮音庭と
  小泉淳作画伯の法堂天井画ー双竜が有名です

f:id:HATTYAN0234:20201208150219j:plain先ずは三門です
何か変です どうしてか 臨済宗の大寺院は 伽藍配置が勅使門~三門~
法堂~方丈と一直線に並んでいて 勅使門は表門なのです 人力車の案内
が正しいのです 祇園から入るのは裏門入場です 皆さんご存知でしたか

f:id:HATTYAN0234:20210107160126j:plain風神・雷神図屏風(本物は京都国立博物館所蔵で撮影は自由にどうぞと)

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「〇△□の庭」の柱に寄りかかり「もう疲れた~」という感じの妻です

単純な三つの図形は 宇宙の根源的形態を示し 禅宗の四大思想である
(地水火風)を 地(□)水(〇)火(△)で象徴したものと言われる

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f:id:HATTYAN0234:20201208151437j:plain「潮音庭」本坊中庭にあり 中央に三尊石 その東に坐禅石 廻に紅葉を
配した枯淡な四方正面の禅庭 四方のどこから見ても正面に見えるように
計算して作られています

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紅葉の最盛期にプロが撮影するとこうなります

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f:id:HATTYAN0234:20201208152701j:plain見事な襖絵で 思わずパノラマで撮影しました
大方丈の襖絵は50面全部 海北友松(1533~1615)が手がけた
建仁寺が「友松寺」と称されもしたほどです 下の雲竜図が得意であった
友松は狩野派長谷川等伯に続く 桃山時代最後の巨匠で 生まれは武家
父は信長に滅ぼされた浅井家の重臣 友松自身は絵師となるが光秀の重臣
斎藤利三と親交があり 本能寺の変で光秀と共に磔にされ晒されたことを
知り 槍を持って利三の遺体を奪い取りに出向き 丁重に真如堂に葬った
利三の娘が 家光の乳母の春日局で 友松の子息の不遇を知り幕府の絵師
に推挙 父の恩返しをした 濃密な人間関係は友松の人徳の賜物であろう

f:id:HATTYAN0234:20201208152821j:plain「竹林七賢図」 海北友松筆(ただし高精細デジタル複製)

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「雲竜図」海北友松によって描かれた方丈襖絵

栄西禅師の800年記念事業の一環として 京都文化協会とキャノンの
協力により 全50面の襖絵を高精細デジタルにて複製し常設しました
そのおかげで一般公開され 鑑賞できるのです

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  法堂の「双竜図」小泉淳作筆 平成14年創建800年を記念して製作

f:id:HATTYAN0234:20201208155232j:plainこれが全体像です

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方丈の庭に可愛い石像が・・・・・「手と手を合わせて南無~」ですね

f:id:HATTYAN0234:20201208155741j:plainこれは裏玄関の北門です 我々は南の勅使門から 正規に入場したのです
そのため通りの「撮影禁止」の張り紙を見たのは最後の最後になりました
花見小路は撮影禁止というのであれば この北門に掲示しておくべきです

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花見小路は 明治時代初期 上地令で建仁寺の敷地(上の地図の赤い所)
が京都の自治体のものとなり造られた

f:id:HATTYAN0234:20220103142504j:plain歌舞練場
1949年 道幅が広げられ 2001年に電線の地中化 アスファルト
から石畳みになった

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門を出てすぐ 祇園のメイン道である花見小路通につながっているのです
TVで見た超美人の舞妓さん(美月さん)がいる置屋をちょっと覗きます
ちょうど舞妓さんが現われ この路地に入って行かはりましたえ

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祇園の看板店「一力」さんどすえ 万の字を崩しての一力なのですね
仮名手本忠臣蔵」での大石内蔵助が 遊興にうつつをぬかした舞台です
実は 後日知った大ニュース 舞妓の美月さんが 1月の祇園甲部「売花
奨励賞」指名1位の栄誉をいただいた 何と7年連続受賞の紗月姉さんの
妹分で 遂に世代交代? そして10月「襟替え」で芸妓になりはった

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近所の置屋さん他へのあいさつ回りです 20歳に見えますか?

f:id:HATTYAN0234:20210202121855j:plain舞妓時代の「そんなり」姿の美月さんをTVで見て一目ぼれ あの美しさ
に風格が備わり 今や祇園のトップスターです お姉さんの紗月さんの下
で いろいろ学ばしてもらったことが良かったのですね お二人最高です

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美月さんは藤沢市出身の20歳 右は市の成人式で舞を披露した時の写真

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おまけです 再放送があったら是非みたい
NHKついでだと 2009年9月スタートの「だんだん」がありました
三倉茉奈 三倉佳奈の双子が京都と島根で繰り広げる朝ドラで 舞妓姿が
似合っていた(まなかなのどちらかは?)

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芸妓役には 京野ことみさんではなく石田ひかりさんに演じてほしかった 

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四条通りに出たらもう大変 大混雑で前に進めません どうなってるの?
歩いていて分かりました 南座で「鬼滅の刃」をやっています え!です

京阪電鉄祇園四条駅から京阪七条までは地下を走る電車です
七条駅から歩いていると「大仏前交番」?ここは奈良ではありません・・
また道路案内図を見ていると 近くに「正面通」と 何の正面なのだろう
はたと気づいたのは 方向寺に大仏殿があったっけ では正面というのは
立地からして大仏様の正面だと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
応仁の乱で荒廃した都を復興し 現在へと続く京の町の基盤を築いたのは
間違いなく豊臣秀吉 徳川政権下になり 秀吉にゆかりのあるものの多く
が消されてしまう中で 正面通の名が残っているのは 京の人々の秀吉へ
の感謝の念が 今も生き続けているからでしょう

本日のメインは 京都国立博物館での「皇室の名宝展」で販売直後に予約
本日の平成知新館は2014年に完成 米国のMOMA新館をも設計した
谷口吉生氏の作品です 南門から美術館玄関までのアプローチがいい具合

f:id:HATTYAN0234:20201208161404j:plain妻は疲れてくると目を開けていられなくなるのです
カメラを向けても いつものポーズが見られません あと少し頑張れ!

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f:id:HATTYAN0234:20210101211722j:plain館内に入り 案内の方に無理を言って 車椅子を借りました
私が車椅子を押して 妻は楽ちんの1時間半でした

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伊藤若冲「旭日鳳凰図」 動植綵絵8点も展示あり

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蒙古襲来絵詞 後巻(部分)

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 春日権現験記絵 巻一 高階 隆兼作

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源氏物語図屏風 伝狩野永徳 八条宮家に伝来されていた

私は 神経の半分以上を車椅子と他人との距離に置いていて 実は作品を
見ていません ただし八条宮智仁親王筆の「古歌屏風」だけはしっかりと
伊藤若冲の「旭日鳳凰図」や例の鶏云々は遠目からでもすぐ分かりました

特筆すべき作品はというと どうなのでしょう骨とう品の博覧会でした

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館を出ると17:20ぐらいで 本当は大相撲千秋楽の様子が気になって
いたのです 優勝は貴景勝照ノ富士か? 本割では照ノ富士が勝ったと
しばらくのち スマホで 優勝決定戦では貴景勝の勝ちと分かりホッ

さあ問題はホテルまでの帰路です 試しにバスを見て見ると 立つ客が
いっぱいで やはりダメかと思った瞬間 真っ赤なバスが来ました

f:id:HATTYAN0234:20210109131830j:plainかつ京都駅八条口行きなのです ガラガラです 喜んで乗り込みました

途中で止まっているときに 妻が席移動で立ちあがり 突然バスが動き
倒れこんだ妻が 体を丸くしてうずくまっています こりゃダメかなあ
初日で旅行終了か?と思ったら 大丈夫だとの反応・・・・・・・・・
(多少演技が入っていたとのこと)
注:真っ赤なバスは「プリンセスラインバス」と言って 京都駅と東山
七条までが特に混雑するので 京都女子大ー京都駅八条口を結ぶ新路線
なのだそうです そのかわりスイカも使えずおつりも出ないという横着
ぶり まだ広く知られておらず 秘密にしておきたい お得情報ですね

なにはともあれ JR伊勢丹デパートで美々卯に入り 夕食になります
そうそう 明日の朝食用にとデパ地下に行ったら19:45という時間
のせいか半値セールス中 千円のクーポン券で2千円分のサンドイッチ
を買えてニコニコでした

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各自何とか定食とそば寿司 量が多くてテイクアウトにして貰いました
明日の朝食は サンドイッチとそば寿司になります
明日は 宇治から奈良まで 朝早いのです 頑張るぞー

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 京都観光名所の双六図


参考:江戸時代の京都観光
   京都は全国に先駆けて 現在のガイドブックにあたる名所案内記が
   出版された都市
   1706(宝永3)年が初版とされる「京城勝覧」は 京都の主要
   な名所を17日で観光することができるように推奨経路を設定した
   この本の著者は 福岡藩士の貝原益軒「養生訓」で有名 京都には
   6年間遊学し 24回訪問した京都通で 藩主も説明を求めたほど
   旅の始まりは三条小橋からである  

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序盤は 東山の名所巡り
中盤は 嵯峨野や北野天満宮周辺
終盤は 鞍馬・貴船 石清水八幡宮周辺 大原
当時の人が1日30~40km歩く計算で見ると可能な行程なのでしょう

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1日目(初一日)の様子が記されている

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1日目を例に挙げると①三条小橋 ②三条大橋 ③なわて町 ④大和橋
建仁寺 ⑥愛宕寺 ⑦六波羅蜜寺 ⑧経書堂 ⑨子安乃塔 ⓾車宿場駐
⑪清水仁王門 ⑫田村堂 ⑬清水観音堂 ⑭地主権現 ⑮奥の院
音羽山 ⑰音羽の滝 ⑱三年坂 ⑲下川原 ⑳霊山 21八坂乃塔
22高台寺 23安井真性寺 24祇園感神院 25双林寺 26東本願寺墓所
27長楽寺 28丸山安養寺 29将軍塚 30知恩院 31庚申堂 32粟田口
33白川橋 34青蓮院となっている 何という健脚なのでしょう!!

上記以外にも1780年の「都名所図絵」はベストセラーだし 浮世絵
に描かれる京都も興味深いので 国立国会図書館のデジタルコレクション
から「京都名所乃内」を2点引っ張っておく

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四条大橋より縄手通・大和橋を望む     南禅寺大灯炉

 一生に一度はという伊勢参宮を終えると 大和・大阪・京都の名所見物
に進みます 中でも天皇陛下の住まわれる京都が圧倒的人気であったと
だから「京城勝覧」が何版も刷られたのでしょう