2020年 京都の夏 鷹峯2泊3日②

<第二日目> 6:00起床 大浴場 7:30朝食

f:id:HATTYAN0234:20200824155653j:plainホテルに温泉は男女別に二つあり 朝晩で交代します(上はパンフより)

朝食は 本来ブッフェ形式のレストラン「オルティーヴォ」です 

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コロナ下であり 飲み物は写真左席に用意 食事は各席に運んでもらえる

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パンやサラダ スープはお代わり自由 卵はオムレツか目玉焼きチョイス

f:id:HATTYAN0234:20200817125547j:plain鷹峯の朝は清々しい まだ暑さは感じられません
本日は 先ず鷹峯を散策して バス・地下鉄で四条今出川へ(約30分)
そして京都御苑一周です 37°Cの気温予報下 強行軍の始まり始まり

先ずは 歩いて10分で源光庵へ 事前に工事中であることは確認済です

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 鷹峯観光の目玉がお休みでは この地区への観光客も少なくなるでしょう

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お盆のシーズンであり 檀家・お墓参りの方々はお堂に入って行かれます

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琳派の祖である光悦の従妹の夫が俵屋宗達で 光悦の姉の曾孫が尾形光琳
なにしろ鷹峯に来たからには 先ずは光悦寺に行かないと話になりません

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有名な「光悦垣」もありました

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庭園から「鷹峯三山」が見渡せます またこの丘陵の下に「京都アマン」
が広がります 近々ヒルトンホテルも建設されます
光悦もお墓の中から「光悦村の目覚ましい未来」を見守っているでしょう

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最後にご朱印をいただき 門前で一礼します 

(バス・地下鉄を乗り継いで)さあ京都御苑に着きました
本日 京都迎賓館と京都仙洞御所の参観予約は取得済 予約不要であった
京都御所への整理券を入手すべく 乾御門から入り 清所門を目指します
整理券は10時以降各正時に配られると 我々の予定していた13:30
の分は その時間帯に来てくださいということでした

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それではと 最初の迎賓館まで歩きます もう暑いのです 南下し時計と
逆回りで迎賓館入口へ 入館前での体温測定では36°Cを超えています
出発時の体温は35°C台だったので徐々に上昇しています
f:id:HATTYAN0234:20200817135007j:plain我々二人とも膝や足に故障があり杖をついたシニアのため 特別のエレベ
ーター乗降口に案内されました 持っていた杖も 館内用の杖に交換され
待機します 密を避けるため 1グループ15名以下だそうですが 本日
我々のグループは ガイドさんと警備員にはさまれ 5名での参観でした

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通路には全て養生マットが敷かれています 来賓の方が通る場合には勿論
はがされます ハイヒールの靴でも跡がつかないようにした技術がすごい

一番目は「夕映えの間」
大臣会合等の会議や立礼式のお茶のおもてなし 晩餐会の待合として使用

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綴織りの技法で東西に「比叡月映」と「愛宕夕照」 壁面は可動式です
比叡山は分かるけれど 愛宕山って? 京都人にとって「火廼要慎」と
書かれたお札はお馴染みの存在で そんな火伏せ 防火に霊験あらたか
愛宕神社は京の最高峰 愛宕山山頂に鎮座しているのです

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南北には池(円柱は五条大橋の橋桁 )と枯山水石庭で The Japanを演出

二番目は迎賓館で最大の部屋である「藤の間」 藤の花言葉は歓迎です

f:id:HATTYAN0234:20200817131316j:plain洋食の晩餐会や歓迎式典の会場として使用(上の写真はパネルから転写)
壁の絵?400色の糸を使い8人が7か月 手作業で織り上げた織物です

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柱が全く無い 釣り天井スタイルです

f:id:HATTYAN0234:20200907055057j:plain舞台では 舞・能や琴の演奏 雅楽などが披露されますが その舞台の扉
これこそが 本日一番見たかった「截金(きりかね)の金箔張り」です!
NHKBSプレミアムで 人間国宝の江里佐代子氏の遺作だと知りました
仏像や仏画を荘厳にするための「截金」を現代に活かした超力作なのです
微かな風・振動でも手が止まる 8mを3年 息を止めて完成させました

三番目は「桐の間」
和食を提供する「和の晩餐室」です 瓢亭等の名店京料理でおもてなし 
ここでは12mの座卓(漆の一枚仕上げでは 世界最大級)が見事です 
座椅子の背面には 日本政府を主張して「五七の桐」が描かれています 
(注:京都迎賓館を管轄するのは 宮内庁ではなく 内閣府なのです)

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10人が8か月 漆に挑戦した座卓 傷がついてもすぐ直せるのが漆で
最後の仕上げは人の手 手の平が火傷するくらい真剣にならすそうです
それほどの座卓に 眼前の庭園が映り込みます 鏡のような光沢は見事

f:id:HATTYAN0234:20200817131621j:plain天井板は12m 300年物吉野杉1本 木目がきちんと揃っています 
次には廓橋を渡ります

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見上げる天井の四隅に施された透かし彫り
通風孔をとの依頼があり 大工として単なる穴では済ませない匠の技です

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古くから日本人の住居に貫かれた伝統「庭屋一如(ていおくいちにょ)」
どの部屋からも庭が見られる 桜守で有名な庭師佐野藤右衛門さん指揮
ただし お得意の桜は館内で1本のみ 錦鯉の親子が仲良く泳いでいます

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迎賓館には宿泊施設も ブータン国王ご夫妻は翌日 舟遊びを楽しまれた

四番目は「聚楽の間」
ロビーとして位置づけされる 晩餐会や大臣会合の際の随行員待合室です

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中央には飾り台(漆 螺鈿 竹工芸)の上に花籠(竹工芸)そして京指物
の技能と有職織物用いた安楽椅子が並ぶ 外人さんどこまで分かるのか?

「京都の技とおもてなし」 一つ心に響けば 日本をもっと好きになって
いただけるはず 「京都迎賓館を守る会」の匠100余名が年一回集結し
アフターフォローを続けています 年を経るごとに輝きが増す日本建築!
日本人で良かった~を実感させてくれる それが京都迎賓館なのでしょう

最後に正面玄関に戻って

f:id:HATTYAN0234:20200817132157j:plainさて 海外からの賓客ご一行は 車列を組んで正面から入ってこられます
この正面玄関に停車し 迎賓館長が玄関前でお迎えして ご入館されます
正面の扉には 樹齢700年の欅(ケヤキ)の一枚板が使用されています
迎賓館の建物は平屋です 「平屋に勝る優しさは無い」くつろぎの空間は
おもてなしの達人折り紙付きです

参考:いざ来賓が決まると
   生け花34流派の代表が「和花の命は一日」と一期一会で勝負する
   料理は京都名店の持ち回り「究極の一見さん」に対しあらゆる情報
   を集め 京料理の真髄をご披露します 可能な限り和で勝負します
   各所に飾る絵画等は 近隣の美術館から借り受けます 各美術館は
   ここ 京都迎賓館の美術品倉庫の役割を担っているといえましょう

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ガイドツアー参観を終え 日本人として誇れる気持ちで胸いっぱいになる

残念だったこと 西門から出る際 係員に「皇女和宮誕生の碑」はどこ?
と聞けど分かりませんと 後日西門前の橋本家跡に立っていたことが判明

御所を時計と逆回りで回り込み 力を振り絞り中立売休憩所に向かいます
途中 御所の北東の角地が凹んでいて 何だろうと思いつつも通り過ぎる
(後で調べると方角が鬼門のため 四角く凹ませ角が無いことにしたと)

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参考:鬼門それは鬼がやってくる方角を言います 艮(うしとら)の方向
   つまりは北東にあたります 京都人は異様なほど鬼門を気に掛ける
   それは平安京の時代でも同様で 「鬼門封じ」は猿に託されました
   なぜ猿か? 陰陽的な方角では丑寅の反対が申(さる)だからです
   京都御所の「猿が辻」(上地図参照)は鬼門封じのためなのでした

休憩も考えましたが 御所にすぐ入れるということで整理券をもらい入場
しました この度御所で「高御座と御帳台」の一般公開が行われているの
です これは昨年10月22日皇居で「即位礼正殿の儀」が行われ その
際の諸儀礼の写真と装束姿を再現する人形他を一緒に展示するものである

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 紫宸殿の奥に安置されている高御座ですが あまりにも遠くて見えません

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当日配布されたパンフレットと 現地に設置されたパネルを撮影したもの
高御座(たかみくら)は頂上に鳳凰がいて八角形の柱で支えられています
「八」とは古く古事記には「大八嶋國」 また八百万の神と吉の数字です

<御所に関してのあれこれ>
①そもそも東京遷都は正式発表されていない?
明治元年(1868)明治天皇は江戸に「東幸」され江戸を東京と改称し
          すぐに京都へ戻られた
明治2年(1869)再度「東幸」し太政官を東京に移された
明治5年(1872)京都へ入られた際に「還幸」とはせずに「行幸」と
          した これこそ東京が首都であることを意味します
つまり公表ではなく公文書で後から確認 あやふやだったことは確かです

京都御所に今も玉座があるのは?
明治11年京都に立ち寄られた明治天皇は 京都の衰微を悲しまれ 即位
     礼などを京都で行なうようにしてはどうか?とおっしゃられた
明治16年その旨の勅令が出され その直後皇室典範で細部を定めました
     よって大正天皇 昭和天皇は即位礼を京都で大々的に実施した

しかし 戦後の皇室典範の改正では (即位礼を)京都で行なうの文言が
削られ 平成(令和も同じ)の御大典は東京で挙行されたのです
玉座は分解しヘリコプターで運び 帰りはトラックで戻された 即位礼
阻止を狙う過激派襲撃を恐れてのこと) 依然として玉座は京都なのです

玉座ついでに言うと 御所の玉座が南向きであったために 玉座から見て
左(東)を左京 右(西)を右京と決めました 左右が逆になったのです
御所も平安神宮も「左近の桜右近の橘」と観光客がアベコベ体験をします

なお玉座は京都ですが 三種神器は東京に移転済 従前三種神器の置かれ
ていた部屋や春興殿はそのままで いつの日か戻ってくるのを待っている

③現在地にある御所っていつから?
桓武天皇平安時代の内裏とは全然違う 平安京大内裏の東北角に位置
するのだが 当時は公家の邸宅を2百回も転居した 里内裏の時代である
秀吉や家康の時代に現在の京都御所に発展 後水尾上皇中宮和子の時代
に仙洞御所や大宮御所が造営されて 複数の御所が並列する偉観となった

現存建物のほとんどが幕末の再建なのに 平安京のイメージを漂わせる?
これは 固禅入道裏松光世という一人の公家のお陰である 有職故実家で
倒幕論に連座して辞職 ただしこの後学問に目覚め 平安京の総合的研究
家になった 著書の「大内裏図考証」は今も不滅の平安京研究の基本です

天明8年(1788)御所焼失す 時の老中松平定信指導下 裏松光世
研究のお陰で2年で竣工 そして再度焼失したが 安政2年(1855)
寛政の設計図通りに再建されました これこそが現在の京都御所なのです

               
夏のカンカン照りのなか 約30分間歩き 汗だくになりながら見上げた
ところで感激などありません 早く休憩したいなあ ただそれだけでした

本来は 外部から観察できる屋根や漆喰壁ぐらいはじっくりと見るべきで
何のためにNHK「京都御所 至高の美の守り人」を録画し勉強したのか

<檜皮葺の屋根>30年に一度 全国から選出された屋根葺き師が一斉に
作業しますが 「終わりなき修復を続ける匠たち」と紹介されていました
実は御所の屋根 応仁の乱後 朝廷は資金難で壁は崩れ 屋根には雑草が
生えている状態だったと 即位した後柏原天皇は21年間即位式があげら
れないどころか 「御朝はまだか・・・・」という極貧状態であったとか
後にその窮状を救ったのが豊臣秀吉で 朝廷を利用して天下人宣言をした

<漆喰壁 パラリ壁>近くに寄って見ないと分からない左官職の究極技で
光の当たる角度によって 石灰の粒一つ一つがさまざまに表情を変えます
北海道様似町の銀杏草という海藻を煮詰めて粘りを抽出 俵灰という長期
間俵に詰めて空気中の水分を吸わせた消石灰と水のつなぎ用に使用します
石灰も粗い粒と細かい粒の調合を十数回試します 何しろ前任者の記録が
全く無いため手探りで復元する漆喰です 壁を見て推測するのだそうです
修復こそ職人の技 心を無にして 一気に仕上げます(重ね塗りは不可)

参考:京都に有能な職人が集まったのは?
   先ずは徳川三代の「権勢を誇る見栄」のなせる技と言えるのでは?
   応仁の乱などで焼け落ちた寺々を以前よりも立派によみがえらせた
   宗門の本山へ 全国各地の末寺から浄財を集めるシステムを構築し
   本山たる京都の寺院は裕福になり 補修・点検ができるようになり
   建築ラッシュから林業・材木業者を潤し 装飾・工芸品の需要等も
   高まり 最終すぐれた人材 大工・左官・建具師・庭師らが京都へ
   集中したという訳です        
f:id:HATTYAN0234:20200817132914j:plain中立売休憩所に到着し すぐにかき氷を注文しました(850円は高い)
そして次に昼食を食べ 妻から順番が逆と叱られました

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御所車弁当1,500円 確かにかき氷の後では おいしくなかったが
ここで次の仙洞御所まで2時間 食事と休憩で滞在できたことは良かった

f:id:HATTYAN0234:20200817133128j:plain見てくださいこの入道雲 15:30からの仙洞御所参観に向け またも
御所の外周を歩きます 京都の夏は 盆地で風が無く高湿度で 最強です
本日は 迎賓館~御所~仙洞御所と完全制覇の無謀な計画で 足の痛みも
何のそのです 暑さの方に神経が行っている リュックを背負い 背中は
汗でびっしょりなのです(おかげでトイレ休憩もこの後全く不要でした)

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仙洞御所入口でも体温測定 37°Cでした 熱中症寸前だったのかも?
待合室で少し休息できて助かりました 日傘の代わりに雨傘を借用します
ガイドツアーは大宮御所からスタート 昨年天皇陛下ご夫妻が泊まられた
古くは 英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃も泊まられたとのことです

大宮御所にも古い松の大木があります 御所全体で約700本の松があり
一本一本全部記録され管理されている 2月には庭師が剪定作業 年間を
通じては 宮内庁職員が弱った木の根に漢方薬(せんきゅう)を水に溶き
注いでいます 御所全体 いつ誰がみえても万全の庭をと目指しています

歴史的には幕府が後水尾天皇中宮 東福門院(秀忠の娘和子)のために
造営した女人御所 後に焼失し 孝明天皇の皇后の御所として再建された
北池から南池を池泉回遊し 約50分 傘をさしてもつらい時間帯でした

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宮内庁管轄の庭園というと どうしても前の桂離宮を思い出し比較します
ここは何という事のない 市民公園という感じ 紅葉時期ならいいかも?
歴史的には 幕府が後水尾上皇のために小堀遠州指導で造営したものです

京都御苑を離れる前 最後に「拾翠亭」をチラ見しておこうと御所正面の
建礼門から南下して向かう 江戸時代は200あった公家屋敷も明治時代
以降大きくさびれ 屋敷として残った九条家茶室が 唯一の文化財である

f:id:HATTYAN0234:20200817133742j:plain本日休みで入れません 首からぶら下げているのは扇風機です

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九条池 そして敷地内の茶屋から鬼門の方角に厳島神社がある 唐破風の
ようなデザインの鳥居がありますが 九条家を守護しているとのことです

御苑を出て 地下鉄丸太町駅を過ぎ 本日の目玉「松栄堂」に向かいます
我々夫婦にとって お香で有名な松栄堂は とても思い出深い店なのです
理由については 私のブログ「1972年の夏⑧ イタリア」でも詳細に
書いてありますので参照していただければ幸いです
2011年東日本大震災の年 フィレンツェのサンタマリア・ノヴェッラ
薬局でお会いした 松栄堂から来られたという京美人に再会できたらいい
のにと かすかな希望を胸にドアを開ける お香の上品な香りが汗だくの
わが身に染み入ります
妻から店員さんに切々と訴えます 10年前こうこうこうだったのですと
その時の女性があまりにも美しく ここのお嬢様かお嫁さんではないかと
お分かりになれば 是非どういう方だったのかだけでもお教えくださいと

f:id:HATTYAN0234:20200817133818j:plain「その当時の人なら 今ここにいますから・・・」と事務所?にTELし
出てこられました 上の女性です 妻を見た瞬間に「あっ」という表情を
され 思い出されたのかもしれません 予想外に明るい感じの女性でした
10年振りに会えたので ご無理を言って写真を撮らせていただきました

参考:京都美人の真価は年配の女性にこそある 着物の着こなしの見事さ
   とか 気を抜かない京言葉の会話の妙味はさすが 上の女性も10
   年が経ち 明るい「はんなり」に マスクが残念 名前も?ですが
   着物を着た姿は絶対の京美人と推察できます いやあ良かったあ!

参考:京都らしさとは?
   「はんなり」という美しい言葉の中身は「上品で明るく華やかな
   さま」であり「花なり」つまり「花のようだ」という意味らしい
   「華がある」ということとも通じるが 世阿弥が「花伝書」でも
   言っている趣旨に沿えば「人の心に思わぬ感動を催す何かがある
   こと」であろう    

   京言葉の「ゆっくり」「ていねい」「婉曲」とは
   大阪人の言う「それぇ 違いまっせ」が
   京都人の「あのお それえちょっとお 違います(んや)けどお」
   また同じ京都でも「本人さん そんな 言(ゆ)うたはるえ」が
   花街で「ご本人さんが そういう風に言うとんやすのどっせ」に
   なるという ここまで来るとこそばゆい!

   聞こえてくる「京ことば」も 風景のひとつだと気づきました
   (「そうだ 京都、行こう。」のキャッチコピーから引用)
    
地下鉄に乗り四条烏丸駅に そしてバスで四条京阪前で下車 妻の希望の
「鍵善義房」に向かう 店ではコロナ下 喫茶コーナー時間が切り上げで
名物の葛切りが食べられない 残念でした 記念に琥珀他を購入しました

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四条河原町河原町通りまで歩きました しまった失敗でした 若者たち
で あふれかえっていました 完全な三密状態で しかもマスク無しでの
バカ話をする姿は まるで渋谷でした 何とぞ感染していませんように!

予約していた「祥風楼」に1時間早いのですがとお伺いするとOKという
ことで夕食に 黄桜直営の京町家風料理店です 京懐石8千円コースです

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ここは鱧が有名とトリップアドバイザー評価の店 先ずハイボールで乾杯

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ちゃんと個室で食事ができ(対コロナで)安心です

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お酒は「金賞黄桜」もいただきました

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鱧の落とし(湯をくぐらせたもの)酢の物もいいです
「仕込みは 錦市場から?」と向けると「京都中央卸売市場からです」と
その卸売市場には 兵庫や徳島で揚がった鱧が着く 鱧料理は京都の夏に
は欠かせませんが そのため7月の祇園祭を「鱧祭り」とも言うそうです
水から揚げても 長時間死なないため 生きたまま京都まで運べるのです

皮一枚残して骨を断つ加減が 身に着くのに8~10年はかかるそうです
(TV「みをつくし料理帖」での北川景子さんの手さばきは見事でした)
実はこの技 かつては京都の料理人が 天領日田に赴いた際に 豊後の国
中津の漁師から教わり 都に持ち帰り それが広まったと言われています

大阪人は年5~6回 京都人は10~11回も食べるというデータがある
東京人の私はというと 食べたことあったかなあ~という感じでしかない

鱧の食後感って? カリフラワーに似ている 味について表現ができない
京都の寺院では得意な精進料理で 見た目も舌触りも鱧っぽいものがある
と聞きます 木綿豆腐とクワイを白板昆布にのせてこしらえた料理 この
方が 食レポとしては分かりやすいのでは? 何しろ淡泊だったなーです

料理人は言います 「鱧は韓国産に限る」と 圧倒的に肉質が上とのこと
(韓国産 たとえ美味しくとも 私なら絶対に食べません!)

黄桜といえば 昔のTVCMは 小島功氏の色っぽい絵でお馴染みでした
店の2階への階段付近に飾ってある4枚の額縁絵 帰り際に撮影しました

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最後のデザート そして店の前の行燈
「お店の町家 以前は何でした」と質問 「バニーガールのいたお店」と
聞いて少々興ざめでした 二人で税込2万円也
参考:京町家 昭和25年(1950)以前に京都市内で建てられた町家
   を含む木造家屋である 昭和40年代の民家ブームの際つくられた
   造語であり 江戸時代にこのような言葉は無かったようです

   前半の料理は良かったけれど 後半はちょっと・・・・という妻の
   感想から 鱧料理について調べてみました
参考:鱧の旬は2回あり
   最初の旬は6~7月の初夏 産卵に備えて栄養を蓄えている時期で
   もう一つの旬は10~11月の晩秋 産卵後であり 産卵で使った
   栄養の補給で 栄養を十分に蓄えている
   つまり 鱧は8月に産卵期を迎えるのですが この時期は脂の乗り
   が少なく 身も痩せているため あまりおいしいとはされていない
   「江戸は走り 京都は名残」という言葉があるように 江戸の人は
   6,7月の旬を食べなきゃあ 8月に入いると もう硬いそうです

参考:京都のお酒には京都の水
   京都の軟らかい水は昆布の旨みを引き出すのに最適
   京都では 東北西三方の山から湧き出る水や 地中の奥深くに何と
   琵琶湖の水量に匹敵する水(井戸水)がある(注) それだけでも
   充分なのに 琵琶湖疎水を引き込んで 最早万全であると言えます
 注:今から100万年前 京都盆地の大部分は一面の水に覆われていて
   大阪湾に連なる高大な湖水であった その後 琵琶湖からの宇治川
   を始め周辺の山地から集まる川によって 運ばれる土砂が堆積して
   湖水は陸地になった 大昔 京都は湖底そして陸地になったのです

参考:曲がり角
   京都のおもてなし これを目のあたりにすることができる一例です
   満ち足りて箸を置いて お勘定を済ませて店の外に出ます すると
   お勝手から先に表に出ていたご主人が見送ってくれます 互いに礼
   を述べて店をあとにする ここまでは良くあることです・・・・・
   京都の多くの名店は 細道の奥に潜んでいますが その道を去って
   ゆく客をご主人がずっと見送っているのです そしてそれは 角を
   曲がり 客の姿が見えなくなるまで必ず続きます・・・・・・・・
   「お越しいただいてありがとうございました」 言葉でなく 姿で
   そう言っているのです 「一期一会の名残」を惜しんでいるのです
   これが<おもてなし>だと思います
   客もそれにこたえなければいけません 角を曲がるとき 必ず振り
   向いて礼を返しましょう「美味しい料理ありがとうございました」

帰路一つ発見したことがあります 
平安京の「朱雀大路」は 今千本通りという狭い道路になっているのです
我々が 四条大宮から乗った鷹峯土天井までのバス6番はこの道路を走る
のですが 沢山のバス停 都度「千本○○」とアナウンスされていました

さあ明日も頑張って歩くぞ!