<今回の旅の目的・選定理由>
昨年の段階では アメリカ東海岸個人旅行でした ものすごく時間をかけ
計画策定しましたが 3月は寒気が半端ないという周囲の声に負けて計画
を変更 次はベトナム・カンボジア個人旅行(ハロン湾1泊付き)これは
アンコールワットの階段が急で 膝に難のある妻には苦痛となる点でボツ
最後は では膝にいいのは温泉だからと再度変更 いつかは行きたかった
「黒川・由布院」両方の温泉宿泊付の本コースに決定しました
令和元年11月25日 羽田発9:10 スターフライヤー航空便(注)
北九州市の北九州空港に本拠を置く 座席は黒の本革張りで液晶モニター
付 他社の同型機が最大180席のところを150席に設定し前後の座席
間隔が広い デザイン部門表彰もあり「顧客満足度で11年連続1位」
福岡まで2時間05分 到着後バスで 大分県西部の日田(ひた)に向か
います 本ツアーは20名 夫婦8組女性ペア2組で 皆さんシニアです
注:「花てぼ」とは柄がついた籠のこと 野山に山菜狩りに行くときや
野良仕事のときの おにぎりや惣菜入れとして利用する物とのこと
ご主人が料理の説明をされます 早朝から裏山で採取した山菜云々という
ことですがいわば薬膳料理です 食欲をそそるかと言われれば「?」です
隣席のご夫婦は大部分を残されていました こんにゃくを相当時間をかけ
調理したそうですと添乗員さんが補足説明してくれますが まるで固いグ
ミの様な噛み応え 最後は飲み込みました
京都六盛の「手をけ弁当」が派手とすると こちらは地味過ぎる味です
我々夫婦は完食し食後近くの大原神社でお参り 黄葉がはらはら舞います
日田の豆田町 日田は「檜田」古来ヒノキや杉の多い林産地に由来した
地名 豆田は大豆を植えていた畑に由来する地名ですとは「日本地名大事
典」からの引用です
豆田町は国選定重要伝統的建造物群保存地区 2015年近世日本最大規
模の私塾「咸宜園」と共に日本遺産に認定された 日本遺産大使の米国人
「ナタリー・エモンズ」が当地を訪問しての「じょんのび」でいつかTV
放映されることを楽しみに待ちます
上の写真は 酒造メーカーの薫長(薫りが長持ちするという意味)
試飲コーナーでの濁り酒が気に入り帰りに2本購入 アルコール20度
当地は「天領」江戸幕府の直轄地でした 天領? 大政奉還後明治政府に
返還された「天朝の御料(御領)」の略語として呼ばれた 江戸時代にも
さかのぼって使われた
3日間同行のバスガイドさん 「ここでの名物 お土産はこれこれ 食べ
て欲しいのは何」と事細かくアドバイスをくれるので 皆さんその通りに
お買い物 日毎に荷物が膨らみます(3日目朝 ホテルから自宅へ宅送の
手続きは混乱気味でした)
上左は「からあげ屋 鳥市本店」4個で200円 ホテルで食べたが冷め
ても絶品
大分県は鶏肉消費量全国一位「とり天」が有名ですね からあげとは少し
違う様でとり天は皮無しもも肉 TV「秘密のケンミンSHOW」でグル
メ全国一位となる
日田の「日田下駄」は全国的に有名 天保年間から殖産興業として奨励さ
れたもの
下駄をはいたご婦人の左手には銀杏の袋 300円は安い この通り名が
「御幸通り」みゆきとは妻の母親の名前で MIYUKIという美容室も
見つけました
昔ながらのいい雰囲気の通りの左右にはいろいろなお店が並び ついつい
入った羊羹屋さんで試食 沢山試食をしたからには 買うのが日本人です
ゆず羊羹1,200円也
後で「町歩きマップ」を見て知りました 豆田の逸品の代表「赤司日田羊
羹本舗」と それからポスターに「日田祇園」が そういえば 歩く道す
がら山鉾があったなあ~
平成28年 全国33件の祭の1件として ユネスコ無形文化遺産に登録
されました
「豊後の小京都」と呼ばれる日田市予想以上に気に入り 後日トリップ
アドバイザーで口コミを調べていたら 下の様な十段雛があったのです
しかもお店に入り 甘い醤油をひとなめし 柚子胡椒も見つつ それなの
に奥には進まず Uターン(店のホームページからの転写で見たつもり)
お土産紹介に熱心なガイドさんも 添乗員さんも どちらか一言言って
欲しかった!
注:令和元年6月時点で全国43の市町が小京都と称し「全国京都会議」
に加盟中
雛御殿(日田醤油)の店内奥に飾られている十段雛 見逃して悔しさは十
倍 残念!
この町 私は学生時代に来たのですが 歴史上有名な広瀬淡窓の咸宜園に
行き あとは何の印象も残っていませんでした 甲子園に日田林工が出る
都度思い出す町名です
学生にはこの町の良さは理解できなかったのかも? 町マップを見ている
とさすが日本遺産 江戸時代からの建物が並びます 寛文(1661~)
安永(1772~)天明(1781~)天保(1831~)・・・大正
昭和初期とレトロの集大成です
ゆず胡椒(発祥地)と甘い醤油が似合う町並み 戦禍に遭わなかったの
でしょうね
日田から南下し熊本県黒川温泉に向かいます 地図で位置関係を確認です
この地図上に記されている「湯布院温泉」は「由布院温泉」の方が正しい
気がする 九重山(くじゅうさん)はおかしいのでは?
バスガイドさん「九重ここのえ 九重くじゅう 久住 くじゅう」と表記
が沢山ありますとか言っていましたが 区別についての説明は・・・・
後日図書館に出向き調査「九重」と「久住」地名をめぐる「苦渋」の決断
九重山は火山群の総称で単独峰は無く 火山群の主峰を久住山としました
九重山の北麓に九重(ここのえ)町 南麓に久住(くじゅう)町とあるが
これは九重町が譲歩したもの 久住町が先に「くじゅう」表記を使用した
ことによる
大分自動車道にあるのが九重(ここのえ)IC 九重火山群の南側に広がる
高原を久住(くじゅう)高原という どうも久住の住民の方が力が強い様
な気がします
1986年国立公園改称で 散々もめて「阿蘇くじゅう国立公園」表記に
頭の中では黒川温泉での「湯巡り」でいっぱい 宿泊ホテルの位置と目的
の露天風呂「山みず木」の位置関係 バス停の漬物屋は遠いのか・・・
バスガイドさんも添乗員さんも 「黒川温泉では是非湯めぐりを」と強く
勧めます そして一番のお勧めは「山みず木」ですが、宿泊のホテルから
はかなり距離があり無理です 他のお勧めは・・・どれでもいいので1~
3ヶ所是非!と力説されます
添乗員さん「今までも毎回訴えて来ましたが その甲斐なく残念でした」
おかしいなあ インターネット上では「湯巡りバス」があって毎時15分
と45分に お漬物屋平野商店前からバスが出るのに・・ ホテルに確認
私の調べた通りで 添乗員さんに文句を言いつつ ホテル側の館内説明も
中途にし部屋へ行きすぐに折り返しバス停へ急ぎます 添乗員さんとホテ
ルの従業員さんがバスに頼み我々を待っていてもらえました 添乗員さん
の尽力です ありがとう!
16:20発で「山みず木」に行けそうです 「ホッ」
写真は写せないので インターネットのホームページ写真から転写
今 紅葉の真っ盛り 風呂の底には落葉が沢山沈んでいました
露天風呂(男女別)に入れたのは我々と もう一組のご夫婦の4名だけ
こちらは女性用の露店風呂です こちらは背景は紅葉ということでご想像
ください 露天風呂の定員は 男35女35で 入湯手形で入れる24湯
のうち最大規模です
参考までに宿泊した「優彩」はというと 男20女20 少し小さいです
山みず木のキャッチフレーズ「清流と森を望む爽快露天」まさにその通り
温泉につかりながら考えました 今日の旅程どこか不満 もし私がツアー
の企画を担当する者なら 大はら茶屋と大原神社を割愛し 空港から豆田
町に直行し現地で昼食と散策(30分は延長可) そして黒川温泉にもう
少し早く到着し湯めぐりを十分に楽しむと共に 温泉街の散策もできたの
では どうでしょう?
宿泊ホテルの「竹林の湯」と露天風呂の「渓流の湯」です
さすがホテルのパンフレット すごく素敵ですが 本当は真夜中に入った
せいか露天風呂は真っ暗で滝があるな~ぐらいの景色でした
一人で足を伸ばしました
ホテルの一角に当ホテルの表彰経歴が掲示してありました
観光経済新聞社の2012年度で ホテル優彩は雰囲気部門で7位 風呂
部門10位 施設部門26位 料理部門27位と全部門表彰の栄誉が与え
られていました すごい
2004年には ANAの全国キャンペーンで竹林の湯が選出され
2005年には「THE JAPANESE SPA」で優彩が選出され
ました 五つ星ホテルです
我々一行だけの特別室での夕食です ツアーのうち2組のご夫婦が自室で
メニューです あか牛すき焼き 馬刺し フカひれロワイヤルの茶碗蒸し
どれをとっても目にご馳走
朝食です 妻だけご飯をお代わりしていました
お米がおいしいのです 「ヒノヒカリ」という銘柄で コシヒカリと黄金
晴の交配によって生まれた水稲ウルチ米 宮崎県農業試験場で育成されて
1989年命名登録
ホテル内を探検しているとなにやら上等の香りがするスペースが きっと
この暖簾の奥の部屋はワンランク上になるのでしょう?
いずれにしてもいいホテルで満足! そうそう我々ツアーの一行で露天風
呂巡りをされたのは7割 中には3ヶ所回られた方もいらっしゃり添乗員
さんは大感激です
参考:黒川温泉の歴史
2000年までは地元新聞が発行する「熊本県万能地図」に黒川温泉とい
う名称がなかったほど秘境の温泉でした 昔から知る人ぞ知る湯治場では
ありましたが・・
<1960年代>鳴かず飛ばずで存続の危機
<1970年代>黒川を変えた若手の風
Uターンや婿入りで旅館の二代目三代目が都会での経験を活か
し 新たな温泉郷を模索し始めた
<1980年代>「一軒でもうかろうとしても一軒ももうからない」
乱立する看板200本を全て撤去して 統一共同看板に変えた
杉山だけだったのを剪定し 他の樹々を植樹し露天風呂を形成
入湯手形を若手が発案「露天風呂巡りの黒川温泉」ブランドを
<1990年代>「黒川温泉一旅館」のコンセプトで1999年に30万
人集客
<2000年代>明るさと元気 原点回帰
2003年宿泊者40万人 推定入浴者120万人のピークを
迎えます 三代目の若手が後継ぎとして 組合の青年部も活気
ある新チームになる
<2010年代>熊本地震を経てさらなる飛躍を
2016年の二度の震度7にも負けず 一ヵ月後のゴールデン
ウィークにはほぼ通常営業の状態に戻すことができたのです
全国からの支援に感謝大でした
宿泊したホテル「湯峡の響き 優彩」ともお別れです ホテル従業員の皆
さんが手を振ってお見送り バスは曲がりくねった山道を登っていきます
山の上からホテルを見下ろすと まだ従業員の皆さんが手を振っています
ここまでするのが日本的「おもてなし」なのかどうか ちょっとやり過ぎ
なのでは? 気配りの一つであるならば 杖をついている私の妻を見て
「何かお手伝いできることは?例えばお部屋の中でお困りのことは?」と
かの一言があっても良かったのではと思いました 実は膝を少々悪くして
いて 布団ですと寝起きする際にかなり苦労するのです 昨年に宿泊した
北海道十勝温泉のホテル「三余庵」では 真っ先に尋ねていただき その
結果 妻の分として部屋にベッドを入れていただけました
五つ星ホテルであれば ここまでのことを心掛けていただきたかった~
帰りの飛行機では ただの団体エコノミー客であっても 杖をついている
ことで係員の誘導で真っ先に搭乗させていただいたことが 余計に心に沁
(し)みました